——法医学ブームの先駆者ケイ・スカーペッタ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:流行語大賞の候補が発表になるといよいよ年末だなと実感します。年々、いつ流行ってたのか見当もつかない言葉が増えてきている気がするけれど、敢えて捨ておこう。ところで「令和」が候補になっているのには軽い驚きがありました。連呼されたのは間違いないけれど、元号って流行語になれるの?

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今月のお題もまたミステリクラスタにとっては年末の風物詩的存在かもしれません。いつも12月に新刊が発売になるパトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズ、その第1作『検屍官』を取り上げます。1990年の作品。

その夜、4人目の被害者が発見された。バージニア州リッチモンドで2か月前から始まった女性を狙った殺人は、少しずつ残忍さを増している。検屍官ケイ・スカーペッタも現場の最前線に立っているが、いまだに有効な手掛かりがつかめず捜査は行きづまっていた。住む場所も人種も違う被害者たちを結びつけるものはなにか。4番目の被害者から採取されたキラキラ光る物質の正体を突き止めようとするケイ。ところがある日、検屍局のコンピュータがハッキングされ、マスコミに謎のリークがなされるという事態が起こり、検屍局長としてのケイの立場はどんどん追い詰められていく。

 作者パトリシア・コーンウェルは1956年フロリダ州マイアミ生まれ。大学で英文学を学んだあと記者として働き、1984年からバージニア州リッチモンドの検屍局に勤務。テクニカル・ライターからコンピュータ・アナリストになり、同時進行で警察でのボランティアもしていたというからなんとも精力的な方です。この時の経験が検屍官シリーズのベースになったのは間違いないでしょう。
 1990年に本書『検屍官』でデビューし、MWA最優秀新人賞を受賞しました。検屍官シリーズの他、警察官アンディ・ブラジルシリーズ、捜査官ガラーノシリーズがあり、ほぼすべての作品が邦訳されている喜ばしい状況であります。先ほど年末の風物詩と申し上げましたが、検屍官シリーズは昨年発売された『烙印』以降の続きはまだ書かれていないようです。

 今回私は約四半世紀ぶりの再読。検屍官シリーズは一時期ハマりました。なんといっても医学も法学も修めた才女で、バージニア州の検屍局長というバリバリのキャリアウーマンであるケイ・スカーペッタに憧れを抱かずにはいられない。それまで私の中で「事件を解決する女性主人公」といえば、イキのいい若い女性か、ミス・マープルみたいな人だったので、ケイのような「脂ののりかかった中年女性」はとても新鮮であり、女性の生き方の選択肢が今よりずっと少なかった時代に、大いに勇気づけられたものです。

 ケイが登場する以前、検死といえば、夜中に叩き起こされて不機嫌な医者が現場でざっくりな死亡推定時刻と死因の見当をつけて、「あとは詳しく解剖しないとわからんよ」と言って立ち去る。そしてずいぶん時間が経ってから、役に立つような立たないような結果がどこからともなくもたらされる、という印象でした。この作品で初めて、その専門知識や高い技能もさることながら、多岐にわたる業務、きちんと管理された手順、驚くほどの地味で繊細な作業などなどを知ることができ、嬉しくなるほど知的好奇心が満たされました。ひょっとしてお仕事小説というジャンルのハシリなのかしら?

 そういえば流行語大賞にはラグビー関連の言葉がたくさん入りましたね。立派な「にわか」の私ですが、加藤さんはバカにすることなく、大いに楽しむよう勧めてくれました。かれこれ20年来の付き合いだけど、とりあえずラグビーに限っていえば、いい人であることを初めて知ったよ。

加藤:ちょっと待て。俺がラグビーに限らずいい人だって知らなかった?  ダダ洩れのいい人オーラのせいで、人に道をよく聞かれるし、ホームセンターに行けば、店員さんに間違われるし。女の人がチラチラこっちを見てると思ったら「すいません、これの色違いってありますか?」とか知らんがな。ってこんな話どーでもいいわ。
 良い子のみんなは自分のことを「いい人」というやつは信じちゃダメだぞ。

 そんなわけで、パトリシア・コーンウェルの検屍官スカーペッタ・シリーズ第1作、堪能いたしました。もちろん初読。でも話題になっていたのは覚えていますよ。ほとんど翻訳モノを読まないうちの奥さんが何冊か持ってたくらいだし。
 そして今回読んでみて、その人気にも納得でした。なんてたって設定が絶妙です。40歳でバツイチのスカーペッタはバージニア州の検屍局長。一線で活躍する法医学のプロでありながら、組織の長でもある。恋に仕事に忙しいうえに、家族にもいろいろ問題が。

 また、さすが処女作というか、コーンウェルがまだミステリーを書き慣れていない感じが初々しくて面白かった。姪のルーシーや凸凹コンビのマリーノ警部まで怪しいって無理矢理なミスリード。誰が騙されるかw さらに、全方位的に誰もが怪しいって話にしておいて、その真犯人はどうかと思うぞw
 あと、ここ最近のミステリー塾の裏テーマ「犯罪や捜査における科学・技術の進歩」という意味では、ついにインターネットとDNA鑑定が登場します。

 それにしても可哀そうだったのが、捜査が進まないのが検屍局のせいだってずっと責められるところ。情報が漏洩しているんじゃないか、決定的な証拠を見逃してるにちがいないって、スカーペッタが女性だから責めやすいってだけで責任を押し付けられているようで何とも理不尽。がんばれスカーペッタって応援せずにはいられませんでしたよ。

 そうそう理不尽な押し付けといえば東京オリンピックのマラソンと競歩の会場が札幌に移った件。景色がつまらないだの、日影がないから暑いだの、あいつら肉を焼くのとビール飲むのに忙しくてどうせ応援なんかしないだの、言いたいこと言われた札幌市民の皆さんは可哀そうとは思うけど、やっぱり釈然としない。この件でなにか言いたいことある?

畠山:いきなりムチャぶりキター! とハトマメ状態でいたら、たたみかけで嘲笑の的にまでされた札幌市民。言いたいことが多すぎてまとまらないけど、肉を焼いてビールを飲んで、雲丹と帆立を焼いてビールを飲んで、酔いが醒めたらパフェでシメる民族として誇り高く生きようと決意を新たにいたしました。苦難多き人生も、美味いものにありつけたらヤル気がでるってもんです。

 そしてどうやらケイもそのタイプ。苗字でわかるとおり、イタリア系ですから!
 仕事以外でも悩み多き彼女。母親は彼女の仕事に理解がなく、子供を持たなかったことで血統を絶やしたと責めるし、奔放すぎる妹は幼い娘ルーシーの養育をほぼ放棄して、次から次へと新しい男性に走っていく。ケイはといえば、ハンサムな恋人との仲も事件絡みで雲行きが怪しくなってきて、仕事は窮地、私生活はイマイチだったりします。
 そんな彼女のストレス発散は料理! 腕前はなかなかですよ。なにせシリーズにでてくる料理を集めた『パトリシア・コーンウェルの食卓』というレシピ本まで出たほどですから。
 姪のルーシーと一緒にイタリアンソーセージピザを作るシーンはとっても幸せそうで、裏の主役は料理かもというくらい印象に残ります。そうえいばお料理の会でもこのピザを作ってましたね(こちら☞〈翻訳ミステリーお料理の会〉第4回調理実習レポート ピッツア奮闘記)。

 ケイが法医学のプロなら、わずか10歳のルーシーはITの天才。ネグレクトを体験してとても複雑な心を抱えているルーシーが、唯一生き生きとできる分野です。ただあまりに突出した才能ゆえ、ケイにとっては悩みの種にもなります。それでも互いに愛情をもってよい距離を保つ努力をするところも読みどころですね。
 さすがに30年前の作品だけあって、使われているIT用語にレトロ感がありますが、最新の『烙印』ではドローンも出てくるようです。常に時代を反映する検屍官シリーズを通じて技術の変遷を知る(もしくは懐かしむ)というのもまた一興かと。

 それにしてもちょっと不思議だったのは、検屍官が専門分野だけに留まらず、積極的に捜査にかかわっていることです。まるで刑事のように現場を回ったり、動機を推理したり。法医学者はあくまで捜査のアドバイザー的立ち位置と思っていたけど、アメリカの制度は違うのかもしれません。 それに「検死」「検視」「検屍」といろいろありますよね。あまり気にしたことがなかったけど、使い分けがあるのかしら?

加藤:連続殺人事件をテーマにしたミステリーでは、犯人を捜すために「被害者たちの共通点」を突き止めることがカギとなります。
 本作でも、住んでいる場所も、仕事も、人種さえ違う女性たちにはどうしても共通点が見つからない。犯人はどこでどうやって彼女たちを見つけたのか。サッパリ見当もつかなかっただけに、それが何かがわかったときの驚きといったら!
 検屍官という仕事を詳しく描いたこと、そしてこのミッシングリンクの独創性が、本書がMWAはじめその年の様々なミステリーの新人賞を総なめにした理由ではないかと思いました。

 あと、読書会世話人の端くれとしては、どうしても「この本が課題本ならどういうレジュメを作るか」視点で読んでしまうのだけど、今回なら「日本とアメリカの検視(検屍)制度の違い」ってコンテンツは入れたくなるところですね。そんなわけで調べました。

 まず、日本の検視(検屍)はこんな感じのようです。
1)検視=変死体を検分し、犯罪の可能性の有無を判断します。法医学を修了している警察官が行うことが多く、医師資格は必ずしも必要ではありません。
2)検案=検視で事件性が薄い、または死因も状況も明らかだと判断された場合は医師が死体の外表面を検分し、死因や死亡時刻等の詳細を記録します。
3)解剖=犯罪の可能性があったり、死因や状況を詳しく知る必要がある場合は死体にメスを入れることになります。当たり前ですが、高度な専門知識と技術を持つ法医学者が執行します。司法解剖には裁判所の許可が必要ですが、遺族の承諾は必要ないそうです。とはいえ、現状では予算も人材も不足しており、日本では変死の5%ほどしか司法解剖は行われないのだとか。遺族感情を考えると、なるべくやりたくないというのが実際なのかも知れませんね。

 これに比べ、アメリカの検屍(Autopsy)検屍官、(Coroner)は検視から司法解剖までを一貫して行う専門機関、スペシャリストなのですね。したがって、スカーペッタのように法医学者でありながら犯罪捜査にも精通していないと務まらないのでしょう。いやはや大変な仕事です。

 凜としながらも悩み惑うスカーペッタのキャリアウーマン像は実に新鮮でカッコ良かったです。
 未読の方は是非この第一作からどうぞ。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 3Fなる言葉で女性が主人公のミステリーがひとくくりにされていた時期がありました。「作者・主人公・読者」が女性という意味ですが、この用語自体が非常に問題のあるものだと思います(なぜ3Mとは言わないのかしら)。ケイ・スカーペッタ・シリーズが読まれ始めた時期にも、初めはそうしたくくりで作品を見ようとした動きがあったことを覚えています。それは大間違いで、本作が多くの読者から好意的に迎えられたのは、『検屍官』が科学捜査を前面に押し出した、現代のミステリーだったからです。また、スカーペッタ一人の魅力が小説を支えているわけではありません。スカーペッタは有能なスタッフがついており、彼らとのチームワークもまたシリーズの魅力です。スカーペッタの最大の能力は、あくの強いメンバーを統率してチームをまとめ上げていく、管理職としてのそれなのです。

 個人営業の私立探偵がコツコツと足で稼いでいける、のどかな時代は終わり、最新科学を駆使するチームが主役の、情報小説が歓迎されるようになりました。そうした形でミステリーの新しい可能性を示したのが、スカーペッタ・シリーズの最大の功績ではないかと私は考えます。スカーペッタ自身はどちらかといえば守旧的な性格であり、社会のはみ出しものばかりだった私立探偵たちとは正反対のキャラクターに見えます。本書が発表されたのは1990年、レーガノミクスがほぼ完遂され、ロナルド・レーガンの跡を継いだジョージ・H・W・ブッシュ大統領の治世でした。そうした保守的な時代の空気に、彼女はよく馴染んでいたのかもしれません。

 さて、次回はレジナルド・ヒル『骨と沈黙』ですね。また期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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