冒険小説界の巨匠ジャック・ヒギンズが世紀の名作『鷲は舞い降りたThe Eagle Has Landed)』(1975年)の続篇として『鷲は飛び立ったThe Eagle Has Flown)』(1991年)を発表したときには、さすがに多くの冒険小説ファンが、それこそあんぐりと口を開けてしまうほど驚いたものだった。

 終わったはずの物語にじつは続篇が……というのは、エンターテインメント小説の世界では、めずらしいことでもないのかもしれない。ヒギンズの場合には、15年もの歳月を経てのファン・サービスという意味もあったのだろうけど、それにしても、ありゃあねえ。

 その事例に照らすのは少々無理があっても、ふと想起してしまうほど化かされた感が強かったのが、英国はスコットランド生まれの人気ミステリー作家イアン・ランキンが書き続けてきた代表的シリーズの主人公、リーバス警部の再登場である。

 ついこのあいだ、“人気シリーズ堂々の完結!”的な謳い文句に踊らされ、すわとばかりに大部な最後の事件(?)に飛びついてむさぼり読んでまもなかったので、それにしてもあまりにシリーズ再開が早すぎやしませんか、という印象だったである。

 リーバス警部シリーズといえば、エジンバラを舞台にしたハードボイルド的な極上の警察小説として、第1作『紐と十字架Knots & Crosses)』(1987年)からスタートし、第8作にあたる『黒と青Black and Blue)』(1997年)で英国推理作家協会(CWA)賞のゴールド・ダガー(最優秀長編賞)を受賞、その後も第13作『甦る男Resurrection Men)』(2002年)でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀長編賞の栄冠に輝くという、人気・質ともに高い評価を受けているシリーズである(ちなみにこのときのMWA最優秀長編賞には、日本人作家として初めて桐野夏生の『OUT』がノミネートされていた)。

 じつは、ほかにもドイツ・ミステリ大賞を3度(『The Black Book』〔1993年〕、『The Falls)』〔2001年〕、『血に問えばA Questions of Blood)』〔2003年〕)、ブリティッシュ・ブック・アワードを2度(『獣と肉Fleshmarket Close)』〔2004年〕、『死者の名を読み上げよThe Naming of the Dead)』〔2006年〕)受賞、ノミネートだけなら、文学賞にからんだのはかなりの数になることと思われる。

 そして、第17作目にしてシリーズ最終作とうたわれたのが、『最後の音楽Exit Music)』(2007年)だ。

 30年もの警察生活から引退する日を翌週に控えたリーバスのもとに持ち込まれたのは、ロシアからの亡命詩人が撲殺された事件。なんとしても解決したいと思うリーバスだが、毎度のことながらワンマン捜査ぶりを発揮する彼にたいして厳重な処罰がくだる。しかも、エジンバラを牛耳るギャングの親玉的存在であるカファティがどうやらこの事件にも深くからんでいて、事件は複雑化していく。

 シリーズ第3作『Tooth and Nail』で脇役として初登場し、第5作『The Black Book』で主要登場人物として再登場した宿敵カファティは、以降も、『首吊りの庭The Hanging Garden)』(1998年)、『甦る男』、『蹲る骨Set in Darkness)』(2000年)、『獣と肉』、『死者の名を読み上げよ』と、ことあるごとにリーバスの敵役として作品に登場し、リーバスの部下シボーンと並んでシリーズになくてはならない存在となった。

 この宿敵カファティとリーバスとの関係は微妙で、『最後の音楽』では、病床にいるカファティを何度となくリーバスが見舞うシーンがある。二人の因縁というかその後については、どうもネタバレにつながらないともかぎらないので、これ以降は触れないことにさせていただくとして……。

 さて、問題の復活作『他人の墓の中に立ちStanding in Another Man’s Grave)』(2012年)では、すでに定年退職しているリーバスが、エジンバラではなくロウジアン&ボーダー警察の重大犯罪事件再調査班に民間人として雇われている。

 たまたま彼が話を聞くことになったのが、10年以上も前に失踪した娘の母親からの訴え。じつは失踪したのは愛娘だけではなく、この間に娘を含めて3人の女性が行方不明になっているというのだ。たんなる家出騒ぎが偶然つづいたわけではなく、どうやら連続殺人鬼による犯罪の様相を呈してきたのだった。

 かくして、姿の見えない連続殺人犯、警察内部の政治的行動に邁進する上司たちの思惑、カファティなき後のポストを狙う新興のギャング、その下ではたらく野心満々の青年、さらには、苦情課の刑事による取り調べもからんで、事件はもつれにもつれていくことになる。

 一癖も二癖もある登場人物たち、重層的で複雑なプロット、スコットランド北部の町と歴史がからんだ暗鬱な背景、力技でねじふせるような強引なリーバスの事件解決方法……と、たしかに華々しい再開にふさわしく、このシリーズのもつ魅力をこれでもかと盛り込んだ傑作といえるだろう。

 ここでいう“苦情課”というのは“監察室(コンプレインツ)”のことで、そこの刑事というのは、『最後の音楽』以後にランキンが立ち上げた新シリーズ作品『監視対象—警部補マルコム・フォックスThe Complaints)』(2009年)に初登場したマルコム・フォックス警部補のこと。リーバスを敵視する彼との緊張感溢れるやりとりの場面も多くて、ランキンのファンにとっては嬉しいサービスだろう。続く第2作『偽りの果実—警部補マルコム・フォックスThe Impossible Dead)』(2011年)が邦訳紹介されていて、リーバス・シリーズ第20作にしてフォックス・シリーズ第5作となる共演作『Even Dogs in the Wild』(2015年)が本国ではすでに刊行されているという。

 おっといけない、たしかにシリーズ復活がいちばんの話題ではあるのだけど、『他人の墓の中に立ち』が話題になったのには、もうひとつ、ある理由がある。じつは、そのタイトルの謂れである。作中でリーバスがある曲の歌詞を聴きちがえていて、その誤ったままの歌詞の一部がそのままタイトルになっているのだ。

 その曲というのが、ジャッキー・レヴィンなるシンガーソングライタ—&ギタリストの「他人の雨(Another Man’s Rain)」(アルバム『Oh What A Blow That Phantom Dealt Me!』〔2006年〕収録)。歌の中に「他人の雨の中に立ち(Standing in Another Man’s Rain)」というフレーズが出てくるのだが、リーバスには、どうしても「他人の墓」と聴こえてしまう。物語の前半のうちに、今度は元部下の女性刑事シボーンにあらためて「他人の墓」と聴こえないかどうか、カーステレオで聴かせてみるシーンまである。もちろんのこと、このタイトルはちょっとした伏線のようなものになってもいるのだが。

 いつものながら長い前置きとなったけれど、主役はこのジャッキー・レヴィン。

 件のシンガーは、惜しいことに2011年に癌のために逝去しているのだが、彼の生涯というのがまた、不謹慎ながらミステリー好きにとってはかなり興味深いものではないかと思うのだ。

 1971年にジョン・セント・フィールド名義で『Control』というアルバムでデビューし、サイケデリックなロック、アシッド・フォークを披露していたが、その後、パンク・ムーヴメント真っ盛りのなか、ドール・バイ・ドール(Doll By Doll)というバンドを結成。1979年にファースト・アルバム『Remember』を発表し、4作目のアルバム『Grand Passion』を発表した1982年まで活動し、翌1983年に解散。その直後、翌年発売予定のソロ・アルバム制作のさなかに、事件は起きた。

 夜中に歩いていた路上で何者かに襲われ、レヴィンは首を絞められて昏睡状態に陥ったのである。あわや窒息死し、殺人事件の被害者となるところだったのだ。そのときの恐怖から逃れるためかドラッグに手を出してしまい、それから数年のあいだに彼は財産も人間関係もすべてを失ってしまう。

 アルコールやドラッグなどの中毒患者の救済組織の助けをかりてようやく社会復帰したレヴィンは、1994年にアルバム『The Mystery of Love Is Greater Than The Mystery of Death』を発表し、ふたたび精力的に活動するようになった。20枚ほどのアルバムを残したが、事件の記憶やドラッグの影響を拭えないせいなのか、そのどれもが幻想的で重く暗いムードをまとっている。

 ランキンが無類の音楽好きで、シリーズのスタート時にはジャズのスタンダード曲などが作中に出てきていたのが、作品数を重ねるごとにはっきりとリーバスの趣味として1970〜90年代あたりのロック・アーティストの曲がかなり多く使われるようになった。このあたりについては、あらためて別の機会にたっぷり語らせていただきたいかなあと。

 ランキンがレヴィンの音楽の熱烈なファンだったことから2人は親しくなったが、どちらもスコットランドのファイフ出身という共通点により、かなり親密な交流が続いていたようだ。

 そんなレヴィンとランキンには、2人の名義で発表されたアルバムが1枚ある。

Jackie Leven Said』(2005年)は、2004年8月にエジンバラ・フェスティバルの催しのひとつとして、クイーンズ・ホールで行われたライヴ・イベントを中心に録音されたもの。

 やはりランキンお気に入りの北アイルランドの大ベテラン・シンガー&ソングライター、ヴァン・モリスンのアルバム『Saint Dominic’s Preview』(1972年)収録の「Jackie Wilson Said」をもじったアルバム・タイトルというのがまたいい。

 そんなタイトルと同名の短編小説をランキンが朗読する合間に、レヴィンの演奏や歌が挿入されていくという構成で、演奏のなかには「The Haunting of John Rebus」という新たに書き下ろした曲もあった。

 その歌のサビの歌詞は、「孤独で、孤独でしかたのない男/ひとりぼっちの、孤独な男/彼の名はジョン・リーバス、ブルースをまとっている男……」といった感じで、ランキンへの深い慈しみが感じられるかのようだ。

『他人の墓の中に立ち』は、もちろんのことだがジャッキー・レヴィンに捧げられていて、各章の冒頭にはレヴィンの歌の詞からの引用が使われている。ランキンもまた、最果ての地でレヴィンに降りそそがれている雨の中に自分も一緒にいるさまを思い描いているのだろうか。冥福を祈りたい。

◆YouTube音源

“Another Man’s Rain” by Jackie Leven

*2007年12月のライヴ録音。2011年には共演アルバム『Wayside Shrines And The Code Of The Travelling Man』を一緒にレコーディングしたマルチ奏者、マイケル・コスグレイヴとの演奏。リーバスが「Grave」と聴き違えた歌のバックで演奏しているのが「Cosgrave」というのも、おもしろくはないですか?

“Soft Lowland Tongue” by Jackie Leven (John St. Field)

*ジョン・セント・フィールド名義でスペインのレーベル、Movieplayからリリースされたデビュー・アルバム『コントロール』より、1曲目のナンバー。

“Main Travelled Road” by Doll By Doll

*グループ3枚目のアルバム『Doll By Doll』(1981年)からのファースト・シングル。この後、同アルバムから「Caritas」がスマッシュ・ヒットを記録する。

◆CD

『Oh What A Blow That Phantom Dealt Me!』Jackie Leven

*「Another Man’s Rain」を収録した2006年のアルバム

『The Mystery of Love Is Greater Than The Mystery of Death』Jackie Leven

*長いブランクの後に復活を遂げた再デビュー盤。

『Jackie Leven Said』Jackie Leven & Ian Rankin

*ジャッキー・レヴィンの演奏とイアン・ランキンの作品朗読のコラボレーションが中心となったCD2枚組のライブ盤で、レヴィンの新録音によるボーナス・トラックも数曲収録。

『Control』Jackie Leven(John St. Field)

*ジャッキー・レヴィンがジョン・セント・フィールド名義で1971年に発表したソロ・デビュー・アルバム。

『Remember』Doll By Doll

*レヴィンが中心となり結成したバンド、ドール・バイ・ドールが1979年に発表したデビュー・アルバム。CDはレア盤化していて、現在はオークションなどで高値取引されている。

『Doll By Doll』Doll By Doll

*1981年発表のドール・バイ・ドール3作目のアルバム。スマッシュ・ヒット曲「Caritas」収録。CDは日本国内では入手困難かも。

『Saint Dominic’s Preview』Van Morrison

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー