第3回:『ガラスの鍵』——ハードボイルド探偵小説の金字塔!

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、時代を追ってミステリーの名作を読む「必読! ミステリー塾」も3回目。今回もどうぞお付き合いください。

 今回のお題はアメリカ禁酒法時代も終わりに近い1931年の作品、ダシール・ハメットの『ガラスの鍵』。僕にとってこの連載で初の既読作です。こんな話。

 賭博師のネッド・ボーモントは、市を陰で牛耳る顔役ポール・マドヴィッグの親友にして右腕。誰からも一目置かれる存在だ。折しも市は上院議員選挙を間近に控え、早くも駆け引きが始まっている。ポールは現職の後ろ盾となり、その娘との結婚を画策するが、ネッド・ボーモントは強く反対する。そしてある日、上院議員の息子が死体で発見され、犯人がポールであることを臭わせる怪文書がばら撒かれる……。

 というわけで、連載3回目にして、ついに来たよ、俺の時代が

 ジャーン! ダシール・ハメット『ガラスの鍵』! 『マルタの鷹』と並ぶハードボイルド探偵小説の金字塔。

 ハメットだよ、ハメット。大場久美子じゃないぞ、畠山ぁ、分かってんのかぁ? この連載のお陰でマストリードな傑作を読み逃さずに済んで良かったな!

 ※編集部註:大場久美子ってだれ?という方は →こちらをご覧ください。古いですねえ。

 すみません、取り乱してしまいました。

 ハードボイルド小説が「情緒表現を排した客観描写で非情な主人公の行動を描いた小説」という叙述形式を指すのであれば、『ガラスの鍵』はまさに完成形ともいえる作品です。記述者は常に主人公の脇にいて、そこで見聞きしたこと(できたこと)のみを淡々と書き記すという形式。主人公が嬉しそうに目を細めたり、何かを考えながら口髭をなでたりはするけど、本当に嬉しいのか、何を考えているのかが書かれることはありません。もちろん電話の相手の声は聞こえないし、主人公が存在しない場所で起きていることを知る術はありません。完璧な三人称一場面一視点で描かれた小説なのです。

『マルタの鷹』でこの叙述形式に辿り着いたハメットは、自身の看板シリーズであった『血の収穫』『デイン家の呪い』の「コンチネンタル・オプ」と決別し、さらに文体としての(そしてストーリーテリングの)簡潔さとシャープさに磨きをかけたのが、この『ガラスの鍵』だと言われています。

 ちなみに、ハメットに心酔して40歳を過ぎてから作家を目指したレイモンド・チャンドラーは、当初この三人称一場面一視点叙述を試みたものの、あまりに難しく面倒であったため、諦めて一人称叙述に落ち着いたと語っています。

 僕は作家になろうと思ったことはないけど、神の視点ではない三人称で物語を回していくのが大変なことは、なんとなく分かります。

 チャンドラーとはおよそ対極にあったような作家ジェームズ・M・ケインも「一人称で主人公に勝手に喋らせるのが一番ラク」と言っているし。

 しかし、そんなハードボイルド小説として完璧ともいえる本作なのですが、一番の魅力は、なんてったって「主人公ネッド・ボーモントが格好いい!」に尽きるのです。男なら誰もが「梵天丸もかくありたい」と思うようなナイスガイ。

 まず有権者の皆さんに訴えたいのは、「ハメットの神業のような叙述法や文体は置いておいて、ネッド・ボーモントをただ追っかけてれば最高の読書体験を味わえる」ということなのであります。

 そして僕は思うのです。ハードボイルドは文体だけでは完成しない。芯が通った折れない男(女)、善や悪とは関係なく、ただただ己のルール・自身のコードを貫くことでしか生きられない不器用な男(女)がいてこそ完成するのではないかと。

 ああもう、書きたいことがあり過ぎてワケわからなくなってきちゃった。

 名古屋の美人書評家O矢さん(たまに上半身スギちゃんみたいな格好で現れる)がいつも夜中にツイッターで呻いているあの苦労が少しだけわかった気がする。ここまで、気付いたら3倍くらい書いちゃって削りに削ってこれだもん。文量は作品愛に比例するのですね。

畠山:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(どうしたらいいの?アタシ)

 加藤さんのハードボイルド好きはよく承知していたので、さぞや自己陶酔たっぷりに語るんだろうなと思っていたけど、まさか「俺の時代」とまで言うとは。もはや陶酔を通り超えて泥酔「時代が俺に追いついたゼ! ヒャッハー」みたいな人いるもんね、すすきのに

 とはいえ加藤さんに大きな顔をされるのも無理はない。ハメットは長らく本棚に鎮座ましましていてさっぱり手をつけていませんでした。言い訳すると、ちょっと敷居が高かったんですよねぇ。ハードボイルドの定義も魅力もよくわかってない人間には無理じゃないか? 客観描写ってそんなにシビれるの? どこが特別なの? みたいな。

 まぁまずは読んでみないと……。

 で、前出の泥酔者が滔々と述べている「三人称一場面一視点叙述」とやらですよ。最初は戸惑いました。主人公がこんな服着てこんな椅子に座って、あーしてこーして葉巻吹かして爪噛みました。以上です。……え? なに? 何か考えてるの? それとも怒ってる? ビビってる? わかんなーい! という塩梅で(汗)。でもそれゆえにいきなり予期せぬシーンが展開されることもあって、戸惑いながらもスリリングさを味わいました

 ふと思ったのは「これって“野生の王国”のナレーションみたいなもん?」ということ。登場人物たちは超然と物語の中で生きていて、その姿を観察したままに淡々と述べている。その事実の有り様だけで読者は何かしら胸打たれるものを感じとる……そんな印象を受けました。

「ハードボイルド」というと私は勝手に「気障で不屈な男」、ややもすると滑稽になりそうな主人公をイメージしていましたが、どうやら誤解だったようです。主人公のネッドは賭博師にしては(賭博師の人に失礼?)案外生真面目だよなー。行動原理も自分の矜持というより友情を優先するような少し泥臭い感じもあるし。拷問に耐えかねて自殺を考えるシーンなんかは「情緒表現を排した客観描写」であるにも関わらず、かなり入れ込んじゃいました。

 でも、ホントは全然違うところでウケまくってました。告解します。

 ネッドとポールの妙な仲良しさんコンビが腐女子のアンテナに引っかかりまくり!! いちいち服装のチェックをしたり(「ツイードの服に絹の靴下を合わせるものじゃない」「だめか? 絹の肌触りが気に入ってるんだが」「だったらツイードのほうをあきらめろ」て、夫婦かあんたら!)、上院議員の娘との結婚をめぐってのやりとりは痴話喧嘩さながらだし、「あいつと俺がよりを戻すということは〜」なんて台詞があるかと思えば、「待てよ、ネッド」「その手を離せ」「俺の話を聞けって」「離せ」「馬鹿な真似はよせ。俺とおまえは———」なんなのよーーっ!!

 すみません、取り乱してしまいました。

 ハードボイルドの完全型、天下のハメットになんたることをとのお叱りを受けるのは覚悟の上。だってね、その典型的手法の“客観描写”のせいで想像が膨らむの。彼らの心情や二人の友情が深くなったエピソードなどは描かれないからどうとでも好きなように考えられちゃうの。あ〜まさかハメットで腐女子全開モードになるとは思わなかった。

 重ねてお詫びします。誠に申し訳ございません。

加藤:まさか『ガラスの鍵』が腐女子ネタとして語られるとは思わなかったぜ。チャンドラーの『長いお別れ/ロング・グッドバイ』は、昔から美味しく料理されてたのは知っていたけど、まさかハメットが餌食になるとは。僅かなスキも見逃さない、腐女子アンテナおそるべし。

 ところで、ぼくはこの『ガラスの鍵』を読むたびにいつも『泣いた赤鬼』を思い出すのです。思えば、子どもの頃にあの青鬼の格好良さに痺れたのが、僕のハードボイルド好きの原点だったのかも。

 その青鬼と(僕のなかで)重なるネッド・ボーモントは元々口数の少ない男だけど、さらに内面を書かないことで、内心ビビってるに違いないのに減らず口を叩くみたいな場面が輝くんだよね。安易な感情移入は許さない、書かれてないからこそ伝わる何か、みたいなものがそこにはあるというか。

 ややネタバレになるかも知れないけど、読者が「こうであって欲しい」という期待をネッド・ボーモントが決して裏切らないのも気持ちいい。

 もう一つ思い出すのが映画『ミラーズ・クロッシング』。原作としてクレジットはされていないものの、コーエン兄弟が『ガラスの鍵』をやりたかったのはもう間違いない。こちらも主人公のガブリエル・バーンがカッコいい。未見のかたは是非どうぞ。

 さて、最後になりましたが、触れないわけにはいかない『ガラスの鍵』の主人公の名前問題。

 というのも、我々世代が親しんだ大久保康雄訳や小鷹信光訳では「ネド・ボーモン」だった主人公の名前が、光文社古典新訳文庫の池田真紀子訳から「ネッド・ボーモント」になりました。

 実際の発音に近くなったのかも知れないけど、如何ともし難い違和感をどーしてくれる。

 そもそも、いつからマイケルはマイクルになり、モンゴメリーはモントゴメリーになり、ボーモンはボーモントになったのだ? ボーモントと言われたら、どうしたって西城秀樹が頭に浮かぶっちゅーねん。カレーが食いたくなるっちゅーねん。これでいいのかご同輩。(さあ皆さんご一緒に)責任者出て来—い!

 ※ネタにしてしまいましたが、池田さんの訳文は実に読み易すかったです。お勧めです。

 ※編集部註:なぜカレーが食べたくなるのかわからない方は →こちらをご覧ください。古いですねえ。

畠山:加藤さん、ボルテージ上がりっぱなしですね。あまりの熱さにリンゴとハチミツがどろどろに溶けそう・・・(このCMにピンとこない世代を置いてきぼりにしてごめんなさい)

 初心者の私は『ガラスの鍵』は一読では消化しきれない感じがしたので『マルタの鷹』『血の収穫』と時代を遡る形で読んでみました。

 コンチネンタル・オプ、サム・スペード、ネッド・ボーモントとそれぞれ強力な主役ですが、女性の登場人物も存在感大きいですね。悪女から優しい女までバラエティに富んでいて、誰もが複雑な陰影を持っています。でも簡単に共感できるタイプじゃないところが興味深い! きっと男性読者と女性読者で意見が分かれる部分じゃないかなー……。

 とっつき易さという点ではやはり古いものから順番に読むのがよさそうに思います。

 でも古い作品を読むほどに『ガラスの鍵』がいかに洗練されているかが実感されて、もう一度読み返したいなぁと思うようになったのは自分でも驚きの変化でした。

やればできるじゃん、アタシ♪ 明日から「ハメットはさぁ〜」とエラソーに語ってやる!(←長年の宿題だった本を読了して完全に調子にノッている。北海道弁で「おだつ」と表現される状態)

最後に復習。「ハードボイルドの定義」は

1.登場人物の内面や心情を描かない客観描写

2.非情な主人公が頑ななまでに自分のコードに固執する物語

3.ゆで時間15分以上

こんな感じでOK牧場?(←おだってる)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 おお、加藤さんの怪気炎、惚れ惚れしながら読みました。ハメット『ガラスの鍵』はおっしゃるとおり三人称一視点のお手本というべき作品で、逢坂剛さんはこの小説の描写を分析することで、ブレない視点の書き方を学んだそうです。ハードボイルドという小説スタイルのファンだけではなく、他のジャンルの読者・書き手にも広くお薦めしたいですね。一度は読むべき小説だと思います。ちなみに私自身のハードボイルドの定義を、「複雑かつ多様で見渡すことの難しい社会の全体を、個人の視点で可能な限り原形をとどめて切り取ろうとする小説(特にミステリー)」としています。説明し出すと長くなってしまいますので割愛しますが、「個人の視点で」という部分が大事なのかと思いますね。さて、次回はセイヤーズ『五匹の赤い鰊』(創元推理文庫)ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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