短編集『密猟者たち(Poachers: stories)』(1999年)の表題作でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀短編賞を受賞した作家トム・フランクリンは、その後も、ミシシッピ州の片田舎を舞台に白人と黒人の“元”親友2人組を主人公に据えた3作目の長編『ねじれた文字、ねじれた路(Crooked Letter, Crooked Letter)』(2010年)で英国推理作家協会(CWA)最優秀長編賞を受賞。ミステリー界でも現在もっとも注目されている作家の1人と言っていいだろう。

 自身がアラバマ州生まれのフランクリンは、アメリカ南部の小さな町を舞台に、酷薄なほどの自然の脅威、地域社会特有の複雑な人間関係、人種問題といった要素を詳らかに描き出し、みごとな人間ドラマを紡ぎ出す。そんな彼の作品世界を彩るのに、アフリカ系アメリカ人労働者たちの暮らしから湧き上がるブルースほど適任の音楽はない。

 詩人でもある夫人ベス・アン・フェンリイと共作した最新長編『たとえ傾いた世界でも(The Tilted World)』(2013年)では、1926年から1927年にかけてミシシッピ川流域を襲った大雨と洪水の深刻な被害を背景に、驚くほど滋味にあふれたドラマを創り上げているのだが、ここではとくにブルースが、作品のもうひとつの主役とも言えるほどの存在感を放っている。

 物語はきわめてシンプルで、登場人物もけっして多くない。主人公は、それぞれに孤独を心に飼っている男女。しかも、男は密造酒取締官、女は密造酒の作り手。決して交わることが許されない2人が、みなし子となった赤ん坊のおかげで出会うことになるという設定なのである。

 密造酒作りの現場を調べに向かったまま姿を消した取締官2人の行方も含め、密造の現場を調査しに向かうインガソルと相棒のハムは、途上で遭遇した銃撃戦の現場で奇跡的にただ一人生き残った赤ん坊を発見する。インガソルは赤ん坊を見殺しにできず、相棒の反対を押し切って引き取り手を探そうとする。そうして行き着いたのが、密造人の夫との間にもうけた赤子を病気で亡くした過去を持つディキシー・クレイ。やがてインガソルは、何人をも受け入れないながらも赤ん坊だけは手離したがらない彼女が、じつは密造酒づくりを生業としていると知ってしまい、懊悩することになる。

 洪水のために次々と堤防が決壊していき、水浸しの家々に縛り付けられる住民たちの抱える閉塞感。人々の鬱屈した心の叫びがブルースの旋律を借りて露にされていくことになる。王道のミステリー作品とはけっして呼べないけれども、背景のしっかりとした人間ドラマであり恋愛小説でもあるといった深みのある作品だと思う。

 乳幼児の頃に養子にもらわれる機会を逸したため、孤児院に一人残された過去を持つインガソルは、白人の子でありながら心にブルースを孕んで成長していく。卓越したブルース・ギターの演奏センスを身につけながら。それでも、彼が恋した黒人女性のブルース歌手には「あんたにゃブルーズがない」と言われ、拒絶されてしまう。

 作中のところどころで印象的な現れ方をするブルース。とりわけ心にひっかかったのが、駅舎近くでギターを奏でる黒人の歌を耳にして、インガソルが恋したブルース歌手のいた楽団を思い起こすシーン。自分だったらもっと巧く弾けると思いながら、黒人の路上ギタリストがかき鳴らしているアルバータ・ハンター作の「ダウンハーテッド・ブルース(Downhearted Blues)」の音に耳を傾けるところだ。

「部屋のなかを歩いて、手を揉み絞って、泣いてる……」

 この歌の作者でメンフィス生まれのブルース歌手アルバータ・ハンターは、1920年代のブルース草創期に活躍したが、1954年に母親が逝去したのをきっかけに引退を決意。看護学校に通い看護師となって歌手活動から完璧に遠ざかった。ところが、ある音楽プロデューサーの熱心な説得が実を結び、なんと82歳を迎えた1977年にカムバックを果たしたという、きわめて異例のアーティストなのである。

 デヴィッド・リンチ監督がTVシリーズ「ツイン・ピークス」に引っ張り出したことから、やはり本格的に音楽業界に復帰することとなったジャズ歌手、ジミー・スコットの例を想起させるが、ジミーの場合には生まれつきの難病を抱えているうえにレコード会社とのトラブルから業界からほされる不遇を託ったということもあり、厳密にはアルバータの場合とはまったく異なる事情だったわけなのだけど。

 ソングライターとしても優れていたアルバータが自作し1922年に録音したブルースの古典「ダウンハーテッド・ブルース(Downhearted Blues)」は、世界一の“ブルースの女帝”ベッシー・スミスによってカヴァーされ、彼女のデビュー曲として大ヒットすることになる。

 はじめて主人公の男女二人が出会うシーンでは、このベッシーの十八番「男ひでりのあたし(I Ain’t Got Nobody)」と「ダウンハーテッド・ブルース」を、インガソルが赤ん坊に歌って聴かせてやっている。そして物語の後半、二人が赤ん坊の行方を追う小舟の上でのこと。バーベキュー・ボブの「ブラインド・ピッグ・ブルース(Blind Pig Blues)」を鼻歌でうたっていたインガソルが、この歌は知っておいたほうがいい、とディキシー・クレイに語る場面もあった。

 ほかにも、インガソルの楽器演奏にからんで印象的な場面がある。ドクター・ペッパーの瓶を割って首の部分をボトルネック用に使っているといった、具体的な描写である。とりわけ印象的なのは、冤罪から留置場に入れられた彼が、箒を手繰り寄せて針金部分を外し鉄格子と寝台の脚とに結びつけ、即席のディドリー・ボウ(一本弦ギター)をこしらえるところ。一本きりの弦をかき鳴らして大声でブルースを歌い上げ、釈放を要求する場面だ。このディドリー・ボウというのは実際に使われる楽器で、作品の巻末には、この楽器の描写についてのサジェスチョンを与えてくれたとして、ワン・ストリング(一本弦)・ウィリーというアーティストにも謝辞が贈られている。

 かようにブルースに全編彩られた『たとえ傾いた世界でも』には、じつは前身となる短編小説が存在する。「彼の手が求めしもの(”What His Hands Had Been Waiting For)」がそれで、ハーラン・コーベンの編纂による『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2012(The Best American Mystery Stories 2011)』に選出されて収録された。そこでは、インガソルと相棒が赤ん坊を見つけて、途中で立ち寄った町の屋敷で見知らぬ少女に赤ん坊を託し、といったあたりまでのエピソード。ブルースはどうかというと、最後のシーンにブルース歌手メンフィス・ミニーの名前がちらりと出てくる。

 ちなみに前述のアルバータ・ハンターは、本格的復帰後、ロバート・アルトマン製作、アラン・ルドルフ監督による映画「Remember My Name」(1978年)のサウンドトラック盤を手がけ、「ダウンハーテッド・ブルース」を新たなバージョンでレコーディングしている。

◆youTube音源

“Downhearted Blues” & “I Got Rhythm” by Alberta Hunter

*アルバータ・ハンター活動再開後の1982年11月、ベルリンでのライヴ

“Downhearted Blues” by Bessie Smith

*ベッシー・スミスのデビュー時、1923年の録音。

“The First Time Ever I Saw Your Face” by Jimmy Scott

*過去の当連載でご紹介したロバータ・フラックの初期作品をカヴァー。遺伝的にホルモンが欠乏する難病により身長が低く声もボーイ・ソプラノのままだったので、リトル・ジミー・スコットの愛称で呼ばれ、「天使の歌声」と評されたジミー・スコットが、独特のスローテンポで熱唱しています。

“Dark Is The Night Cold Is The Ground” & “Troubles Of The World” by One-String Willie (David Williams)

*ワン・ストリング(一本弦)・ウィリー、2008年のアラバマでのライヴ演奏より。

“Blind Pig Blues” by Barbecue Bob

*1920年代の演奏によるバーベキュー・ボブ「ブラインド・ピッグ・ブルース」。

◆CDアルバム

『Remember My Name』Alberta Hunter

*復帰後の1978年に発表した、ロバート・アルトマン製作、アラン・ルドルフ監督による映画のサントラ盤。「Downhearted Blues」の新録音も収録。

『Chicago: The Living Legends』Alberta Hunter

*完全復帰以前の病院勤務時代に懇願され録音した作品。

『All The Way』Jimmy Scott

*復帰後に発表され大ヒットした1992年のアルバム。

『Barbecue Bob vol.1 (1927-1928)』 by Barbecue Bob

◆DVD

“Alberta Hunter: My Castle’s Rockin (1998)

*アルバータ・ハンターの音楽活動を追ったドキュメンタリー

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー