——「アル中探偵」の肩書にモノ申す!
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
畠山:「巣ごもり消費」とやらで通販やインドアで楽しめるものが売れているようですが、本の売れ行きはどうなんでしょうね? この機会に読書を楽しむ人が増えてくれるといいなぁ。本は「籠って読む」だけが楽しみ方ではなく、一緒に語り合ったり、所縁の場所を訪ねたり、なんなら富士山に登って読んだりしても楽しいんだよと伝えたい。読書沼の住人たちよ、たくさんの人を引っ張り込むべく、好きな作家や作品は推して推して推しまくろう!
杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今回取り上げるのは御大ローレンス・ブロック。これぞたくさんの人に自信をもってお勧めしたいビッグネームです。お題はNYの探偵マット・スカダーシリーズの9作目『倒錯の舞踏』。1991年の作品です。
あるボクシング会場で、スカダーは暴漢に妻を殺害されたケーブルテレビのプロデューサーを客席から眺めていた。事件に不審をおぼえた妻の兄に調査を依頼されたのだ。
ふと目を転じた時、息子とおぼしき少年を連れた男に気がついた。どこかで見たことがあるが思い出せない。少年の髪や額を撫でるその手……そうだ! あのビデオだ!
保険金目当ての妻殺しと、少年が犠牲になる猟奇殺人の真相を、同時に追うスカダー。シリーズ中でも人気の高い「倒錯三部作」の中の一作。
作者のローレンス・ブロックはNY出身。1960年代から執筆をはじめ、1964年発表の長編小説『緑のハートを持つ女』で高い評価を受けました。その後は、マット・スカダー・シリーズをはじめ、泥棒バーニイ・シリーズ、快盗タナー・シリーズ、殺し屋ケラー・シリーズと人気シリーズを連発。
『八百万の死にざま』、『死者との誓い』でシェイマス賞最優秀長篇賞、『倒錯の舞踏』でエドガー賞長編賞を受賞しており、MWA賞巨匠賞、PWA 生涯功労賞も授与されています。後進の指導にも熱心で、『ローレンス・ブロックのベストセラー作家入門』という本も出ています。この本、書き方指南だけではなく、ローレンス・ブロックの小説をより楽しめる内容になっているそうで、ちょっと読んでみたいですね。
スカダーシリーズを読むのは久しぶりです。札幌では数年前に訳者の田口俊樹さん、書評家の北上次郎さんが(競馬観戦のついでに)読書会にお越し下さいまして、その時の課題書がシリーズ第5作の『八百万の死にざま』でした。でも、あまりにビッグなお客様にド緊張していたので、あんまり読書会の内容を覚えていません……。
マット・スカダーには、現職警官だった時に不運な出来事が起こり、その心の痛手を紛らすために酒に溺れていくという経緯があります。「スカダー=アル中」という強いイメージを持っていたので、初めてシリーズ第1作の『過去からの弔鐘』を読んだ時は、そんなにお酒を飲んでないことにむしろビックリ。シリーズが進むごとに酒量も少しずつ増えていき、かなりヤバイ感じが極まった『八百万の死にざま』で大転換を迎え、その後はきっぱりをお酒を断ちます。なので、この『倒錯の舞踏』でも一滴も飲んでない。情報収集のためにバーに足を運んだりしますが、特に未練も誘惑もないようで、コーヒーやソーダで満足しています。よかったよかった。
でもって、私は自分自身が下戸なせいなのか、この“飲まない”マット・スカダーのほうが好きだったりします。スカダーの魅力については、こちら ↓でも紹介しておりますので、ぜひご一読ください。
このシリーズは、なんといってもぐっと抑えた雰囲気が好きですねぇ。登場人物たちのほとんどが、犯罪と隣り合わせの酷薄さを持ちながらも、人間味があり、教養のあるなしに関わらず、それぞれの立場で深く鋭くものごとを捉えている。自分の運命に対して、達観に近いような覚悟をもっているように感じます。
そんな大都市NYの片隅で淡々と生き抜く人々と繋がりながら、スカダーは調査を進めていきます。NYの探偵ってこんな地味なの? というくらい歩き回って、根気よく人の話を聞きます。時には事件とまるで関係ない話でも、そうかそうかと聞いては思索する。繊細な人なんですね、マット・スカダーは。そうやってひたすら歩いて、最後にパッと閃くタイプの探偵です。一見無関係に思われる出来事や人物が、後半になってバタバタッとつながり、カチカチッとピースがはまっていく気持ちの良さは、最高。
そうそう、加藤さんは、スカダーの恋人で娼婦のエレインを、「理想の女」って言ってなかったっけ? 美人で、頭がよくて、娼婦だけれど荒んだ感じがなく、むしろ規律正しくて清潔感があって、しかもすごくスカダーを頼ってくれて、当然ながらアッチでも満足させてくれるなんて——それは、あなた、「都合よすぎね?」って私は思ってるけどw
加藤:今回、小中学校が休校になったときに図書館も閉館した自治体が結構あったけど、あれは残念でしたね。「こういう時こそ本を読もう」と言って欲しかった。
巷ではオリンピックをどうするのかという話題で持ち切りですが、ここにきてステークホルダーの皆さまの「おもてなしとかアスリートファーストとか言ってる場合ではない」「どれだけの金が動いてると思ってんだ」って本音がダダ洩れなのが、可笑しいというか不憫というか。スカダーとミック・バルーなら、この話題で世相を皮肉りながら朝まで飲んで、肉屋のミサに行く流れかな。
そんなわけで、ついにマット・スカダーの登場ですよ。ローレンス・ブロックです。田口俊樹です。いやあ、ついにこの日がきましたか。大御所をまとめて敬称略、以下同じ。
先にハッキリさせておきたいのですが、エレインがハードボイルド史上最高の女性であることに議論の余地は1マイクロメートルもないわけですが、僕も大人ですので、それを人に押しつけようとは思いません。田口さんにはいつも、「俺はジャン・キーン(スカダーの元カノ)の方がいい女だと思うけど」と言われますが。
さーて、『倒錯の舞踏』です。
いわゆるネオ・ハードボイルドの流れのなかで誕生した「アル中探偵」マット・スカダーですが、名作『八百万の死にざま』で最初のピークを迎えたのち、大きく方向転換をすることになるのですね。これ以上飲んだら死ぬというところまで追いつめられたスカダーは、意外なことにピタッと酒をやめ、模範的な断酒生活者に生まれ変わります。
「精神的外傷を抱えたアル中探偵」が「飲まなきゃやってられない汚い世界と対峙する」という、「いかにも70年代の私立探偵小説」な設定を捨て、現代に通用するサスペンス・ミステリーにアップデートしたとでも申しましょうか。
そして、その再起動を力強く印象付けたのが所謂「倒錯3部作」と呼ばれる作品群でした。
今回取り上げる『倒錯の舞踏』はその「倒錯3部作」の2作目。今読んでも古さを感じさせないのは、驚くばかりです。もちろん風俗や世の中の話題は当時のものだけど。そして忘れられないあの結末。初めて読んだ時も驚いたっけなあ。シリーズ9作目ではあるけれど、ここから入っても全然OKなのではないかと思います。
さて、畠山さんはこのラストはどう思った? そうそう、『八百万の死にざま』をずっと「やおよろずのしにざま」だと思ってた人の話はもうしたっけ?
畠山:嗚呼、それを小耳にはさんで以来うっかり「やお……」といいかける人が増えたという調査結果が出ておりますの(>札幌読書会比)。
「八百万」というのは神様ではなく、NYの当時の人口です。あ、でも「NY市民全員殺戮」みたいなお話じゃないですよ。
確かにラストは衝撃的だよね。ドシンとくる重さ。
法で裁くことのできない悪に対して、元警官の無免許探偵(つまり普通の人)がどう向き合い、決着をつけるのか。なにしろ犯罪のエグさがハンパない。こんな気持ちの悪いやつらを野放しにするなんてダメ! 絶対! な案件なのです。スカダーの決断を読者はどう受け止めるか。正義ってなんだろう? どうあるべきなんだろう? これは読書会をしたらとてもいいテーマになるでしょうね。他の人がどう思うか、すっっごく聞いてみたい。
そしてここに関係してくるのが宗教観です。スカダーはアル中時代、手にしたお金の一割を教会の献金箱に入れていました。本書ではホームレスに分け与えています。それは所得税の代わりでもあり、なんらかの贖罪でもあるのだろうかと想像していますが、どうなのかな。
加藤さんが触れていた「肉屋のミサ」も興味深いもののひとつです。これはスカダーの親友でプロの犯罪者ミック・バルー(肉屋だった父の形見の血に汚れたエプロンがお気に入り)が、よく行く早朝のミサのことを「肉屋のミサ」と呼んでいるのです。ここでスカダーとミックが交わす言葉は、一見すると何気ないものなのですが、言わずとも感じ取れる「何か」が底辺に流れています。でも私は宗教観をきちんと理解していないので、その「何か」を言語化できるほど掬い取れません。うう、情けなや。でもこの雰囲気を感じ取れただけでもよい読書体験でした。
シリーズ未読の方に、私は敢えて「できれば『倒錯の舞踏』の前に『八百万の死にざま』を読んでください」と申し上げたい。もちろん本書から読み始めてもまったく問題ありませんが、苦しんで苦しんで苦しみ抜いたマット・スカダーを見届けてから、ちょっと糊しろを蓄えて余裕のでたマット・スカダーに逢ってほしいのです。
そうそう、『八百万~』できわだった存在感を発揮していたチャンスというキャラが、『倒錯の舞踏』にも登場します。「あ!チャンスだ!」というトキメキを感じていただくためにも、おススメ。
さてと、加藤さん。貴方の大好きなローレンス・ブロック、マット・スカダー、田口俊樹。語りつくしてくれ。巣ごもり期間にみんなに手に取ってもらおうじゃないの(全国の図書館が早く再開しますように。てか、復刊して!)。
加藤:今年1月に出たローレンス・オズボーン『ただの眠りを』は、主人公が72歳になったフィリップ・マーロウというので話題になりましたが、マット・スカダーは2011年に書かれた最新作(最終作?)『償いの報酬』では74歳。この両者の決定的な違い、72歳のマーロウの拭えない違和感の理由は、「その年齢に至る年月が想像できるか否か」に尽きるのではないかと思ったりします。
思えば、不健康かつ思いつめるタイプのスカダーが長生きしたこと自体が意外といえば意外。その時代時代の罪と罰を見つめ、折り合いをつけてきたスカダーとニューヨークという街の物語は、俯瞰してみればスカダー・サーガと呼びたいくらいの貫禄です。
その大きな流れのなかで『倒錯の舞踏』のトピックは、本作がTJの初登場作であるということと、スカダーとミック・バルーとの距離が決定的に縮まること。既読の方はこれを聞くと、また読みたくなったでしょ?
それにしても、ローレンス・ブロックってどうして、こんなに読んでいて気持ちがいいんしょうね。『倒錯の舞踏』は決して浮かれるような楽しい話ではなく、いつものように人が惨たらしく殺される話なのに。
その理由として思ったのが、会話を多用するブロックの文体です。ストーリーに直接関係ない無駄話やただの世間話も少なくないんだけど、このリズムと緩急のつけ方が、素晴らしく心地良く感じるのではないか。
また、一人称の語り手であるスカダーがとても「いいやつ」だということも関係している気がします。頑固で根暗な男ではあるけど、驚くほど何に対しても偏見やこだわりがなくてフェアであることは間違いありません。あんたは天使かって思っちゃうくらい。地の文章が精神的に健全というか嫌味がないのも、読んでいて気持ちいい理由の一つなのではないかと。
しかし、それより何より大きな理由は、やはり、ブロックの語り口と田口さんの翻訳の相性が、もうこれ以上ないくらいイイってことではないかと思うのです。ローデンバーの、ケラーの、そしてスカダーの穏やかな佇まいと田口さんの抑制の利いた翻訳が、素晴らしく合っているというか。ジョンとポールが知り合ったことが音楽史における奇跡であるように、田口さんがブロックを訳したこともまた奇跡なのではないか。僕は本気でそう思うのです。
こんな幸せな作家とキャラクターと翻訳者の関係を、まだ未体験の方はぜひ一度味わってみて欲しいです。個人的にはスカダー・シリーズが本命だけど、まずは短編集かケラーの『殺し屋』あたりから入るのもいいかも。ちょっとコミカルで、ドリフ的様式美と謎解きを堪能できるローデンバー・シリーズもお勧めです。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
ローレンス・ブロックが来日した際、いちばん驚いたのは「〈倒錯三部作〉、なにそれ」と言われてしまったことです。これは補足が必要だと思うのですが、マット・スカダー・シリーズ中『墓場への切符』『倒錯の舞踏』『獣たちの墓』の三作を指して〈倒錯三部作〉とする呼称があったのでした。
スカダー・サーガは『暗闇にひと突き』『八百万の死にざま』というアルコール依存症を通じて探偵が自身の内奥と対話する二作によって独自の様式を確立します。小鷹信光氏は1960年代以降の私立探偵小説を〈ネオ・ハードボイルド〉と命名しました。カメラアイに徹するのではなく、探偵のキャラクターが物語と骨絡みで関連しており、時に主人公の内面を掘り起こすことが事件以上に重要になります。その切り口として、ハンディキャップを背負った探偵の小説が多数紹介されたこともあり、スカダーも一時期はアルコール依存症の探偵と見做されていたものです。しかしシリーズを概観してみると、それは主人公をステロタイプの探偵像から解放するための通過儀礼であったように感じられます。むしろ、そうした外形的な特徴を必要としなくなった、アルコール依存症期以降の作品にこそスカダー・シリーズの本領が発揮されているというべきでしょう。
前置きが長くなりました。〈倒錯三部作〉は、そうしたスカダーのキャラクターが確立された、シリーズの絶頂期に発表された作品です。スカダーには初期からもう一つの特徴がありました。自身の規範によって人間の罪を裁く探偵という性質です。依頼を受けるたびに手近の教会に行って十分の一税を収めるといった儀式もその一環で、彼は世界と直接契約を結んだ探偵なのでした。いくつかの作品で、スカダーは法によって犯人を裁くことをせず、自身の判断で処罰を下しています。自らが守れる範囲で正義を貫くというその姿勢は、時に危うさすら感じさせます。なぜならばそれは暴力に対して暴力を行使する、自警団ヒーローへの接近を意味するからです。1980年代の私立探偵を主人公とする犯罪小説では、自警団的な正義をどのように正当化するか、もしくは否定するか、が重要な問題となっていました。その中で最も重要な作品が、このスカダー・シリーズだったのです。
〈倒錯三部作〉とあえて呼びますが、この中ではスカダーが法で裁くのが難しいだけではなく、彼よりもはるかに強大な力を持つ悪と対峙しなければならなくなります。正義を行使するだけの力がないスカダーに、存在意義はあるのか。そうした問いかけを作品の中でしているようにも見えました。探偵による暴力の問題を考える上で、当時非常に画期的な作品だったのです。
とまあ、そうした思い入れをもって作者に会ったわけですが、冒頭の反応が返ってきたのでした。「違うよ、あの三作をトリロジーとして書いたつもりはまったくないよ」というそっけないお答え。書き手と読み手の温度差を感じましたが、そういうものでしょう。ただし、『倒錯の舞踏』を含めた三作に、私立探偵小説史上最も重要な問題提起を含まれているという考えは、ブロックの答えを聞いたあとも変わっていません。犯罪小説を読む人はいつかは必ず手に取るべき名作です。
ブロックにはまた、ウィリアム・アイリッシュ、エヴァン・ハンター、ドナルド・E・ウェストレイクといった人々と並ぶニューヨーカーの犯罪小説作家という顔もあります。世界一の都市を舞台とする作風は洒脱そのものです。その洗練された筆致もぜひ味わっていただきたいと思います。長篇だけじゃなくて、短篇もいいんですよ。
さて、次回はジョン・モーティマー『告発者』ですね。これまた楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N |
【倒錯三部作】