4月24日(日)に、パトリシア・ハイスミス『キャロル』を課題書に第8回神戸読書会を開催いたしました。当日はバスク語とクレオール語で書かれた2作品が受賞するという、海外文学好き狂喜乱舞の第2回日本翻訳大賞授賞式と、大河ドラマ『真田丸』のメインキャストがパレードに出演するという、時代劇好き狂喜乱舞の第34回上田真田まつりという大きなイベントがあり、いささか圧倒された気持ちで当日を迎えましたが、「うろたえることはない! 今日は訳者・柿沼瑛子さんをゲストにお迎えするのだから!」と気合を入れ直して開催を迎えました。
映画『キャロル』のアカデミー賞ノミネートと原作の邦訳出版に加え、訳者・柿沼さんのお話を直接うかがえるということで、長年のハイスミスファンはもとより、ハイスミス作品を初めて読むかた、映画ファンのかたからも多くのご参加をいただきました。その結果、参加者の半数以上が映画を見ており、原作を何度も繰り返し読まれたかたも多数。司会席からは、小口が読み返した傷みやびっしりと貼られた付箋で分厚くなった課題書を何冊も見ることができ、作品に対する熱量の高さを開始前から感じました。
参加者の自己紹介とともに作品の感想をお尋ねしたところ、「1950年代のアメリカの描写が美しくて楽しく読んだ。アーウィン・ショーの短編小説で感じられるような雰囲気も」「ミセス・ロビチェクの描写と役割にニューヨークで生きる女を感じる」のような時代や風俗に着目した感想と、「一味違ったロマンス小説」「テレーズの成長物語として読んだ」「同性・異性にかかわらず恋するときめきは変わらない」など、恋愛小説の面に注目した感想がほぼ半分ずつ聞かれました。「テレーズのキャロルに対する視線の先の描きかたに、〈目〉と使われる部分と〈瞳〉と使われる部分がありますね。テレーズの心情で使い分けられている」という、細部まで読み込んだ指摘もありました。「テレーズの周りの設定が意外とお洒落ドラマ的だった」という雑な感想を執筆者が抱いたことなど、入り込む余地もありません。それでも何やかんやで言いましたけど。
『キャロル』は大まかにいうと、主人公・テレーズの一目ぼれからの恋愛感情を中心に展開する第1部「出会い編」と、テレーズが憧れのキャロルから誘われ、2人で自動車旅行に出かける道中を中心に描かれる第2部「旅情編」からなる小説です。繊細で情熱的なロマンス小説風味全開の第1部に対して、第2部は心躍る旅行に追跡と逃走というサスペンス要素が盛り込まれた展開ですが、細部にはややツッコミどころではないかという部分もあり、以下のような疑問が出ました(回答はゲストほかによる)。
Q1. 〈大釘のようなもの〉という盗聴ガジェットがよくわからない
— 具体的な仕組みまでハイスミスは考えていなかったのではないか
Q2. 「2週間強、現地滞在日数多め」のプランでかなりの距離(約4,700km、執筆者計測による)を移動しているが、当時の自動車旅行としては可能なのか
— 不可能とは言い切れないが、実行すると相当タフな旅になる
Q3. 1月下旬から2月上旬にかけての、米北東部から北中部への自動車旅行は一般的か
— 寒すぎて普通考えない
ミステリー小説では小道具とアリバイという重要な要素なので、注意を払いたい部分ではあるのですが、ここは作品の性質上、リアリズムよりも小説としての盛り上げ効果を優先して読んだほうがよいと考えられます。なお、読書会終了後に執筆者が調べたところでは、2人が立ち寄る町の1つ、イリノイ州シカゴの近年の1月平均気温はマイナス4.6℃(稚内の同月平均気温とほぼ同じ)なので、現代の自動車旅行が当時より快適になったとはいえ、「とてもじゃないが行けたもんじゃない」という判断が妥当なようです。
感想・疑問が上がるたびに、柿沼さんから『キャロル(発表当時の題名は“The Price of Salt”)』が発表された当時の時代背景、「同性愛(特に女性間のもの)」「サバービア(郊外住宅地)」といったキーワードに加え、「『キャロル』には主役級2人の飲酒シーンが多いが、それはハイスミス自身の飲酒癖が反映されているようだ」など、ハイスミスの私生活に関するエピソードを交えて細やかに解説していただきました。さまざまなエピソードをお聞きするに、『キャロル』はハイスミスがすべてをフィクションとして練り上げた作品ではなく、彼女(とその周囲)の実体験と願望を想像以上に色濃く盛り込んだ小説だということもわかってきます。小説はふと手に取ったその1冊を開いて読むだけでも十分楽しめるものですが、1歩踏み込んで新しい知識を得ると理解が深まり、さらに楽しくなります。柿沼さんが解説とハイスミスネタを披露してくださるたびに、参加者から「おおー」と声が上がったり、解説を聞くために水を打ったように静かになったり(お菓子を食べる音は例外)という様子は、冷静にみれば読書会というよりも「柿沼瑛子先生に『キャロル』を聞く会」状態だったことも否めないのですが、参加者全員で貴重な機会を楽しむことができました。
ハイスミスの死から20年以上が経ち、作品が話題にのぼる機会も最近はほとんどなくなっていましたが、この『キャロル』が好評を博したことにより、トム・リプリーを主人公とした『太陽がいっぱい』『贋作』の邦訳が復刊されています。これをきっかけに、ハイスミス作品の魅力に初めて触れる、あるいは触れ直す人が1人でも増えれば嬉しい限りです。
柿沼さんには読書会だけではなく、香港マフィアのアジト感あふれる裏通りの中華料理店での懇親会にもお付き合いいただき、『キャロル』以外にもさまざまな話をお聞きすることができました。実は当日までのご連絡の際に若干の不手際があったのですが、悪の組織の的確なアシストにより、問題を無事回避することができました。末端の1構成員としてお礼申し上げます。次回は夏の開催を予定しておりますので、みなさまのお越しをお待ちしております。