みなさま、あけましておめでとうございます。

 本日は小財満氏のコージー連載を更新する予定ですが、事情により来週回しになってしまいました。急遽ピンチヒッターで私、杉江松恋がご機嫌伺いにやってまいりました。

 お寒うございますが、風邪など召されていませんか? 正月の松も取れて、いよいよ2012年が始まったという感じですね。

 コージーにまつわる話題といえば、昨年の末にこんなことがありました。

 場所はとある忘年会の席上、書評家の北上次郎氏にある質問を受けたのです。

「あのな、松恋くん」

 はいはい。

「君たちがよく読んでいる〈コージー〉っていうの、あれは〈ブルーノ〉も当てはまるのかな。僕は最近あれを読んで結構おもしろかったんだけど」

 おおー、まさか北上“冒険小説の時代”次郎さんからそういう質問を受けるとは。

 質問のあった〈ブルーノ〉とは、マーティン・ウォーカー『緋色の十字章 警察署長ブルーノ』のことであります。ウォーカーはイギリス人なのだけど、これはフランス南西部の小村サンドニを舞台にした作品です。主人公ブノワ・クレージュことブルーノはフランス人だし、登場人物の大半も同じ。彼はこの小さな村の警察署長——といっても職員は1人だけなので実質は村の駐在さんのようなもの——なのですね。

 このサンドニで殺人事件が起き、村の平和を守るためにブルーノが奮闘する、というのが話のあらましであります。解説で吉野仁さんが「いわゆるコージー・ミステリのごとき読み心地である」と書かれているように、たしかにそういう味がある。読者の誰もが思うことは、「読んでいるとおなかが空く」ということでしょう。南西部フランスの田舎料理のことが魅力的に書いてあって、ブルーノ自身も厨房に立つのが好きな性分です。捜査で知り合った女性が訪ねてくると、サラダを任せておいて、メインの肉は自分で焼いてふるまう。また、小さな共同体らしく村の成員それぞれが顔見知りという人間関係も描かれる。何よりも主人公が、犯人捜しという謎解きの関心と同時に、事件によって乱された村の平和を取り戻すという秩序回復のために動いているところが、コージーっぽさを匂わせています。主人公がまた、変化を求めない性格なんですね。

 コージーの範疇に入るかといえば、厳密に言えば違うと思います。その最大の理由は、事件に政治が分かちがたく絡んでいることです。事件の被害者は、2つの戦争で大きな功を上げたレジスタンスの英雄なのですね。だから犯行も極右の仕業なのではないかと疑われ、中央から国家警察が乗り込んでくる。もちろん、コージーのジャンルに入る小説の中にもそうした政治の話が含まれるものはあるわけですが、決して主題にはならない。中心となるのは主人公を取り囲む小さな世界の話であって、外部から入りこんできた要素はあくまで触媒、もしくは謎解きをミスリードするおとりの役割に留められる、というのがコージーというジャンルの大きな特徴だと私は考えているのです。

 では『緋色の十字章』にいいちばんよく似た小説は何か、と考えて思いついたのがフランスの作家シャルル・エクスブラヤ『死体をどうぞ』でした。もしお手元に本があれば、読み比べてみてください。

 とはいえ、ジャンルが違うから、というだけの理由で読むべき価値のある小説を遠ざけるのは非常に愚かなことです。コージー・ミステリが好きな方に「『緋色の十字章』という作品がすごくおもしろそうなんだけど、どうなの?」と聞かれたら、私はこう答えると思います。

「普段読みなれている作品とはちょっと違う要素が入っているかもしれないけど、スパイスだと思ってください。決して嫌な気分になる小説ではないので、読んで損はないですよ」

 小財満氏にお願いしている連載は、実はここのところを見極めるためにあるのだと思っています。ジャンルじゃなくて、読む人が大事。「こういうのが好きなんだけどなあ」という気分がまずあって、それを満たしてくれるものを求めて本を探すわけです。その本選びのときに頼りになるのがジャンルです。でも逆に、そのジャンルに縛られて「ジャンルが違うから読まない」ということになったらつまらない。本の広がりはそこで止まってしまうからです。

 コージーっぽさ、っていったい何なのか。

 それを考えるため、この連載はもう少しだけ続くのじゃよ。

過去の「俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」はこちら。