いつ収束するとも知れないこのコロナ禍にあって、ステイホーム時間たしかに増えたもんだから、数年ぶりに置きっぱなしだったギターの稽古なんぞをしてみた。現代のロック・ギタリストの中でもトップ・クラスに入るジョン・メイヤーの〈ネオン(Neon)〉の弾き語りライヴ映像を久々に観てしまったからだった。
 その昔、行きつけのバーのアルバイト女性が、そのとき店内で流していた映像に目をやりながら、コースターに書き込んだメモを渡してくれたのを思い出したせいもある――「〈ネオン〉コピーして弾いて聴かせてください!」と。なかなかに超絶なツーフィンガー主体のスラップ奏法なので端から断念していたんだけど、数年を経たいま、なんと結局弾けるようになった。あの女の子もすでに結婚して1児の母になっているそうですが。

 楽器演奏というのはほんとうにデリケートに成り立っているもので、ギターに限らず弦楽器の場合、指板の上で弦を押さえて、それとは逆の手の側で指弾するなり弓弾きするなりして、そこでようやく一つの音が発せられる(ピアノってやつは鍵盤を押さえたら即1音出せるものだから、より高度な技術を要求されるわけです)。
 メイヤーはおそらく手が大きいようで、ギターのネックを摑んだ左手親指を他の4本とは別の側から回して低い方の弦(1弦)を押さえるという技を多用する。手の小さな自分だと、他の指を逆側から回して同時に弦を押さえて和音を出すことが難しく、親指で代用できず他の指で1弦を押さえなければならない。弾けるようになったとは言ったものの、その部分に、じつはかなり無理があるのでした。
 何が言いたいかというと、片手の指1本欠けても、それを補うのは至難の業。それを2本も失い、他の2本も折れたまま固まってしまっているとしたら。小生みたいに趣味の範囲ならいいけどプロならば生命を絶たれたに等しい苦しみだろう。
 しかも、それが演奏家としての将来が期待されているヴァイオリン奏者だとしたら――。


 2人組作家の共同ペンネームであるベン クリードのデビュー作『血の葬送曲(City of Ghosts)』(2020年)の主人公ロッセルは、そんな辛い経験から音楽への道を閉ざされてしまった過去を持つ。1950年代初頭、スターリン独裁政治最晩年のロシア、ソヴィエト社会主義連邦共和国が舞台。ロッセルは反国家分子だと密告され、政治警察ともいうべき国家保安省(MGB)に捕らえられて受けた拷問により左手薬指と小指を切断されてしまうのだ。いまではレニングラード人民警察の警官となったロッセルを待ち受けていたのが、忘れるしかなかった音楽に深く関わりのある殺人事件であることが、後になってわかってくる。

 発端は、雪まみれの鉄道線路上に整然と並べられた5つの死体。管轄外と思われる市街地から50キロも離れた現場に、ロッセルら人民警察第十七署の警察官らは出動を命じられる。顔の皮を剥がれ歯を抜かれて両手を切り落とされた者、雪の女王のような衣装を着せられた者、祭服を着た司祭と思われるも者。共通していたのは、いずれも喉から尖ったガラス管が突き出ていること。レールに対して垂直に並べてあること。身元がわからないようにすべて歯を抜かれていて、どうやら飢餓状態に陥らせてから殺害されていた。
 さらにロッセルたちを困らせたのは5番目の被害者だ。国家保安省職員(MGB)の制帽をかぶった女性だったのだ。秘密警察の介入必至の状況となり慎重な捜査を強いられるなか、被害者たちにロッセルの音楽学校時代の知人がいることが判明する。かつての恋人だったソフィアもそこに含まれることを知るに至って、どうやら事件は自分と無関係ではないことに気づくロッセル。この異様な惨殺事件そのものが、自分にあてたメッセージなのではないか……と。

 これはもう、ゴリゴリのロシアン・警察ミステリーかと思い、身構えて読み始めたところ、じつはとんでもなかった。もちろんロシアの複雑な政治背景が大きな翳を落とした物語ではあるのだけれど、それ以上に音楽に重きが置かれたミステリーだったのだ。それについては、のちほど詳しく述べさせていただくとして。
ロシアを舞台にしたミステリー/サスペンス作品というと、このジャンルの嚆矢とも言えるマーティン・クルーズ・スミスの『ゴーリキー・パーク(Gorky Park)』(1981年)を真っ先に思い浮かべる向きが、やはり多いことだろう。民警の捜査官レンコを主人公としたこのシリーズ作品はその後も書き継がれ、続編の『ポーラー・スター(Polar Star)』(1989年)以下、第9作『The Siberian Dilemma』(2019年)まで発表されているけれど、『ゴーリキー・パーク』の登場が衝撃的すぎたのか、以降シリーズ作の評判をトンと聞かない。
 それよりも、トム・ロブ・スミス『チャイルド44(Child 44)』(2008年)だ。その影響がかなり大きいことは明らか。杉江松恋氏による解説にもあるように、作者コンビみずから逃げも隠れもせず、この小説の“売り”は「映画『アマデウス(Amadeus)』(1984年)+小説『チャイルド44』」だと語っている。作品の舞台もまた『チャイルド44』とほぼ同時代である。

『チャイルド44』の主人公レオ・デミドフは、前述の国家保安省(MGB)の捜査官で、本書『血の葬送曲』ではロッセルを拷問した側の人間だ。
 革命の上に成立した理想の国家ソヴィエトでは“犯罪は起こりえない”のが前提とされ、殺害された幼児は事故死扱いに。デミドフの所属する世界では、それよりもスパイ容疑の男を追い詰める任務が重要で、その男が処刑された後に無実だったという真相を知って自己嫌悪に見舞われる。あげくの果てに、その男の根拠もない自白のためにスパイ容疑をかけられた自分の妻の調査まで命じられることになる。自分の中に数々の矛盾を抱えながら任務を全うしようとし苦悩する姿は、『グラーグ57(The Secret Speech)』(2009年)、『エージェント6(Agent 6)』(2011年)と続く三部作にも共通していた。
『血の葬送曲』に通底するのは、何よりその痛みである。ロッセルはなにしろ、自分の指を切断し音楽生命を絶った張本人とともに、その後捜査に向かう羽目になるのだから。
 その痛みと悔しさは、拷問の回想シーンを読めば読者にも充分に伝わるだろう。ロッセルの頭に幾度となく甦ってくる拷問の記憶。その描写は圧巻だ。彼のなかでは、その手順が音階のように刻み込まれている。ドですでに折られた左手の小指に鏨が近づけられ、レで頭の中に高い音が鳴り、ミで切断される。ファで今度は薬指を切られ、ソで右手に金槌を振るわれる。音階は分散和音となって複雑な練習曲に。これほどまでに痛々しい音楽があったろうか。

 反国家分子を粛清し一掃しようというスターリンの恐怖政治のもと、絶大なる権力を有していたMGBが介入して、ロッセルら人民警察の捜査は大きく左右される。彼らが黒と言えば黒になってしまうのだから。そうした時代背景が物語の展開にさらなる“うねり”を加味していくのだけれど、本書ではそこに大きく音楽という要素が絡んでくる。たしかに独裁国家において、つねに宗教や芸術は悪い意味でも大きな役割を果たしてきた。本作のテーマは明確に、政治と芸術との頂点に近い者たちの中に生じ、捻じ曲がっていくエゴや嫉妬のぶつかり合いなのだった。そんな人間の醜さから生まれる歪んだ美意識を、コンビ作家は周到に史実を踏まえつつ、物語へと築き上げていく。

 ここでは、MGBの長官ラヴレンチー・ベリヤ、スターリンの死後に後継者として党書記長に就任するゲオルギー・マレンコフ、20世紀最大の作曲家の一人とされるディミトリ・ショスタコーヴィチ、名指揮者カール・イリイチ・エリアスベルクら、歴史上実在する人物が、重要な役割を担って登場する。ベリヤに至ってはあまりに有名なその醜聞が事件の真相にも絡んでくるのだが。そのあたりの虚実とりまぜた物語構築はおみごと。
 なかでも、ショスタコーヴィチの存在というのが印象深い。共産党支持者でソ連の広告塔的作曲家と思われがちだったのが、『ショスタコーヴィチの証言(Testimony)』(1979年)での体制批判発言などにより、大衆が抱くイメージは大きく変わったことで知られる人物だ。
 この大作曲家についてのもっとも興味深い記述が――。ソヴィエト連邦の戦意高揚のための交響曲を、ショスタコーヴィチと天才作曲家ニコライ・ブロンスキー(架空の人物)の二人に競わせるという音楽競演会への言及。そう、結果、ショスタコーヴィチが選ばれるのだけれど、その楽曲がかの有名な〈交響曲7番〉(巷では〈レニングラード交響曲〉として有名)。まさにこの曲が生まれた1941年、みずからラジオ放送で作品完成前にレーニン礼讃で捧げる曲を創作中だとして“プロパガンダ的”ともとられる演説をショスタコーヴィチはしていた。そんな史実と絡めて架空のエピソードが紡がれているのだった。さらに指揮者エリアスベルクがエフゲニー・ムラヴィンスキーに猛烈なライバル意識を抱いていたことも描かれている!

 そして待ち受ける謎の解明。これはもう、音楽的としか言いようがない。おそらく常人には理解しがたい思考であろう。いやはや、呆れるやら感心させられるやらで、脱帽です。

 そんな新進気鋭のコンビ作家。ベン クリードというペンネームは、クリス(C)・リッカビー、バーニー(B)・トンプソンという2人のそれぞれのファースト・ネームのイニシアルから思いついたとのこと。音楽学校でのBの実体験に、広告代理店業のCが肉付けをしていって、ここまでの作品に昇華させたらしい。そういえば作中で主人公のロッセルには、ガーリャという行方不明の妹がいることが記されている。その失踪についても秘められたエピソードがあるようなので、どうやら続篇も期待できそうだ。

◆YouTube音源
■”Neon” by John Mayer

*2007年にロサンジェルスのNokiaシアターで行われたライヴ映像。マーティン・ギター1本での弾き語り演奏だ。

■”Shostakovich Symphony No.7 Rehearsal” by Karl Eliasberg
1964年にレニングラードで行われたライブのリハーサルとのこと。

■”Ой, то не вечер” by Пелагея

*ロッセルが住むコムナルカで夜な夜なギター奏者が弾くコサック民謡が、この「ああ、まだ夜ではないのに」。元恋人のソフィアがよく歌って聴かせてくれた曲だという。

◆関連CD
■『The Jazz Music for Shostakovich』by Royal Concertgebouw Orchestra

*ポピュラー音楽も愛したショスタコーヴィチはジャズの要素を取り入れた作品も発表していた。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。


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