洋楽オタクでミステリー好き。自分でもはっきりとした自覚もあったのだが、これまでどうもこの音楽とミステリーとを結びつけて考えたことがあまりなかった。だが、面白いミステリーには、それを彩る名曲も流れていたりする。

 ならば、サラダも好きだけどラーメンも好きだからラーメンサラダを、ごはんも好きだしハンバーガーも愛してるからライスバーガーを……といったことと同様に(ちょっと違うか)、2つの大好きなものをテーマに、問わず語りのようなことができないだろうか。

 そんな思いつきから、ミステリーにかぎらず広く海外エンターテインメント作品と音楽について、浅かったり深かったりするコラムをこれから書かせていただこうと考えている。

 名作『幻の女Phantom Lady)』(1942年)でおなじみ、サスペンスの詩人コーネル・ウールリッチ(=ウイリアム・アイリッシュ)。マザコンだとかホモセクシャルだとかいろんな噂もあったが、そのロマンティックかつ感傷的な文体で、一部の「甘噛み」系ミステリー読者に絶大なる人気を博していた作家である。

 かくいうぼくも大ファンで、創元推理文庫から刊行されていた『アイリッシュ短編集』全6巻をむさぼるように読んでいた時期がある。とりわけ、「裏窓」「じっと見ている目」、そして今回話題にする「踊り子探偵」など、名作が軒並み収録されていた第3巻は、何度も読み返したものだ。

 ウールリッチが「ブラック・マスク」誌や「ダイム・ディテクティヴ」誌といったパルプ・マガジンに書きまくった短篇の数々は、もちろん出来不出来の差はあったが、都会の喧騒と孤独、息詰まるサスペンス、そして少しの希望とが巧みに描かれていて、どれもこちらのセンチな心の琴線にふれてくるものだった。そして、なかでももっともお気に入りだった短篇作品のひとつが、「踊り子探偵」である。

 主人公は、ダンスホールで客のダンス相手をすることで、なんとか生計を立てている貧しい踊り子ジンジャー。仕事仲間で唯一仲のいい娘が無断欠勤したことを心配していたが、その友人は、近頃巷を騒がせている踊り子ばかりを狙った連続殺人鬼の新たな犠牲者となってしまっていた。捜査にたずさわる青年刑事ニックらに協力を求められた彼女は、ふとしたきっかけから犯人が友人とダンスを踊った客であることに気がつく。しかも、友人の忌み嫌っていた「あわれな蝶」という曲が好きな男だと。が、殺人鬼の魔手は彼女にも迫り、次なるあわれな犠牲者とされてしまいそうになる

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 ……といった、かなりストレートな内容のサスペンス作品なのだが、ヒロインと彼女を助ける刑事のキャラクターが、とにかく魅力的。アイリッシュ名義で、後に発表されるもうひとつの代表的長編『暁の死線』(1944年)の主人公コンビなども想起させ、ウールリッチがときおり描く、愛おしい登場人物たちの原型といっていいだろう。

 この佳篇を彩っているのが、ポピュラー・スタンダード曲の数々だ。「ブラック・マスク」誌に発表された1930年代というと、デューク・エリントン、ジョージ・ガーシュインやコール・ポーターといった天才的な作曲家たちの音楽が流星をきわめていた頃だろう。

 作中にも、「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ(The Lady Is A Tramp)」「ライムハウス・ブルース(Limehouse Blues)」など、楽団が奏でる音楽が効果的に使われている。

 連続殺人鬼が溺愛する曲として事件の重要な鍵になる「あわれな蝶(Poor Butterfly)」は、ジャコモ・プッチーニの歌劇「蝶々夫人(Madama Butterfly)」から題材をとった、レイモンド・ハベル作曲/ジョン・ゴールデン作詞の人気曲で、近年ではフランク・シナトラやジョニー・マティスといった、多くのアーティストが録音しているナンバー。作中では「ワルツ」で「しめっぽい」という表現が出てくるが、ぼくはこれまでに4ビートの演奏しか聴いたことがないし、作者の受け取り方の違いかもしれない。実際には、ロマンティックで軽快な演奏が多いのだ。

 1950年代にはサラ・ヴォーンの名唱があって、カーメン・マクレエはサラに捧げたアルバム『サラ・デディケイテッド・トゥ・ユー(Sara: Dedicated To You)』(1990年)でこの曲を取り上げている。その歌唱も素晴らしい。作中では殺人鬼の犠牲者を「あわれな蝶」とひっかけているのだが、そもそもの歌詞の内容どおり、異国の男性に去られた日本女性の悲哀が、ここではしっとりと歌い上げられている。

「踊り子探偵」は、シドニー・ポラック製作総指揮による「堕ちた天使たち」というドラマ・シリーズとして米国で映像化され、日本でもWOWOWで放送された。監督はピーター・ボグダノヴィッチ、出演はジェニファー・グレイ、エリック・ストルツ。「パーフェクト・クライム/殺意の罠」(1995年)というタイトルでビデオのみ発売されたことがある。

 ちなみに、スチュアート・M・カミンスキーの私立探偵トビー・ピーターズ物には、Poor Butterfly(1990年/未訳)というタイトルの作品がある。

Victor Military Band – Poor Butterfly

*1916年に書かれたこの曲は、翌年に女優エルシー・ベイカーの歌唱ヴァージョンと、このヴィクター・ミリタリー・バンドの演奏とで、大ヒットしたという。「踊り子探偵」発表は1938年。その時期のものだと、ヴァレイダ・スノウの歌ものなどが、当時の雰囲気を伝えているので、機会があれば聴いていただきたい。

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。