恋人とマンネリの関係にある男が、隣に彼女がいるベッドで新聞を読んでいたところ、個人広告欄(ブラインド・デートだとか出会い系の走り?)で気になる投稿を見つける。――もし貴方が、ピニャコラーダというトロピカル・ドリンクが大好きで、ヨガなんか大嫌いで、自然食品なんてもってのほか、雨なんか気にしないし、深夜の浜辺でへっちゃらでメイクラヴするようなことが好きな人だったら、貴方こそわたしの求める人です。いまの退屈な生活から一緒にエスケイプ(脱出)しませんか?
一読するなりこりゃ自分とぴったりの趣味じゃないかと舞い上がった男は、さっそく返事を投稿。自分もピニャコラーダが好きで、まったくもって同じ趣味だから、ぜひとも会っていまの生活からエスケイプしましょうと、待ち合わせの日付と場所を指定までする。
さて、約束当日。恋人のことなんかすっかり忘れてしまって、ウキウキしながらバーで相手を待ちうける男。そこへ現れたのは……?!
1979年末にビルボード全米チャートで第1位を獲得した「エスケイプ~ピニャコラーダ・ソング(Escape〔The Pina Colada Song〕)」というポップ・チューンの歌詞です、これ。ウィットに富んだ内容とオチとで、まるで『ニューヨーカー』誌にでも載っていそうな短篇小説のようでしょ? 謎の語り手にかたらせたら、デイモン・ラニアンの短篇集『ガイズ&ドールズ(Guys And Dolls)』(1961年)の作品世界にも通ずるような。
作者は、ニューヨークを拠点として活躍していた、音楽プロデューサーにしてシンガー&ソングライター、ルパート・ホームズ(当時の音楽業界表示では、ホルムズ)。この時点ですでに4枚のソロ・アルバムを発表していたけど、バーブラ・ストライザンドのアルバム『レイジー・アフタヌーン(Lazy Afternoon)』(1975年)のプロデュースを手掛けて、楽曲もいくつか提供してたっけ、という程度の知名度だったかと。
だがしかし、この「エスケイプ」が思いもよらない大ヒットとなり、スティクスの「ベイブ(Babe)」を引きずり降ろして、なんと全米ビルボード・チャート1位に輝いた。翌週(1970年代最後の週)も1位をキープし、年明けにKC&サンシャイン・バンドの「プリーズドントゴー(Please, Don’t Go)」に首位を明け渡すも、その翌週にはふたたび首位を奪還したのだった(ちなみに翌週にこの歌を追い落としたのは、マイケル・ジャクソンの大ヒット曲「ロック・ウィズ・ユー(Rock With You)」)。
どちらかというと、アレンジも含めて夏っぽくて能天気な明るいポップスという印象の曲だったのだけど、結局は、小説のごとき歌詞の賜物だったのだろうか。
じつは先頃、早川書房のポケミスから忽然と刊行された『マクマスターズ殺人者養成学校(Murder Your Employer: The McMaster’s Guide to Homicide)』(2023年)は、なんと、そのルパート・ホームズによるミステリー小説だった。いやはや、驚かされました。
訳者の奥村章子さんが、歌詞の内容も含めて作者についての情報まで、概ねあとがきに記されているので話題としては重なってしまうのだけれど。なにしろ「エスケイプ」のヒット以前からのルパート・ファンの自分としては、彼の小説の初紹介、黙ってはいられなくて、今回は取り上げさせていただきます。
話を戻して『マクマスターズ殺人者養成学校』の内容はというと――。
航空機メーカーで設計の部署に勤める主人公クリスが、恨み骨髄の上司を殺害する計画を立てるが未遂に終わり、刑事だと名乗る男たちに逮捕?される。ところが目隠しをされ拉致された先は、〈マクマスター学院〉なる、殺人者を養成する学校だった……という、なんとも突拍子もない設定。
日本のコミックだと、『キルニル~先生が殺し屋って本当ですか?~』、『サカモトデイズ』といった、殺し屋を育てる学校ものがあるようだけど、海外ミステリーでは、はて、これまで、しかもここまで徹底して殺人者を養成する学校を描いた作品があったろうか。なにしろカリキュラムの一覧表まであって、応用電気工学、語学、毒物学、狩猟レッスンから、どういうわけかエロス学まで、多岐にわたる講義があって、それぞれにユニークな専任講師がつくのだ。
そもそもクリスを殺害計画まで追い詰めたのは、あまりに悪辣な上司フィードラーのふるまいだった。人命を軽視した急な設計変更を強行し、レイプドラッグを用いて女性社員に関係を強制し、不都合な場面を部下に目撃されるとその目撃者を左遷する。やりたい放題の末に、人命にかかわる航空機設計の計画変更(しかも直前の改悪)を面と向かって糾弾したクリスを罠にかけ、失職に追いやった。さらにはクリスが一目惚れした女性コーラがフィードラーに凌辱され自殺。やはりこの上司を糾弾しようとしていた敬愛する歳上の部下ジャック(ヤチェク)も殺害されてしまうことに――。
かくしてクリスは、マクマスター学院にて、彼ら曰く〝削除〟(殺害の意)の技術を学び取り、あらためてフィードラー殺害を企てることになるのだった。
この学校での研修期間篇とその後の削除実践篇とで物語は二分されるわけだけれど、この研修期間の描写がとにかく詳らかでおもしろい。空手の寸止めのように、学生たちは良い評価を得るために、他の学生たちを相手に日常でも殺人方法を実践しようと狙っている。匿名の〝支援者〟によって奨学金が贈られる場合もあり、クリスもまた謎の人物によって支援されている。
また、殺人者養成といいながらこの学校の教育方針には、どうやら人道的な要素が強く反映されているようなのだ。学院の新入生説明会では、四つの問いを投げかけられる――①どうしても殺す必要があるか、②悔い改めるチャンスを相手に与えたか、③結果的に罪のない人を悲しませることにならないか、④その削除がほかの人の人生をよりよいものにするか。
変名で入学している有名女優ダルシー、じつは同僚のハラスメントに苦悩しているクールな美女ジェナ、軽薄軽率だけど憎めない男子学生カビー、卑劣な手段を講じてでも評価点をもぎ取ろうとするジャド……と、学生たちもさまざまだが、その多くは〝どうしても殺す必要があるのか〟が明確な学生だ。
すでにして盛りだくさんなのだが、復讐とも言うべきクリスの〝削除〟実践のリベンジが、ようやくこの後に展開する。その計画はかなり複雑すぎる気もするのだが、あとに待ち受ける結末は驚くべき……んー、言えないことばかりでもどかしい本作、設定からして少々馬鹿馬鹿しいとお思いの方も、読み進めるうちにこの作品世界の虜になること間違いなし、と思いますよ。
ホームズが小説を書いたのは、じつはこれが初めてではない。これまでに2作の長篇小説を発表していて、どちらもミステリー作品。デビュー作Where the Truth Lies(2003年)にいたっては、アリソン・ローマン、ケヴィン・ベーコン、コリン・ファースという豪華キャストで2005年に映画化もされている(邦題『秘密のかけら』)。1950年代を舞台に、人気のコメディアン・コンビが巻き込まれた過去の未解決の女性殺害事件を女性ジャーナリストが探るうちに、二人の男が事件自体に深く関わりがあることが判明してくる……という、これまた正しくミステリー作品。
続く第二作Swing: A Mystery(2007年)は、さらに時代をさかのぼった1940年代のジャズ・エイジが舞台。ジャズ・オーケストラ所属のサックス奏者が、バークレイ音楽院の女子学生に頼まれ、新たな商業施設での博覧会で演奏される楽曲のオーケストレーションに協力したことから、徐々に彼女に惹かれていく。だが、施設のシンボルである塔から女性が転落するのを目撃したあたりから、女子学生に隠された秘密が顕わになっていって……というノスタルジックなサスペンス作品のようだ。
もともとミステリー好きで、ルパート・ホームズという芸名?(本名はデイヴィッド・ゴールドスタイン)も、シャーロック・ホームズにあやかって付けたというほど。日本のみでリリースされたアルバム『シナリオ(Scenario)』(1994年)を最後に、ポップ・アーティストとしての自身の活躍はいったん休止して、作家デビューの前に取り組むことになったのも、ミステリーもののミュージカルの制作だった。
チャールズ・ディケンズの未完のミステリー『エドウィン・ドルードの謎』(1870年)をベースとしたオリジナル・ミュージカルThe Mystery of Edwin Drood(1985年)を、作詞・作曲・脚本、さらにはオーケストレーションまで手掛け、ミュージカル界のグラミー賞とも言うべきトニー賞で作詞・作曲・脚本の三部門受賞。さらに、1986年のエドガー賞最優秀戯曲賞を受賞している(1991年にもAccompliceで受賞)。アメリカ探偵作家クラブ(MWA)とも無縁ではなかったわけだ。未完の小説ということを逆手にとってか、ルパートは観客投票で結末を変え、いくつものパターンの脚本を用意するなど、すでにしてミステリー・マインドたっぷりの趣向をこらしていたのである。
さてさて、冒頭の「エスケイプ」だが、インフィニティというレーベルからシングルとして発売され、ルパートの5枚目のソロ・アルバム『パートナーズ・イン・クライム(Partners in Crime)』(1979年)に収録された――そう、〝共犯者〟という意味。タイトルからして、ミステリー読者の心をくすぐってくれる。とはいえ全体的にはラヴソングが中心なのだけど、タイトル曲は、恋にしろ人生にしろ二人の人物がいればそこに生じる関係性というのは共犯者であるといった、アルバム全篇を象徴するもの。「エスケイプ」に続いてシングル・カットされた「ヒム(Him)」だけが例外で、ぼくら男女二人と、実際には登場しない、彼女の別の恋人の存在をぼくが憂う三角関係の歌だったが。
アルバムには、留守番電話メッセージの録音可能時間が短いせいで、プロポーズがなかなかできないすれ違いのやりとりを描いた「アンサリング・マシーン(Answering Machine)」、都会で働く男女が昼の休憩時間に慌てて情事に耽る滑稽さを歌った「ランチアワー(Lunch Hour)」……。一曲一曲が短篇小説の一篇一篇のような物語世界をもっていた。
眼鏡をはずしてしまえば近視のせいで世界は美しく見えるというバラード「ニアサイテッド(Nearsighted)」なんて歌もあって、『マクマスターズ』のなかには、主人公の近視のおばが彼のことをハンサムだと言ってくれるという記述があったりして、音楽のほうのルパート・ファンとしてはにやりとさせられることだろう。
『マクマスターズ』にはどうやら続篇の予定もあるとのこと。卒業後のクリスたちの行く末も気になるところ。
ポップ・アーティスト→ミュージカル・クリエイター→小説家と、それこそその当時の活躍の場からエスケイプを続けてきたルパート・ホームズだけど、古くからの音楽ファンとしては、彼自身が最後に一枚は制作したいと公言しているポップ・アルバムも、期待を大にして待っていたい。
ちなみに、ルパートは「エスケイプ」が大ヒットとなるまで、一度もピニャコラーダなるトロピカルドリングを飲んだことがなかったそうだ。
◆関連書籍
◆YouTube音源
“Escape (The Pina Colada Song)” by Rupert Holmes
*1979年末最後の2週、ビルボード全米チャートで1位を獲得し、いったん2位に転落したものの翌週ふたたび1位に返り咲いたという大ヒット曲。
“Him” by Rupert Holmes
*『パートナーズ・イン・クライム』からの第2弾シングル。全米チャート6位。
“Answering Machine” by Rupert Holmes
*『パートナーズ・イン・クライム』からの第3弾シングル。
◆関連CD
“Partners In Crime” by Rupert Holmes
◆関連DVD
『秘密のかけら』
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
---|
1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |