——令和の夜明けとフランスの多様性に乾杯だ!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:早いもので、平成最後&第10回となった翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションからもうすぐ3週間。今年も楽しませていただきました。
『カササギ殺人事件』が大賞と読者賞をW受賞し合計7冠達成が話題でしたが、実は大賞、読者賞ともデッドヒートだったことも記憶に留めておきたいですね。大賞はデニス・ルへイン『あなたを愛してから』と2票差(最後の一票で同率1位の可能性があった)、読者賞は同率2位の『償いの雪が降る』『IQ』と1票差。
 2018年の賞レースの掉尾を飾る両賞、「カササギが面白いのは十分伝わったから、他の作品に光を当てよう」という雰囲気のなかで、それでも競り勝った『カササギ殺人事件』には凄みを感じました。こ、こいつマジで強い(震)。

 そして、ポーの顔が並ぶ得票集計システムについては毎回おいしくネタとしてイジらせてもらっているけど、今年僕は気付いてしまったのだ。いつのまにかポーの顔がマグネットシートになっていたことに。もうテクノロジー的には本家エドガー賞を追い越したと言っていいのではないでしょうか。

 そんなわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、フランスの作家ダニエル・ペナック『人喰い鬼のお愉しみ』。1985年の作品です。

パリのデパートで働くバンジャマン・マロセーヌの表向きの仕事は「品質保証係」。その実、苦情処理が本当の任務だ。クレームが持ち込まれる度に呼び出され、怒り心頭の客の前で、上司のレーマンから激しく叱責されながら泣いて謝り慈悲を乞うのが彼の仕事。2人の迫真の演技の前に大抵の客は怒りを鎮めるどころかマロセーヌを不憫に思い、庇いすらするようになるのだ。そんなマロセーヌのデパートで連続爆破死傷事件が発生。そして毎回現場に居合わせるマロセーヌには疑いの目が……。

 著者のダニエル・ペナックは1944年モロッコのカサブランカ生まれ。フランスで国語の教師となり、そのかたわら創作を続け、当初は児童文学を志向していたようですが初めて書いたミステリーである本書『人喰い鬼のお愉しみ』が1985年に大ヒット。1995年からは専業作家となったそうです。

 そんなわけで今回の課題本『人喰い鬼のお愉しみ』はフランス現代ミステリーのベストセラー。続編が5作書かれて、本作を含む4作が邦訳されました。その筋の人なら誰でも知っている有名作のようですが。もちろん僕は知りませんでしたが。
 そして何の先入観も前情報もないまま読んだ本書はビックリするくらい変な話でした。訳者の中条さんがどうかしちゃったんじゃないかと心配になるレベル。書いてることはヘンだし、登場人物も全員ヘン。言葉を選んで言うなら、異文化に触れてる感がハンパない。「映像が目に浮かぶよう」なリアルかつ丁寧な描写とその翻訳に慣れてしまった昨今、脳味噌がすっかり受け身になってしまっていたことを思い知らされるような、要するに僕の感性では脳内で視覚化できないぶっ飛んだお話なのですね。

 そして本作のもう一つの特質すべき点は、その多様性ではないかと思うのです。
 性的マイノリティから複雑すぎる家庭問題まで、35年も前にこれを市井の日常として描けたのかと驚くばかり。「職業的スケープゴート」の主人公マロセーヌがかわいく思えてくる、控えめに言って個性的すぎる登場人物たち。それは彼の妹や弟、飼い犬だけじゃなく、同僚や警察関係者、そして事件の被害者にまで徹底しているのだ。
 被害者? おお、これはミステリーなのだった。ちょっと待て、こんな話の流れで最後まで行ってちゃんと着地できるの? 合理的で納得できるオチを期待していいの?

 ところで畠山さん、今年は大賞受賞式&コンベンションに参加できなくて残念だったね。大賞の『カササギ殺人事件』と『あなたを愛してから』のデッドヒートはマジ凄かったよ。あなたの敬愛する加賀山さんのドキドキを共有させてあげたかった。

 

畠山:ついに生涯三つめの元号を迎えるかと思うと感慨もひとしおですが、加えて数年後にはお札も刷新されるということで、岩倉具視の500円札を使ったことのある身としては「歴史の証人予備軍」になってきたことを認めざるをえません。偽造防止のためにデザイン変更するらしいですが、偽札造りといえば真保裕一の『奪取』は抜群に面白かったなぁ。

 さて、今月のお題『人喰い鬼のお愉しみ』。加藤さんと同じレベルであるのが忸怩たるところですが、見たことも聞いたこともない作者、作品名でした。ミステリー塾や読書会のおかげで、未知の小説と出会う機会が激増してとても嬉しいです。
 そんなワクワク気分で読みはじめたのですが、途中まではなかなか波に乗れなかったなぁ。お話に対して自分が適切なギアを選択できてないって感じ。
 登場人物が全員「規格外」な人たちばかりで、言うことやること意味不明。日曜大工売り場に界隈の(多分認知症気味の)爺さまたちがわらわらと集って楽しそうに修繕作業をして過ごしてるって、どんなデパート? 全然イメージできない(汗)
 どこまで本気? これ事実? それとも妄想? ユーモアミステリと紹介されているけど、めちゃくちゃ皮肉でブラックで、時々グロくて、えーっと、どこで笑っていいのかわからないー! と振り回されていました。

 気づけばただただ白水Uブックスの紙の手触りを堪能していた前半戦でしたが、折り返しくらいからは興奮の予感が。それはマロセーヌの無私な生き方か、同僚テオの優しさか、はたまたヘンテコ弟妹ズの無邪気さか。とにかくページをなでまわす指先からなにかがビリビリくる。まさかのハンドパワー読書開眼か!?
 とまぁ、常識的とは言い難い読書体験となりました。戸惑いっぱなしだけど、妙な吸引力があるのは間違いない。

 そうそう、今年は大賞受賞式&コンベンションに行けなくて残念でした。『カササギ殺人事件』には「横綱の品格」すら感じますな。横審も認めてくれると思う。ぜひたくさんのかたに、受賞作はもちろん、他の候補作、読者賞で名前の挙がった作品も、手に取っていただきたいですね。
 あの会場にいるとメラメラと「いっぱい本読むぞー!」という気持ちになれるのですが、加藤さん、今年はどうだった?

 

加藤:そうそう年に一回、大賞受賞式&コンベンションに行くと刺激になるよね。恒例企画「書評七福神でふりかえる翻訳ミステリーこの1年」の冒頭で北上さんが「今年は予習をしてきました!」と謎の宣言をするなど(結局8割がた覚えていなかったわけですが)第10回にふさわしい盛り上がりを見せたなか、特に僕の印象に残ったのは「大賞発起人鼎談」でした。シンジケートの首領(悪の秘密結社的には「ドン」ではなくあえて「しゅりょう」とルビを振りたい)として引っ張ってこられた田口さん、忙しいなか全国の読書会の立ち上げ支援に駆け回ってラーメンを食べまくった越前さん、そしてシンジケートの活動の中心であるサイトの責任者である白石さんのご苦労にはただただ頭が下がるばかりです。この10年楽しませていただきました。田口さんはこの10年を総括し、「正直、もう少し何とかなると思っていた」とやや残念そうに語られていたけれど、まいた種はきっと実ると信じていますよ。

 さて、課題本の話に戻ると、本書のタイトル『人喰い鬼のお愉しみ』はすでにあちらでは有名だった『ご婦人方のお愉しみ』という小説のタイトルのもじりなんですって。よくある「元ネタを知らないからピンとこない洒落」ってやつですな。
 何度も言うように設定や登場人物がヘンテコな上に、見たことも聞いたこともないような表現、レトリックも目白押し。反射的に処理できない情報が多すぎて脳味噌が常にストップをかけてくるから読書のスピードが上がらない。笑えるくらい内容が全然頭に入ってこないのですね。僕らの脳が歳をとって柔軟性を欠いてきているせいかも知れませんが。
 でも、ある意味、この歳になってこんな本に出合えるなんて最高の贅沢なのではないかとも思いましたよ。これぞまさに読書の愉悦。読書を趣味とする人間の端くれとして、知らない世界、どれにも似てない文体、表現に出会うとやっぱり心が躍る。

 しかし人間どんなことにも慣れてしまうもので、後半は残念ながら(残念ながら?)内容が入ってくるようになってくる。するとそこに現れたのは、これまで読んだことのない「不思議なミステリー」でした。
 読者がくすっと笑うことを意図して書かれた「ユーモアミステリ」ではなく、居心地の悪さを身上とするような「奇妙な味わい」系でもない、僕のボキャブラリーでは「不思議な」としか表現できないミステリー。純文学的というか抽象画的というか、全く掴みどころがないようで、実はすべてが作者のなかでは綺麗に収まっている世界なのかもと思えてくる。

 畠山さんはミステリーとしてどう感じた?

 

畠山:前半は連続爆破事件自体があまり深刻に扱われていなくて、ひょっとしてどうでもいいことなんじゃないか? とか、ミステリーとしてのオチをつける気はないのかもしれないと勘ぐったりしていました。
 ところが後半からトントン拍子に真相が明らかになっていきます。キキキキターーッ! オチがつくかも、つきそう、つく! 絶対!! 話がちゃんとまとまりそうな気配が見えた途端、読むスピードがぐんぐんあがりました。馬にニンジン、ミステリーファンにオチとはよく言ったものです(誰も言ってねーよ)。
 二転三転しながら過去の出来事、動機、方法など、数々の疑問への答えが示されていく過程の安堵感たるや! よかった、ミステリーだった! と喜びの涙を禁じえませんでした。

 そのミステリー的展開のキーパーソンになるのが、マロセーヌ・ファミリーです。別次元に住まう妹や、悪魔のごとき行動力の弟、臭すぎる飼い犬……「読者の共感」という言葉を完全に無効化するほど「変」な彼らが、俄然輝いてくるのが後半。「変」も突き抜けると正道になるんだなぁ、とおかしな納得すらしてしまうのです。
 そんな弟妹たちを長兄としてなんとか守っていこうと奮闘する、フランス版「ひとつ屋根の下」みたいなマロセーヌを尊敬せずいはいらません。疲れた体に鞭打って、想像力にあふれた作り話を彼らに語り聞かせる姿に《ライフ・イズ・ビューティフル》を思い出し、ついついホロリ。そう、想像力! 一日中口から出まかせを言っているようなマロセーヌですが、それもこれも頭がよくて知識が豊富だからこそできる技です。タフで優しくて頭がいい。ああ、カンペキに私の「お兄ちゃん萌えスイッチ」が入ってしまった!

 加藤さんがタイトルの説明をしてくれましたが、本書にはふんだんに雑学知識が盛り込まれています。私はところどころ楽しむ程度でしたが、たくさん本を読んでこのお話をもっと楽しめるようになりたいと思いました。
 というのも、作中でマロセーヌがこう問いかけるのです。〝重大な試験や、丸一年間の勉強や、一年分の収入を、「愛」のために、「読書」のために犠牲にできますか?〟と。
 いやあ〜さっすがアートとアムールの国フランス! アホみたいなエピソードの合間にこんな哲学をぶっこんでくるなんてサイコーかよ!

 さまざまなジャンルのエッセンスを持ちつつ、どのジャンルにも属さない、ジャンル分けという概念さえ軽々と飛び越えてしまってるような突き抜けた世界観で読者の知的好奇心をかきたて、想像力を刺激し、さらなる読書の悦びを味わいたいと思わせるような、そんなノンスタンダードな小説でした。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 『マストリード100』執筆時に「日本に系統立ててフランス・ミステリー紹介は1970年代のネオ・ポラール世代までで、そのあとは散発的なんだよなあ。何かないかなあ」と考えていたら、このダニエル・ペナックが白水社uブックスから再刊されているのを知って驚いたのでした。なんたる天の配材。本書の1年後にピエール・ルメートル『その女アレックス』が翻訳され、フランス・ミステリー再発見の機運が高まったのはご存じのとおり。本の刊行が1年遅かったら、間違いなくルメートルも収録を検討していたことでしょう。

 ダニエル・ペナックという作家のおもしろさについてはお二人が存分に語ってくださっていますが、ミステリーという枠内のみで評価するのはもったいない部分もあります。本書で興味を抱いてくださった方はぜひノンシリーズ作品にも挑戦ください。「身代わり羊」のマロセーヌが登場する作品は『カービン銃の妖精』『散文売りの少女』『ムッシュ・マロセーヌ』とシリーズ4作がすべて訳されており、次々におかしな事態に巻き込まれていくシチュエーション・コメディのおかしさが堪能できます。どんな変な展開になっても最後にはきちんとミステリーとして回収されるのが本シリーズの良いところなので、変だ変だ、と思いながら物語に身をゆだねるのがいい読み方だと思います。

 以前ルメートル翻訳者の橘逸美さん、平岡敦さんとイベントでお話しているときに印象的だったのが、「フランス・ミステリーの作者は場外乱闘が好き」という話でした。要約すると、試合がリングの中で展開していて、読者がおっ、いいぞ、と思っているときに限って場外乱闘に持ち込みたがる傾向がある、それが文学的な趣向のなせる業か否かはわからないが、とにかく予想を裏切る方向に行くんだ、と。ペナック作品などはその最たるものかもしれません。最初に書いたとおり、現代フランス・ミステリーについては欠けているピースが多すぎるため、もう少し作品が翻訳されてくれるとありがたいのですが、2018年にひさしぶりに翻訳書『通過者』(これも変な話)が出たジャン=クリストフ・グランジェが1998年に発表した『クリムゾン・リバー』がやはり画期的な作品だったようで、以前と以降では潮目がだいぶ変化したようです。残念ながら『クリムゾン・リバー』は当時品切中で収録がかなわなかったのですが、機会があれば同作を中心に現代フランス・ミステリーを展望することもやってみたいところです。

 さて、次回はジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』ですね。期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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