やるかたない、というのは、こんな感情だろうか。
ドン・ウィンズロウの大作『ザ・カルテル(The Cartel)』(2015年)を読了して、まず心に浮かんだのが、この、やるかたない、という想いだった。『ザ・カルテル』は、探偵ニール・ケアリーを主人公としたデビュー作『ストリート・キッズ(A Cool Breeze on the Underground)』(1991年)に始まるシリーズとはまた別の新たなステップとしてウィンズロウの大出世作となった、『犬の力(The Power of the Dog)』(2005年)の続篇にあたる。この2作にわたって、かつては友人同士だった二人の男——DEA(麻薬取締局)捜査官アート・ケラーと麻薬王アダン・バレーラとの30年近くにもわたる壮絶な対決が描かれる。続篇の刊行を切望していたにもかかわらず、やはり予想どおりのやるかたない読後感だ。そう、この麻薬ビジネスにまつわる紛争には、けっして終わりが訪れっこないからだ。
そんな一大サーガの後半部にあたる『ザ・カルテル』。ラスト近くのクライマックス・シーンがまずプロローグとして披露され、場面が一転する。ニューメキシコの修道士たちのもとで養蜂家(ビーキーパー)として静かに暮らすケラーのもとに、元の上司テイラーが訪ねてくるところから、物語は正式に幕を開ける。娘の葬儀に出席したいがために獄中のバレーラが密告をし一時出獄する。バレーラを牢に放り込んだケラーの身にも危険が及ぶかもしれないというのだ。ケラーは姿を消すが、その直後、バレーラは脱獄し、ふたたび麻薬ビジネスの頂点にのぼりつめようとする。
舞台は、シナロア・カルテル、湾岸カルテル、フアレス・カルテルという三大麻薬カルテルが利権を争うメキシコ。やられたらやり返す血と暴力の繰り返し。報復に報復を、虐殺に虐殺を重ねる、その凄まじいまでの抗争は、まさにフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「ゴッドファーザー(The Godfather)」(1972年、原作はマリオ・プーヅォの1969年作)でのマフィア同士の諍いと同様だ。チリの文豪、故ロベルト・ボラーニョが遺作『2666(2666)』(2004年)の4章に延々と描いた、酷薄なまでのメキシコの風土と犯罪との悲劇的な結びつき。
ここで描かれる血で血を洗う抗争は、カルテルのそれぞれのトップや構成員が裏切り裏切られ、寝返っては古巣に戻りと、簡単には相関図を説明できないというのが正直なところです。あらすじを敢えて言いきってしまうと、ケラーとバレーラとの宿命的対決を軸としながら、カルテルの紛争としては最終的に、バレーラ率いる血盟団と、エリベルト・オチョア率いる湾岸カルテルの殺し屋集団セータ隊との一騎打ちへと収斂していくことになる。
その濃密な物語のなかには、じつはいくつもの胸を打つサブ・ストーリーが重層的に織り込まれているのだけれど、そのひとつひとつがこれまた素晴らしい。とりわけ、少年チュイ、政治活動家であるパン屋のヒメナ・アバルカ、高潔の老牧場主ドン・ペドロ・アレホ・デ・カスティーリョ、新聞記者パブロ・モーラ、それぞれに降
りかかる悲劇的なエピソードは、涙なくして読めないだろう。ひとえに登場人物のみごとなまでの造型が、その効果を生んでいるわけだけれど、それが物語の後半へと巧みにつなげられていることにも脱帽してしまう。
さて、そんな魅力あふれる脇役陣のなかでも、ひときわ異彩を放っているのが、中堅の麻薬商エディ・ルイスと、前述の少年チュイだろう。目の前で友人をセータ隊に惨殺されたルイス。最愛の女性を複数の男たちに凌辱され虐殺された少年チュイ。それぞれの抱える事情からセータ隊への復讐を誓ったこの二人のキャラクターは、物語全体にかなりの色を添える重要な役割を担うことになる。
ルイスは、裕福な家庭に育ち誰をも惹きつける容姿を持ちながら麻薬ビジネスに身をやつすけれども、彼の信条として女子どもにはけっして手を出さない。が、セータ隊のトップ3、Z-1こと隊長のオチョア、Z‐40こと幹部モラレス、手榴弾男セグラへの凄まじいまでの復讐心から、残虐な行為も厭わない。一方、セータ隊の訓練によって何人もの人間を平気で殺害する殺人機械と化した少年チュイは、自分を救ってくれた女性を守れなかったことから、セータ隊への復讐心を心の奥底に秘め、当のセータ隊のために殺人を繰り返し、ただその報復実行の日を待ちつづけている。
今回は、このルイスというキャラクターに注目したい。凄惨な物語のなかにあって、どことなく安堵感を与えてくれる飄々とした存在として印象的だからだ。裕福な家に生まれ容姿端麗ながら麻薬ビジネスに手を染める変わり種。女好きで高級品志向で映画好きで、つまり、きわめて俗物な人物像なのである。
自身の殺戮行為を、映画「ゴッドファーザー」のアル・パチーノと重ね合わせ、映画との食い違いを気にしたりする。あげくの果てには、麻薬取引による財力に物を言わせ、実際に映画製作(自身の別称「ナルコ・ポーロ」をタイトルに)に取りかかろうとする。しかも、自分を主演にしようというのだから、思わず笑ってしまう。映画は大好きらしく、「グッドフェローズ(Goodfellas)」(1990年)、「スカーフェイス(Scarface)」(1983年)、「マイアミ・バイス(Miami Vice)」(2006年)などを参考にしようとする。
どうやら音楽も大好きなようで、最初は自分の命を狙っていたチュイとタッグを組むことになったとき、少年の虚ろな目を見て、「やましい足じゃ、リズムに乗れない」とワムの大ヒット曲「ケアレス・ウィスパーズ(Careless Whispers)」のフレーズを頭に浮かべる。自分の趣味はノルテーニョ音楽(メキシコの民族音楽)なんかよりパール・ジャムだけど、グラミー賞歌手(ラモン・アヤラのこと)の「チャパラ・デ・ミ・アモール(Chaparra de mi Amore)」には、「ゴッドファーザー」でジョニー・フォンテーンが結婚式で歌う場面に匹敵するくらいぞくぞくするという。
ケラーのセータ隊殲滅に協力する見返りの要望のひとつとして、イーグルス、スティーヴ・アール、ロバート・アール・キーン、キャリー・アンダーウッドの音源を入れたiPodを要求したり。と、つまり洒落者の俗物なのである。
じつはこの『ザ・カルテル』、5部から成る物語なのだけど、その部ごとと章ごとに、エピグラフが付されていて、聖書からの引用、アイルランド民謡などのほかは、その大半がポピュラーソングの歌詞からとられているのだ。
列挙すると、ジョン・プライン「クリスマス・イン・プリズン(Christmas in Prison)」、チャーリー・ロビソン「ニュー・イヤーズ・デイ(New Year’s Day)」、ドッド・サーニー「ブルース・イズ・マイ・ビジネス(Blues Is My Business)」、ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード(The Ghost of Tom Joad)」、ネリー「ライド・ウィット・ミー(Ride Wit Me)」、トム・ラッセル「シナトラがフアレスを踊ったとき(When Sinatra Played Fuarez)」、ランディ・ニューマン「ジョリー・コッパーズ・オン・パレード(Jolly Coppers on Parade)」、ザ・バンド・ペリー「イフ・アイ・ダイ・ヤング(If I Die Young)」、スティーヴ・アール「ゴッド・イズ・ゴッド(God Is God)」——。
プラインの歌から引用しているあたり、ひょっとしたらこの歌にインスパイア—されて刑務所内のパーティーを導入部に持ってきたのだろうか。刑務所内サスペンスのミッチェル・スミス『ストーン・シティ(Stone City)』(1989年)やティム・ウィロックス『グリーンリバー・ライジング(Green River Rising)』(1994年)は、もちろん意識していると思うけれど。
ほかにも、チュイの友人だったガブが口ずさむインナーサークルの「バッド・ボーイズ(Bad Boys)」、バレーラの愛人となる絶世の美女にして才媛マグダが、自身麻薬ビジネスに手を染めようと決意したときに思い起こす、デスティニーズ・チャイルドの「インディペンデント・ウィメン(Independent Women)」と、メジャー・ヒットした曲の歌詞なども効果的に引用している。
これだけ緊密でシリアスな物語に、これだけの音楽が使われていることにあらためて驚かされたわけだけれど、そんなウィンズロウの趣味嗜好だから他の作品にもさぞかし、と思ったら、そういうわけでもなさそうだ。『ザ・カルテル』が刊行される少し前に、ミリタリー・サスペンス『報復(Vengeance)』(2014年)と失踪人捜査ものサスペンス『失踪(Missing: New York)』(2014年)の2作の邦訳が同時に刊行されているけれど、ブルース・スプリングスティーン、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、ジョニ・ミッチェルなどのアーティスト名が、後者に若干登場するくらい。以前に刊行された『歓喜の島(Isle of Joy)』(1997年)などは、主人公である調査員の恋人がジャズ・シンガーという設定なので、当然ながら音楽に関する話題も頻出していたけれど。
ちなみに、音だけでもなく、視覚的なイメージも強いウィンズロウ作品。作中でも映画作品について言及している箇所が複数あったが、これまでにいくつか具体的に映画化されたものがある。『ボビーZの気怠く優雅な人生(The Death and Life ofBobby Z)』(1997年)が「ボビーZ」のタイトルで、『野蛮なやつら(Savages)』(2010年)が同名で映画化されている。ちなみに、『犬の力』と『ザ・カルテル』は、2作を合わせた形で映画化が進んでいるそうだ。監督にリドリー・スコット、主演のケラー役にレオナルド・ディカプリオの名前が挙がっている。作中で自身をモデルにした映画の制作を計画していたルイスが、製作関係者からディカプリオをキャスティングする予定だと聞かされるシーンがあって、思わずにやりとさせられてしまった。
一方で、ケラーの恋人となる医師マリソルが、メキシコのギリェルモ・デル・トモ監督による映画「パンズ・ラビリンス(El laberinto del fauno)」(2006年)を観てスペインのファシズムに憤慨しつつ、その映像の美しさに涙したという場面も作中にある。このダーク・ファンタジー映画のヒロインの少女が死と引き換えに夢の世界への逃避を願う想いこそが、メキシコの壮絶な麻薬紛争の行きつく先のなさを代弁しているように思えて、やるかたない気持ちになってしまった。
◆YouTube音源
“Christmas In Prison” by John Prine
*2011年9月のライヴから。
“New Year’s Day” by Charlie Robison
*カントリー/フォーク系シンガー&ソングライター、チャーリー・ロビソン2004年発表のアルバム『Good Times』収録曲のライヴ版。
“The Ghost of Tom Joad” by Bruce Springsteen
*ブルース・スピリングスティーン1995年発表のアルバム・タイトル曲を、スタジオ・ライヴから。
“Ride Wit Me” by Nelly
*デビュー・アルバムからのヒット曲。全米チャート3位。
“When Sinatra Plays Juarez” by Tom Russell
*ベテランのカントリー歌手が2001年に発表したアルバムから。
“Jolly Coppers on Parade” by Randy Newman
*1977年リリースのアルバム『小さな犯罪者(Little Criminals)』に収録された、ランディ・ニューマンの代表曲。2010年のヨーロッパ・ツアー・ライヴより。
“If I Die Young” by The Band Perry
*三人姉弟バンドによる2010年発表のデビュー・アルバム『The Band Perry』からの2枚目のシングル。
◆関連DVD
『ゴッドファーザー コッポラ・リストレーションDVD BOX』
『ボビーZ』
*ジョン・ハーツフェルド監督による『ボビーZの気怠く優雅な人生』の映画化作品。
『野蛮なやつら』
*オリバー・ストーン監督による同名小説の映画化。
『パンズ・ラビリンス』
*ギリェルモ・デル・トモ監督によるアカデミー賞3部門受賞のダーク・ファンタジー。
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |