第5回:『シャム双生児の秘密』——明日この命が尽きるとしても、推理せずにはいられない

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリー読書会の落ちこぼれ世話人2人がミステリー通を目指す「必読!ミステリー塾」。今回もどうぞお付き合いください。

今回のお題はエラリイ・クイーン『シャム双生児の秘密』。こんな話。

自動車旅行中のクイーン親子はカナダからの帰途、アメリカの北部で山火事に巻き込まれてしまう。火を逃れながら辿り着いた山の上には一軒の家が。奇妙な客人たちが集うその家に一夜の宿を求めた親子だったが、翌朝、家主のザヴィヤー博士が死体となって発見される。そして彼の右手には破れたトランプのスペードの6が握られていた。

さて、まずは周辺情報の整理といきましょう。エラリイ・クイーンはフレデリック・ダネイとマンフレッド・リーの合同筆名。『Xの悲劇』から始まるドルリー・レーン物と、『ローマ帽子の謎』から始まる国名シリーズが有名なわけですが、本書はその国名シリーズの第7作目で、発表年は1933年だそうです。サンキューWikipedia。

また、シャム双生児とは、体の一部が結合して生まれてくる一卵性双生児のこと。19世紀中頃にタイ出身のチャン&エン・ブンカー兄弟が「The Siamese Twins」という名前で欧米をサーカスの見世物として回ったのがその名の由来なんですって。日本ではベトちゃんドクちゃんがよく知られていますね。肢体や臓器が共有されていることが多く、この作品の発表当時は分離手術による成功例はまだなかったようです。

実は僕、クイーンは初読ではなく、レーン4部作を30年くらい前に読んでおりました。30年前といえば、ちょうど東京ディズニーランドが開業し、ホーガンのアックスボンバーが猪木を誤爆し、尾崎豊は盗んだバイクで走りだし、川島なお美が確かな画力で「お笑いマンガ道場」のレギュラーをつかみ取ったあの頃。同じ歳の畠山さんに気を遣って正確な年齢は伏せますが、多感でバカ〜ンな高校生でした。

そんなこんなでクイーンは30年ぶり、そして国名シリーズは初めて読んだわけですが、まず驚いたのは、このシリーズって主人公が世界中を旅しているわけではないのですね。ずっとそう思い込んでおりました。また、探偵の名前がエラリイ・クイーンだってことも知らなかった。クイズグランプリでいえば「ミステリーの10」くらいの常識なのかもしれないけど、いやはやお恥ずかしい。でもまた一歩、ミステリー通に近づいたぞ。

で、『シャム双生児の秘密』です。タイトルでもあるシャム双生児の秘密はバレバレながら結構ひっぱり、トランプの謎は解けたと思ったらそうでもなかったり、そうこうするうちに第二の犠牲者が出てしまい、エラリイの推理は二転三転四転五転、と読者を飽きさせることなく展開するのですが、常にヘンな違和感というか非現実感が付きまとう不思議な話。

でも、その理由はハッキリしているのです。この話は、周囲を山火事に囲まれ逃げ道が無い状況のなかで進行しているのです。確実に刻々と死が迫っているのです。クイーン親子は「犯人はこのなかにいます! 誰もこの部屋から出てはいけません」とか言ってる場合ではないのです。逃げる方法を考えるべきなのです。ハッキリ言って犯人にとってばかりでなく、そこにいる全員にとって大迷惑な親子なのです。

この危機的状況から、彼らはどうやって生き延びることができたのか。キラ〜クイ〜ン〜がんば〜れ田淵〜♪ それは読んでのお楽しみ〜。

畠山:しばらく考えてから「エラリイ・クイーンとキラー・クイーンをかけたのか」と気づきました。判りにくい・・・『シャム双生児の秘密』で被害者が手にしていたスペードの6並みに判りにくい。お願いですから加藤さんの身に何か起こった時は絶対「粋なダイイング・メッセージでも」などとは考えないで下さい。どうしても何か残したいなら素直に犯人の名前を書くように

さて、エラリイ・クイーンです。本格推理小説の大家・・・ですね? そもそも“本格”の定義を正しく理解していないのが辛いところ。大雑把に<謎解き・トリック・名探偵>の三要素と認識しているのですが、ベクトルは正しいでしょうか?

クイーン作品は悲劇4部作と他に数冊読んでいます。でも国名シリーズは初めて。

私も加藤さんと同種の調査をしたところ、アガサ・クリスティの『シタフォードの秘密』が2年前の1931年に発表されてるんですね。これは吹雪の山荘を舞台にしたもの。いわゆるクローズド・サークルです。もしかしてエラリイ・クイーンはこの向こうを張って「じゃ、俺らは山火事の山荘にしね?」みたいな軽いノリだったんじゃないかと邪推してしまいました。

加藤さんのご指摘にあるように、私も登場人物たちがあまりにも山火事をナメてるのでジリジリしちゃってしょうがない。脳内ではアン・ルイスの「女はそれを我慢できない」古くてごめんなさい)がBGMで鳴りっぱなしでした。ちなみにこんな歌詞↓

♪早く逃げろよ 早く逃げろよ/このままいると火傷をするよ/後ろを振り向くな〜♪ 

途中で何度か麓の警察と電話連絡を取っているのに、救助を強く求める様子もなく、物資の節約や確保をしようともしない。灰が降ってきているのを見ながら「風向きが変わったんだ。(中略)それだけですよ」(それヤバイから!)「火事は急に消えやせん。朝食にしたらどうですか?」(食べてる場合か!)と浮世離れに現実逃避が重なってどんどん状況が悪くなっていく。

はっきり言って殺人とか、おかしなカードの細工とかをしてる場合じゃないのです(カードの一件は謎解き重視の読者ならかなり楽しめる部分ですよ。念のため)。暴論をお許しいただけるなら、「食糧が足りないので一人殺しました」というほうが納得できるくらい。

彼らが屋敷の周辺を(遅まきながら)確認して歩く時に「何か見つけたらヨーデルで呼びましょう」というのがあって、猛然たる火事の中で「よ〜ろれいひ〜」とやってるシュールな光景を想像して噴いちゃったのはオマケの話。

そしてタイトルのシャム双生児。(「結合双生児」と記すべきかもしれませんが、作品のタイトルなのでこのまま使わせていただきます)

最後まで読むと特にシャム双生児である必要はないように思えます。怪奇趣味だけのためにこの設定にしたのかなぁ・・・。作品の書かれた時代を考慮するとやむを得ないのですが、クイーン警視が暗闇で認めた彼らの姿を表現した台詞は現代感覚をもってするとさすがにキツイ。

とはいえ、私は「外科医の屋敷にいるシャム双生児」と聞いただけで江戸川乱歩の『孤島の鬼』のような世界を想像したものですから、それよりずっとあっさりしていました(苦笑)

ちなみに『孤島の鬼』は1929年から約1年間連載したものなので、本作より3〜4年先んじていたんですね。キーワード(横)で繋がる本を年代順(縦)に並べてみると面白さが増します。

クイーン親子の絶妙な掛け合い漫才(?)はとても面白く、テンポよく読ませてくれます。お父さんも息子も推理外しまくりで、ほとんどコメディといってもいいくらい。

お父さんは終盤でポイント稼ぎました。結婚指輪を何者かに奪われた時、「旧式のドーナツみたいな十ドルくらいの平凡な金の指輪で、質屋に持っていってもメキシコ貨幣で一ドルぐらいにしかならないしろもの」と憎まれ口を叩く息子に「あれはお前のお母さんの形見だぞ。千ドルくれたって人手に渡せるものじゃない」とキッパリ。なんて素敵・・・やっぱ「男は黙って愛妻家」でなくちゃ♪

加藤:本作は本当にロジカルな部分と非ロジカルな部分がパラレルに進行する不思議な話でした。ミステリー(謎解き)部分があくまでロジカルなのに対し、作品世界というか舞台設定は非ロジカルそのもの。畠山さんが指摘してる通り、なぜシャム双生児なのかもわからない。そもそもシャム双生児という存在を掘り下げるだけでも話はいくらでも膨らませると思うんだけど、その気はなさそう。それは、「勝負するのはソコじゃない」というミステリー作家クイーンの矜持だったのかも知れないし、どんな状況でも犯人探しが最優先するクイーン親子は、作者の考える探偵のあるべき姿だったのかも知れません。そこに感じ入るか、いやいや違うだろと思うか、読者は2種類に分かれる気がします。残念ながら僕は後者だったわけですが。

また、もう一つ気になったのが、山や木や火など、自然に関する描写がとにかくいい加減というか、ヤル気ナッシングであるということ。「ソコで勝負するつもりはない」以前に、どんな山なのか、家の周りはどうなっているのか、どんな木が生えているのかが全然わからない。

何より、この状況は物語をスリリングに盛り上げる道具に使えるんじゃないかと思うんだけど、わざとそうしなかったとしか思えない。ここまでくると、「ミステリーバカ一代」的な清々しさを感じないわけにはいきません。

そこで思い出すのが、ダシール・ハメット(大場久美子に非ず)が公衆の面前でクイーンの二人に「あなたがたの探偵のセックスライフはどうなっているのか」と聞いたという有名な話。ハードボイルド派の頭目が既存のミステリーにおける人物造型のリアリティの無さを揶揄した台詞として広まっているようですが、これはむしろ、ある種のバランスを欠きながらも、ミステリーに純粋に特化したクイーンの作風への畏敬の念の現れだったのではないでしょうか。彼らは仲が良かったみたいですし。

最後にどうでもいい話をもう一つ。アメリカのような広大な森林を抱える国は、少し前まで「山火事は自然鎮火に任せるべし」が基本だったんですってね。落雷などによる火災は自然サイクルの一つ、という考え方で、実際、一定の周期で山火事が起きることによって維持されている生態系も存在するらしい。そう考えると山火事に囲まれながらも泰然としていたクイーン親子の姿勢はそれはそれで理屈に合ってるのかも。

ところで畠山さん、「キラー・クイーン、がんばれ田淵」の初出は「空耳アワー」じゃなくて、「鶴光のオールナイトニッポン」だって知ってた? 知らなかったでしょ。いいこと教えてあげたお礼として、感じを出しながら「相本久美子」って言ってみて。

畠山でおま!←&↑わからない人はスル—しましょ♪確かに、死の恐怖を心から閉め出そうと立ち込める煙の中で推理をし続ける探偵エラリイの姿には「そこまでやるんだ・・・」と脱帽しました。勝負はココ(笑)

最後の謎解きの緊迫感とラスト1行のカタルシスはまるで“ひょうきん懺悔室”を見るようでしたよ。あ、いやその(汗)誉めてます! 誉めてるんです! 未読の方はぜひ、懺悔室を思い浮かべながら読んでみ…(墓穴掘りまくりにて以下自粛)

エラリイ・クイーンと言えば『災厄の町』を原作にした邦画『配達されない三通の手紙』が非常に印象深いです。栗原小巻、小川真由美、神崎愛、竹下景子といった豪華女優陣。なかでも悪女役の松坂慶子がたまんなくいい雰囲気を出していました。しかも原作にはないトリックが使われたんですよ!!「○○○を○○る時ってドキドキするよねー」が映画を見た人だけに通じるネタでした。他には『Yの悲劇』もドラマ化されましたね。

紛らわしいのは『Wの悲劇』!一体今まで何人の友人知人に 「それはエラリイ・クイーンの小説ではない」と訂正してきたことか!(笑)でも映画は面白かったですねぇ。私と同年代の方(高校受験5教科500点満点最後の世代)はほとんど「顔ぶたないで! アタシ女優なんだからっ!」のモノマネしましたでしょ? (※予告編は→こちら

話は変わりますが、およそ2か月前の2014年4月19日。翻訳ミステリー大賞授賞式が行われた鳳明館森川別館の大広間で、現在エラリイ・クイーンの新訳を手掛ける越前敏弥氏は私にこう断言しました。

加藤さんはハム・ソーセージ(=シャム双生児)ってダジャレを言うよ、絶対! 間違いない!

・・・言わなかったですね。ミステリー小説の翻訳家は名探偵ならず。敗れたり、越前敏弥。私も絶対言うと思っていたからすごく意外です。むむぅ、手強いなぁ加藤篁。てか「(感じ出して)相本久美子」とかやめなさい、品がないから。連載史上初の18禁コーナーになったらどーすんの!? (※編集部による無粋な注:「感じ出して相本久美子」がどうしてもわからない方はここを反転させてみてくださいね→あ〜い〜もっとくみこ

おっとっと、余計な話で大事なお知らせを忘れちゃいけません。

『シャム双生児の秘密』は現在電子版しか販売されていないのですが(しかも1978年のものなのでけっこう古い)、越前さんの手による新訳が9月に発売予定です。訳文はもちろん、お馴染みの萌え系の表紙も楽しみです(笑)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

『シャム双生児の秘密』を巡る考察は、北村薫『ニッポン硬貨の謎』(創元推理文庫)所収の評論がわくわくするほど知的好奇心を掻き立てられる内容なので、ぜひ読んでください。この作品は小説なのに、評論部分の素晴らしさから本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受賞したという異色作です。あと、もう一つ日本の作家の話なのですが、お二人が書いておられる「シャム双生児である必然性があまりない」問題に某作品でさりげなく応えたのが綾辻行人ではないか、というのが私の持論であります。

 ご存じのとおりクイーンは〈国名シリーズ〉と呼ばれる初期作品群において「フェアプレイに徹しながら犯人当ての興味を追求する」「証拠を取り扱う手つきを巧緻にすることで謎解きの興趣を高める」というミステリーの重大な要素を突き詰めていきました。ほぼ完成形といっていいと思います。1936年の『中途の家』(創元推理文庫)あたりから新たな方向性を模索し始め、第二次世界大戦中の1942年に『災厄の町』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でライツヴィルという架空の町を舞台にした連作を始め、「アメリカを描いた小説」を自身でも手がけようとします。さらに重要な作品は1948年の『十日間の不思議』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、これ以降のクイーンは自身のユダヤ系という出自に回帰したか、旧約聖書的な神学論議と神話的な悲劇の構造をプロットの中に積極的に盛り込むようになっていきます。いわゆる「後期クイーン問題」とは探偵が謎を制御しうるという牧歌的なミステリー観に疑義を呈した画期的な議論であり、クイーンはこの問題を潜在的に意識していたがゆえに1949年の『九尾の猫』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などの作品で悩める探偵を作中に描くようになります。それとは別に「ミステリーという枠の中では謎の形式に制約はない」と言わんばかりに1964年の『第八の日』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などの異色作も生み出していきます。前期クイーンは「挑戦」、後期クイーンは「実験」の時期といえるでしょう。

 さて、クイーン作品の中から本書を選んだ理由です。『シャム双生児の秘密』は時期としては前期に属しますが、「挑戦」のみならず後期の「実験」作風の萌芽が見え、そのグラデーションが楽しい作品です。また、分量もそれほど大部ではなく、初めてクイーンを読む方には最適のテキストと考えてこの作品をお薦めした次第です。そうか、今は品切れなのですね。でもおもしろいのでぜひ読んでもらいたいと思います。

 次回はジョルジュ・シムノン『倫敦から来た男』ですね。これも絶対におもしろいですのでご期待ください。映画版もありますので、もしお時間があればぜひ。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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