第19回:『まっ白な嘘』——短編の名手から一言「うしろを見るな」
全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。 「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁) 「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳) 今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発! |
畠山:台風で大きな被害がでました。被災された方々にお見舞い申し上げます。
「台風一過」を「台風一家」だと思い、きっと続々とやってくる台風をサザエさんのエンディングにある一家の行進のように見立てたのだろう、本州の人は風流だなぁと勝手に思い込んでいたのは遠い昔。今後の Typhoon family が静かに通り過ぎてくれるのを祈っております。
さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」の第19回。今回はフレドリック・ブラウンの『まっ白な嘘』、1962年の作品です。当連載19回目にして初めての短篇集!
ダークとギニーは知り合ってわずか一カ月で結婚したカップル。新婚旅行から帰ってきて住まいを探していた二人は格好の物件を見つけた。大きな庭、十分な部屋数、近くに隣家もなく静かでゆっくりと生活するにはもってこい。しかし、実はこの家では前に殺人事件があったらしいのだ。悪いことは考えまいとするギニーだがやがて疑心暗鬼に駆られていく……(表題作『まっ白な嘘』他 16篇)
フレドリック・ブラウンは1906年オハイオ州シンシナティ生まれ。30代半ばからSF短編を書き始めたそうです。短篇の名手として知られ、本書の他に『さあ、気ちがいになりなさい』(異色作家短篇集)なども有名。SF長編は寡作なれど『発狂した宇宙』や『火星人ゴーホーム』は高い評価を受けているし、ミステリーでは『シカゴ・ブルース』(エド・ハンターシリーズ)でMWA処女長編賞を受賞しています。
ウィキペディアによると「フレデリック」という呼び方はご本人が嫌っていたそうで、皆様気をつけましょうね、「フレドリック・ブラウン」です。
フレドリック・ブラウンは読後感最悪の短篇ばかり集めたアンソロジー『厭な物語』で初めて読みました。最後の一篇として収録されていた『うしろを見るな』(そしてもちろん本書でも締めくくりはコレ)を、引っかからないぞ、そう簡単に引っかかってなるものか、と思いながら読み進めたのに、やっぱり最後にちゃんとうしろを振り返るという実に作者冥利に尽きる反応をいたしました。だって、じわじわ〜っとくるんですもん。「何か」がひたひたと忍び寄ってくる感じがして振り向かずにはいられない。
そんな経験があったのでこの短篇集もどれだけ不気味満載かと思いきや、意外にユーモアがあったりハートウォームな結末があったり社会風刺のきいたものがあったりとバラエティに富み、いい意味で裏切られました。
『町を求む』なんて50年以上前に書かれたのに、今この時代、この状況で読んで胸を突かれるような思いがしましたよ。
ところで最近、読書会の後の飲み会で「やっぱ長編だよ! ずーっと読んできたものが一つ一つ繋がっていくところがたまんない」「いや短編いいでしょ! ぎゅっと凝縮されてて、しかも最後の一文で話が全部ひっくり返ったりするのは快感だよ」と喧々諤々やっておりました。
これはもちろん100m決勝とフルマラソンを較べるようなもので、どちらと選べるはずもありません。でも巧い短編を読むと思わず唸るし、病みつきになりますよね。
短い文章だからこそ物語の描かれていない部分、行間を読むどころかありとあらゆる余白を読むように読者がいろいろ想像することができます。
本書で私が一番想像力をかきたてられたのは『叫べ、沈黙よ』かな。本当は何が起こっていたんだろう、そしてあのお話の後はどうなったんだろうと、しばしボーッと考えておりました。
さて加藤さんのお気に入りの一篇は何か訊いてみようと思ったけど、目下頭の中は桜が満開で本の内容なんか忘れちゃってるかな? ラグビー知識ゼロの私も今回初めて「呼称は“ジャパン”」「エンブレムは桜」「競技は15人」って覚えたよ!
加藤:全国の楕円球を愛する皆さま、ようこそ「必読!ミステリー塾」へ! いよいよ始まりましたラグビーのワールドカップ!
ラグビーを扱った翻訳ミステリーって読んだ記憶がないけれど、無理矢理絡ませるとすれば、ラグビーでよく聞かれる「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」ってフレーズ。この元ネタは皆さんご存知のアレクサンドル・デュマ。『三銃士』のダルタニャン率いる銃士隊のスローガンです。ちなみにこれをラグビーの精神として引用するのは日本だけなんですってね。
いやー、それにしても驚きました。エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチは大会前に「世界を驚かす」と言っておりましたが、まさかジャパンが世界の強豪・南アフリカに勝つ日がくるとは思わなかった。ああ、生きてて良かった。
忘れもしない第3回W杯、アパルトヘイトを撤廃し、ネルソン・マンデラが大統領となって国際舞台に復帰したスプリングボクス(南アフリカナショナルチーム)がいきなり優勝したときの衝撃。
クリント・イーストウッド監督で『インビクタス/負けざる者たち』という映画にもなっておりますので興味のある方は是非ご覧ください。
その4日後のスコットランド戦での大敗でちょっと冷静さを取り戻し、辛うじて仕事のできるテンションに戻りましたが、ラグビーワールドカップはまだまだこれから。目標であった「ベスト8進出」にむけ、史上最強といわれるジャパンの残り2戦に期待です。
さて、いくら書いてもネタが尽きないラグビーの話ですが、これ以上書くとシンジケートの中の人に怒られるので(ミッション・インポッシブルの最新作を見てシンジケートの恐ろしさを再確認したばかりだし※)、フレドリック・ブラウン『まっ白な嘘』とまいりましょう。※当シンジケートとはいっさい関係ありません(編集部)
長編小説が好きか、短編小説が好きかと聞かれれば、僕は迷わず長編と答えます。短編って、なんだか慌ただしいというか落ち着かないって思えてしまう。オチに向かって駆け足で進んでいるような、ワンアイデアに無理矢理な肉付けしたような、というのが僕の短編小説に対するイメージ。
もちろん、こんなのは私見というより偏見なのですが、でも、僕と同じようなイメージを短編に持っている人は多いのではないかと。
そんな人は本書『まっ白な嘘』を読むとちょっと驚くに違いありません。僕はそーとー驚きました。
とくに16の短編一つ一つの登場人物が魅力的で輝いていることといったら。
チェス巧者の小人、移動遊園地のメリー・ゴー・ラウンド興行主、記憶を失った天才ジャズ奏者、無人島で漂着した詩人、執行前夜の死刑囚、死んで伝説となった平刑事、復讐のために殺し屋になった版刻師などなど、すべてのキャラクターが愛おしい。
なかでも、生まれ故郷と友人を愛する保安官の穏やかな語り口が印象に残る『むきにくい林檎』は良かったなあ。この短編集のなかでもっともユーモアに乏しく、救いもなく、サプライズもないのだけれど、とにかく惹かれる。こんな短編に巡り合えるとは思わなかった。
畠山:(よかった。ラグビーの話しかしないんじゃないかと心配してました……)
私は短編好きですよ。大きな図面の切り取られた一部のようでいて、実は全てが描かれてるみたいな不思議な感覚。無駄がないのに余韻がある、いかにも職人芸だなぁって思います。短い時間で濃く楽しめるからコスパもよし。忙しい時の隙間読書、イマイチ調子が乗らない時の気休め読書にももってこい。読書に馴染んでない方のとっかかりとしてもオススメです。今なら金利手数料送料無ry……おっと、つい深夜のテレビショッピングモードになってしまいました。
唯一の弱点は読書時間が短いためか「誰の」「何を」読んだのかさっぱり覚えてないってことかな。ま、いーじゃないですか、忘れたら忘れたでまた新鮮な気持ちで再読できるわけだし。奥様、お得ですわよ、短編。
職人芸といいましたが、フレドリック・ブラウンにはそういう印象を強く持ちました。何気ない日常の風景の中でふと思いついたことをさっとまとめて、瞬く間に一つの世界を作り上げちゃうような、まるでお客さんのお題に次々応える紙切り芸人さんみたいな感じ。よくぞこんなにいろんなパターンを書けるものだと驚きます。
加藤さんは短篇に「ワンアイデアに無理矢理な肉付けしたような」印象を持っていたようですが、フレドリック・ブラウンはそれを感じさせない。何気ない普通の話が少しずつ犯罪や狂気の世界に滑り込んでいく手練は見事です。
そしてタイトルが巧い。特に『まっ白な嘘』なんて、最後にタイトルの意味がわかって思わず膝を打ちました。
興味を引かれて『さあ、気ちがいになりなさい』も読んでみました。説明しがたい“変な不思議”感いっぱいな期待を裏切らない面白さ。何篇かは『まっ白な嘘』とダブっているのですが、続けて2回読んでもやっぱり楽しめるんですよ。オチがわかっているのに面白い短篇ってスゴくない?
この短篇集は全て星新一さんが翻訳しているという垂涎モノですが、さらに解説を書かれているのが漫画家の坂田靖子さんなのもスゴい。フレドリック・ブラウン愛に満ちた解説を読むと坂田さんの作品も少なからず影響を受けていたのかもしれないなーと感慨深いものがありました。
これはぜひ他の作品も読んでみたい思っていたらば、なんという僥倖。このタイミングで『手斧が首を切りにきた』が復刊ですよ、復刊! いい響きですね、フッカン! さぁ薬師丸ひろ子になったつもりで言ってみましょう「フッ……カンッ」! ※元ネタがわからない皆さんはこのあたりをご覧ください(編集部)
加藤:復刊から薬師丸ひろ子に飛ぶかな、普通。畠山さんの跳躍力と昭和ネタには恐れ入谷の鬼子母神だよ、まったく。
そうそう、読み終わってから気付いたんだけど、フレドリック・ブラウンって『シカゴ・ブルース』の人なのですね。読んだのが昔すぎて内容は忘れちゃったけど、帯に『大沢在昌推薦!』って大きく書かれていたことを何故かハッキリ覚えています。
そしてタイミングの良いことにシリーズ4作目の『アンブローズ蒐集家』が先月出たばかりなんだとか。ストラングル・成田さんのレビューはこちら。
そんなわけで『まっ白な嘘』は本当に面白かった〜。
僕の短編小説に対する悪いイメージを払拭してさらに22円のお釣りがくるくらい。またしても体中の蒙が啓かれた感じです。
ところで、長編か短編かって話で思い出したのですが、ラグビーには、普通のラグビー以外に7人制ラグビー(通称「セブンス」)があるって知ってました? 普通は1チーム15人で戦うところを7人でプレーするのが7人制ラグビー。来年のリオ五輪から男女とも正式種目となり、2020年の東京オリンピックでも採用されることが決まっています。
ルールは普通のラグビーとほぼ同じでグラウンドの大きさも同じ、違うのは試合時間と人数のみ。一人当たりのスペースは格段に大きくなるため、密集戦が無くなり、ボールがダイナミックに動くのが魅力です。普通のラグビーの派手な部分をグッと濃縮したといいますか。
これって、長編小説と短編小説の関係と似ていると思いません?
それぞれに違った魅力があって、どちらが優れているかというものじゃない。変な思い込みは捨ててどちらも楽しまなければ勿体ないと思った今回でした。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
えーと、ラグビーには関心がないのでスルーさせてもらっていいですか。
フレドリック・ブラウンの『アンブローズ蒐集家』刊行には私もたいへんびっくりいたしました。この調子で、東京創元社で唯一文庫化されていない『Bガール』も創元推理文庫に入るといいな。
思い返せば、1970年代から80年代にかけて、創元推理文庫やハヤカワ・ミステリ文庫が出していた作家別短篇集は、ミステリー、SFを問わず、「おもしろいお話をしてくれる人」の扉の役目を果たしてくれていたと思います。『夜明けの睡魔』で瀬戸川猛資が3Bと称した「(フレドリック)ブラウン・(レイ)ブラッドベリ・(ロバート)ブロック」の3人からジャンル小説のおもしろさを知った読者は多かったはずです。私の場合は特にフレドリック・ブラウンがお気に入りでした。短篇では「びっくり」や「どっきり」の感覚を味わわい、長篇では「しんみり」や「ひりひり」を教えてもらいました(ブラウンは『現金を捜せ』などの、ノワール感溢れる犯罪小説の書き手でもあるのです)。願わくば『まっ白な嘘』から、同じような読書体験をされる方が増えますことを。
さて、次回はビル・S・バリンジャー『歯と爪』ですね。楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N |
どういう関係? |
15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。 |