前回が、トランペット界の、いや、ジャズ界の神様、マイルス・デイヴィスの話題だったからというわけではないけれども、今回はモダンホラー界の帝王スティーヴン・キングのお話からです。
このところ、『IT(IT)』(1986年)の完結篇(→『IT/イットTHE END“それ”が見えたら、終わり。』〔2019年〕)、『シャイニング(The Shining)』(1977年)の続篇『ドクター・スリープ(Doctor Sleep)』(2013年→同名〔2019年〕)、『ペット・セマタリー(Pet Sematary)』(1983年→『ペット・セメタリー』〔2019年〕)と、次々に代表作が映画化され、またもやプチブーム到来と話題が尽きない、スティーヴン・キング。旺盛な執筆欲はとどまるところを知らないようで、『20世紀の幽霊たち(20th Century Ghosts)』(2005年)でおなじみジョー・ヒルの弟にあたる子息オーウェン・キングとの共作となる、大作ホラー『眠れる美女たち(Sleeping Beauties)』(2017年)が邦訳紹介されたのも記憶に新しいかと思う。
その存在は偉大すぎて、むろんキングに影響を受けた作家たちも多いわけだけれど、中でも注目株なのが、生粋のキング信者である英国の女性作家C・J・チューダーだろう。
スティーヴン・キングの作品を好きな読者だったら絶対に気に入るはずだと、キング本人が公言して憚らないのが、彼女のデビュー長篇『白墨人形(The Chalk Man)』(2018年)だ。
『スタンド・バイ・ミー(“The Body”)』(1982年)か『IT』か、はたまた浦沢直樹のコミック『20世紀少年』のごとく、少年少女5人組の過去と現在が交互に描かれていく物語で、英国南部の町アンダーベリーに生まれ育った主人公たちが、仲間内の通信手段として使っていたチョークで描く人形の絵文字に導かれるようにして、少女の首なし死体を発見することになるというもの。おどろおどろしい導入ながら、ミステリーとしてのきちんとした結構をそなえた秀作に仕上がっていて話題に。英語圏のほか36カ国に翻訳権が売れるほどだったという。
さほど時を経ずして発表された第2作『アニーはどこにいった(The Taking of Annie Thorne)』(2019年)にもキングの影響は強いのだけれど、たんなるリスペクトに終わらず、さらに複雑に入り組んだ謎や捩れた人間関係を盛り込んで、チューダー印のオリジナリティ満載の作品へとみごとに昇華させることに成功している。
物語の幕開きは凄惨な無理心中の現場。ノッティンガムシャー北部の小さな炭鉱の町アーンヒルで、女性教師が息子の頭を何度も床に打ち付けて殺害した後、ショットガンで自身の頭を吹き飛ばし自殺するという事件が起きる。壁に残されていたのは、“息子じゃない”という血で書かれた文字。
自殺した教師のポストを埋めるために赴任してきた新任の教員が、主人公のジョー。かつてこの地に生まれ育ったが、愛妹のアニーと父親に起きたある事件をきっかけに町を離れていた。町民たちのよそ者扱いと厄介払いしたい態度にもめげずに故郷へ戻った理由は、妹に何が起きたか知っている、というメールを何者かが送り付けてきたのがきっかけだった。ジョーはかつて、友人たちと炭鉱跡地にある洞窟にもぐりこんだことがあり、そこでアニーたちの身に起きた恐ろしい出来事が引き起こすその後の災厄に決着をつけなくてはならなくなったのだ。
言うてみたら、人間の禁忌に迫ったキングの
ただし、主人公はけっして高潔なだけの人間ではない。ギャンブルにのめり込み多額の借金を抱えていて、その返済のための計画を、そして別の目論見をも、胸の内に秘めていたりもする。また、1980年代ミュージックが大好きでジョーにつきまとう冷酷な借金取立人グロリアや、彼の宿敵ともいえるハースト父子など、悪役の人物造型にもありきたりでない個性が加味されていて、物語に一層の厚みをもたらしている。
過去の悲劇の真相もなかなか明かされず、しかも謎の伏線はみごとにちりばめてあって、読み手は物語の展開にぐいぐいと引っぱられていき、後半に向かうにつれてさらなる驚きに見舞われることになる。
多くのキング作品同様、チューダーの本作には多くの音楽ネタが顔を覗かせる。
上質のホラーには、逆にユーモアや諧謔がちりばめられていると言われたりもするけれど、主人公のシニカルな軽口やら情景描写やらそこここに音楽を配することで、たんに時代背景を伝えやすい道具としてだけでなく、タイトルや歌詞の持つ意味合い、ジャンルやイメージなどアーティストの持つムードを、巧みに取り入れて、黒い笑いや洒脱さに貢献させているのだ。
たとえば、この物語の不気味さを表す象徴的な小道具として使われる、主人公の妹アニーが肌身離さず持ち歩く、アビー・アイズと名付けられた人形。この人形の不穏さをさらに醸しだすためには、とある歌詞が一役買っている。LAの人気ロック・バンドTOTOの同名の曲に使われたことでも知られる、童謡マザーグースの「ジョージー・ポージー(Georgy Porgy)」。
“ジョージー・ポージー、プディング・パイ。女の子たちにキスして泣かした”という歌詞をもじって、“アビー・アイズ、アビー・アイズ。男たちにキスして泣かした”という叫ぶような歌声が、ジョーの悪夢のなかに響き渡る。
ほかにも物語の後半、血まみれで瀕死の状態にある某人物(明かせない!)が身に着けているバンドTシャツのロゴが目に入り、そのバンド名どおり「ウェット・ウェット・ウェット(べったり、べったり、べったり)」という言葉がジョーの頭の中に刻み込まれて何度もリフレインしてしまうという、ブラックな使われ方もある。
ジョーの数少ない味方と言ってもいい同僚の教員ベスとの対話では、ジョージとアイラのガーシュイン兄弟がミュージカル『踊らん哉(Shall We Dance)』のために書いた、フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのデュエットで有名な人気曲「レッツ・コール・ザ・ホール・シング・オフ(Let’s Call the Whole Thing Off)」の歌詞の一部がさりげなく使われている。
“きみは「ポテート」が好きだけどぼくは「ポタート」が好き。きみは「トメート」が好きだけどぼくは「トマート」が好き。ポテート、ポタート、トメート、トマート。もう、こんなことやめようよ!”という、同じ言葉の発音の違いを譬えとしてお互いに相通じることができないことを嘆くラヴソング。
どっちでも大差ないという意味でベスがその譬えを引き合いに出したところ、ジョーはあくまで「トマートだ」と言い返し、それに対して彼女は中指を立ててみせる。なんとも欧米的な洒落た会話シーンでもあるのだ。
そんなベスは、華奢な体躯にポニーテール、いくつもの銀のピアス、ザ・キラーズのTシャツにドクターマーチンのブーツ。またあるときはダメージジーンズにニルヴァーナのTシャツ、ヴァンズのスニーカーという通常スタイルで、つまり、まあ普通ではない。
余談ながら、コアな着目をば。ジョーが“アッテンボローやコールドプレイがいくら美しさを謳おうと”自然というのは容赦ないものだという持論を披露するところ。これは、動物学者デイヴィッド・アッテンボローと、人気ロック・バンドのコールドプレイらが参加した音楽フェス〈グラストンベリー・フェスティバル〉でのことを指しているらしく、環境保護上の理由から来場者のペットボトル使用を禁じた屋外イベントとなった、というあたりからの言及だったようです。
チューダーはすでに第3作『The Other People』(2020年)を発表している。主人公は何者かに車で連れ去られた5歳の娘の生存を信じてその行方を捜し続ける男。彼は、眠るたびに何かのメッセージを伝えようとする幼い少女の幻影を見てしまう娘を連れて何かから逃れようとしている母親と、悲劇の犠牲者を救済するダーク・ウェブサイト“アザー・ピープル”で知り合うことになる。これまたモダンホラー色の濃いミステリー作品に仕上がっているようで、邦訳紹介が愉しみだ。
◆YouTube音源
■”Let’s Call the Whole Thing Off” by Fred Astair & Ginger Rogers
*映画『踊らん哉(Shall We Dance)』(1937年)のために書かれた、アイラ・ガーシュイン作詞、ジョージ・ガーシュイン作曲による有名曲。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの人気コンビによるデュエット。
■”Georgy Porgy” by TOTO
*LAの人気ロック・バンド、TOTOのデビュー・アルバム『TOTO』(1978年)に収録。1979年にシングルカットされ、ビルボードのチャートで48位を記録。多くのアーティストにカヴァーされている。
◆関連CD
■『Ella and Louis Again』Ella Fitzgerald & Louis Armstrong
◆関連映画・DVD・Blu-ray
■『ドクター・スリープ』
■『IT/イットThe End“それ”が見えたら、終わり』
■『ペット・セメタリー』
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |