1970年代はじめに、ソロ活動としてはたった2年間ほどで、飛行機事故のためにこの世を去った不世出のシンガー&ソングライターがいた。
ジム・クロウチ。
妻イングリッドとのデュオ・グループとして1966年に自主制作アルバム『Facets』を発表後、1969年に『Jim & Ingrid Croce』でメジャー・デビュー。けれども鳴かず飛ばずで、1972年にアルバム『ジムに手を出すな(You Don’t Mess Around with Jim)』でソロ・デビューし直し、そこからタイトル曲の他に「オペレイター(Operator〔That’s Not the Way It Feels〕)」がヒットする。翌年発表したシングル〈リロイ・ブラウンは悪い奴(Bad Bad Leroy Brown)〉が大ヒットし、2週連続全米1位を記録。同年、アルバム『ライフ・アンド・タイムス(Life and Times)』を発表。
飛行機事故で急逝したのはその2カ月後、シングル〈アイ・ガッタ・ネイム(I Got A Name)〉発売前日のことだったという。彼の死後、『ジムに手を出すな』収録の〈タイム・イン・ア・ボトル(Time in a Bottle)〉があらためてシングル・カットされると、チャートを駆け上がり、この曲もまた全米1位を獲得することになった。
クロウチの代表曲である〈リロイ・ブラウンは悪い奴〉は、ヒラヒラとど派手な服装にいつもポケットに32口径をしのばせている架空の悪党のことを歌っているのだけど、物語性のある歌詞が音楽ファンに刺さったのか、はたまた軽快なリズムで人のことを悪党呼ばわりする痛快さ(うっせえ、うっせえ、みたいなもの?)が受けたのか。とはいえやはり、リロイ・ブラウンという何とも憎めない人物の造型が多くの音楽ファンに響いたのだと思う。
その後のビリー・ジョエルあたりの歌詞にも通じる物語性は、思わぬところに波及していて、このリロイ・ブラウンが一人歩きしているという有名なトピックがある。
伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)』(2018年)の大ヒットによってふたたび脚光を浴びている英国のロックバンド、クイーン。大ヒットした代表曲〈ボヘミアン・ラプソディ〉収録のアルバム『オペラ座の夜(A Night at the Opera)』(1975年)の前作となる『シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack)』(1974年)に、〈リロイ・ブラウン(Bring Back That Leroy Brown)〉という、少々趣の異なるディキシーランド風ロックとも言うべき曲が収録されているのだ。
もちろん、ここで歌われているリロイ・ブラウンは、クロウチが生み出した悪党のこと。ここでは、悪党であるはずのリロイ・ブラウンに戻って来てほしいと訴えかける歌詞になっている。ロックの世界にオペラまで取り込み、音楽ジャンルの壁をものともしないクイーンのリード・シンガー、故・フレディ・マーキュリーにとって、〈リロイ・ブラウンは悪い奴〉もまた、オマージュを贈りたい特別な歌のひとつだったのだろうか。
さて、その憎めない悪党への賛歌は、ミステリー作品の中でも象徴的に使われていた。テキサス州出身の新人女性作家ケイティ・グティエレスのデビュー長篇となる『死が三人を分かつまで(More Than You’ll Ever Know)』(2022年)だ。
物語は、犯罪ノンフィクション作家であるヒロインのキャシーが、ある女性の重婚がきっかけとなって起きた殺人事件の取材で、当時者女性に直接インタビューを試み、事件の真相を明らかにしようとするというもの。この〈リロイ・ブラウンは悪い奴〉は、今作のヒロインであるキャシーの母親が大好きな歌として、作中で言及される。
“リロイ・ブラウンは極悪非道、このクソったれな街で最悪の男――”
この憎みきれない悪党への歌は、じつは母親の夫に対する心情と重なるわけなのだけれど、そんな『死が三人を分かつまで』のあらすじはというと――。
犯罪実話に異常な関心を抱いているノンフィクション・ライターのキャシーは、あるとき、テキサス州南部の地方紙が取り上げた、重婚により異なるふたつの家族で生活を送っていた女性にかかわる1986年のアルゼンチン男性殺人事件の存在を知る。
当事者であるドロレス(ローレ)は、幼馴染の夫ファビアンとの間に双子の息子マテオとガブリエルをもうけ、幸せに暮らしていたが、メキシコ国立自治大学の教授アンドレスと知り合ったことで恋に落ち、結婚を約束してしまう。彼の娘と息子との生活もはじめ、二つの家庭を同時に愛し二重生活を両立させるという、考えられない毎日を送ることになる。が、やがて、ローレには別の夫と子供がいることを知ってしまったアンドレスは、ファビアンと会い、対決することになり、彼はファビアンに射殺されてしまう――。
事件の記録も、事件について書かれた記事でもそういう経緯と結末が示されていたが、経緯に違和感をおぼえたキャシーは事件にとり憑かれて、独自に取材をはじめることを決意。母が父に暴力をふるわれていたという辛い記憶が拭い去れずトラウマとなっている彼女は、自身の抱える苦悩を明かすことと引き換えにローレ本人への独占インタビューを取り付けることに成功する。
はたして二人の夫の諍いにローレは関与していたのか? アンドレスを殺したのはほんとうにファビアンだったのか? ローレの言葉のどこまでが真実なのか?
虚実こもごもの対話の駆け引きの末に、不可思議な共感を抱き始めたキャシーとローレは、それぞれ自身の奥底にある秘密を徐々に明かしていくことになるのだが、自分たちですら気づいていなかった恐るべき真相が顕わになることに――。
お気づきかもしれないけれども、設定自体はミネット・ウォルターズのエドガー賞受賞作『女彫刻家(The Sculptress)』(1993年)と同様。『女彫刻家』では収監されている殺人犯への、『死が三人を分かつまで』では殺人事件の最重要関係者への取材という違いだけなので、想起された読者も多いことと思う。女性同士が徐々に共犯者のごとく心を通い合わせていくあたりは、サラ・ウォーターズの『半身(Affinity)』(1999年)を思わせなくもない。
しかしながら、この少ない登場人物のなかで、ヒロイン自身の家族の問題と、ローレがひた隠しにしてきた二つの家族の問題とが、遠巻きながら交錯して、物語にうねりを加える効果を生み出している。セバスチャン・ジャプリゾやカトリーヌ・アルレーといったフランスのサスペンス作品のように、少ない登場人物のなかで驚くほどの謎と広がりを見せる人間ドラマにしあがっているのだ。
キャシーの心の奥底に巣食っていたのは、彼女の記憶のなかで培養されていった母に対する父の暴力。“クソったれな街で最悪の男”とユニゾンする母娘が指しているリロイ・ブラウンは、もちろん父親のことだったのだろう。じつは人の記憶というのは曖昧で、キャシーの想いと母親の想いはけっして同じではなかったことが後にわかるのだった。
そう、リロイ・ブラウンは憎めない奴なのだ。
リロイ・ブラウンの生みの親であるジム・クロウチは、その短すぎる人生の中で愛に生きた。妻イングリッドとの間に愛息エイドリアン・ジェイムズを授かり、彼A・Jは、やはりシンガー&ソングライターとして9枚のアルバムを発表している。しかも、彼もまた苦難にみちた幼少期を送ってきたのだ。4歳のときに脳腫瘍が原因で全盲に。奇蹟的に片目の視力が復活して、ピアノ・ミュージックに目覚めたというのだから。
そんなA・Jをイングリッドが身ごもったと知ったとき、クロウチがその喜びを込めて作ったのが〈タイム・イン・ア・ボトル〉だったという。
“ボトルの中に時を貯めこむことができるとしたら/まずやりたいことは/永遠が過ぎ去るまですべての日々をとっておくこと/きみたちと過ごすためだけに”
もしかすると、愛する男を自ら手を下して殺害し、夫にその罪をかぶってもらったかもしれないローレ。真相は、彼女と、彼女の愛した二つの家族の間に深く埋められてきたのだった。
けれども、ただ二人の男を真剣に愛してしまったローレを、誰も心から憎むことはできないだろう。そう、ただただワルだったリロイ・ブラウンを憎めないように。
奇しくも、たまたま読み終えたばかりのキム・リゲットによるディストピア少女小説の傑作『グレイス・イヤー(The Grace Year)』(2019年)で、ヒロインのティアニーが行きついた結論というのも、ローレと同じ愛のかたちだった。ふうむ。そりゃトラブルになるでしょうな、心に正直になると。リロイ・ブラウンが女性に岡惚れしたせいでトラブルに巻き込まれたように。
◆関連書籍
◆YouTube音源
■”Bad Bad Leroy Brown” by Jim Croce
*2週連続全米1位を記録した〈リロイ・ブラウンは悪い奴〉、1973年のライヴ映像。この年の12月にクロウチは飛行機事故で亡くなった。
■”Bring Back That Leroy Brown” by Queen
*1974年発表のサード・アルバム『シアー・ハート・アタック』に収録された〈リロイ・ブラウン〉。このアルバムからは〈キラー・クイーン〉のヒットが生まれている
◆関連CD
■『You Don’t Mess Around with Jim』Jim Croce
■『Life and Times』Jim Croce
■『The Jim Croce Songbook/The Ventures Play The Carpenters』The Ventures
◆関連DVD
■『ラスト・アメリカン・ヒーロー』
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |