書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 お暑うございます。私ごとで恐縮ですが、今書き下ろし作業の真っ最中です! 夏の暑い盛りになにも、とか言わずにがんばります! というわけで、今月もとっとと七福神をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

川出正樹

『刑事たちの三日間』アレックス・グレシアン/谷泰子訳

創元推理文庫

 やっぱりエンターテインメントっていいよなあ。時は一八八九年。切り裂きジャックに対する恐怖と警察への不信の念が拭いきれないロンドンで、一大ターミナル駅に置き去りにされたトランクの中から刑事の惨殺死体が発見される。下層階級の人々が野次馬となって群がる中、癖の強そうな医学博士が死体の検分に当たる幕開けに、ぐいっと世界に引き込まれ、一気に読み切ってしまった。

 ヘンリ・−メイヒューが克明に活写したロンドンの路地裏を舞台に、スコットランド・ヤードの〈最初の刑事〉たちが、同僚殺しを始めいくつもの事件を懸命に追う姿を鮮やかに描いた三日間の物語。シリーズ次回作が出たら、たとえ何を読んでいても中断して読みます。うん、これは、買いだ。

千街晶之

『消滅した国の刑事』ヴォルフラム・フライシュハウアー/北川和代訳

創元推理文庫

 前回の締め切りまでに読むのが間に合わなかった6月刊の作品だが、あまりにインパクトが強かったので敢えて今回推す。歴史の暗部が絡む事件に警察官の主人公が迫るドイツ・ミステリ……というとネレ・ノイハウスの作風を連想するけれども、正統派のノイハウスに対しこちらは型破りの極み。グロテスクな発端(Torsoという原題からして厭な想像を掻き立てる)、ダン・ブラウンめいた美術の蘊蓄の彩り、そして反則は百も承知であろう結末の強烈なサプライズ。いろいろな点で忘れ難い作品だ。

吉野仁

『ジェイコブを守るため』ウィリアム・ランデイ/東野さやか訳

ハヤカワ・ミステリ

 ラストの章を読み終えたあと、自分のあらゆる内蔵をぎゅっと締めあげられたような、なんとも言えない気持ちに襲われた。子を思う両親の姿に感情移入してしまったのだ。今年の収穫といえる傑作。今月は痛快サスペンス作を多く楽しませてもらったほか、コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』(早川書房)に心臓をぶち抜かれ魂を持っていかれた。

霜月蒼

『チャイルド・オブ・ゴッド』コーマック・マッカーシー/黒原敏行訳

早川書房

 ノワールやクライム・ノヴェルは人間をオペレートするシステムの非=人間的な部分を描く文学なわけだが、この作品はその究極かもしれない。ここには、ほとんど人間的な部分を持たない男の凶行が連ねられていて、それは当然「犯罪」なわけだが、しかしそれを描くマッカーシーの筆致は彼が荒涼と美しい曠野を描くときとまったく変わらず、そう、ここには犯罪と天災、犯罪者と自然が「人間以前」のものとして完全に等価なものとしてあるのだ。随所で描かれる、この犯罪者のやさしさとかなしみは罪業にまみれたイノセンスを浮かびあがらせる——要するにけものの姿を。曠野もけだものも芸術のモチーフになってきた。犯罪と非道も詩のモチーフとなるのだ。

酒井貞道

『チャイルド・オブ・ゴッド』コーマック・マッカーシー/黒原敏行訳

早川書房

 初期作品の紹介だが、後年の作品と比較しても全く遜色のない出来栄えだ。歪んだ精神が生み出す陰惨な連続殺人事件とその犯人を、マッカーシーは硬質なタッチで黙々と浮き彫りにしていく。犯人に同情の余地は一切ないのに、厳粛性、崇高性そして寂寥感すら感じさせるとは、一体どういうことであろうか。作品の書き方の問題なのか、それとも(そう信じたくはないが)自らを突き詰めた者の精神は、必ずこのような「有り難きもの」の風情を醸すのだろうか。忘れがたい一冊である。

北上次郎

『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン/柳沢由実子訳

東京創元社

 北欧ミステリーの真打ちが再度登場だ。この作家の美点の1は、主人公の孤独な私生活が単なる味付けに終わらず、じわじわと効いてくること。美点の2は、人物造形が群を抜いていること、美点の3は、地味な捜査が真実を暴き出す過程が鮮やかであること。このどれか一つを持つ作品なら少なくないが、3つとも兼ね備えるのは難しい。真打ちたるゆえんである。今回もたっぷりと読ませる。黙って読むべし!

杉江松恋

『ミスター・ピーナッツ』アダム・ロス/谷垣暁美訳

国書刊行会

 最初にお断りしておくが、『チャイルド・オブ・ゴッド』は必読。ノワールの「の」ぐらいは齧った、と言える程度でしかない非学な私ですら、これを読んで愕然とした。別のところにも書いたとおり、これは犯罪小説の新たなマスターピースである。読まないと損をする。

 で、本題の話だ。本書は「やたらと妻を殺したい夫」の話だと第一章で紹介される。で、次を読むとその妻が殺されていて、夫が警察から尋問されているのである。そこで過去と現在が交互に語られていく物語だということが判明する。しかしさらに読み進めると、実は夫を取り調べている刑事二人もまた、妻を殺したがったことがある&殺したと誰もが思っているが裁判で無罪判決を受けた、というコンビであることが判明するのだ(お前は次に『そんなわけがあるかッ』と言う)。というわけで、難しい文学かと思って身構えて読んだら、ドメスティック・ミステリーのプロットをパズルのように組み合わせた作品でびっくりした次第。驚いたことに謎解きもしっかりしている。なんじゃこりゃ。私好みの小説をまた発見した。

 今月に紹介した中から年間ベストも出そうな気配。またもや粒揃いの1ヶ月でした。書き下ろし中ではありますが、私も堪能させていただきました! では来月またお会いいたしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧