先日、夕食のデザートがわりにダノンビオというカップ入りヨーグルトを一ついただいたら、アルミ蓋の裏に“Carpe diem”とラテン語の格言が、ちいさな活字でぽつんと印刷されていた。結構、驚愕した。いつも蓋の裏には、「ダノンビオ・クラブ入会案内」とか、「大吉」(こちらもちょっと??)とか、なにかしら印刷されている。それにしても、ラテン語の格言は日本に普通に根づいていて、世の人は誰でも理解できるのか。はたまた、ダノンビオの購買者層はインテリなのだろうかと、考えこんでしまった。「今を生きよ」と訳されることが多いが、直訳すれば「一日を有効に使え」だろうか。実はその夜、某SFの「あとがきにかえて」の締め切りが翌朝に迫っていたのに、まだ一行も書けていなかった。そんな情けないありさまを見た神様の戒めなのかと、さらに驚愕を大にしたのだった。

 自己紹介が遅くなりましたが、ドイツ語の翻訳をしています北川和代です。今月、この欄を担当させていただくことになりました。どうぞよろしくおつきあいください。

 さてドイツ語の翻訳をしていると、ラテン語は学名、医学用語、格言などなど日常茶飯事で登場する。これまで訳した中で、ひと言も出てこなかった本は皆無ではないだろうか。ちなみに、6月に刊行した拙訳『消滅した国の刑事』書評七福神の七月の一冊で千街昌之氏が紹介してくださいました!)では、犯人が送ってきた脅迫文はラテン語の格言だった。

 なにを隠そうこの私、ラテン語学習歴は10年ほど。ドイツ語翻訳歴よりもずっと長いので、ラテン語が出てくると、ふふふっと笑って、さささっと訳してしまう(あとで先生に確認していますので、ご安心を)。というわけで、習いはじめたころは役に立つとは思わなかったけれど、継続は力なり、今ではずっと続けて勉強していてよかったと思っている。

 そもそも、なぜラテン語を習っているかというと……昔、スペインに住んでいたことがある。渡西してすぐに語学学校のインテンシブコースに通ったのだが、高級な学校で、生徒はお金持ちのスイス=アレマン(ドイツ語が母国語のスイス人)のおじさんが多く、その彼らの誰もが決まって口にするのが、「ぼくたちは学校でラテン語を勉強したから、カステジャーノ(スペイン語のこと)なんかお茶の子さいさいなんだぜ」。たしかに皆さん、すぐに上達していらっしゃいました。そんなこんなで興味を持ち、帰国後、東京・赤坂にある日伊協会のラテン語クラスに通いはじめたというわけだ。

 と、ここまで書いてきたら、ふとマドリッドの宇宙まで透けて見えるような濃紺の空がまぶたの裏に蘇ってきた。

 スペインは欧州の西の端。イベリア半島にも四季はあるが、最もスペインらしいのは真夏である。とにかく暑い。太陽は燦々を通りこしてギラギラと輝く。それでも魅力的な季節だ。フランス国境のピレネーから南部のアンダルシアまで、さまざまな夏の風景がある。

 住んでいたマドリッドの夏を思い出すと、昼間は暑過ぎて外出する気が起こらない。したがって、普通はビールか赤ワインを飲んで夕方まで家でだらっとしている。オフィスは、夏は三時ごろ終了。夏場の三カ月間くらいは、ホルナダ・インテンシーヴァと呼ばれる公認の早帰りで、みんなそそくさと帰る。まあ昔の話なので、今はそんなに優雅ではないかもしれない。お昼寝——シエスタがいかにも怠けの象徴みたいに悪い意味で有名だが、真夏の昼間に屋外で農作業などやろうものなら確実に倒れてしまう。南欧の生活の知恵と割り切るべきだろう。

 さて、真夏は夜の8時過ぎまで日が出ているが、そのころから人々は夕食に向けて動きだす。レストランの夜の部がはじまるのは9時くらい。またワインを飲みはじめ、おしゃべりと晩ご飯がはじまる。スペインの内陸部は肉料理が地場のメニューだけれども、首都だけあって地中海や大西洋の海産物、バレンシア名物のパエリアまで、お好み次第、なんでもある。延々としゃべり、長々と食べて、さらに食後の強いお酒を飲み、おじさんたちは最後に葉巻を薫らして2時間以上かかった夕食は終わり。それからフラメンコを見にいったり、バールでまたまたワイン片手に立ち話に興じたりで深夜の2時くらいまでぶらぶらしている。昼間、恐ろしく暑いから、せめて夜、人生を楽しもう(Carpe diem)ということだ。朝も結構早起きだから、彼らはいつ寝ているのかと常々思ったものだ。

 さてスペインを旅すると、さまざまな風景や歴史に出くわす。遺跡も多い。まず北辺、フランス国境のピレネーは三千メートル級の山が連なる大山脈だ。その中に、キリスト教ロマネスク様式の修道院や教会がひっそりと佇んでいる。時計まわりに進むとバルセローナ、地中海に面したガウディの街。サグラダ・ファミリア教会はあまりにも有名だが、ピカソやミロの街でもある。少し南下するとタラゴナ。日本では知られていないが、ローマ時代からの遺跡の街だ。もっと行くとオレンジとパエリアと火祭りで有名なバレンシア。そして椰子の木の街エルチェ。西に進んでアンダルシア地方に入る。まずはグラナダ。シエラネバダ山脈の麓、イスラム様式の奇跡の遺跡アルハンブラ宮殿がある歴史都市だ。さらにアンダルシアを西へ行くと、大規模なイスラム寺院遺跡があるコルドバ、そして数々の芸術の舞台セビージャ。この街の夏も、ボンネットで目玉焼きができるといわれるほど猛烈に暑い。そこを南下するとイベリア半島の英国領ジブラルタルに出る。近隣は大々的なビーチリゾートだ。さてそこで直角に折れて、ポルトガルを西に見ながらエストレマドゥーラ地方を北にどんどん進むと、大西洋に面したガリシア地方に出る。リアス式海岸の語源である地形が続く風光明媚なところだ。北西の端に行き着くと、中世からの巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到達する。遠くフランスからはじまる巡礼の道の目的地である。北辺をビスケー湾に沿って東ヘ進もう。大西洋からいきなり山地になる急峻な地形で、スペインには珍しく雨が多く緑が深い。そのまま進むとサン・セバスチャン、フランス国境の街にたどり着く。これでスペインのおおそとをぐるりとまわったが、内陸はまた別の風景がある。

 歴史を見ると、闘争が繰り返されてきた。古くはローマ人の占領と植民地支配からはじまる。そしてイスラム教徒の侵入とそれの押し返し。何百年にもわたるキリスト教徒とイスラム教徒とのせめぎ合い。そこにユダヤ教徒も存在する。その後、欧州に覇を唱えたかと思うと、南米はじめ新世界へ進出。さらに、著しい国内の疲弊と零落の時期。近年では、スペイン内戦があった。現在でも、言語は、カステジャーノ(スペイン人はスペイン語とは言わない)、カタラン(バルセローナ地方)、ガジェゴ(ガリシア地方)、バスコ(バスク地方)の四言語が話されており、文化的にも多様だ。

 さまざまな人がいて、困難な歴史を歩んできた国。そこに暮らす人々は、たとえ刹那的に見えようとも、その瞬間を力いっぱい生きている。愛し愛され、どなりあい、笑いあう。ちょっとわがままなところあるが、明日のことや来年のことを考えて、無駄に思い悩んだり、力を出し惜しんだりはしないように見える。日本人の私も、できればそうありたいと思っている。

 このように奥深いスペインを舞台にした情感あるミステリというと、逢坂剛の『カディスの赤い星』が一番に挙げられるだろうか。スペイン人が描く魅力的なミステリというと、Ildefonso Falconesの歴史ミステリが近年ドイツでもベストセラーになった。そこで、ひとつ売りこんでみようかと原書を買いこんだものの、日々の仕事にかまけて読まずじまい。気がつけば『海のカテドラル』という邦訳書になって書店に並んでいた。”Carpe diem”——時間は有効に使わなければいけませんね。

北川和代(きたがわ かずよ)。東京在住。ドイツ文学翻訳家。訳書にヴォルフラム・フライシュハウアー『消滅した国の刑事』、フランク・シェッツィング『深海のYrr』、『黒のトイフェル』、『砂漠のゲシュペンスト』、『沈黙への三日間』、『LIMIT』など。

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