——侮るなかれ、主婦の日常
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
畠山:台風15号で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。一日も早く落ち着いた生活が送れるようにと祈っております。毎年いろいろな災害が起こっていて他人ごとではありませんね。日頃の備えと助け合いの大切さを痛感します。
昨年北海道でも長い停電を経験しまして、その時に感じたのがオバチャンの力強さ。見知らぬ人にも「電気来ないね~」と話しかけ、聞いてもいないのに自分がどれほど困ってるかべらべら喋り、謎の情報網で「〇〇で〇〇を配ってたわよ!」と教えてくれる。オバチャンがいる限り、人類は絶滅しないような気がします。
杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今月のお題はそんな生活力に溢れた女性たちが登場します。コージーミステリーの第一人者ジル・チャーチルの『ゴミと罰』。1989年の作品です。
数か月前に夫を亡くし、家事に育児に孤軍奮闘中のジェーン。今日も子供たちの送り迎えをすませ、パーティー用の人参サラダを作るために大奔走。ようやくひと仕事終えてホッとした時、親友シェリイから電話がかかってきた。
「掃除婦さんが死んでるの。うちの客用寝室で!」
近所の主婦が入れ替わり立ち替わりパーティーの料理を持ち込んでいた家で起こった殺人事件。ひょっとすると犯人は主婦仲間の誰かかもしれない。ジェーンは近所付き合いのついでに探りをいれてみることにした——
ジル・チャーチルは1943年カンザスシティ生まれ。詳しい資料に乏しい方のようですが、訳者あとがきによると、ディクスン・カー直筆の手紙を宝物のようにしているとのこと。アガサ・クリスティーのファンでもあるとも伝えられていますので、意外にも(?)ガチの本格ミステリファンなのですね。
本書『ゴミと罰』でアガサ賞最優秀処女長編賞、マカヴィティ賞最優秀処女長編賞を受賞しました。『ゴミと罰』はもちろん『罪と罰』をもじったおやじギャグ。原題もGrime and Punishment(『罪と罰』はCrime and Punishment)で、もしや英語と日本語って親和性があるのかしら? と思ってしまいそうなほどのナイス・ネーミングです。この路線でシリーズのタイトルをキープし続けてるのって天才的!
主婦探偵ジェーンのシリーズの他に、大恐慌時代を舞台にしたグレース&フェイヴァー・シリーズがあります。こちらは上流階級から大貧乏に転落した兄妹が主人公の歴史ミステリーです。
コージーミステリーについても少しおさらいしましょう。
Cozyは「居心地がよい」という意味で、こんな特徴があります。
・探偵役が素人(刑事や私立探偵ではない)である
・登場人物が限られた狭いコミュニティに属している
・暴力描写、性描写がなく、比較的読後が良い
ミス・マープルが、コージーミステリーの元祖とも言われていますね。
さて、初めて読んだジル・チャーチル。めっちゃリアル! と感心しました。
殺人事件が起き、もしかしたら近所の主婦仲間の中に犯人がいるかもしれないのに、恐怖に縮み上がるどころか、寄ると触るとお喋りをし、子供の送り迎えの段取りだの鳥の餌だのお庭の手入れだのと言ってるなんてあり得ない……と思います? うん、思うかもしれませんね。
でも、想像していただきたい。もし町内で火事! とか、血縁が危篤! とか、停電! とか、とにかく生活のルーチンワークが急に止まった時、最初の動揺が過ぎ去ったら次に考えることは大体「今晩なに食べよう?」じゃないですか? 扶養家族がいればなおのこと。
隣で殺人があってお腹は空くし、部屋の埃も順調に溜まる。警察も犯人も死体もご飯作ったり掃除機かけたりはしてくれないんですよ。むしろ24時間事件のことばっかり考えていられるご身分が羨ましいってもんです。
「男は仕事、女は家庭」な考えは平成までの地層に埋めてしまうとしても、主婦たちが繰り広げる狂騒曲は、やはり女性読者向けでありましょう。さて、ラグビーW杯が始まり、躍動する筋肉と飛び散る汗で脳内が満たされているであろう加藤さんは、どのようにジル・チャーチルに向き合ったのでしょうか。ちゃんと読んだのかなぁ?
加藤:ラグビーワールドカップがついに始まりましたね! ロシアに快勝した日本代表の次の対戦相手は世界の強豪アイルランド。以前もここで書きましたが、ラグビーのアイルランド代表はアイルランドと北アイルランドの混成チーム。あの悲惨な北アイルランド紛争の時代にもそれを貫いたという世界平和とダイバシティ―を象徴するようなチームです。楽しみですねえ。
それにしても、僕はダイバシティ―という言葉を聞くたびに、フジテレビの本社社屋と潜水服の人たちが頭に浮かぶのですが、きっと皆さんも同じですよ?
さて、ジル・チャーチル『ゴミと罰』、実は再読でした。初読は僕がまだ「コージーミステリー」という言葉も知らなかった7年前(!)、名古屋読書会の課題本として手に取ったのでした。コージーと言われて思い浮かぶのはコージーコーナーとミスター赤ヘル山本浩二という程度の知識だった僕は、正直まったくピンとこなくって、どう楽しめばいいのか分からずに困ったのを覚えています。
主人公ジェーンの日常と彼女を取り巻く人々を描くドタバタ喜劇が物語のベース。そこに殺人事件という非日常的なイベントが発生してからの更なるドタバタが描かれるのですが、普通のミステリーと大きく違うのは、主人公たちが日々の雑事に追われるうちに日常と非日常の境目がどんどん曖昧になってゆくところ。殺人事件の解決は彼女たちにとっては幾つかのタスクの一つだったりします。
さらに決定的なのは、探偵役の主人公ジェーンがほとんど推理をしないこと。推理はしないんだけどアクションは起こす。だから話はややこしくなる。ジェーンはミステリーマニアを自認しながら、ほとんど野生の勘と個人的な好き嫌いで「〇〇が怪しい」って突き進んで警察に毎回怒られる。それでも、主婦ならではの視点でアイデアがひらめき、ご近所ネットワークを駆使して大発見をしたりで、不思議と次々とステージが進んでゆくのが面白い。
そんな本作がコージーミステリーとして一般的なのか特殊なのかよく分かりませんが、やっと楽しみ方が分かった気がしました。
畠山さんがコージーミステリーの特徴を挙げてくれているけど、名古屋読書会では「料理のレシピが登場する」「主人公の恋愛が絡む」ってのも教えてもらった気がします。
ところで、このジェーンを主人公とした名作のタイトルもじりシリーズは15作以上も続いているようだけど、アメリカの主婦はそんなに度々殺人事件に遭遇するの? あと、アメリカの家庭はさほど裕福そうに見えなくても掃除婦を雇うのが普通なの?
畠山:海外小説を読んでいると、家政婦やベビーシッターってカジュアルに頼んでる印象を受けますね。むしろ日本人が留守宅に他人を入れることを嫌いすぎるのかしら? 帰宅したら家がきれいになってるっていいなぁと思いますが、先立つものがないし、なにより家政婦というと、どうしても市原悦子に四六時中見られているような気がしてしまう変な呪いにかかっていたりもします。
シリーズ化されたコージーミステリーについてまわる「フツーの人が何度も殺人事件に出くわすのは不自然」というご意見は確かにそうだと思います。その不自然さを払拭しようとすると、北村薫さんの円紫さんシリーズのような、いわゆる“日常の謎”系になるのかも。
でもまぁそこは大らかにいきましょう。市原悦子家政婦がしょっちゅう事件に遭遇してるのと同様、身の回りで何度も殺人が起こる主婦がいたっていいじゃないですか。大事にしたいのはそこではないのです。
『ゴミと罰』というタイトルからしてユーモアたっぷりのお話を読みながら、われわれはジェーンの不器用さ、家事能力の低さに共感し(掃除婦がくるから掃除するっていう気持ちわかる!)、完全無欠な友人にも案外かわいらしい悩みがあることに安心し、主婦同士の微妙な押したり引いたりにニヤニヤする。
ジェーンが無謀な「ご近所突撃尋問」で余計なものまで(というか余計なものだけ)ほじくり返した結果、主婦友がひた隠しにしていた過去が明らかになったり、ジェーン自身も亡夫のことで酷く心のダメージを負ったりしますが、上手な対人距離感とメンタルの強さでコミュニティの破綻には至らない。そういうところも安心して読める理由かもしれません。
そうそう、普段家の鍵を開けっぱなしで、しかも近所の人が合い鍵を預かっているという、とてつもなく牧歌的な世界もかえって新鮮でした。
平々凡々、取り立てて変わったことのない日々のようでいて、それなりに毎日忙しく、気づけば夜にはへとへと。そんな私たちの実生活を、「私もよ~」と一緒に歩んでくれるような一冊。主婦アルアル話でありながら、ちょっとだけ非日常で、つい口元が綻んじゃうような男性がいて、ここぞって時に子供がサラッといいこと言ってくれて、気づくとなんとなくさっぱりした気分で本を閉じている。
慟哭、落涙、衝撃といった刺激もいいけど、疲れを癒し、自己肯定感を与えてくれるコージーミステリーも人生には必要だなぁって思います。もちろん意外なところに伏線がひそんでたりしますので、油断は禁物ですゾ。
それにしても加藤さんから「楽しみ方がわかった」なんてセリフを聞くとは意外だったなぁ。みかんジュースを買うためにひたすら走り回るとか、PTAの綿菓子担当だとか、そんなのどうでもいいだろ! ってイライラしてるのかと思ったのに。ラグビー期間中はハッピーホルモンがでてるとみた。名古屋読書会のみなさーん、加藤さんにタカるなら今ですよー!
加藤:誰がハッピーホルモンやねん。人を焼肉屋の平日19時までのサービスメニューみたいに言うな。
さて、本作は1989年の作品だそうで、この「ミステリー塾」もついに平成に突入です。
冒頭でいきなりなぜかジェーンと友だちがタピオカをdisってたり、子供たちはテレビゲームに興じ、自宅でパソコンを使って仕事をする女性もいる世界。なーんだ、もう現代じゃん。と思って読んでいたのですが、なんだか違和感。何かが違う。その何かがわからないままクライマックスに突入してやっと分かった。携帯電話がない世界なのだ。
ジェーンがあることに気づいて、急いでヴァンダイン刑事(!)に伝えたいと思いながら、方法がなくて地団駄を踏む場面、読んでる僕も一緒に地団駄踏んだもん。「メールできればすべてがうまくいくのに~なんなら電話でもいいのに~」って。今となっては携帯電話のない生活なんて考えられないけど、これが意外と最近のものなのだと気づかされて驚きました。
遅々として進まない(ように見える)警察の捜査に業を煮やし、よしいっちょう自分たちで犯人見つけたるとなる後半、いよいよ本腰をいれるのかと思わせて、やっぱり家事やら子供たちの世話やら友達とのお喋りやらで全然前に進まない。ドリフのコントか吉本新喜劇か。だいたい、「会う人に手当たりしだい鎌をかけて反応した奴が犯人」ってのはミステリーとしてどうなのよw
そうそう、7年前の読書会でそのまま「ミステリーとしてどうなんだ」って疑問をぶつけたら、「ハードボイルド好きに言われたくない」って綺麗にセンター前に打ち返されたんだった。
なるほど、残念だけど思い当たるところはあるなあ。確かに僕もハードボイルドにミステリーとしての正しさは求めていないもん。むしろ意外すぎる犯人が最後に明らかになったりすると興醒めしたりして。ちげーんだよ、俺が欲しいのは、とにかく恰好いいシーンやイカした台詞だったりするわけ、わかる? って感じ。
そんなわけで、慌ただしくも生き生きとした女性たちの日常を楽しく読ませるコージーミステリー『ゴミと罰』を堪能いたしました。
コージーとハードボイルドは対極に見えるけど本質の部分では似ているのかもね。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
ハードボイルド探偵小説にもミステリーとしてのおもしろさを求める派です。コージー・ミステリーにも然り。
異論があるかもしれませんが、コージー・ミステリーの第一の魅力は、舞台や登場人物を限定した世界で犯人当ての謎解きを楽しめることだと思っています。それが力任せの解決であってもかまわないのですが、できれば論理によって指摘可能なほうがいい。初期のコージー・ミステリーはそうした箱庭の中での推理劇が中心でした。ミステリー史の中でも重要なピースのはずなので、できればそうした初期の作品も挙げたかったのですが、当時マーサ・グライムズなどは品切状態でした。ジル・チャーチルと一緒に入れたかったな。なにしろ、『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』で、アメリカ人作家の彼女が英国風の香りに憧れてご当地を舞台にした連作を始めたことが、現在のコージー・ミステリーの源流になったという説もあるくらいなのですから。
ジル・チャーチルの魅力は犯人捜しの努力が添え物になっていない点で、ジェーンが事件に巻き込まれる過程が毎回丁寧に書かれています。また、真相を意外なものにすることにも作者は腐心しています。感心したのは『地上より賭場に』で、これは邦題もお見事な一篇でした。作者には大恐慌時代を舞台にした〈グレイス&フェイヴァー〉シリーズという別の作品もあります。こちらは没落した上流階級の兄妹が、地方の村で一から生活を立て直すという物語で、教養小説の要素が楽しい。本国で2005年に発表された『今をたよりに』を最後に作品が途絶えていたので残念に思っていたのですが、2013年に続篇Smoke Gets in Your Eyesが出ており、できればまた翻訳してもらえないかな、と思っています。
一時期のコージー・ミステリーは主人公の設定を変えるだけで同工異曲のものが多く、少々飽和状態だなと感じていましたが、現在は落ち着いていてリース・ボウエン〈貧乏お嬢さま〉シリーズなど良作が楽しめます。ボウエンはシチュエーション・コメディの資質が強い作家で、単発作品も良作が多いのでお薦めです。その他でお気に入りの作品を挙げておくと、フェミニズムが隠れたテーマになっているレスリー・メイヤーのルーシー・ストーン・シリーズ、幽霊になったハードボイルド探偵と書店主が協力して謎解きにあたるアリス・キンバリー〈ミステリ書店〉シリーズ、ロマンスの要素が縦糸として上手く使われているクレオ・コイル〈コクと深みの名推理〉シリーズといったところでしょうか。アリス・キンバリーとクレオ・コイルは同一人物で、後者は第一期のクライマックスというべき『エスプレッソと不機嫌な花嫁』までは神がかったおもしろさでした。
さて、次回はジャック・ケッチャム『隣の家の少女』ですね。これまた楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N |