ああっ、前回の異論については話すと色々とネタバレの線を越えてしまいそうで恐いなあ。というわけですみません。スルーさせていただいて若草物語の作者ルイザ・オルコットを主人公にしたコージー・ミステリ、シリーズ三作目『ルイザと水晶占い師』にいってみましょう。

【あらすじ】

 1855年、クリスマスを目前に迎えたボストン。まだ当時、作家としては駆け出しだったルイザは生計をたてるために裁縫仕事を引き受けながら叔母ボンドの下宿で一人暮らしをしていた。そんな彼女がまたも事件に巻きこまれるきっかけとなったのは親友シルヴィアのため息まじりの一言だった。

「お父さまが恋しいの」

 そう言って彼女は、自分が子供の頃に他界した父親と話をしてみたい、ついてはボストンで一番の心霊術師パーシー婦人の降霊会に一緒についてきてほしいとルイザに頼みこむのだった。そして降霊会当日。ボストン一の人気を誇る降霊会だけあって様々な有名人が集まっていたが、さすがのルイザも自分たちを除く降霊会に参加した全員がパーシー婦人を殺す理由があろうとは、まだこのときには夢にも思っていなかった——

 今度は降霊会かー。かのサー・アーサー・コナン・ドイルもハマったあれですね。ドイルからの連想で話は横にそれますが、これまで読んできたコージー・ミステリの主人公はホームズとかミス・マープルのファンだったりすることが割りと多かった。おそらくコージーにありがちなことなんでしょう。基本的にはコージー=素人探偵ものなので探偵役を買って出るのにそういう設定があるのだけれど、ルイザだけはある意味で例外。時代が時代(1850年代)なので、ホームズというキャラクターがまだ生まれていないんである*1。なのでルイザはポーのオーギュスト・デュパンものを読んで論理的思考力を養ったという設定なのだ。しかしそうまでして主人公に推理小説好きな設定を入れなければいけないもんなのか……(強いてポーという名前を出すことで時代が感じられると言われれば、そういう要素もあるのだけれど)。

 そんな「ポーを読んだのでわたくし推理とかできちゃうんですよー」という体だったルイザの探偵譚として今回面白いのは、三作目にして彼女が推理法に開眼することだ。しかもその推理法とは彼女の家庭環境に密接に結びついたものなのである。 ……という彼女の推理法というのが”普遍的な精神”理論。いや、この格闘ゲームの技名のような推理法をバカにしてはいけない。この理論はかの有名な思想家エマソンから彼女が教えを得た印なのである。ルイザの父親ブロンソン・オルコットはエマソンやソローといったアメリカンルネッサンスの思想家たちと親交が深く、ルイザたち姉妹は幼少期に彼らの教育も受けている。そしてこの“普遍的な精神”理論こそ思想家エマソンの言葉をもとにした超絶主義的推理法なのだ(超絶(超越)主義ってこれまたスゴい名前だが、精神を高めることで肉体的な認識を超越するという唯心論的を突き詰めたような思想なのだ)。ああ、これを作者がちゃんと一作目で思いついていれば「ポーを読んだので」なんて若干無理な設定はいらなかったのに!

 で、降霊会である。降霊会のメンバーの中には知っている人は知っている……かな、実在のアメリカの興行師P・H・バーナムが登場する。バーナムを人名としては知らない人も、例えばバーナム効果についてはなんとなく知っているのではないだろうか。人が占いなんかが当たっていると信じがちな原因となる効果ですね(バーナム本人がその効果を発見したというわけではないが、発見者が興行師バーナムにちなんでい名付けた)。あるいはサーカスでおやゆびトムや、象のジャンボを有名にした人物と言ったほうがわかりやすいかな。興行師として名高いバーナム氏は、パーシー婦人が本物の心霊術師ならば、彼の興業に参加してもらえないものかと降霊会に参加しているのだ。この下世話な商いをするP・H・バーナムの当時の様子を読めるだけでも本書を読む価値はあると思う(職業のわりになかなかの紳士)のだが、降霊会のメンバーには他にも十分に面白い人物がいるので紹介しておこう。

 ウィリアム・フィリップス、イギリス東インド会社に勤務していたおりに中国人の暴徒たちからイギリスの領事館を守って英雄となった男である。もちろんこの背景には1840年に勃発したアヘン戦争がある(作品世界は1855年であるため、アヘン戦争はルイザが子供のころに起こった出来事、ついでに言えば当時は56年から始まるアロー戦争の直前)。アメリカ人であるルイザは作中でアヘン戦争における英国の動きを厳しく指弾するが、フィリップスもまたその動乱の中で非難されるべきことをやらかしていたのだ。さらにはこの戦争の口実となった阿片が物語では重要な位置をしめることに。この後、作中では最初の降霊会の数日後、一回目とほぼ同じメンバーでパーシー婦人のもとに集った彼らは、密室状態の自室でパーシー婦人が殺害されているのを発見する。そして死体の傍らには死ぬ直前まで吸っていたと思われる阿片のパイプが。そこからルイザの手によって心霊術師の悪徳の徒としての側面が顕になっていくのである。そりゃあ当時の心霊術師なんてハッキリ言えば詐欺師だったんだろうから何やっててもおかしくないんだが……*2ツクリだとわかっているだけ興行師のほうがマシだってことなのだろうか。

 ともあれ今まで以上に十九世紀半ばの人物、事件を通して読者に時代を感じさせてやろうという作者の心意気は非常に嬉しい。もちろん一読者である自分にはここに描かれている風景がどの程度当時の空気を映しているものなのかは確かめるべくはないけれども。ミステリとしては今回も安定のクオリティで、特に本書の面白さはパーシー婦人の悪行によって、また降霊会のメンバー個々の事情によって誰が犯人であってもおかしくない状況を作り出していることにある。パーシー婦人を殺す動機を持つ人間、容疑者が多すぎるのだ。そのことがパーシー婦人を殺してもおかしくないという動機をルイザが探っていく捜査小説としての側面が本書の魅力を際立たせている。だからこそ今回ルイザが開眼する推理法が“普遍的な精神”理論なのだ。“普遍的な精神”理論とはいわば演繹の理論である。人の根底には“普遍的な精神”が流れており、それがゆえにある人が持った感情は他の人も持つこともありうるし、ある個人の堕落は回りまわってその人が暮らしている国そのものの堕落にも繋がるという考え方なのだ(フィリップスの堕落が)。だからこの推理法を使うならば、心霊術師の死という体験もまた、個人レベルにとどまらず人間集団——降霊会に集まったメンバーの後ろ暗い面に光を投げかけることになる。密室のトリック自体は正直なところ大したことはないが、謎解きよりも捜査小説の楽しさを味わえるという意味でグッド。大変おいしゅうございました。

 本書で特に完結という臭いは出していないけれど、このシリーズは本国でも新作が出ておらず、一応は本書が最終巻なのでシリーズの総括をしておくならば、やっぱりルイザの成長譚だったな、ということだろうか。本作ではクリスマスを前に妹リジーが一人暮らしをしているルイザのもとを訪れる。ルイザは物語の中でピアノ奏者のリジーに最高のクリスマスプレゼントをあげようと、彼女が降霊会に呼ばれるはずだったメンバーの一人、ピアニスト・シニョール・マッシモのレッスンを受けられるよう奔走することになるのだ。親の庇護を離れ、リジーと支え合いながら生活する様はなかなか心温まるものがある。家族愛ももちろん物語の根底には流れているが、作家として、また姉として成長していくルイザを追いかけていくという読み方を楽しめるシリーズである。

 もし次作があるならば当時珍しかったはずの「フェミニスト*3」としてのルイザをピックアップするような作品も読んでみたい。

コージーについて今回まででわかったこと

  1. 素人探偵のキャラ付けって難しいよね……。

そして次回でわかること。

それはまだ……混沌の中。

それがコージー・ミステリー! ……なのか?

小財満判定:今回の課題作はあり? なし?*4

やっぱり前回退屈だったのは舞台が田舎だったからなんじゃないか?

いやー、都会って楽しいね。ありで。

コージー番長・杉江松恋より一言。

 キャラクター小説という見地から一言付け加えさせてもらうと、このシリーズはルイザによる「やりくり」のおもしろさも魅力の一つだと思っている。決して豊かではないものの、卑しくもない。そうした気高さを感じさせる部分が主人公のキャラクターの中にあるから、知らず知らずのうちに読者は引き込まれてしまうのではないかな。魅力的なシリーズであり、三作で途絶してしまったことが非常に残念です。

 さて。都会か。都会が好きなんだな。よーしわかった。ではこれよりしばらく、田舎シリーズに行こうじゃないの。最初の課題作はあれだ。猫だ。リタ・メイ・ブラウン&スニーキー・パイ・ブラウン『町でいちばん賢い猫』でいってみよう。田舎&猫ミステリに、都会派小財満はどう立ち向かうのか。お楽しみに。

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小財満

ミステリ研究家

1984年生まれ。ジェイムズ・エルロイの洗礼を受けて海外ミステリーに目覚めるも、現在はただのひきこもり系酔っ払いなミステリ読み。酒癖と本の雪崩には気をつけたい。

過去の「俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」はこちら。

*1:最初のホームズ譚『緋色の研究』の発表は1888年

*2:そういえばコナン・ドイルは心霊術学会を辞しているが、これは心霊術学会が当時の心霊術師たちのトリックの数々をを暴いた結果、心霊術師たちを擁護していたドイルが色々と怒り心頭に達したから、ということらしい。

*3:女性の独立を訴える場面は本シリーズにもあるが、例えばルイザは後半生において女性参政権運動に参加している。このあたりもなかなか背景としては面白いのではないだろうか。

*4:この判定でシリーズを続けて読むか否かが決まるらしいですよ。その詳しい法則は小財満も知りません。