酒飲み仲間でもある、某(午後の紅茶のひとときが似合う)女性作家Eさんがとあるクリスマス・ソングを大好きだというので、そればかりを入れたiPodシャッフルを誕生日祝いに贈ったことがある。同じ曲をいろいろなシンガーが歌っているカヴァー・ヴァージョンを230曲も、である。つまりは、自分でもこの曲が大好きで、CDを集めまくっていたというわけ。
ヒュー・マーティンとラルフ・ブレイン作による「ささやかなクリスマスを祝おう(Have Yourself A Merry Little Christmas)」。ヴィンセント・ミネリ監督による映画「若草の頃(Meet Me in St. Louis)」(1944年)の劇中でジュディ・ガーランドが歌い、その後、多くのシンガーに取り上げられて、いまやクリスマス定番となった名曲である。
映画は、1904年に開催されたセントルイス万国博覧会を間近に控えたアメリカの中流家庭の1年間を描いたミュージカルで、万博開催当時の楽曲が使われていたが、そのうち、この曲と「隣の男の子(The Boy Next Door)」「トロリー・ソング(The Trolley Song」」の3曲だけが、新たにこの映画のためにマーティン&ブレインが書き下ろした楽曲ということになる。しかも、3曲すべてがいまやスタンダード中のスタンダード・ナンバーとして歌い継がれている。なかでも「ささやかな〜」は、そのメロディの美しさも楽曲の構成もパーフェクトといって過言ではないので、たんにクリスマス・ソングとしてでなく聴かれるべき不朽の名曲だとぼくは思う。
Eさんのために集めたヴァージョンの顔ぶれは、フランク・シナトラ、アンディ・ウィリアムズ、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ベネット、ジャクソン5、レイ・チャールズ、バーブラ・ストライザンド、ライオネル・リッチー、ルーサー・ヴァンドロス、プリテンダーズ、コールドプレイ、ジョイス、テイク6、ホイットニー・ヒューストン、ヴァネッサ・ウィリアムズ、アル・ジャロウ、ボブ・ディラン、ロッド・スチュアート、マイケル・ブーブレ……と、書き上げていくとキリがない。これまでずっと、錚々たるアーティストたちに愛唱されてきたのだなあ。
そんなこともあってEさんは、クリスマス時期にかぎらず、1年をとおしてこの曲を部屋の中で流してくれているという。それが真夏のときもある。Me, tooだ。思えば、ビーチボーイズのおなじみの曲なんかは、夏冬どちらでも不思議としっくりとくるナンバーばかりだったりしませんか?
時期はずれのクリスマス・ソングもなかなかにいいもの。いやしかし、それが、とてつもなく恐ろしい惨劇の前兆として現れるとなると、話はちがってくる。たとえば初夏の明るい日差しの下、誰もいじっていないカーラジオから、突然クリスマス・ソングが大音量で流れてきたとしたら……。
モダンホラー/ファンタジー界の新鋭ジョー・ヒルの第4作『NOS4A2—ノスフェラトゥ—(NOS4A2)』(2013年)は、子を想う母親と現代版吸血鬼との死闘を描いたダークファンタジー大作であり、ホラー小説の姿を借りた、親と子、家族の絆についての物語もである。
御存じの読者も多いと思うけれど、じつはこの作家、モダンホラー界の巨匠スティーヴン・キングの実の息子である。そして、ヒルがはじめて真っ向から父キングの創造の世界に挑んだ作品が、本作なのではないか。そんな印象をうける作風に仕上がっている。
ヒロインのヴィクは、幼い頃から、自分の頭の中から現れる古い屋根つきの橋を渡ることによって、はるか遠方の地や異世界へたどり着ける能力を持っている少女。〈近道橋〉と名付けたその橋を渡るには、父に買ってもらったラレー製の自転車で疾走する必要があった。いわば自転車は橋をわたる特別の道具なのである。
17歳へと成長したヴィクが母と喧嘩して自転車で家出をすると、行き着いた先は〈橇の家〉という屋敷。そこにはガスマスク・マンという手下をしたがえ、愛車ロールスロイス・レイスに乗って子供たちを連れ去る児童誘拐犯、チャーリー・マンクスが待ち受けていた。子供たちは彼の頭の中にある内界〈クリスマスランド〉へ連れ去られ、永遠にクリスマスの世界に囚われて、生ける屍のような存在に変えられてしまうのだ。
屋敷を燃やして命からがら逃れたヴィクは、バイク乗りの青年ルーと出会い、彼を将来の伴侶と定める。ヴィクの闖入によって逮捕され長く入院していたマンクスは、その後、死亡。ヴィクとルーは男の子を授かり、ウェインと名づける。
一方、死んだはずのマンクスの遺体を何者かが病院から盗み出し、マンクスは蘇生する。さらに多くの子供たちをクリスマスランドへ連れ去るため、そしてヴィクへの復讐のため、ウェインをも攫おうとしていた。
かくして、存在しないはずの常冬【とこふゆ】の内界で、吸血鬼のごとく不死の児童誘拐魔と息子を奪われた母親との壮絶な死闘が繰り広げられる——。
とまあ、わかりにくい稚拙なあらすじ紹介で恐縮です。というのも、ストーリーの流れに必要な、細かなルールやら小道具やら人物の役割やらがあって、なんとも簡単には説明しづらいのだ。実際に物語の世界に足を踏み込んだら、まさに近道橋のように結末へ向かって加速していくこと間違いなしなので、とにかく手に取って読んでいただきたい。
デビュー当初のヒルは親の七光り作家と思われたくなかったようで、キングとの関係は明らかにされていなかった。ところが、デビュー作となる短篇集『20世紀の幽霊たち(20th Century Ghosts)』(2005年)が、いきなりブラム・ストーカー賞、英国幻想文学大賞、国際ホラー作家協会賞という三冠に輝いた(これ、まぢで傑作ですっ!)。続く長篇第1作『ハートシェイプト・ボックス(Heart-Shaped Box)』(2007年)、『ホーンズ 角(Horns)』(2010年)と、どれもが高い評価を受け、いまや何はばかることなくキングの息子といえる存在になった。
そうして肩の力が抜けたのだろうか。本作には、多分にキング的な要素が散見する。マンクスと一心同体のロールスロイス・レイスは、『クリスティーン(Christine)』(1983年)を想起させるし、クリスマスランドや眠りの家は、ある種、『シャイニング(The Shining)』(1977年)のホテルを、クリスマスランドで生ける屍と化した子供たちは『ペット・セマタリー(Pet Sematary)』(1983年)を思い起こさせなくもない。
ちょっとしたサイドストーリーも疎かにしないあたりもまた、親譲りと思ってしまうところである。それと、たくみな音楽の扱い方だ。
(*以下、ネタバレに近い言及もありますので、ご注意を!)
サイドストーリーのなかでも出色なのが、競売で手に入れた、かつてはマンクスが所有していたロールス・ロイス・レイスを、娘に運転させるためにオーバーホールする父親ネイサンにまつわるエピソードだろう(とりわけ音楽好きにとって最重要シーンの一つである)。
すべての整備を終えてレイスの試運転をしようとした彼は、そのままレイス自身に(!)車内に閉じ込められて連れ去られてしまう。その間、カーラジオから突然、「ジングルベル・ロック(Jingle Bell Rock)」が大音量で聴こえてきたのを皮切りに、「クリスマスの十二日間(Twelve Days Of Christmas)」、「恋人たちのクリスマス(All I Want For Christmas Is You)」、「シルヴァー・ベルズ(Silver Bells)」、「もろびとこぞりて(Joy To The World)」、「天なる神にはみ栄えあれ(I Came Upon A Midnight Clear)」、「サンタ・ベイビー(Santa Baby)」——と、間断なくクリスマス・ソングが流れ続ける。5月だというのに。
やがて、ペリー・コモの「クリスマスらしくなってきた(There Is No Christmas Like A Home Christmas)」が流れるにいたって、この理不尽な状況に立ち向かうため、ネイサンはボブ・シーガーのヒット曲「忘れじのロックンロール(Old Time Rock & Roll)」をがなりたて、カーラジオを黙らせる。もはや自分は逃れられないかもしれないと悟りながら、冷静にその状況を受け入れるのだ。この悪魔の車に閉じ込められたのが娘でなくて自分でよかった、と。この囚われたネイサンのエピソードは後半にもまたちらりと出てくるのだが、涙なくしては語れません。って、(後半ネタなので)涙なくしてバラせません。
さらには、ヴィクと同様に内界を持つ図書館司書の女性マギー。彼女の場合には、特別な道具となるのは〈スクラブル〉のコマ。ヴィクの導き手という重要な役割の人物ながら、悲惨な生活を送ることになる。
このネイサンとマギーの二人の魅力は、それぞれが自分の大切に思う人の幸福のためなら、自分の犠牲など惜しまないという覚悟だと思う。ヴィクの自転車とバイク、マギーのスクラブルのコマほどの威力はないまでも、常人のネイサンがボブ・シーガーのロックンロールを特別な道具として眼前の絶望的現実への対抗手段とするシーンには、目頭を熱くさせられる。
音楽については、これもキング作品ばりに細目にうまく使われている。
少女時代のヴィクが部屋に等身大ポスターを飾っているデイヴィッド・ハッセルホフ。1980年代の人気TVドラマ「ナイトライダー」シリーズで知られる人気俳優だけに、ヴィクは自転車で疾駆する自分と彼とを重ねて見ていたのだろう。シンガーとしても17枚ものアルバムを発表しているようだ。
ガスマスク・マンことビングが寝泊まりしている「眠りの家」近くの朽ちた教会の祭壇には、マイケル・スタイプの写真が立てかけてあり、そこには彼のバンドR.E.M.の曲名「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」(1991年)が書き込まれている。それに対して、聴くに値するロックはビートルズのアルバム『アビイ・ロード(Abbey Road)』(1969年)で終わっているのだ、とはビングの弁。
ほかにも、ルーの代わりにバイクのタンクにエアブラシで絵を描く仕事に没頭するヴィクが、ずっとフォリナーの曲を聴いていたり、故カート・コバーンの曲を口ずさむ場面もある。そもそも、最初の長篇小説『ハートシェイプト・ボックス』のタイトルも、コバーンのいたニルヴァーナのアルバム『イン・ユーテロ(In Utero)』(1993年)収録曲からとられていたし、主人公はかつてのロック・スター。第2長篇『ホーンズ 角』の最終章は「ミックとキースによる福音書」と。まあ、音楽が小道具として生かされていたり、ある種のメタファーとして配置されたりと、音楽好きのハートをくすぐる書きっぷりはキングに負けず劣らずだ。
酒や薬に折れた自分がみずからのせいで家庭を崩壊に導いてしまって初めて、誤解やすれ違いから両親との関係を断絶させてしまったのだということにヒロインが気づくなど、親と子の関係という深刻なテーマにもひるまず相対した、ヒルにとっては野心作でもある。人間ドラマを存分に盛り込みつつ、新たなモダンホラーの土壌を模索するヒルの次作が楽しみだ。
そんなヒルのもう一つの傑作『ホーンズ 角』が、あの映画『ハリー・ポッター』シリーズのダニエル・ラドクリフ主演、アレクサンドル・アジャ監督で映画化された。お茶の間にもおなじみのハリーがあの頭に突如角を生やす主人公に扮する。タイトルは『ホーンズ 容疑者と告白の角』。まもなく日本でも公開される予定なので、ぜひとも原作と合わせてお楽しみいただきたい。
さて、「年が明けてからクリスマスのネタだなんて!」と季節はずれの話題にあきれ果てた方々、クリスマスランドでは、毎日がクリスマスなんですぞ。Eさんもぼくも、まだまだ「ささやかなクリスマスを祝おう」を聴きつづけるつもりだし。万が一にも、原稿の入稿が遅れに遅れて掲載スケジュールがずれ込んでしまったからだ、なんてことはないからね。
◆youTube音源
●“Have Yourself A Merry Little Christmas” by Judy Garland
*映画「若草の頃」の劇中で、ジュディ・ガーランドが妹役のマーガレット・オブライエンに歌って聴かせるシーン。
●“Jingle Bell Rock” by Bobby Helms
*米国のカントリー歌手ボビー・ヘルムズの1957年のヒット曲で、多くのアーティストにカヴァ—されてスタンダード・ナンバーとなった。
●“Twelve Days Of Christmas” by Bing Crosby & Andrew Sisters
*クリスマスの数え歌。こちらは、ビング・クロスビーとアンドリュー・シスターズの共演によるもの。1949年録音。
●“All I Want For Christmas Is You” by Mariah Carey
*マライア・キャリーのクリスマス・アルバム『メリー・クリスマス(Merry Christmas)』(1994年)に収録された、誰もが知る大ヒット曲。行くゆくはスタンダード・ナンバーとなること間違いなしの王道ポップ・チューンであります。
●“Silver Bells” by Bob Hope & Marilyn Maxwell
*これまたあまりに有名なクリスマス・ソング。ジェイ・もともとは、デイモン・ラニアンの短篇を原作とした1940年代の映画のリメイク版「腰抜けペテン師(The Lemon Drop Kid」」(1951年)のために、リヴィングストンとレイ・エヴァンズが書き下ろしたもので、このように映画では主演のボブ・ホープとマリリン・マクスウェルが歌っています。最初にレコーディングしたビング・クロスビーの歌唱も有名。
●“Santa Baby” by Eartha Kitt
*チェロキーと白人の血を継ぐ女優・ダンサー&歌手アーサー・キットによって1958年に大ヒットし、スタンダード化したクリスマス・ソング。映画「ドライビング・ミス・デイジー(Driving Miss Daisy)」(1988年)では当人がひさびさに登場してこの曲を歌っていました。
●” There Is No Christmas Like A Home Christmas ” by Perry Como
*1968年に発表されたアルバム『クリスマス・アルバム(The Perry Como Christmas Album)』より。
●“Old Time Rock & Roll” by Bob Seger & The Silver Bullet Band
*古き良きロックンロールの時代への愛を歌った、ジョージ・ジャクスンとトム・ジョーンズIII作によって、ボブ・シーガーのアルバム『見知らぬ街(Stranger In The Town)』(1978年)に提供された、シンプルなロックンロール・ナンバー。1983年のライヴ ”The Distance Tour” より。
◆CDアルバム
『Christmas』 Judy Garland
『Merry Christmas』 Mariah Carey
『White Christmas』 Bing Crosby
『Stranger In Town』 Bob Seger & The Silver Bullet Band
『In Utero』 Nirvana
◆DVD
「若草の頃」
「腰抜けペテン師」
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
---|
1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |