最終回:ハリウッド・ウッドハウス紀行篇

 ニューヨーク、デトロイトと寒い都市を転々としてきた米国大陸横断ウッドハウス聖地巡礼記、最終回は陽光まぶしい南カリフォルニア、ロサンゼルスからお届けします。

 今回国際的なお世話になったのはロサンゼルス郊外サンタクラリータに住むカレン・ショッティング。今大会で米国ウッドハウス協会副会長への就任が正式決定した人物です。企業内弁護士を退職したばかりで時間が自由になるようになったからと、わたしといっしょのウッドハウス・ハリウッド紀行につき合ってくれました。

 ウッドハウスとハリウッドというと、関係あるの?と思われる向きもあるでしょうが、あるのです。ウッドハウスは生涯に二回、ハリウッドに住みました。一回目は1930年から、MGMスタジオに週給2000ドルの高給で脚本家として招かれ一年半滞在し、二回目は1936年から一年間の契約でやはりMGMスタジオに招聘され、ビバリーヒルズに住んでいます。またハリウッド時代の見聞を生かして、マリナー氏のハリウッド短編(文春の『マリナー氏の冒険譚』所収の「オレンジ一個分のジュース」「スタア誕生」など翻訳があります)、長編 Laughing Gas (1936) The Old Reliable (1951)など、ハリウッドを舞台にした作品を書いています。ニューヨーク、ブロードウェーでアメリカ・ミュージカルを創ったウッドハウスは、トーキー黎明期のハリウッドで、綺羅星のごときスターや映画監督、映画会社の大立者たちと時空を共にしたのです。

 また、ウッドハウスの小説はわりあい早い時期から映画化されています。ジーヴスとブランディングズ城の成功で人気作家になる前、すでに1915年にノンシリーズの長編 A Gentleman of Leisure がセシル・B・デミル製作総指揮で無声映画になったのを皮切りに、何作もの小説が映画化されていますし、作詞、脚本で関わったブロードウェー・ミュージカル Oh, Boy! Oh Lady, Lady なども無声映画(!)化されています。なお、この辺りのことは、ブライアン・テイヴスの P.G.Wodehouse and Hollywood(2006)に詳しいです。

20111018034201.jpg

 さてと、カレンはデトロイトから違う便でロサンゼルス到着だったので、待ち合わせてカレン邸到着は深夜。コンベンションの間五日も留守にした一人暮らしのカレン宅に、こんな遅くにお邪魔してもいいのかしらと恐縮だったのですが、ぜんぜん大丈夫なおうちでした。わたし用のバスルームのある素敵なお部屋に泊めてもらってゆっくり眠って迎えた遅い朝。窓から見た南カリフォルニアの景色はこんなでした。

 ベトベトのシナモンロールで朝食にしながら、早くウッドハウス・ハリウッド・ウォークに行こうよと心はやらせるわたしにカレンは、今日はハンティントン・ライブラリーに行ってお茶にしましょう、と艶然とほほえむばかり。「見せたいものがあるから」と。

20111018063125.jpg

 ハンティントン・ライブラリーにはもちろん大図書館があるのですが、美術館もあり、日本庭園ほかの庭園が有名です。素晴らしいバラ園があって、バラを愛したエムズワース卿(言わずと知れたブランディングズ城城主)とマシュモートン卿(未訳の長編 A Damsel in Distress(1919)の主人公)に思いをはせつつ、バラ園を見晴らすティールームでバラの香りの紅茶とスコーンとサンドイッチ他いろいろ色々いただきました。(写真はカレン・ショッティング。可憐なカレンと呼んでいます)

20111018082242.jpg

 それでカレンがわたしにどうしても見せたかったものというのはこちら。ジョン・シュッペ作(英、1765年)のウシ型クリーマーです。大名作『ウースター家の掟』でバーティー・ウースターを翻弄した運命のウシ型クリーマーの仲間、もちろん現代オランダ製ではありません。それはもうたいそう醜かったと言いたいのですが、なかなかにかわいらしいシロモノでありました。長らく展示公開されていなかったそうで、展示開始の報にいそぎ駆けつけたとの由。対面できてラッキーでした。

 ギフトショップで長々と引っかかって、しかしその間にも書棚前でウッドハウス本を物色する青年に、「はじめてならこれがおすすめよ」と、ジーヴスものを勧めるカレン。ウッドハウス協会ロサンゼルス支部の連絡先までおしえていました。ウッドハウス布教の大義のため、わたしもこういう態度を学ばねばです。

 夕食は自宅で宅配ピザにして、カレンがわたしに会わせたいと言っていたご近所のウッドハウス友達、ダグが訪ねてきました。日本語を勉強しているそうで、何回か訪日もしたそう。定番の「どうして日本語を習い始めたのですか?」という社交質問に、「じつは、わたしはアニメオタクなのです」と、日本語で答えてくれてびっくり。好きなアニメは『ヒカルの碁』と『おおきく振りかぶって』だと語ってくれました。

20111018091714.jpg

 翌日はいよいよハリウッド・ウッドハウス紀行。ウッドハウスがハリウッド時代に住んだ家々を訪ね歩きます。カーナビに目的地を入れ、ロサンゼルス名物の渋滞を越えていざハリウッドへ。(写真:カレンの車のナンバープレート。ウッドハウスのことは、私に聞いてくださいと書いてあります)

20111019034521.jpg

 一軒目は 724 Linden Drive, Beverly Hills。1930年にウッドハウスがハリウッドにきて、はじめて住んだ家です。女優ノーマ・シアラーがMGMの天才プロデューサー、アーヴィング・タルバーグと結婚する前に所有して居住し、ウッドハウスのミュージカルでも活躍したコメディエンヌ、エルシー・ジャニスに売却したというこの家での生活のことを、ウッドハウスはこう書いています。

「小さいが素敵な庭園と大きなプール付きのパティオがある…スタジオとは自宅で仕事すると取り決めたから、三、四日続けてパティオを出ずに過ごすこともよくある。朝起き、泳いだら朝食にして、二時まで働いてもう一ぺん泳ぎ、昼食兼用のお茶の後は七時まで働く。さらにもう一ぺん泳いだら夕食、それで一日が終わる(1930年6月26日付ビル・タウンエンド宛書簡)」

20111019034719.jpg

 スタジオから8キロほど離れたこの家から、散歩好きのウッドハウスはスタジオまで歩いて行ったそうで、誰も彼もがリムジンに乗るのが当たり前のビバリーヒルズでただ一人の歩行者として評判をとったそうです。本当のことを言うと、当時の建物はすでに取り壊され、いま建っているのはその後建て直されたもので、上の手紙の記述とは整合しません。とはいえリンデン・ドライブ、ひとまず実地踏査完了です。(写真は724の前から撮ったリンデン・ドライブ、たしかに歩行者はいません)

20111019040222.jpg

 さて、ウッドハウスは半年ほどで別の家に引っ越しました。引っ越し先がこちら 1005Benedict Canyon Drive。高い塀と黒ネットで目隠しされたガードの固い家でしたがともかくも記念撮影。パーティー好きだった奥さんのエセルはこの家で頻繁にパーティーを開き、クラーク・ゲーブル、フレッド・アステア、ダグラス・フェアバンクス、エドワード・G・ロビンソン、ノーマ・シアラー、モーリーン・オサリヴァン等々、ハリウッドのスタアたちが日夜集ったそうです。

20111019040235.jpg

 ハリウッド滞在一年を経たウッドハウスはこの家でロサンゼルス・タイムズのインタヴューを受け、一種の舌禍事件を起こしました。週休2000ドルの高給でハリウッドに呼ばれてきたのはいいけれど、与えられたのは自分にしてみれば一晩でできるような仕事ばかり、しかもそれを三カ月かけて仕上げろと言われる。一つの仕事に携わるライターが十五人もいるような環境で作家のオリジナリティの生かされようがあるだろうか、こんなに給料を払ってもらってたいした仕事をしないでいるのは悪い気がする、と、インタヴュー開始前に記者に語った気楽なおしゃべりが記事となり、それは本人によると「サラエボの皇太子暗殺事件」並みの衝撃をハリウッドに与えたそうです。それから半年後、契約延長はなく映画の方ではたいした成果もないままウッドハウスはハリウッドを去るのですが、ふんだんに使えた余暇時間を執筆に充てた結果、この間に短編九本と長編一冊を上梓しています。

 ところで、守りの固かったこの住所についてその後調査したところ、およそ1エーカーといいますから1200坪以上あるらしきこの敷地建物の現在の所有主は、俳優のブルース・ウィリスであることが判明しました。彼は果たしてウッドハウスを読んでいるでしょうか。

20111019042118.jpg 

 次は細い山道をずんずん上って、眺望有利の山の中腹に建つ 1315Angelo Drive。1936年9月にMGMスタジオからの二度目の招聘に応じたウッドハウスが住んだ家です。5年前の苦い経験の後、二度とハリウッドからお声がかかることはなさそうな気がしますが、変化するこの街は記憶の更新も早かったということでしょうか。ロサンゼルス市街を一望し、はるか太平洋を遠望するこの家は、ハリウッド・スターたちに美と健康法を指導した栄養学者ゲイロード・ハウザー博士(『若く見え長生きするには』(1951)の著者)の持家で、未訳の長編 The Old Reliable の舞台にもなっています。

20111019043104.jpg

 ちょうど配達トラックが門内に入っていくところで、カレンといっしょに運転手にちょっとウッドハウス・コネクションについて訊いてみたりもしたのですが良好な反応はなく、家の周りをひとしきりうろついて不審な写真撮影活動を行った後、調査終了。この地を後にしました。

 ところで今回ハリウッド・ウッドハウス紀行にわたしとカレンが握りしめていったのは、やはりノーマン・マーフィーの A Wodehouse Handbook (2006)でした。1990年にノーマンがハリウッドで初のウッドハウス住居探検を行うまで、この地に作家の足跡をたどろうとする者は皆無だったそうです。マンハッタンに点在する数多のウッドハウス史跡を特定したのもノーマンが最初。イギリス国内のみならずアメリカにおいても、彼は未知を開拓する冒険者であったのでした。前人未到、ハリウッドの未開のジャングルを踏査する恐れを知らぬ男、心の冒険家、それが自分だとノーマン・マーフィーが言っていました。すごいです。

20111019060752.jpg

 ウッドハウスの住所巡りはこれにて終了。ウッドハウスつながりということで、ビバリーヒルズ中心部にある最高級ビバリー・ウィルシャー・ホテルに突撃しました。長編 The Old Reliable に、このホテルで昼食する場面があるのです。とりあえずホテルのヴァレー・パーキングに車を預け、Tシャツ姿でこんな大それたところに潜入する畏れ多さにおびえるわたしを「いざとなったら、あら間違えちゃった、待ち合わせはビバリー・ヒルズ・ホテルだったわ、って言って帰ればいいんだからだいじょうぶ大丈夫」と、カレンが励ましてくれました。ウッドハウス・ハリウッド・ウォークの成功を祝って昼食をご馳走させてちょうだいと申し出、カレンは遠慮してアペタイザーしかとってくれなかったけど、二人してペリエで祝杯を挙げました。

 食事の後はホテル目の前のロデオ・ドライブにてウインドウ・ショッピング。建ち並ぶブランド店と宝石店のウインドウを、あれが素敵あらこれが素敵ねと言うだけはただなので果敢に見て回りました。金持ちオーラを発散してくれるカレンがいっしょで実にたのもしかったです。

 ふたたび渋滞を抜けて帰宅。夕方はカレンの庭でいっしょにバラの花ガラを摘んで、晩ごはんを食べて、コショウの木が揺れる庭で遅くまでおしゃべりして、一夜明けて出発の朝、カレンは「おはようございます、マダム」とジーヴスの真似をして紅茶を持ってわたしを起こしに来てくれました。

「天気はどうだい、ジーヴス?」

「まれに見る好天でございます」

 一日の始まりに大きな差がつくというものではありませんか。

 とまあ、そういうわけでカレンと涙の別れの後、無事帰国して今日に至るわけですが、こうして世界中の皆さんに国際的なご迷惑をかけながら、ウッドハウス史跡を訪ね歩いたり楽しい時をいっしょに過ごしたりできるのも、みんなみんなウッドハウス翻訳者をさせていただいいているお蔭さまだと、わが身の幸運に感謝する日々です。皆さんもウッドハウスを読むとどんなにいいことがあるかわからないので、どうぞたくさんウッドハウスを読んでくださいね。

森村たまき(もりむら たまき)

1964生まれ。中央大学法学研究科博士後期課程修了、刑事法専攻。国書刊行会より〈ウッドハウス・コレクション〉〈ウッドハウス・スペシャル〉刊行中。ジーヴス・シリーズ最終巻『ジーヴスとねこさらい』が刊行されたばかりです。ツイッター・アカウントは @morimuratamaki です。

■【特別寄稿】ウッドハウス聖地巡礼記 バックナンバー

第1回ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)

第2回ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(後篇)

第3回ウッドハウスさんの墓前に報告篇

当サイト掲載、森村たまきさんによる「初心者のためのP・G・ウッドハウス入門」はこちら 

●AmazonJPでP.G. ウッドハウスの本をさがす●

●AmazonJPで森村たまきさんの訳書をさがす●