——正義と信念のために戦う、古き良き時代の傑作冒険小説

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:日ごとに秋が色濃くなってきた9月の終わり。地元では祭シーズン本番を間近に控え、僕も何かと慌ただしく過ごしております。

 9月もいろいろありましたねえ。リオのパラリンピックに、広島東洋カープの25年ぶりのリーグ優勝。そして台風の大挙襲来。さらには「豊洲地下空洞の謎を追え!」ってカッスラーの新作かよ! みたいなニュースがワイドショーを賑わせる今日この頃。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。司会のロイ・ジェームスです。

 さて、そんなわけで「必読!ミステリー塾」も今回で30回目。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、時代を追って翻訳ミステリーとその歴史を学んできましたが、今回のお題はデズモンド・バグリイ『高い砦』。1965年の作品です。

 ちなみに、1965年は昭和でいえば40年。前年に東京オリンピックが開催され、東名高速道路、東海道新幹線が開通したばかり。日本はまさに高度経済成長ド真ん中、そして世界は東西冷戦ド真ん中と言う時代。

 そんな時代に書かれた『高い砦』はこんな話。

主人公オハラは南米の小さな航空会社のしがないパイロット。ある日、彼が操縦するプロペラ機はハイジャックに遭い、アンデス山中に不時着してしまう。機体は損傷し、犯人を含む数名が死亡。生き残ったオハラと乗客の9名は、寒さと高山病に悩まされながら、下山を始めるが、何故かそこに現地コルディヤラ国軍が立ち塞がる。乗客のなかの現政権の政敵が含まれていたのだ。背後には装備なしで越えるのは不可能な山々。そして、戦うことを決意した彼らが選んだ方法とは……。

 デズモンド・バグリイは1923年生まれのイギリス人作家。第二次大戦中は飛行機工場で働き、戦後はアフリカ各地を渡り歩いたという謎の経歴の持ち主だそうです。その後、ラジオや新聞・雑誌の編集の仕事のほか、映画や演劇の評論、映画のシナリオなどを手がけ、1963年に『ゴールデン・キール』で作家デビュー。1965年に発表された第2作が『高い砦』です。本作でベストセラー作家となったバグリイは、以後ほぼ年1作のペースで作品を発表し続け、1983年に亡くなるまでに16の長編を残し、その全てが邦訳されました。

 本作『高い砦』は冒険小説ではあるけれど、冒険野郎による冒険譚でも宝探しでもなく、純粋に巻き込まれ型のサバイバル。

 一行を載せたオンボロプロペラ機が、南米アンデス山脈の標高約5,000メートルの山中に不時着するところから、彼らの生き残りを賭けた戦いが始まるわけですが、標高5,000メートルがどんな世界なのかを想像できる人はあまりいないのではないでしょうか。

 僕らみたいな緩い山好きにとって、非日常というか別世界を感じられるのが、標高2,500メートルくらい。

 地域にもよりますが、日本の本州では森林限界をむかえるのがこの辺りで、景色がガラっと変わり、下界の人工音も届かなくなり、不思議な静けさに包まれた世界になるのですね。耐性のない人に高山病の症状が現れるのもこの辺り。富士山でいえば6合目。

 しかし、標高5,000メートルともなると、非日常を楽しむどころではないのです。地表と比べて気温はマイナス32度、酸素は53%、気圧はマイナス470hPaなんですって。普通の人間なら、この時点で相当の体調不良を感じ、人によっては頭が割れるように痛んだり、立ち上がることすら出来ないかもしれません。

 そんな状況で武装した相手と戦わなくてはならないとしたら……ね、これはもう読むしかないでしょ!

畠山:人間、いつなんどき命がけの災厄に見舞われるかわからない。搭乗予定の飛行機が突然欠航になり、つきましては代替輸送で小さな飛行機を用意しますのでお急ぎの方はそちらへどうぞと言われて「はい!」と手を挙げたが最後、その飛行機は飛ぶ前から壊れてるようなシロモノだわ、機長はこっそり酒飲んでるわ、挙句の果てにハイジャック、山中に不時着、暖は取れない食べ物はない、ダメ押しのように武装した集団に狙われる……マズイ、このままではマズイ。我らに一体何ができるのか。

「この山に詳しい人!」「はい!」

「軍隊経験者!」「はい!」「はい!」

「医療の知識のある人!」「はい!」

「現地の言葉がわかる人!」「はい!」はい!」「はい!」

「ここにあるもので武器をつくれる人!」「はい!」「はい!」

「弓の腕がいい人!」「はいッ!」

 んまーーっなんて頼もしい!……って、君らアベンジャーズかよ!!

 絶望的な状況の中で課された使命を果たすために全力を尽くす人たちの姿は文句なくカッコいいし、手に汗握って楽しみました。

 芸は身を助けると言いますがまさにその通り。ドンパチには無縁な歴史学者や女性が意外な活躍を見せるところが面白いのです。世の中には理系、文系、体育会系がまんべんなく必要なのだということがよくわかる。

 しかし中にはアベンジャーズ入りできない人もいるわけで、文句ばかりいって酒に溺れるデキないアメリカ人ピーボディには親近感を覚えてしまいました。昔ならこういうキャラは絶対イライラしたのに、歳を取ると優しくなれるものです。

 正直に言うと悪役たちはやや物足りない感じがしましたね。なぜそこでのんびりしているのかとツッコみたくなることがしばしばありました。それが南米流と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけど。ただもう一つの強敵である自然の猛威(特に冬山)の描写が圧巻なので、人間どもは少し間が抜けてるくらいでいいのかも。

 加藤さん、この本は翻訳ミステリー登山部の課題にしないの?

加藤:実は昨年の富士山頂読書会の課題本候補で最後まで残ったのは、ボブ・ラングレー『北壁の死闘』と『高い砦』でした。

 山岳冒険小説の名作として名高いこの2作、実は意外なほどテイストが違うのです。

『北壁の死闘』は登場人物が登山のエキスパートたちであり、困難なミッション(真冬のアイガー北壁登攀!)を与えられた彼らが、命を賭して壮絶な任務にあたる話。

 それに対し、本作『高い砦』は、女性2名を含む素人たちが極限の状況下で、手に入るものと知恵だけを武器に、自らの信念と自らの正義のために戦う話なのです。

 冒険小説にも様々なタイプがありますが、戦争ものや特殊な訓練を受けたプロフェッショナルたちが活躍する男臭い話にはイマイチ入り込めないという向きには『高い砦』はお勧めかも知れません。

 また、本作は東西冷戦真っ只中に書かれており、主人公らアメリカ人やイギリス人による、共産主義者との「正義の戦い」として描かれているのが、今読むと不思議な感じです。

 思えば、僕らは「イデオロギー」って言葉が日常生活に転がってた世界で育ったのだなーと。

 それにつけても(おやつはカール)、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』は名作ミステリーがオリジナルの発表年代順に紹介されているわけですが、これまでハメット、チャンドラー、ジム・トンプソン、マクリーンと、あまりといえばあまりに分かりやすい数作しか既読が無かった僕ですが、このあたりから一気に既読率が(一時的にですが)上がります。

 ああ、古き良きハヤカワの時代(<いろいろ語弊があるぞ)。

 そして、次回はいよいよディック・フランシス『大穴』の登場ですわ。日本を代表するキクチスト畠山さんがどんなテンションで臨んでくるのか、いまから楽しみというか怖いというか。

畠山:登山愛好家の加藤さんからすると「山岳小説かくあるべし」というこだわりがあるかもしれませんが、私のように山とかスキーとかマラソンとかなぜわざわざ時間と金を使って苦しい思いをするのか理解できんという完全インドア派にとっては「登る」「飢える」「凍る」の三拍子揃えばそれは立派な山岳小説です。一物三価ってこういうこと?

 凍傷になった手足をこすって血行が戻ってくると強烈な痛みに襲われてまた地獄……なんてシーンは北国育ちの人間なら字面を見ただけで指先が痛痒くなってきちゃう。

 そんな困難に立ち向かう彼らに贈られる「血が男の中に流れている限り、不可能ということはないんだよ」というキメッキメの名台詞は冒険小説好きなら鼻血噴いて倒れちゃいますね。昨今は「男」の一文字が要らなくなってるとは思いますが。(伊調馨選手、国民栄誉賞万歳!)

 時代を追って翻訳ミステリーを読む、このミステリー塾。ついこの前までは第二次世界大戦が背景になっている作品が多くありました。『ナヴァロンの要塞』のようにガチで戦場を描いているものからサラッと「沖縄から帰ってきた」という一文が主人公の陰影を表しているようなものまでバラエティに富んでいましたね。

 この『高い砦』の主人公ティム・オハラは朝鮮戦争帰りのパイロットで、捕虜になった経験から心に傷を負っている人物。時代背景は朝鮮戦争後、東西冷戦時代へと進みました。そして加藤さんが言っていた「共産主義者」という言葉が「よくわかんないけど問答無用で悪い人っぽい」と思わせる空気感など、海外小説を時代を追って読むということは世界情勢の歴史を学ぶことでもあるんですね。当たり前のことかもしれないけど今までこういう読み方をしたことがなかったのでとても新鮮です。

 興を削ぐので何がとは申しませんが、もう一人の軍隊経験者フォレスターなんかも、おお! こういう人物が出てくる時代に移ってきたのかとニヤッとしますよ、きっと。

 ちなみに私はオハラよりフォレスター、そして万屋(!)ローデが好きだなぁ。この二人には私の腐アンテナがビビン! と…あ、アームストロングとウイリスの学者コンビにもちょっと変な兆候が…とかなんとかそんなこと誰も一言も(強制終了)

 で、何? 来月の課題は『大穴』なの? (←ホントは何か月も前からドキドキしてた人)

 ちゃんと皆さんに“良さ”が伝わるようにアタシがんばる。フランシス信者&キクチストの陰の首領KG山TK朗(“卵かけごはん”に空目)氏に及第点をいただくのが目標♪

■勧進元・杉江松恋からひとこと

『マストリード』を発表年順にしてよかったことの一つに、その時々の流行がラインナップに反映されるということがあります。戦争冒険小説であるアリステア・マクリーン、本質的にはスリラーですが主人公像に冒険小説の要素を色濃く持ったディック・フランシスなど、この時代の主流が何であったかがよくわかります。デズモンド・バグリイ『高い砦』は、後に北上次郎氏が〈活劇小説〉として定義することになる冒険小説の典型として、100冊にはどうしても入れたかった作品でした。極端に切り詰めた冒頭の状況説明、そして読者を休ませず次々に事態を変化させていく書きぶりなど、後続作家に大きな影響を与えた作品だと思います。その意味では現在、デビュー作『ゴールデン・キール』『マッキントッシュの男』『スノー・タイガー』といった他の作品が品切状態になっているのは非常にもったいない。バグリイに学ぶことはまだまだあると思うのですが。

 さて次回はディック・フランシス『大穴』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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