第11回『ポアロのクリスマス』——クリスマスイブの夜、大富豪は密室で殺された!

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山 :杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーをイチから勉強する「必読! ミステリー塾」。今年もどうぞ皆様、寛大なお心でお付き合い下さい。

 昨年は右も左もわからないままにこの連載をスタートし、ほとんど教室を走りまわる小学1年生のようでした。しかし今年は連載も2年目ですから、少しは落ち着きというものを身につけ、皆様に「この人たちでも成長するんだ」と軽く驚いていただけるようになりたいものです。ま、年初の誓いというものはなし崩しになる運命なのですが。

 それでは今回のお題。一カ月遅れのクリスマス気分を味わいましょう。アガサ・クリスティー『ポアロのクリスマス』(1938年)です。こんな話。

 クリスマスを祝うため、大富豪シメオン・リーを主とするゴーストン館に一族が集まった。メンバーは4人の息子とその妻たち、シメオンがスペインから呼び寄せた孫娘ピラール、シメオンの旧友の息子スティーヴン・ファー。

 しかし、元々不仲な兄弟たちである上に、温厚とは対極にあるようなシメオンの特異な言動も重なって館は不穏な空気に包まれる。

 そしてクリスマスイブの夜、大きな物音と絶叫に驚き駆けつけた彼らが発見したのは血まみれで死んでいるシメオンだった。

 犯行現場の窓はしっかりと閉ざされ、扉は内側から施錠されている完全な密室。父に対して長年の恨みを持つ息子たち、死の数時間前にシメオンが匂わせた遺書の書き換え、奪われたダイヤの原石……この謎に名探偵ポアロが挑む。

 ではアガサ・クリスティーについて簡単に。

 1890年、イギリスのデヴォンシャーで生まれた彼女は1920年に作家デビューしてから85歳で亡くなるまでにたくさんの作品を執筆しました。ご存知、名探偵エルキュール・ポアロとミス・マープルの生みの親です。彼女の作品は全世界で出版されており、「最高頻度で翻訳された著者」のトップ(ユネスコの文化統計年鑑1993年)であり、「史上最高のベストセラー作家」(ギネスブック認定)です。

 まずは毎度お馴染みの告解です。

 私は10代の頃に数冊のクリスティー作品を読んだのみで、その後は“たまたまアンソロジーに含まれていた短編”以外読んだことがありません。一つには「いつでも手に入る」「いつ読んでも楽しめる」という品質に対する絶対的安心感が逆に「今でなくてもいい」とつい後回しにする結果になってしまったこと。もう一つは……苦手意識。安心感を持ってるという言葉と矛盾するようですが、超有名な某作品の中でクリスティー女史が「もっとも罪深い」と鉄槌を下した行為が、間違いなく自分の内側にも巣食っている行動原理だったので、まるでいきなり心の中に手を突っ込まれてその恥ずべきものを眼前に突き付けられたような気がしたのです。以来、クリスティーを読むとまた自分が断罪されるような気がして怖かった。例えるなら厳格な女教師から逃げ回る不良学生といったところでしょうか。そんなわけで今回は勇気を出して苦手な教師との再会です。

 まず最初に義兄ジェームズへのメッセージで驚きました。

 要約すると「最近わたしの書く殺人が洗練されすぎているとのご指摘なので、ご要望どおり“もっと血にまみれた、思い切り凶暴な殺人”を書きましたわよ」とのこと。クリスティー女史には世間が何と言おうと怯まず先鋭的な作品を書く人(例えば『アクロイド殺し』のような)というイメージを持っていたので、リクエストにお応えするなどというショーマンシップも持ち合わせた人だったのかと、なんとなく意外な一面を見たような気がしました。

 そして物語の方はといいますと、とにかく亡くなった老シメオンの性格が強烈。吝嗇ではないけど徹底的に意地悪な性格で、金にも女にも強欲、ひとたび恨みを持ったら何年経っても絶対に忘れないという厄介の極み。ポアロは言います。「わたしはいつも同じことにもどっていきます——死者の性格」

 遺産の行方や過去のわだかまりで刺々しさを増していく兄弟たちが、死してなお父の呪縛に囚われ続けているように見えました。

 兄弟たちは全員が父を殺す動機を持っているけれど、それは女性陣にしても同じ。妻たちや奔放なるスペイン女性ピラールは表向きの言動こそ気持ちのいいものだけれども、彼女たちにも動機や機会は十分にあり読者はもう疑心暗鬼の塊になっていきます。

 登場人物が全員怪しくて、現場の状況も不可解ですが、私だってこれでも去年はバークリー、クイーン、カーを体験してきたわけです。トリック(クリスティーの場合は「舞台裏」という方があってるかもしれないけど)はわからなくても、犯人くらいは当ててみせようじゃないか! それがたとえただの野生の勘であっても!

 そして私は文章を注意深く読み、いくつかの○○トリックを見抜き(ホントですよ!)……そして最後にひっくり返りました。

 えーーっ! まさかあの人が犯人だったとは!!

 嗚呼、やられたぁ……さすがのクリスティー、そして使えない私の野生の勘。

 加藤さんは犯人わかった?

加藤:皆さまにおかれては年末年始の慌ただしさもとっくに落ち着き、殺伐とした日常と砂を噛むような味気ない毎日を無事に取り戻されたことと推察いたします。(<余計なお世話だ)

 今年もよろしくお引き回しください。

 そして、ついに来ましたミステリーの女王アガサ・クリスティー。アガサお〜ねが〜いよ〜席をた〜たな〜いで〜、のアガサです。アガサ〜を待つの〜テニスコート〜、のアガサです。

 本格系の作家はほぼ未読で、セイヤーズやカーにビビりまくった僕ですが、実はアガサ・クリスティーはそれなりに読んでいたりします。なんたって、僕が初めて読んだミステリーが『アクロイド殺し』。中学のとき、あのオチにひっくり返るくらい驚いて、続けてクリスティーを何作か読みました。それが僕のミステリーとの出会いであり、翻訳モノの入り口だったのですね。いま思えば、それまで日本の作家の本さえほとんど読んだことのなかった僕が抵抗なく翻訳モノに入れたのは、最初がクリスティーだったからかも。いま読んでも抜群に読みやすいですもんね。

 そんなわけで、僕は『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』みたいな有名作も、前情報ゼロで読めたのです。羨ましいでしょ。

 もしかしたら、この『ポアロのクリスマス』もその頃に読んでいるかも知れないのですが、何一つ思い出せず、今回の僕の推理は「シメオンの大掛かりな装置を用いた自殺」一択。もちろん途中からカスリもしてないことはわかりましたよ。

 でも、ですよ。

 クリスティーを読んで犯人を当てようってのが、そもそも違うじゃないかと思うのです。なんといいますか、クリスティーって変幻自在というか自由すぎるというか。ロジックというよりマジックという感じじゃありません? 当たる気がしないという意味では全盛期の伊藤智仁の高速スライダー並ではないかと。

 よく出来たミステリーってネタを明かされてみれば「何故それに気づかなかったのか」と悔しがり、「考えてみればそれしかないじゃないか」と納得するものではないかと思うのですが、クリスティーって、そうじゃない気がするのです。「よくそいつを犯人にしようと思ったな」とか「よく話を破綻させずに最後まで書ききったな」というところに感心しちゃう。

 そこで当時の僕が考えたのは、「アガサ・クリスティーは考えられる限りの犯人像を全て書こうと思ったのではないか」説です。

「探偵が犯人」

「助手が犯人」

「あなたが犯人」

「わたしが犯人」

「みんなが犯人」

「誰も犯人じゃない」

 愉快なロンドン、楽しいロンドン、エトセトラ、エトセトラ。

 きっと『ポアロのクリスマス』もそのひとつなんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

畠山 :「クリスティーはマジック」というのは案外当たってるのかも。『海外ミステリー マストリード100』の中で杉江さんも「使えるものはなんでも使い、騙せる相手は誰でも騙すのがクリスティーなのだ」と書かれていて、まるでプロのマジシャンみたいですもんね。

 それでも私は、そこに殺人が描かれている以上、なんとか犯人を当ててみたい。それがどんな魔球であれ、投げられたものは打ち返したい。落ちようが曲がろうが消えようが。

 ただ本作はクリスティーにしてはちょっと変わってると思う。わずかしか読んでないクセにこんなこと言うのはおこがましいのですが。

 前半はお芝居にしてもいいような群像劇で、これから少しずつ心の奥底の暗い部分が現れるのかしらと予想するのですが、話が進展するに従ってなんかこう……いわゆる本格推理小説めいてきて、クリスティーってこんな作風だった? と思いつつ読み進め、ラストでトリックのネタがわかると、クリスティーってこんな芸風だった? とちょっと驚きました。

 そこでアレですよ。最も新しいクリスティー指南書『アガサ・クリスティー完全攻略』(霜月蒼著)の出番。

 霜月さんは本書をハッキリと「バカミス」と評されていて、私は深く頷きました。

 トリックもそうですが、“彫像”の一件なんかは江戸川乱歩みたいですもん。おかげで私、この件は真相がすぐわかりましたけど(笑)

 ふと思ったのですが、本書は仮に犯人をサイコロやダーツで決めたとしても充分に面白い小説になったんじゃないだろうか。あの力技みたいな密室トリックと地雷原の如く埋め込まれた○○トリック、そして巧みできれいな語り。欺しの女王に不可能はないような気がする。

 ああ、言い忘れちゃいけない。『ポアロのクリスマス』は読後感がよかったです。散々なクリスマスの後に再生の扉が開かれたようで、こういうところ粋でいいなぁ。

 同窓会でお会いしたかつての厳格な教師は、実はサービス精神旺盛で人を驚かせてはクスクス笑っているチャーミングな人だった……というのが久しぶりにクリスティーの長編を読んだ私の偽らざる思いです。

 そういえば現在早川書房さんでは「カフェ・ポアロ」が営業中だそうな。いろんなグッズやら作品にちなんだ料理などがあるらしい。個人的には『そして誰もいなくなった』の島の立体模型とやらを拝見したいものです。でもって「二重の罪」と名づけられたノンアルコールカクテルを飲んでみたい!……しかし、遠い(涙)嗚呼、いいなぁ花のお江戸には楽しいものがいっぱいあって。いーんだ、いーんだ、こっちには雪祭りでスターウォーズの大雪像があるんだゾ(ヤケっぱちのおらが町自慢)でっかい白いダース・ベイダーがいるんだゾ(白いブラックサンダーとの親和性や如何に?)

……おっとすみません、つい脱線してしまいました。

先月放映された三谷幸喜ドラマ「オリエント急行殺人事件」を見て、この『ポアロのクリスマス』を読み、「カフェ・ポアロ」に行ったならば、その次は! そう! 札幌読書会です! 2月21日(土)に『ポケットにライ麦を』の読書会を行います(詳細は→こちら)。ポアロを読んだらミス・マープルも読まないと! 霜月さんは本書におけるミス・マープルを「復讐の女神誕生」と評していらっしゃいました。私も先日読了しましたが、最後の一文でグッときましたよ〜〜。皆様、ぜひお越し下さいませ〜♪

加藤:それにしても、霜月蒼さんの『アガサ・クリスティー完全攻略』は凄いよね。何が凄いって、霜月さんとアガサ・クリスティーという組み合わせが凄い。誰も想像しなかった夢の組み合わせ。シンジケートのサイトで連載したときから楽しみにしておりました。

 ところで、今回『ポアロのクリスマス』を読むにあたり、素朴な疑問がありました。数あるクリスティーのメジャー作品を差し置いて、杉江さんは何故これを選んだのだろう。

 で、読んでみて「なるほど」と。

 殺されるべくして殺される被害者や、それぞれに面倒くさい事情を抱える関係者たち。そしてワケ知り顔でとぼけた尋問を繰り返すポアロと、伏線があったのか無かったのかもよく分からない意外な犯人。

 いかにも剛腕クリスティー、という話ではないでしょうか。そして何より読みやすい。

 そして最後にもう一つ。

「ゴーストマン読書会レポート」が間に入ったために、この『ポアロのクリスマス』の回が、クリスマスではなく一カ月遅れの掲載となったのは残念でしたが、思わぬ僥倖にも恵まれました。それは、三谷幸喜脚本のテレビドラマ『オリエント急行殺人事件』を観られたこと。

 ご覧になった方も多いと思うのですが、このドラマの特筆すべきは、一つの話を原作通りに見せるものと、その裏舞台を見せるものの2パターンが作られたこと。これは画期的だと思うのです。

 確かに、クリスティー作品って(クリスティーに限らないのかも知れないけど)、犯罪が精巧であればあるほど裏はドタバタだったに違いないと気づかせてくれました。『ポアロのクリスマス』の犯人も大変だったに違いない。ポアロさえ絡んでこなければ全て丸く収まったのにね。

 あのテレビドラマは賛否様々だったと聞いておりますが、たまたま前回『オリエント急行の殺人』を課題本にしたばかりだった名古屋読書会参加者は思いっきり楽しめたに違いありません。記憶がまだ鮮明なので、細部の再現のこだわりと原作へのリスペクトがヒシヒシ感じられ、また、読書会で出た意見や解釈と奇妙なくらいシンクロしてて、思わずニヤニヤ。

 でも、よく考えたら、原作の細かいところまでは覚えていないであろうほとんどの視聴者は置いてけぼりの演出が多かった気もします。よくもあんなマニアックなことをテレビでやったもんだ。

 ちなみにドラマに登場した「神のひき臼はゆっくりだが〜」という台詞は『ポアロのクリスマス』に登場した台詞でした。そんなの、よほどのクリスティーファンにしか分からんちゅーねん。

 そんなこんなで、ミステリーの楽しみ方は実にいろいろあるなと考えさせられた今回でした。

 よかったら皆さんもぜひ一度、全国の翻訳ミステリー読書会に足を運んでみてください。貴方の知らないミステリーの楽しみ方に出合えるかも。つい先日、1月24日には第一回浜松読書会が賑々しく開催され、また、他にも幾つかの場所で開設準備中だとか。次はあなたの町かも知れません。(石坂浩二風)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

『ポアロのクリスマス』は私の偏愛するクリスティー作品です。『完全攻略』以前、クリスティーというと「落ち」の意外性ばかりが取り沙汰されることが多かった印象があるのですが、決してそうではなく、精緻に組み立てられた構成あってこそ必殺技が最後に出せるのだ、と常に思っておりました。『マストリード』の作品選定時にも迷わずこれを選んだ次第です。『完全攻略』という優れたブックガイドが世に出たのであえて付け加えることは少ないのですが、本書の序盤の展開は名作『ホロー荘の殺人』のそれなどと比較して読むと味わい深いかと思います。クリスティーの文章は明快です。その明快な文章の中にほのめかしやダブル・ミーニングなどの技法を使って伏線が埋設される点に意味がある。どの作品も再読に耐える所以でしょう。

 さて、次はレイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』ですね。あまりにも有名なあの作品をどう読まれるのか。期待してお待ちします。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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