——大人が楽しむ端正な短編ミステリー

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:もうすぐ8月、いよいよ夏も本番です。そして、リオデジャネイロ・オリンピック/パラリンピックの開幕まで残りわずかとなりました。

 でも、よくよく考えたら、ブラジルは南半球なので、いまは逆に冬本番のはず。夏季五輪でいいのか? と思ったけど、さすがリオデジャネイロは真冬でも暖かい。8月の平均気温は最高気温が26度、最低気温が19度くらいなんですってね。むしろ、ちょうどいいくらいの感じ。2020年の東京オリンピックの開会式は7月24日の予定なのだそうですが、こちらはちょっと暑すぎる気もします。

 それにしても、ついこの前までブラジルの政情不安やジカ熱の流行が伝えられ、いろいろ心配な感じだったけど、やっと落ち着いてきたかなと思ったら、最後の最後にロシアの組織的ドーピング問題ですわ。平和の祭典のはずが、国際問題を引き起こしてどうすんねん。ただでさえ出だしからゴタゴタしている4年後の東京オリンピックの苦労が早くも思いやられます。そういえば、2020年の夏季五輪の最終候補地は東京とイスタンブールだったんですよね。なんだかオリンピックが不幸の手紙みたいになってない?

 ところで新しく造る国立競技場に聖火台が設置できない問題はどうなったんでしたっけ?

 さてさて、28回目の「必読!ミステリー塾」のお題は、ヘンリイ・スレッサー『うまい犯罪、しゃれた殺人』。本のタイトルは知っておりましたが、もちろん未読。アメリカの人気TVショー『ヒッチコック劇場』で使われたものから、ヒッチコックが厳選した17作を収録したそうです。

  • 「こんなばかなことが!」と、アーネスト・フィッシャー警視が言った。(『逃げるばかりが能じゃない』)
  • 「そら、いっちょう出たよ、いただきだよ」スモーリイがいった。(『金は天下の廻りもの』)
  •  玄関のベルが鳴ると、マーガレット・ロウエンは表の窓をおおっているオーガンジーのカーテンをわきへ押しやった。(『ペンフレンド』)
  •  アンジーは、どうしても金を作ってくれとおれに頼みこむのだ。(『信用第一』)
  •  ジョー・ヘルマーの頭は、怒気と失意でいっぱいだったので、あたりまえの判断力の働く余地がなかった。(『犬も歩けば』)

 最初の5作の出だしの一文を並べてみました。どれもキャッチーで、いきなり話に引き込まれます。

 作者のヘンリイ・スレッサーは1927年、ニューヨークのブルックリン生まれ。広告代理店にコピーライターとして働きながら、様々な雑誌に作品を寄稿。やがて、アルフレッド・ヒッチコックに気に入られ、『アルフレッド・ヒッチコック・マガジン』の常連執筆者となり、テレビドラマシリーズ『ヒッチコック劇場』の脚本も手掛けました。また、59年に発表した長篇『グレイ・フラノの屍衣』では、MWA最優秀新人賞に輝いたそうです。

 ヒッチコックが編纂したスレッサーの短編集は、本書のほかに『ママに捧げる犯罪』があり、また日本で独自に編纂されたものとしては、小鷹信光さんが編んだ『夫と妻に捧げる犯罪』や和田誠監督で映画化された連作短編集『快盗ルビイ・マーチンスン』のほか、『伯爵夫人の宝石』があります。

なるほど、小鷹さんはジャック・リッチーにハマる前にスレッサーにもハマっていたのか。読んでみると、なるほどという感じです。

 本書の巻頭にはヒッチコックによる序文が載っていて、そこには『ヒッチコック劇場』の「哲学」がこのように書かれていました。

  1. 殺人はきれいなものじゃない。
  2. 暴力は、正当な理由がなければ退屈である。
  3. 本当の気難し屋はひとりもいない。
  4. 犯罪は引き合わないが、楽しいものであることは確かだ。
  5. 遊びが大切だ。

 以上。なかでも5番目が大切だと。

 殺人を中心とした犯罪をお茶の間のエンターテイメントとするにあたってのヒッチコックの覚悟みたいなものが覗えます。果てしなく刺激を求めてしまう現代に生きる我々は、ちょっと考えてみなければいけないかも知れないですね。

 そうそう畠山さん、先日は名古屋読書会までお運びいただき、ありがとう。ついでに二次会では随分余分なことを言ってくれてありがとう。この御礼はゆっくり時間をかけてネチネチと陰湿にやらせてもらうから覚悟しとけよ。ヘビ年生まれをなめんなよ!

畠山:最近は“みどし(巳年)”という言葉を知らない人が増えているらしいと聞き(「へび年」と言わないとわからないんですって)、何がなんでも“みどし”と言ってやろうと固く心に誓っている、そんな私も巳年の女。「巳年は金運がいい」と言われ続けてン十年ですが、未だ本来の巳年力を発揮できていないのが残念です。

『深夜プラスワン』読書会でお世話になった名古屋読書会の皆様、ありがとうございました。この連載を読んで下さっている方も多く、「ミステリー小説をあまりたくさん読んでいないので少し気がひけていたけど、加藤さんも畠山さんも読んでない本が多くて心強くなりました」というお言葉を頂戴し、へなちょこな世話人でもひと様のお役に立てることがあるのだととても嬉しかったです。そうです、翻訳ミステリー読書会は読書量もミステリーの知識も不要。みんなで楽しくお話をして読みたい本をどんどん増やして下さいね。

 逆に私も励まされました。念願のコメダ珈琲で小倉トーストも食べたので気持ちもお腹もフルチャージ! 今月も力いっぱいカミングアウトいたしましょう。ヘンリイ・スレッサーの名前も『うまい犯罪、しゃれた殺人』のタイトルも初耳です!(ドヤ)

 2年前の夏に酔った勢い(私が下戸だということを思い出してはいけません)で「読書会で三大奇書を制覇する」と口走ってしまい、今さら後にひけないので今年札幌で『黒死館殺人事件』の読書会をいたしました。ご存じの方も多いでしょうが、この本の読みにくいことったらもうハンパない。日々悶絶。そんな状態ですから黒死館の合間に『うまい犯罪、しゃれた殺人』を読むと、それはまるで過酷な労働の後でありつく一杯の水の如し。生き返る〜〜と半泣きしながらサラリと小粋で機知に富んだ小話の数々を楽しみました。

 本書の持ち味はサラッと感。このク〇暑い夏に大事な要素ですね、サラッと感。

 あれよという間に異世界に引き込まれてしまう、というよりほんのちょっといつもと違う曲がり角に入る感じです。一瞬ドキッとするけれど、最後はふわりと着地させてくれる。

 タイトルのとおり、犯罪・殺人を描いているにもかかわらずどこか心地よさをすら感じるのって不思議な体験です。

 甲乙つけがたい作品群ですが、敢えて心に残ったものを選ぶなら『老人のような少年』。私は礼儀正しい少年に弱いのよ。もう一つは、英国ミステリのような“意地悪さ”(褒めてます!)が鍵となる『恐ろしい電話』の二つかな。どちらもダークなラストだけれど重すぎないのがいい。

 加藤さんはお気に入りの一篇を見つけた?

加藤:お気に入りの一篇といわれると意外と難しいなあ。どれも粒揃いで、畠山さんも言っている通り、サラッと心地よい清涼感が持ち味のスレッサー。

 個人的には『ペンフレンド』なんかはちょっと懐かしくて面白かったな。たぶん、僕らの世代が最後なんじゃないかと思うんだけど、昔はこんな感じの「未だ見ぬ文通相手」を巡るミステリーって、よくあった気がする。

 物心がついたときには普通に携帯電話やネットが身近にあったという若い人には、是非、その両方がなかった時代に想いを馳せて、想像しながら読んでもらいたいな。ああ、ちょっと甘酸っぱい香りが蘇ってきた。「頼むからクソ親父が出ないでくれ」って祈りながら女の子の家に電話するドキドキ感とかさ。

 そんなこんなで、端正な大人のミステリーを是非ご堪能いただきたい。

 最初にも書いたけど、ドギツイ場面も、とんでもなく変な人間も登場しないし、奇を衒ったような笑いがあるわけでもない。

 とにかくスタイリッシュで大人のユーモアに溢れた珠玉の短編集という感じでありました。

 読書のBGMには50年代のオールディーズやビッグバンドがぴったりハマるんじゃないかなと。

 ところで、畠山さんは和田誠監督、小泉今日子主演の『怪盗ルビイ』は観た? 僕は和田誠さんがその前に撮った『麻雀放浪記』が大好きだったのに、何故か観る機会がなく今日まできてしまったなあ。この機会に見て観ようかな。

畠山:ドギツくないっていうのは、より刺激の強いものに走りがちな現代においては貴重な特性かもしれないね。時々はブレイクタイムも必要だもの。

『怪盗ルビイ』は私も未見です。どうせアイドル映画でしょとバカにしていたの……ごめん、キョンキョン。この作品で和田誠さんはブルーリボン賞(監督賞)を受賞してるし、テーマ曲は和田誠作詞、大瀧詠一作曲という豪華さ。こりゃいかん、早速DVDを……とググってみればなんとプレミア価格(2016/07/28 08:05時点)ぢゃありませんか。

 このままでは引き下がれないので「怪盗ルビイ・マーチンスン」が収録された『最期の言葉』を読んでみました。こちらは論創社さんのダークファンタジーコレクションの一冊です。そのせいなのか全体的に暗黒成分が少々強めな気がします。

 長年住んだ家を手放すよう迫られた老大佐と老召使の決断を描いた『大佐の家』がよかったなぁ。結末にニヤリとしつつも、裏で何があったのかと考えるとちょっと冷え冷えしたものも感じます。

 でもルビイ・マーチンスンのシリーズはガラリと変わって思わず笑っちゃうドタバタコメディ。昔懐かしい観客の「どっと笑い」が入る海外ドラマの雰囲気です。なにかというと壮大な犯罪計画を立てるルビイと必ず巻き込まれて実行役をやらされてしまう従弟の苦労。うーん、わかるわかる、ムチャぶりをしてくる相棒ってホント迷惑なのよねぇ……(豊橋方面に向かってつぶやいてみる)

 二冊続けて読むと似ているネタもあるのですが、見せ方が違うので全く新鮮な気分で楽しめるのです。ヘンリイ・スレッサーの演出は巧いなぁとあらためて思いました。まさしく職人芸ですね。

 ネタといえば。

『うまい犯罪、しゃれた殺人』の中で、この展開は昔少女コミックで読んだことがあるゾ! というお話を見つけました。ところが誰の何という漫画だったのやらさっぱり思い出せない。それは金に困った男が目の前でいきなり心臓発作で死んでしまった人からお財布を失敬し……という『犬も歩けば』。多分、いや絶対に原作(もしくは原案)はスレッサーに違いない。でも主人公は女性になってた気がする(少女コミックだし)。嗚呼、誰の何という漫画だったのやらさっぱり思い出せないなぁ。ぜひ皆様にもご一読いただき、漫画に心当たりのある方がいらしたら教えていただきたい。

『犬も歩けば』以外でもなんとなく憶えのあるようなシチュエーションに何度か出会いました。きっといくつものお話が日本で漫画やドラマのベースになったのだろうと思います。

 冒頭でスレッサーの名前も作品も全く知らないと言いましたが、小説とは違う形で子供の頃から触れていたんですね、きっと。だから初めて読むはずなのになんの抵抗もなく、それどころかどこか懐かしさを感じてお話を楽しみました。

 なんだか放流された稚魚が生まれた川に戻ってきたみたい。はっ……! やはり海外小説の未来を支えるためには今のうちからあの手この手で子供に植えつけるべきではなかろうか。え? どことなく悪辣な計画に聞こえる? 気のせいですよw

 ヘンリイ・スレッサーの本は常に本棚に置いて、ふとひと息つきたくなった時に洒脱な一篇をゆっくり味わう……そんな付き合い方が似合うような気がします。パンチの効いた食事の途中には箸休めが必要なのと同じかもしれません。それってとっても贅沢で豊かな読書ライフだとは思いませんか? ぜひ皆様もスレッサーを片手に「うまい小説、しゃれた人生」を楽しみましょう!(←山田くーん! 座布団2枚!)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 かつて、ミステリー初心者がフレドリック・ブラウンを知って短編ミステリーの扉を叩き、最初に入室した部屋でヘンリイ・スレッサーに出会ってその軽妙な味の虜になる、という幸せなコースがありました。スレッサーの部屋は人によって千差万別で、ロバート・L・フィッシュのホームズ・パスティーシュやシニカルな殺人コメディが最初だったよ、とか、ロバート・ブロックの恐怖で味を占めたよ、とか、レイ・ブラッドベリの叙情がたまらなかった、とか、まあ、いろいろあったわけです。最近だとそこに、エドワード・D・ホックが入るのかな。専門誌の短編掲載数が滅法少なくなり、切れのいい短編によって翻訳ミステリーのおもしろさを知った、という声もあまり聞かなくなったように思います。そういう方のために1冊、スレッサーを入れておきたかったのでした。

 スレッサーで短編ミステリーの楽しさを知った方は上記に名前の挙がっている作家の他、故・小鷹信光が晩年作品の掘り起こしに力を入れていたジャック・リッチー、最近になってまた新訳刊行が進んでいるO・ヘンリーなどにも手を出してみると楽しいと思います。またヒッチコックがスレッサーの能力を引き出したように、ホラーのジャンルでは「トワイライト・ゾーン」制作者であるロッド・サーリングが恐怖小説作家を集める役割をしていました。文春文庫から『ミステリーゾーン』のタイトルで刊行されているアンソロジーにその原作の一部が収録されているので、こちらもどうぞご覧になってみてください。

 さて、次回はロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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