学生の頃、杉真理さんや竹内まりやさんがその昔所属していた音楽サークル〈リアル・マッコイズ〉に在籍してバンド活動をしていた。音楽性で言うと、ハワイアン音楽から始まってJポップスへと変容していった団体なのだけれど、カントリー・ミュージックが盛んだった時期が長かったらしく、定期的に開催される発表会的なライブ・イベントは、“コンサート”でも“セッション”でもなく、“オープリー(opry)”(当時サークルではこの表記)という耳慣れない名で呼ばれていた。

 米国南部でのみ使われる言葉だとのことだが、普通の英和辞典などで探しても見あたらないし、語源もよくわからない。どうやらカントリー音楽の生演奏ライブをする施設を指す言葉らしく、その業界では最大規模の祭典といえる公開ライブ放送イベント〈グランド・オール・オプリ(Grand Ole Opry)〉がもとになって広まっていった用語のようだ。

 なにしろその〈グランド・オール・オプリ〉は1925年以来現在まで続いている長寿番組で、その後はTV放映などもされていて、カントリー周辺のブルーグラスやらフォークソングなど、さまざまな音楽を幅広く取り上げ、寸劇などもまじえた盛りだくさんの内容の一大イベントなのだ。

 米国はロサンゼルス在住の女性作家レイチェル・クシュナーの本邦初紹介作となる『終身刑の女(The Mars Room)』(2018年)には、この〈グランド・オール・オプリ〉の様子が、まるまる一章ついやして詳細に語られる場面がある。他にもカントリー・ソングへの言及箇所がよく目につくのだけれど、そのほとんどが、物語の中心となるヒロインがメインとなる章ではなく、登場人物の一人で悪徳警官であるドクの視点から語られる章でのこと。後ほどじっくりとその場面について述べるとして、まず作品自体について触れていこう。

 この小説でほぼ語られるのは、ケンタッキー州にある女子矯正施設〈スタンヴィル女子刑務所〉内での女囚たちの人間関係である。ヒロインは29歳の女囚ロミー。幼い男の子を持つシングルマザーで、彼女に対するアプローチの行動がエスカレートしてきたストーカーを鈍器で殴り、結果、死に至らせてしまい殺害容疑で逮捕。裁判での扱われ方も酷かったために運悪く二度分もの終身刑を言い渡される。なんとなくオーストラリアの大ヒットTVドラマ『ウェントワース女子刑務所(Wentworth)』でのDV亭主の殺害未遂で投獄される主婦を思い起こさないでもない。

 彼女が逮捕される前まで働いていたストリップ・クラブの名前が、原書のタイトルである〈マーズ・ルーム(The Mars Room)〉だ(ここではヴァネッサの名前で働いたロミーだったが、彼女に入れあげたあげくストーキング行為に走ることになるケニーと、不運にもここで出会ってしまう)。マーズ・ルームで働く日々は、ある意味、女子刑務所の日々ともイメージが重なる。そう、さまざまな事情を抱えた女性たちが、行き場のない人生を少しでも良くしようともがく場所だ。

 物語はこのヒロインの一人語りで進められていくかと思いきや、別の人間の視点からの章がランダムに挿入されてくる。

 ひとりは、女子刑務所へ赴任してきたばかりで囚人たちに文学を教えている矯正局職員ゴードン。以前の職場で女囚の一人に利用されて不適切な関係を問題視されてスタンヴィルへ異動となったのだが、他の女囚たちとは異なる特別なものを感じてロミーに惹かれていく。

 もうひとりは、ロミーと同じ棟の下の階、死刑囚房に入れられているベティという元モデルが保険金目当てに夫を殺させた愛人を、これまた口封じのために殺害するための共犯として利用され、彼女と一緒に逃亡中に捕まってしまった悪徳警官のドク。彼もまた積み重ねてきた悪事のおかげで終身刑をくらい、ニューフォルサム刑務所で服役中の身だ。

 ある意味、人生にゲームオーバーと宣告されてしまっているこの3人の視点から語られる章に、ロミーと同室の女囚サミー、そして、一読して何者かはわからないであろう、とある男の独白の章も加えられる。はたして、それぞれの章の主人公たちの言動は結末に向かって収斂していくのか……

 というと、実はそうでもない。作品自体は主流文学を目指して書かれたものなのか、ミステリー的な展開を期待すると裏切られる。閉塞感すら感じてしまう読者もいるかもしれない。けれども、不運な人物たちの不運な行く末を畏れずに描く、そんな決意がこの小説には感じられる。

 それに付随して、『終身刑の女』のすぐれた点は、徹底したリアリティを盛り込んだこと。女子刑務所ならではの所内描写のディテールにハッとさせられることしきりだ。最近では、やはり女子刑務所を舞台に描いたスティーヴン・キング&オーウェン・キング親子によるホラー大作『眠れる美女たちSleeping Beauties)』(2017年)が頭に浮かぶけれども、そのディテールの描き方でいったら、『終身刑の女』はこれに勝るとも劣らない。

上下階を垂直に通してある排水管のパイプを使って物のやりとりをしたり、妊娠している女囚は大きく“妊婦”と書かれた監房着を着せられたり、とディテールに気を配った描写が圧倒的なリアリティを生み出している。ところがどっこい、著者の経歴を見てみても刑務官の経験などは皆無。おそらく綿密な取材を重ねて構築したリアリティなのだと思われる。

 ヒロインはきわめてクールで客観的に、見た目はほぼ男性の黒人女囚コナンや仮釈放されることになるメキシコ系アメリカ人のサミーといった仲間のキャラクターや、彼女らとの獄内での生活や交流を淡々と伝えていくのだけど、彼女が投獄されるに至った事情は最初からは明かされない。それが、愛しい我が子に会いたいという想いが何一つ叶えられず、さらに悪化していく状況が明らかにされていくにつれ、彼女の感情も露わになっていくように読者には感じられていく。

 違う意味で、主要登場人物のなかで妙に目を引く存在なのが、先に触れた悪徳警官ドクである。なにしろ彼はヒロインのロミーと実際には接することのない人物だ。どういうことかと聞かれても読んでいただくしかないのだけれど、彼は言ってみればアメリカに付きものの不運を体現する存在。

 幼い頃から義父に暴力とレイプを受けて育ち、刑事になってからは、時代を先取りした悪徳警官の“はしり”だったと自負する人物。とはいえ結局は女に利用されて破滅するという、不運を拭いきれない男なのだ。ロミーの女囚仲間には黒人やヒスパニックも多い一方で、ロミーと接点のないドクの生きてきた世界は圧倒的に白人社会だ。それを強調するかのように、彼の視点の章は、米国の白人文化ともいえるカントリー音楽――明るい曲調ながらじつは失恋や悲劇など、多くの不運を歌にした音楽――で彩られている。

 ドクを虐待し続けた義父は、カントリー音楽界の重鎮ジョニー・キャッシュの代表作のひとつ「フォルサム・プリズン・ブルース(Folsom Prison Blues)」(1955年)が大好きで、いまやまさにここに歌われた牢獄で自分が過ごすことになったことに、ドクは複雑な想いを抱いているのだ。ちなみに、獄中から自由に走る列車を見つめて嘆く囚人の姿をこの歌にしたことで、実際に刑務所に入ったことがあるとまで噂されたキャッシュもまた、コカイン漬けで苦しんだ時期が長かったことで知られている。

 さて、そこで〈グランド・オール・オプリ〉の登場だ。まだ義父のもとに暮らしていた1974年春、ドクが10代の頃を回想する章。義父がお気に入りのオプリ。その年は時の大統領リチャード・ニクソンが出演したことで知られ、まさにそのときの様子がこの章には詳述される。

 大統領はピアノの前に座り、「ゴッド・ブレス・アメリカ(God Bless America)」を演奏し、スピーチで「カントリー音楽はアメリカの心です」と息巻く。人気歌手のロイ・エイカフがあとを引き取り、得意のヨーヨーの妙技を披露して子どもたちの関心を惹きつける。次いで、タミー・ワイネットが「D-I-V-O-R-C-E」を、チャーリー・ルービンが「サタン・イズ・リアル(Satan Is Real)」を、ウィルマ・リー&ストーニー・クーパーが「トランプ・オン・ザ・ストリート(Trump on the Street)」を、ポーター・ワゴナー「ラバー・ルーム(Lover Room)」を、ロレッタ・リンが「ドント・カム・ホーム・アドリンキン(Don’t Come Home A-Drinkin’)」を、と錚々たる歌手たちがステージを彩る、豪華絢爛なカントリー・ソングの、まさに頂点の祭典だ。

 けれども、そんなお祭り騒ぎも半ばにさしかかると、妻と共に暴漢二人の手によって殺害されたデヴィッド・“ストリングビーン”・エイクマンへの哀悼の意を表しての黙禱があったり、最初の妻を殺した男が再婚相手にもし裏切ったら殺すぞと脅す歌、警察の手から逃げおおせた酒の密造者の歌、殺して埋めた妻の小言が毎晩聴こえてくると嘆く男の歌が、次々と演奏されたりして、それはそれで喝采を受ける。以前にも書いたように、カントリー・ソングには“マーダー・ソング”と呼ばれるものや、それこそ“プリズナー・ソング”と呼ばれる囚人や刑務所を取り上げた歌など、恋愛だけでなく人生の暗部を歌ったジャンルが数多くあるのだ。そう、“アメリカの心”は、リアルにそうした嘘偽りない人生の暗部までも余すところなく歌ってきた。この間、ニクソンは苦虫を噛み潰したように硬い表情でじっと座っている。ニクソンもまた、この直後、再選をもくろむ大統領選挙前にウォーターゲート事件で失脚するという、アメリカの歴史の暗部の一部を担うことになるというのに。いやはや、皮肉なことこのうえない。

 そうだ、〈グランド・オール・オプリ〉の常連だったカントリー界の女王ロレッタ・リンの自作曲にも、「女子刑務所(Women’s Prison)」(2004年)というのがある。嫉妬のために愛する男を撃ち殺し、いままさに処刑されようとしている女の独白。この自らの独占欲による愛憎の殺人と、子供にまで危害が及ぶのではという恐怖にかられた殺人とでは大きな違いがあって、これと比してみたら、ヒロインのロミーに科せられた刑はあまりに重いと思わざるをえない。

 さらに、ロミーにストーカー行為をはたらくケニーの視点から回想される章では、マーズ・ルームのステージで踊るときのロミーのお気に入りのBGMは、中性的な歌声のシンガーが「うちに来てよ、ベイビー、愛を語ろう」という内容だと書かれている。たまたま訳者の池田氏に教えていただく機会があって知ったのだけど、ニック・ギルダーの「ホット・チャイルド・イン・ザ・シティ(Hot Child in the City)」(1978年)のブリッジ部分の歌詞だと思われる。期せずしてストーカーを挑発する歌を刷り込むように、この歌を何度も流してしまっていたのだと考えると、ここでもまた運命の皮肉を感じざるをえない。不運はさらなる不運を呼び込むのだ。

 そして、きちんと読解できていないかもしれないながら、物語にときおり挿入される、例の謎の人物(数学者にしてアナーキスト)による短い数章。ソローの『森の生活』からその人物へ、そしてゴードンへと受け継がれる、環境破壊への危機感・工業化批判の意識はともかく、それゆえに過激なテロ行為へと走ることとは別問題。正論からゆえの示威行動とはいえ、多くの犠牲者が生まれたのは否定できない。ロミーたちだけに限らない。強いエゴの犠牲になる人間は後を絶たないのだ。

 この小説は、思うようにいかない人生を辿ってしまった人間たちの、予定調和ではない、生々しいまでに不運を描いた物語なのだった。アメリカが歌う不運。生々しいだけに、わずかな希望にすがる女囚たちの、そして男たちの姿が哀しくも切ない。

◆YouTube音源
■”Folsome Prison Blues” by Johnny Cash

*カントリー界の巨匠ジョニー・キャッシュ1955年発表の代表作。囚人を歌ったプリズナー・ソングの中でも、米国のベスト10ランキングなどではつねに1位に選ばれる歌だという。

■”Women’s Prison ” by Loretta Lynn

*カントリー界の女王ロレッタ・リン2004年のアルバム『Van Lear Rose 』に収録されたナンバーで、この曲にかぎらず、ロレッタの歌には社会的問題を扱った歌詞内容も多く、ラジオ局の一部から敬遠された時期もあったという。

■”Hot Child in the City” by Nick Gilder

*グラムロック出身のシンガー&ソングライター、ニック・ギルダー1978年のセカンド・アルバム『シティ・ナイツ(City Nights)』からの2枚目のシングルカット曲。

◆関連CD
■『With His Hot and Blue Guitar』Johnny Cash

*カントリー界の重鎮ジョニー・キャッシュ1957年発表のアルバム。「フォルサム・プリズン・ブルース」収録。

■『Van Lear Rose』Loretta Lynn

*カントリーの女王ロレッタ・リン2004年発表のアルバム。「女子刑務所」を収録。

■『City Lights』Nick Gilder

*元スウィーニー・トッドのニック・ギルダーがソロになって発表した2枚目のアルバム。「ホット・チャイルド・イン・ザ・シティ」収録。

◆関連映画・DVD・Blu-ray

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。


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