昼時になると、仕事場の近くに移動車輌パン店が焼きたてパンを販売しにくる。昔なつかしいメロディーの出だしを延々とループさせて流し続けるので、否が応でも耳を向けてしまい、途端に作業も中断。言い知れぬ空腹感がもたげてきて、それに敢えなく屈してしまう。でもでも、実際にはがつんと米食に走る。「炭水化物er」でもパ

ンより御飯党なのです。パン屋さんには悪いけどね。

 そのメロディーというのは、某YEBISUビールのCMでおなじみになった「タッカタッカターン、タターン」という、あれなのです。商品イメージとよほどマッチしたらしく、かつてYEBIASUビールの工場があったJR恵比寿駅のホームにもこのメロディーが使用されているほどだから、お茶の間の皆さんのみならず一般に知られている有名曲と言って間違いないだろう。

 年配の方ならもちろんのこと、ちょっとした映画ファンならば当然ご存知だろうけど、これは、キャロル・リード監督による不朽の名作とされる映画「第三の男(The Third Man)」(1946年)の、有名な、あまりに有名なテーマ曲である。ウィーンを舞台としたこの映画では、オーケストラによるサウンドトラックも録り終えていたというのに、映画の舞台となったウィーンのチターという民族楽器の奏者アントン・カラスの演奏を聴き惚れてしまった監督が、テーマ曲の作曲および演奏を依頼して、全面差し替えになったという。これまた有名なエピソードなのだとか。結果、この曲は1950年代最高のヒットを記録することとなった。オーソン・ウェルズが演じた登場人物の名をとって「ハリー・ライムのテーマ(Harry Lime Theme)」という通称でも親しまれている名曲である。

 脚本は巨匠グレアム・グリーンの書き下ろしで、このオリジナル脚本をもとにグリーン自身がノヴェライズしたのが、小説『第三の男(The Third Man)』(1950年)ということになる。

 あらためてDVDで観てみたけれど、とにかくスタイリッシュな作品だ。親友ハリー(オーソン・ウェルズ)から仕事を斡旋すると言われてオーストリアの首都ウィーンを訪れた、売れない作家ホリー(ジョゼフ・コットン)は、訪墺当日にいきなり、件の友人ハリーの葬儀に参列する羽目になる。参列者の一人は、ハリーがトラックに轢かれて即死した事故の現場にいたというが、どうもその証言も曖昧。現場には姿を消した「第三の男」が居合わせたことが、別の目撃者の証言から判明するが、その目撃者も消されてしまう。ハリーの恋人アンナ(アリダ・ヴァリ)に協力を仰ぐホリーが知ったのは、闇商人として粗悪な医薬品を売買していた親友の正体だった——。

 音楽同様に、あまりに有名なハリーの登場シーンと、哀切のラストシーン。いやあ、何度観ても素晴らしいっ!

 ……おっと、そろそろ本題に。

 なぜゆえ、この昔懐かしの「第三の男」の話題なのかというと、トマス・H・クックの最新作『ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密(The Crime of Julian Wells)』(2012年)に、ちらりとこの音楽が登場するのからなのである。

 クックといえば、『だれも知らない女(Sacrificial Ground)』(1988年)にはじまる市警殺人課警部補フランク・クレモンズのシリーズに次いで、『夏草の記憶(Breakheart Hill)』(1995年)やMWA最優秀長編賞受賞作『緋色の記憶(The Chatham School Affair)』(1996年)に代表される、いわゆる「記憶シリーズ」などを次々と発表し、小説読みの玄人筋からも人気を博している人気作家。『キャサリン・カーの終わりなき旅(The Fate of Katherine Carr)』(2009年)や『ローラ・フェイとの最後の会話(The Last Talk with Lora Faye)』(2010年)といった、このところの「人名シリーズ」では、さらに人間の奥底に秘匿された過去の罪を、さまざまな手法を用いて描き出そうとしている。そんなクックが、また新たな方向性に挑んだ野心作が、この『ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密』なのだ。

 主人公フィリップは文芸評論家。親友である作家ジュリアンが湖上で手首を切って自殺した理由を探ろうと、生前にジュリアンが発表した作品の舞台や関係者を訪ねていくという筋立てだ。ジュリアンの描く題材は、綿密な取材をもとに連続殺人鬼による凄惨な事件を独自の視点から捉えるもので、いわばノンフィクション・ノヴェル。トルーマン・カポーティの『冷血(In Cold Blood)』(1965年)あたりを想像していただけると分かりやすいかと思う。

 その一連の取材旅行のなかで、パリの取材時に通いつめた〈シャトー・ノワール〉なるバーがあって、取材協力者のフランス人ルネが、その冷戦時代からあるバーを「スパイ小説に出てきそうな店」と評しながら、「第三の男」のテーマ曲を口ずさむ。さらに、親友の死の真相を探るフィリップを指して「映画のなかでウィーンを訪れるアメリカ人と同じ役割」だとして、「第三の男」とのイメージの共通項を強調してみせるのだ。

 クックの真骨頂で、作品は思いもよらない(少々笑えてしまうかもしれない)展開を迎えるわけだけど、読者にとっては、15世紀に少年を大量虐殺したジル・ド・レ男爵や、ロシアの連続殺人鬼チカチーロといった実在の殺人狂への言及や、フィッツジェラルド作『華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)』(1925年)のヤングアダルト版を茶化した話題、フィリップの父親がジェイムズ・サーバーの短編「虹をつかむ男(”The Secret Life of Walter Mitty”)」(1939年)の主人公ウォルター・ミティに例えられて揶揄されたりとか、グリーンの『おとなしいアメリカ人(Quiet American)』(1955年)をはじめ数々の書名が登場してくるのも、くすぐられどころかもしれない。

 それらが、たんに彩りというだけではなく、よく考えてみると一種の小道具や周到な伏線だともとれるので、クックという作家は侮れない。実際に、エリック・アンブラーの『ディミトリオスの棺(The Mask of Dimitrios)』(1939年)、ジョン・バカンの『三十九階段(The Thirty-Nine Steps)』(1915年)に言及されるあたりから、この野心作がスリラー・ジャンル、つまりスパイ・謀略小説を多分に意識したものであることがうかがえる。もちろん、そのジャンルの専門家でもないクックだけに、そのあたりの自分の立ち位置も踏まえつつ、さらに一歩先を行って、スパイ小説へのある種のアンチテーゼとして本作に挑んだのだとも考えられる。たとえば、トレヴェニアンが晩年の異色作『ワイオミングの惨劇(Incident At Twenty Miles)』(1998年)で、西部劇小説への屈折したオマージュに挑んだように。

 それにしても、「第三の男」のテーマ曲を聴くたびに思い起こすものが、またもや増えてしまった。焼きたてのパンにビールという何だか妙な取り合わせでも、すでに十分だったのだけれども。

◆YouTube音源

“The Third Man Theme (Harry Lime Theme)” by Anton Karas

*「第三の男」からの名場面が観られる動画。

◆CDアルバム

『The Third Man』「第三の男」オリジナル・サウンドトラック

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー