1981年の来日公演以来34年ぶりだという英国のシンガー&ソングライター、レオ・セイヤーのライヴに、すっかりノックダウンされてしまった。

 代表曲である「星影のバラード(More Than I Can Say)」(ボビー・ヴィー1959年ヒット曲のカヴァー)からスタートして、「道化師の孤独(The Show Must Go On)」、大ヒット「恋の魔法使い(You Make Me Feel Like Dancing)」、永遠のバラード名曲「遥かなる想い(When I Need You)」と、曲間もいっさい観客を退屈させず、熱気と興奮のなかラスト・ナンバーを演奏し終えたときには、すでに終演予定時間を大幅に超していた模様。楽屋へ引っ込むこともなく「もう1曲だけ歌っていい?」と言いながら「レット・イット・ビー(Let It Be)」を熱唱してくれたのだけれど、その感情表現豊かな歌唱で、あらためてこの名曲の素晴らしさを再認識させられたのだった。

 レオは自身のベスト・アルバムにもスタジオ録音版で「レット・イット・ビー」を収録しているのだけど、そもそもは第二次大戦のさまざまな映像を編集し、そこにビートルズ・ナンバーを散りばめて作られた記録映画「第二次世界大戦(All This & World War II)」(1976年)のサウンドトラック盤のためにレコーディングされたもの。ブライアン・フェリー、ジェフ・リン、ビージーズ、ヘレン・レディ、ピーター・ガブリエルといった錚々たるアーティストたちがおなじみのビートルズ・ナンバーを披露する、という何とも豪華なアルバムで、レオは他にも「アイ・アム・ザ・ウォルラス(I Am The Walurs)」と「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(The Long and Winding Road)」のなんと3曲で参加。ほかに複数曲で参加していたのはビージーズのみ(2曲)なので、当時はかなり期待度の高い新鋭アーティストと目されていたのだろう。ちなみにこのレオ・セイヤーによる「レット・イット・ビー」、横溝正史原作の映画版『悪霊島』DVDでエンディングに使われている(映画公開時にはオリジナルが使われていたのだけれど、権利関係の問題で差し替えとなったらしい)。

 折しも、ザ・ビートルズのベスト盤「ザ・ビートルズ1(The Beatles 1)」に、新たに未発表の特典映像を加えた「ザ・ビートルズ1+(The Beatles 1+)」が発売され、またもや巷では彼らの音楽を耳にすることが多くなってきている。プラスされた特典映像のラインナップについては、熱狂的なファンからすれば賛否両論あるようだが、マニアにとってはそれもまたビートルズ談義の格好の話題となる。

 こうして何度も何度もビートルズ・ブームが繰り返されるのは、けっして色褪せない普遍性が彼らの音楽に宿っているからに他ならないだろう。そう、それはこの先の未来においても変わらないのでは……。

 ピッツバーグ在住の新人作家トマス・スウェターリッチのデビュー作『明日と明日Tomorrow and Tomorrow)』(2014年)は、自爆テロによって大都市ピッツバーグが壊滅してしまった10年後のアメリカが舞台となる近未来SFミステリーだけれど、出番はわずかながら、ここでもビートルズの歌は変わらぬ存在感をはなっている。

 物語の舞台となるこの世界では、誰もが〈アドウェア〉と呼ばれるワイヤ状の装置を頭部へ埋め込んで、脳(精神?)とネット空間、つまりメディアとを直結している。そのために各人の思考と関連づけられたさまざまな広告や有料サイトへのバナーやらがイメージとしてつねに精神上に広がっている。空腹をおぼえるといろいろな飲食店の情報があらわれ、美女を見かけるとたちまちポルノや出会い系サイトの広告映像がたくさん浮かび上がる、といった感じだ。さらに、脳から直接、いろいろなサーチエンジンやらアーカイヴにもアクセスできるため、記憶や歴史を遡って詳密に過去や現在の事実関係をチェックできる。というのが、この物語の肝となる。もちろん、そうなると記憶や記録の改竄という事態も生じてくるわけなのだけど。

 主人公のドミニクは、この〈アドウェア〉の機能を用いて、現代でいう保険調査員のような仕事に就いているのだが、ピッツバーグでの爆弾テロによって妻を失ってからというもの、彼女との幸せな頃の記憶に入り浸ってドラッグに溺れる毎日を送っていた。アーカイヴを何度も過去に遡って綿密に調べ上げて死亡事故の事件性等を確認する仕事のかたわら、いつものように妻との記憶の森をたどりつつ今回の調査の対象となっていた女性ハンナの生前の行動を再現しているうちに、彼女の遺体の映像を発見することになる。しかも、誰かの手によってその映像が消されようとした痕跡があったのだ。

 とり憑かれたように彼女の死因をさぐることに拘泥するドミニク。ある日、親友ともいえる従兄ガヴリルに紹介されたモデル美女ツイッギーに供されたドラッグの影響で前後不覚となり、薬物乱用の重罪で逮捕され職を追われることになった彼は、ナルコティクス・アノニマス(NA)のような自助グループのミーティングで、リーダー役を務めていた精神科医ティモシーと知り合う。現在ドミニクを担当している精神科医シムカは薬物の過剰投与のきらいがあるので自分に担当を変更したほうがいいというティモシーはまた、自分の恩師である有力者ウェイヴァリーのためにある仕事を引き受けてくれないかという。その仕事というのが、行方不明となっているウェイヴァリーの娘アルビオンを探してほしいというもの。ところがアーカイヴを探るうちに、彼女がいるはずの映像すべてにまったく別のアジア系女性が映っていることがわかる。アルビオンの存在を削除してそこに別人の画像のつくりものを挿入するという、記録の改竄が行われていたのだ。

 かくして、何者かが周到に隠蔽した殺人(と思われる)事件と失踪事件に同時に関わることになったドミニクは、二つの事件の関連を知ることになり、途方もない犯罪の闇に飲みこまれていく。

 いささか心もとないストーリー紹介で恐縮至極。はじめてフィリップ・K・ディックやウィリアム・ギブスンを読んだときのように、まずはこのSFの設定を咀嚼し自分を馴化させることから始めないと、SF的思考が身についていない身としては厳しいものがあるけれど、ぼんやりとでもいったんその設定が頭に浸透してくれば、その設定こそがこのミステリーの独創性を創り出していることはお分かりいただけると思う。

 そして、わずかにネタバレになるかもしれないけれど、あえて平気で書かせてもらいます。過剰な薬物投与を理由に主人公ドミニクの担当を外されることになる精神科医シムカは、その後、未成年に不当な鎮痛剤を処方したとして告発されてしまう……が、ドミニクは彼が自分のために罠にはめられたと確信する。二人をつなぐ信頼感は物語の端々からにじみ出ているのだ。そんなエピソードのひとつが、ビートルズにまつわるものなのである。

 彼の診療法は、とにかく患者の話を聴くこと。ドミニクの話もいっさい遮らない。唯一の例外が、ビートルズの歌詞が意味するところを質問するとき。二人で長時間一緒に過ごしてそれについて語り合うのだ。シムカは精神衛生のプロの見地から、詩の研究者でもあるドミニクは文学的視点から。二人の見解を総合すればビートルズの(実質的なラスト)アルバムとなる「アビイ・ロード(Abbey Road)」の歌詞の意味を解き明かすことも可能だろうというのだ。ティモシーの提案から自分と縁を切ることになったドミニクにシムカは言う。「まったくの友人として話そう。薬物常習癖やうつ病から立ち直るのは簡単じゃない。(中略)『きみはその重荷を背負っていくんだ』」と、ビートルズの「キャリー・ザット・ウェイト(Carry That Weight)」の一部を引用して。自分と縁を切ろうとしている人間だというのに、その彼のことをほんとうに思っての警告だ。

 案の定、ウェイヴァリーに依頼された仕事とそれを斡旋したティモシーに不信感を抱いたドミニクは、ふたたびシムカに助けを求めることになる。シムカは彼を自分の家族のもとへ連れ帰り、リラックスさせ、またビートルズの歌詞について語り合う。「ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)」の歌詞に出てくる“リアという名の男による小説”というのがどんな話だったか。リアの綴りを変えたら、まさに“いやらしい男のいやらしい物語”だろうし、歌詞の綴りのままでシェイクスピアの『リア王』に引っかけてるなら、フロイトの守備範囲ということになる……云々。ドミニクはやがて陥れられ連行されたシムカからの最後のメールを受け取る。「きみを助けたことは後悔しない」。否応もなく、ともにビートルズを語った時間が彼の胸に押し寄せてくる。

 つねに絶望を身近に孕んだ未来においても、ビートルズの楽曲が友情の鎹となり、ひとつの普遍性を確信させてくれるエピソードである。

「ギブスン、ディック、バロウズを髣髴とさせる」とは、帯の惹句にあるとおりなのだけど、『明日と明日』は、さらにそこへ諦観と感傷というレイモンド・チャンドラーへのリスペクトを注ぎ、ノワールの要素をふんだんに盛り込んだ作品と言えるだろう。実際、巻末の訳者あとがきに、作者がチャンドラーのフィリップ・マーロウものから手法を学んだと書かれている。

 ほかにも影響を受けた作品として、先頃日本でも話題となったチャイナ・ミエヴィルの『都市と都市The City & the City)』(2009年)、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサーNeuromancer)』(1984年)などが挙げられている。とりわけ目を引いたのが、ルイス・ホルヘ・ボルヘスと並んでアルゼンチン文壇の巨匠と目されるアドルフォ・ビオイ=カサーレスのデビュー作にして代表作『モレルの発明La invención de Morel)』(1940年)。ボルヘスをして“完璧な小説”と言わしめたこの傑作冒険SF推理小説(?)を再読したのがきっかけとなって、スウェターリッチは『明日と明日』を書いたのだというから、高みを志す作者の意気込みもわかるではないか。

 また、SFミステリーというと、ハードボイルド作品としても秀逸だったジョージ・A・エフィンジャーの『重力が衰えるとき(When Gravity Fails)』(1987年)が記憶に新しいかと。近未来のアラブ犯罪都市を舞台に探偵仕事に手を染める一匹狼マリードを主人公として人気を博したためか、その後も『太陽の炎 (A Fire in the Sun)』(1989年)、『電脳砂漠 (The Exile Kiss)』(1991年)と続き、三部作となった。このシリーズ作品の舞台となった近未来では、誰もが頭蓋に手術をして首筋にあるモデムにソケットを差し込むことで人格を変容させたりできる。『明日と明日』の〈アドウェア〉とイメージが重なるのも面白い。

 ノワールということで言えば、お約束の“運命の女(ファム・ファタル)”だけれど、テロで失った愛妻テレサ、モデルでもある詩人ツイッギー、死因を調査する対象であるハンナ、失踪したアルビオン、そのアーカイヴでなりすましに使われたチョウなどなど、これでもかのオンパレードで、いずれも魅力的に描かれている。

 設定が設定だけに、小説や詩のタイトルや引用文、ブランド名や連続ドラマの番組名など、固有名詞が文中にあふれかえっていて、もちろん音楽も例外ではない。ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジの「マンドリン・レイン(Mandolin Rain)」、エミール・ヴィクリッキーの「至上の愛(A Love Supreme)」などの他に、主人公の亡き妻が愛したアーティストとして、ブロークン・フェンシズ(Broken Fences)、ジョイ・アイク(Joy Ike)、 ライフ・ライク・イン・ベッド(Life Like In Bed)、ミーティング・オブ・インポータント・ピープル(Meeting Of Important People)、シェイド(Shade)といったインディーズのミュージシャンがずらりと挙げられていることから、作者はかなりの音楽ファンと思われる。

 図書館に務めていたという作者が博覧強記ぶりを発揮したハイブリッドなこの物語は、ささやかな希望の光を灯しながら、そしてまさにポールが、レオが歌ったように、「なすがままにしよう(Let It Be)」という言葉の余韻を残しつつ、幕をとじることになる。

◆YouTube音源

“Let It Be” by Leo Sayer

*1976年収録のTV番組での歌唱。

“The Long and Winding Road” by Leo Sayer

*記録映画「第二次世界大戦」オリジナル・サウンドトラック盤からの音源。

“Time” by Joy Ike

*インディーズの女性シンガー、ジョイ・アイクのアルバム「All Or Nothing」より

“Mandolin Rain” by Bruce Hornsby & The Range

*1986年に発表されたブルース・ホーンズビーのデビュー・アルバム「ザ・ウェイ・イット・イズ(The Way It Is)」からのサード・シングル曲。ヒット時のライヴ映像から。

◆CD

「All This & World War II」Various Artists

*第二次大戦記録映画のサントラながら、ビートルズ・ナンバーのカヴァー・コンピの中でも、1978年の映画「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」サントラと並んで、ベストに数えられる名盤。レオ・セイヤーは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」など計3曲で歌声を披露した。長くCD化が望まれていたが、2007年にようやくCD化。

「ザ・ビートルズ1+(The Beatles 1+)デラックス・エディション(CD+2 Blue-ray)」The Beatles

*こちらはBlue-ray版。CD+2DVDのヴァージョンもあり。

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

  好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

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