じつは星一徹、『巨人の星』全篇を通して一度しか卓袱台を引っくり返していない、という話を聴いたことがある。いくら腹が立つ世の中だとはいっても人間そうそう爆発しないものだ。ところが、その限度の判断が難しい青い世代は、ときおり恐ろしい悲劇を引き起こしてしまうことがある。

 1999年、アメリカのコロラド州にあるジェファーソン郡立コロンバイン・ハイスクールで起きた銃乱射事件。「トレンチコート・マフィア」を名乗る同校の生徒2名が、生徒12名および教員1名を散弾銃やカービン銃で射殺し20数名の負傷者を出したあげくに、自殺した。いじめ問題が要因となっていたようだが、事件後に犯行の経緯が詳密に記録され伝えられたことも衝撃で、きわめて陰惨で狂気にみちた虐殺事件として記憶に焼きつけられていることだろう。

 この事件の発生後に注目されることとなったのが、映画「バスケットボール・ダイアリーズ(The Basketball Diaries)」(1995年)だ。レオナルド・ディカプリオ演ずるミッションスクールの不良生徒がドラッグに溺れて堕ちていく、自己再生の物語でもある青春映画で、ディカプリオの熱演もさることながら、ドラッグ中毒や少年売春といった赤裸々な暗黒面が取り沙汰され、発表当時も物議をかもした作品だった。

 作中で、主人公がトレンチコート姿で登校して校内で乱射する夢を見る場面があったことから、事件発生に影響を与えたのではないかと、ふたたび注目を集めてしまったわけである。

 できれば忘れてしまいたいような物騒な話題から書き始めてしまったが、ここで今回の主役というべき人物の話題になる。その「バスケットボール・ダイアリーズ」の原作『マンハッタン少年日記(The Basketball Diaries)』(1978年)を書いた、というか、その内容をまさに実人生として体験したのが、詩人でありミュージシャンでもあるジム・キャロル(1949−2009年)である。

 アイルランド系の労働者階級の家に生まれたニューヨークのスラム街育ち。13歳から16歳までの日々を綴ったこの回顧録はベストセラーを記録し、その続篇となる21歳から23歳までの記録『ダウンタウン青春日記(Forced Entries: The DowntownDiaries 1971-1973)』も1987年に発表される。日本ではほかに詩集『夢うつつ ドラッグ・ポエトリー(The Book Of Nods)』(1986年)が紹介されている。

 ダイアリー(日記)つながりというわけでもないのだけれど、じつは日記が題材となった海外ミステリーで近頃読んだものに、このジム・キャロルの詩が印象的に使われている作品があったのだ。40作以上もの著作を発表しているドイツのベテラン女性作家イザベル・アベディのヤング・アダルト作品『日記は囁く(Whisper)』(2005年)が、それである。

 ヒロインとなるのは、人気女優のカートを母に持ち写真家を目指している16歳の多感な少女ノア。気紛れな母親と彼女のゲイの友人ギルベルトとともに、バカンスのあいだ、ヴェスターヴァルト地方の村にある築500年もの旧家を借りて住みつくことになる。その村で出会ったのが青年ダーヴィト。屋敷の修繕を手伝うことになった彼に、ノアは初対面のときから心をときめかせてしまう。

 ある日、家族で戯れに試してみた降霊術によって、30年前にその屋敷に住んでいたという少女エリーツァの霊を呼び出すことになる。彼女のことが気になったノアとデーヴィトは、この「幽霊遊び」を繰り返した結果、エリーツァが屋敷の屋根裏で殺されたのだと聴かされる。真相を知ろうと考えた2人は村の住民たちから過去に事件があったのか聞きだそうとするが、誰もが何も知らないふりをしているようだった。はたして実際に殺人事件は起きたのだろうか。ノアとデーヴィトの愛が深まり、封印された過去の事件の謎が解かれていくにつれ、村に秘められた複雑な人間関係も露わになっていく。そして、エリーツァの遺した日記が発見され、トレンチコート・マフィアではないが、若いゆえに想像もつかないような残酷な悲劇が過去に引き起こされたことが判明するのである。

 霊の導くままに過去の悲惨な事件の真相を探ることになるという、ミステリーとしてはきわめてアンフェアな作品ではあるが、その部分にちょいと目をつぶってあげると、じつは巧みに構成された佳篇であることがわかるし、青春恋愛小説として成長小説としても楽しめる作品だ。クライマックスもきわめてミステリー的で、少々口うるさいミステリー読者でも納得してくれるのではないだろうか。

 で、ノアが愛することになる青年デーヴィトが好んで聴いているのがジム・キャロル・バンドのナンバーなのである。これが暗喩的にうまく使われてもいる。愛を盲目的に信じたりできないデーヴィトは「Love Crime」を愛聴しているし、「I Want The Angel」は事件のキーウーマンとなる霊エリーツァにもかぶるし、デーヴィトがノアを求める気持ちを指してもいるようだ。

 さらに、作中でデーヴィトの敵役でもある不良青年デニスが、最後にはとある意外な役割を果たすことになるのだけれど、じつはジム・キャロルの本名はジェイムズ・デニス・キャロルという。かつての不良にミドルネームを拝借して不良役としてカメオ出演させたのでは? というのは穿った考え方だろうか。

 そしてそして作者のアベディ女史、キャロルへのこだわりだけでなく、音楽の使い方が、じつはなかなかに達者である。

 物語中盤で、何年もの時を経て見つかったライカのカメラに残されたフィルムをノアが現像するシーン。残ったフィルムを使い切ろうとしてデーヴィトが新たにノアを撮影したところ、じつはフィルムが巻かれておらず、残されていたエリーツァの姿とノアの姿とが二重露出で浮かび上がってきたところで、バーブラ・ストライザンドがアルバム『クラシカル・バーブラ』(1976年)で歌っている、アイヒェンドルフの詩に

シューマンが曲をつけた「月夜(Mondacht)」がBGMとして再生される(アベディはアルバム最後のナンバーと記しているが、実際には8曲目くらいだったかと。作者の勘違いかドイツ盤CDの編集が違うのかもしれない)。その詩の世界とバーブラの繊細かつ力強くもある歌声が、とにかくマッチしている。

 また、物語後半の村祭りのハイライトで、カートがとある男性とチークタイムのダンスを披露する後半部では、夭逝した息子への想いをエリック・クラプトンが歌った大ヒット曲「ティアーズ・イン・ヘブン(Tears In Heaven)」が使われている。直後の悲劇的シーンを予感させて、これまた効果的なのである。

 話を戻すけれど、ミュージシャンとしてはバリバリのパンク・ロッカーだったジム・キャロル。そもそもはパンクの女王パティ・スミスの力添えでデビューしたことになる。詩人として活躍しながらアンディ・ウォホールの仕事を手伝ったりした後のことである。パティとロバート・メープルソープのカップルと一緒に住んでいたこともあるという。

 そんなジム・キャロルの生前のライヴ・パフォーマンスを観られる映画が、ジェイムズ・スペイダー主演で若かりし頃のロバート・ダウニーJr.も出演していた青春アクション映画「ハイスクール・ファイター(Tuff Turf)」(1985年)だ。主人公の友人たちのバンドが演奏するライヴの場面があって、「People Who Died」「Voices」「It’s Too Late」といった自身のバンドのナンバーを、ダウニーJR.のドラムスなどをバックにジムが歌う。

 ジムの交友範囲は広くて、コラボレーションをしたアーティストも、ルー・リード、ドアーズ、ブルー・オイスター・カルト、パール・ジャムといった錚々たる連中。そんなカリスマ性をまとった存在なのだから当然なのだが、まったくもって意外なラインにまでその交友は広がっていた。じつは、不朽の名作バラード「二人だけ(We’re All Alone)」で知られるAORの代表格ボズ・スキャッグスとも、その晩年にコラボを実現させているのだ。

 そう、アルバム『アザー・ロード(Other Roads)』(1988年)収録の1曲目「What’s Number One?」など3曲の作詞をボズとともに手がけているのである。ちなみに作曲は天才ベース奏者マーカス・ミラーで、なんともクールかつジャジーなナンバーであります。サウンドのみならず奥深い詩の世界をぜひとも聴いてみてほしいなあ。 

◆youTube音源

“Low Rider” by Jim Carroll

“Love Crimes” by Jim Carroll

“I Want The Angel” by Jim Carroll

“What’s Number One?” by Boz Scaggs

“Mondnacht” by Barbra Streisand

“Tears In Heaven” by Eric Clapton

◆CDアルバム

『Catholic Boy』Jim Carroll Band

*「People Who Died」、「It’s Too Late」、「I Want The Angel」収録のファースト・アルバム。

『I Write Your Name』Jim Carroll Band

*「Love Crimes」、「Voices」、「Low Rider」収録のアルバム4作目。

『A World Without Gravity: The Best Of The Jim Carroll Band』Jim Carroll Band

*ベスト盤。

『Other Roads』Boz Scaggs

*「What’s Number One?」収録。

『Classical Barbra』Barbra Streisand

*バーブラ・ストライザンドがクラシックの名歌曲に挑んだアルバム。「Mondnacht」収録。

『Rush: Music From The Motion Picture Soundtrack』

*「Tears In Heaven」のオリジナル版収録。

◆DVD

「バスケットボール・ダイアリーズ(The Basketball Diaries)」

「ハイスクール・ファイター(Tuff Turf)」

*残念ながら日本版DVDは廃盤中?

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー