課外授業:『ゴーストマン 時限紙幣』読書会レポート前篇——熱海の海は凪いだ

みなさん今日は。ご好評いただいている「必読!ミステリー塾」。今回は課外授業篇として、さきごろ札幌・熱海・横浜でそれぞれ開催された『ゴーストマン 時限紙幣』読書会の模様を、2回に分けてお伝えします。それではお楽しみください。

※このレポートはフィクションではありません(編集部)

1  サッポロフスク 10月4日14:30

 秋晴れの日差しが心地よい午後、私はソクラテスのカフェのドアの前に立った。

 翻訳ミステリー読書会は今や全国15か所で行われている一大イベントだ。課題本を読了した者たちが集ってそれぞれの意見を交わすというシンプルな形態で愛書家の輪を広げている。ここサッポロフスクはその中でも最北端に位置し、熱いディスカッション・美味い食事・男は黙ってサッポロビールで毎回盛り上がっている。

 読書会の会場には三つの種類がある。一つはレンタル会議室/研修室だ。議論をするのにこれほど適した場所はない。難点は予約が争奪戦であること。二つ目はカフェ。お茶とお菓子を楽しみながらゆったりと話す雰囲気は実に趣があってよい。少人数の読書会にはもってこいだ。三つ目はそれ以外のパターン。私の知る限りでも「港でピクニック」とか「中京競馬場」とか「寿司屋の二階」など様々なバリエーションがある。

 今日の会場は地元有名書店が経営するカフェで、古本の販売もしているいわゆるブックカフェの走りだ。しかも定休日にワンドリンクオーダーの条件で貸切にしてくれるという親切設計。万歳くすみ書房。

 私は読書会の世話役を専門とするゴーストマンだ。海外ミステリ小説愛好者を増産させるべく活動をしている。常であれば特に難しい仕事ではない。数が数えられて、飲食店へ予約の電話がかけられれば誰でもできる。常であれば。

 数か月前のある日メールが届いた。私個人に直接メールを送るのは難しい。面倒な仔細は省くがとにかく難しいのだ。あれこれ聞くな。

 私はメールを開いた。即座に誰からのものかわかった。

「出版社対抗ビブリオバトルを勝ち抜いた『ゴーストマン』を課題本にして読書会を盛り上げろ。サッポロフスクは全国展開の皮きりだ」

 なんと。翻訳ミステリー大賞シンジケート自身がジャグマーカー(立案者)になるというのか。

『ゴーストマン時限紙幣』。そう、私の仲間で武装強盗を専門とするゴーストマンを描いた作品だ。著者のロジャー・ホッブズは弱冠25歳。処女作にして“英米のミステリ賞を総なめ”にした期待の新鋭。翻訳の田口俊樹氏はハードボイルドと競馬と若い女が大好きな押しも押されもせぬ大物翻訳家だ。どれほど出版社に力が入っているかは想像に難くない。担当編集者のネクタイがオレンジの光線を燦然と放っていたのも頷ける。

 かくして私の仕事は決まった。『ゴーストマン』サイコーだぜ、イエェーイ! と気炎を吐く。これを読まなきゃソン! と思わせる。貴方をアタシ色に染め上げる。

「カフェなう」

 私はひと言ツィートし、携帯電話を投げ捨てた。

 深呼吸をひとつしてソクラテスのカフェのドアを開けた。チリンとベルの音。

「いらっしゃいませ。今日はよろしくお願いします」

 カフェの店員はカウンターの中から愛想よく声をかけてきた。小柄でさっぱりと短い髪、眼鏡の奥で黒い瞳がキラリと光った。

2  アタミシティー 10月25日13:15

 東名高速道路を沼津インターチェンジで降り、山あいの伊豆縦貫道と県道11号線を東に15マイルほど走ると突然視界が開け、太平洋が見えた。熱海だ。曲がりくねった下り坂がブレーキパッドを焦がす。

 目的地が近づくにつれ、まるでトラップのように入り込んだ道になる。今回の仕事にホイールマンは不要だと思っていたが、少々甘かったのかも知れない。それでも何度か行きつ戻りつしながら目的地に着いた。10月終わりの午後1時過ぎ。週末にもかかわらず、観光客は多くない。

 荷物を降ろしながら空を見上げた。雲が海風に掃かれるように流れてゆく。私は束の間、今回の仕事の発端となった今年4月の翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションのことを思い出していた。そこで行われた出版社対抗ビブリオバトルの冒頭、MCの越前氏はこう言った。

「ビブリオバトルのチャンプ本は全国読書会の課題本に優先的に選ばれるかも知れません」

 なんとね。反論の余地ない曖昧さ。30秒前に思い付いたに違いない場当たり感。それでもソコハカとなく感じるプレッシャー。流石だ。

 それから半年後に熱海で合同合宿が行われることが決まった。ミッションのコードネームは「あたポン」。開催地として熱海が選ばれたのは、主催する千葉、横浜、名古屋の3つの読書会の中間地点であったからだ。この日本を代表する温泉地は昭和の新婚旅行のメッカであり、また、文豪・尾崎紅葉の『金色夜叉』の名シーンの舞台としても知られている。

 合同合宿と銘打ったものの、世話人も参加者も「翻訳ミステリーを肴にドンチャン騒ぎ」が趣旨であり、唯一の目的であるのは明らかであったが、実は真面目な企画も用意されていた。

 3つの部屋で同時に行われた読書会もその一つ。課題本のセレクトはそれぞれの部屋主に委ねられ、参加者はそのうち好きな部屋を選べるシステムだ。

 名古屋のフィクサー大矢から「一つの部屋を仕切れ」と指令が来たとき、私は即座に決断した。あのチャンプ本の登場だ。

『ゴーストマン 時限紙幣』ロジャー・ホッブズ著。

 全国から翻訳ミステリー猛者たちが集まる合宿こそチャンプ本にふさわしい舞台だ。さらに翻訳者である田口俊樹氏と担当編集者の永嶋俊一郎氏の参加も決まった。仕込みは完璧だ。

 しかし、私はそのとき、直後に訪れることになる札幌の惨劇を知る由もなかった。

3  サッポロフスク 10月4日15:00

 アンジェラ。

 あまりに人の良さそうなこの女性が、数年前にクアラルンプールの銀行員を手玉にとった武装強盗の一派だと誰が思うだろう。私はアンジェラの数人いる弟子の1人だ。早速チェックがはいった。

「仕込みは?」

「手配した。参加者の質問に対する翻訳者田口氏の回答を人数分コピーしてある。48時間経っても炸裂することはない。それとボタンマン(兵隊)が二人」

「嫌な予感がする。私なら断る」

 読書会の仕切りは難しい。先の展開がまったく読めないのだ。参加者はそれぞれの感性で褒め、貶し、怒り、笑う。そして些末なことにこだわり、キャラをdisり、挙句の果てに違う本の話をおっぱじめる。読書会は千差万別、十人十色、人生いろいろ咲き乱れるのだ。お千代さん、フォーエバー。

 今日の参加者は14名。私は素早く参加者達とその席順を確かめた。二人のボタンマンがすでに着席していた。

 ボタンマンは読書会の参加者として紛れ込み、さり気に会話をリードする。今日はもちろんゴーストマン礼賛だ。司会を務める私が自然な流れでボタンマンの発言を促すようにしなくてはならない。今回ジャグマーカーが用意したボタンマンはニキとFuku。彼らは優秀だ。

 コーヒーを運んできたアンジェラがかすかな目配せで開始時刻の到来を告げた。

 スピード感があって読みやすい、冷静な語りとドラマチックな内容のギャップがいいという意見にFukuが拍車をかける。

「自分のルールに妥協しない姿ってかっこいいと思います。現在と過去の切り替わりも最初は戸惑ったんですが、だんだん見事に編みこまれていく感じがして巧いなぁと」

 これでいい。ツカミはオッケー、OK牧場だ。この雰囲気に引きずられて次々と“良さ”を語りやすくなっていく。私の板書する手も軽くなる。さぁ、順次語ってくれ。さぁさぁさぁ。

この主人公ってきっと作者が理想とする男性像なんだと思います。でも私はカッコイイとは思えない。なによりこの暮しに共感できない。ハードボイルドでもない。私にとってハードボイルドっていうのは木枯紋次郎なんです!」

 私はテーブルの下で携帯電話をへし折った。

4  アタミシティー 10月25日17:00

 ホテルの5階、通称「ゴーストマン部屋」。

 3つの読書会のうち、参加者が最も多かった我々には広い会議室が与えられた。机をロの字に組み、19脚の椅子を用意する。札幌の惨劇を生き延びたニキとFukuがいるのは心強い。シンジケートのサイトで5つ星レビューを書いたhinaもいる。この面子で失敗は許されない。

 しかし私は念には念を入れ、誰にも内緒でボックスマンを仕込んでおいた。板書係のあっきーだ。奴の仕事は話の流れがマズい方向に傾きかけたとき、それを修正すること。そしてその繊細な指さばきで最後の最後に虚空から美しい結論を取り出して見せるのだ。

 札幌と熱海には背景からして大きな違いがある。なんと言っても熱海は課題本が選べるシステムだ。この部屋には、冒険小説やノワール、ハードボイルド、ドカーンチュドーンダダダダドピュー系の話が好きな人間が集まっている。間違いが起きることはないだろう。むしろ好意的な意見しか出ず議論が盛り上がらない場合の手を考えておくべきか。

 そうこうするうち定刻となり翻訳者の田口氏と担当編集者の永嶋氏が席に着いた。読書会の始まりだ。

 最初は穏やかだった。田口氏と永嶋氏が熱心にメモを取っている姿勢に圧倒されたのかも知れない。誰もが言葉を選んでいるようですらある。

「映像的だし、スピード感も素晴らしく、何より読み易い」

「プロローグの視点が不思議で、なにこれ? と思わせておいて、最後にすっと入ってくるのが堪らない」

「格好いいクールなプロフェッショナルの話かと思っていたけど、いい意味で裏切られました」

「文章が格好いい。余計なものがないのもいい」

 まずい、心配した通りだ。誰もが絶賛して90分が終わってしまうのか。

 しかし、その心配は杞憂に終わる。

「前評判が凄すぎたので、期待しすぎてややガッカリ」

「正直いって再読したくなるタイプの本ではないかなと」

「同じ田口さんなら出たばかりのブロックのケラー物の方が好み。ゴーストマンはなんていうか深みに欠けると思う」

 熱海の海は突然凪いだ。そして銃撃戦が予告なく始まる。

5  サッポロフスク 10月4日15:30

 なんとなんと。股旅ものと較べられるとは。それこそゴーストマンには関わりのないことではござんせんか。

「自分に酔ってますよね」「アタシも好きじゃない」「何も要らないように言っておきながらゴージャスな生活してるってどういうこと?」

待て。一度視点をゴーストマンから外さねば。

「ウルフって・・・」よし、このまま続けてくれ。私はニッコリ笑って先を促した。

「ウルフってラスボスのわりに弱いですよね」

 私は携帯電話を踏みつけた。

「ナツメグとかスプレー缶とかスゴイことやったクセに大したことなかったよね」

「ナツメグすげー!」「ナツメグすげー!」「ナツメグすげー!」

 ナツメグ大合唱。ゴーストマンを語る上でナツメグは避けて通れない話題だ。しかし彼らは避けては通るどころか思い切り脱線を始めた。

「ホントにナツメグってあんなんなるの?」「アタシ、間違ってラーメンにナツメグかけちゃったけど何でもなかったよ」「じゃウソ?」「いっぱい食べたらなるんじゃないの?」「豆類ってさ、たくさん食べるとダメなんだよ」「醤油とか飲み過ぎたら危ないんだよ」

 け、携帯電話を投げつけたい・・・。なぜ小説の本筋から離れた途端にそんなに楽しそうになるんだ。

 ここは一発、もう一人のボタンマン、ニキの出番だ。

主人公と師匠の無個性さ、地味を貫く、消えることができるという設定が好きですね。女性や弱者の描き方で嫌なところがないっていうのもいい。全体的にマイナス要素が少ない小説だと思います」

 軌道修正完了。これで全員の記憶から紋次郎も豆がどうのこうのも消えたはずだ。多分。わかんないけど。ディスカッションは続く。

「過去と現在の交錯が細かすぎる。ブツギリ感があって読みづらいというか。わざわざサンドイッチみたいにしてるけど逆効果。それぞれのエピソードをもっとしっかり書いた方がいいと思う」

「はっきり言ってゴーストマン全然好きじゃないんだけど、でもサンドイッチは助かりますよ。歳取ると集中力がなくなってきちゃうんで、視点が細かく変わってくれた方が楽。高齢者に優しいって感じ?w」

 まさかのバリアフリー認定。

「青少年向け漫画っぽい。それにこんなのすぐバレちゃうんじゃないの? っていうところもあるし。ん〜〜まぁ、ちゃちゃっと読むにはいいかな!?」

 ちゃちゃっと・・・

「においだけは変わらないって話で、自分(=ゴーストマン)の匂いは黒こしょうとコリアンダーだって言ってましたよね。コリアンダーって・・・」

「コリアンダーって?」「パクチー?」「パクチー!」「臭っ! ゴーストマン臭っ!」「パクチーってカメムシの匂いってホント?」「臭っ! ゴーストマン、カメムシ臭っ!」

 携帯電話を口に突っ込んで叫びたい。

 私の目が泳いだのを見て取ったニキが助け船を出す。

「外国ではコリアンダーの匂いとかってわりと普通に受け入れられてると思いますよ。逆に日本で独特の香りの表現なんかはあちらで翻訳する時に頭を悩ませるのかなぁなんて」

「日本独特?」「なに?」「昆布だしとか?」「“私の匂いは昆布だしだ”って?」「出汁臭いゴーストマンってwww」

 全員の腹筋が崩壊せんばかりになっていた。そして私の計画も崩壊しそうだった。なんかもう消えたい(涙)

6  アタミシティー 10月25日17:20

 いきなり始まった銃撃戦。どこから弾が飛んでくるのか見当がつかず、身を固くする。

「このマレーシア(クアラルンプール)のオチはなんなの」

「どんな凄いことをしでかしたのかってさんざん引っ張ってコレ?」

「そもそもゴーストマンって何するひと?」

「格好つけてるけど、やってることは地味だよね」

 しかし、そこでニキが決死の反撃にでる。

「そこがいいんじゃん。そんなちょっとのことで台無しになっちゃうってのが。ゴーストマンのナンデモ屋という情けなさや段取りに苦労するところもいい。地道バンザイ」

 いいぞ、まさに起死回生のターンオーバーだ。

「とにかく早く続きが読みたくなるよね」

 Fukuのアシストも的確だ。札幌の惨劇を繰り返すわけにはいかない。

 さらに、横浜のなっちゃんが援護射撃に加わる。

文章のキレが良くて恰好いい。とくに章の最初と最後。でもよく考えると、舞台がラスベガスじゃなくてアトランティックシティだったり、やってる犯罪も銀行強盗って、なんかダサいよねwww」

 アンタは敵なのか味方なのか。

 さらに同じ横浜のSpenthが煙幕を張って話題を誘導する。

「ゴーストマンもグレイマン(マーク・グリーニー)も他人になりきれるとか、周囲に溶け込んで印象に残らないと言ってるけど、現代のテクノロジーを舐めてるよね。人は整形しても黒目の位置と鼻の長さと耳の位置は変えられないらしいよ。顔認証で一発」

「でも、どれだけ顔認識ソフトの精度を上げてもカメラのスぺックを確保してもらわないとなんにもならないんだよね」

「そういえば、あの公共施設の電波時計には電波が届いていないって知ってた?」

「ダメじゃん」

「器(建物)の問題でちゃんとしたカメラを入れられないとか、空調がダメでハイスペックなサーバーをおけないとか実際よくある」

 意外なくらい多かったシステム業界人たちが業界のウラ話で盛り上げる。そのうち名刺を交換しだすのでないかと心配になった頃、話は収束に向かった。

「うーん、意外と現代のテクノロジーも穴だらけってことだね」

「なんだかんだで、犯罪をするときは防犯カメラにスプレーぷしゅーが一番確実」

 よくわからないが結論が出たようだ。息も絶え絶えながら、とりあえずの危機は脱したかに思われたそのとき、Spenthは思わぬ二の矢を放った。

「ところで、FBIの女性捜査官レベッカって絶対〇〇ですよね!」

 なんだと?

 ——さあどうなるゴーストマン。明日の後編を刮目して待て!

■後篇は→こちら

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N