——目からウロコの論理的推理

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:寒い日が続きますねー。皆様風邪などひかれていませんか?

 再来年(?)かどうかはわかりませんが、近いうちに元号が変わるのは間違いなさそうで、ちょっとたじろぎます。昭和生まれにとっては、かつて自分たちが「明治生まれのおじいちゃんおばあちゃん」と呼んでいた人たちの域に突入する感覚です。いや、ここで老け込んではいけない。こうなったら、そのまた次の元号も見届けるくらいの気合でまいりましょう!

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、年代順に翻訳ミステリーを学ぶ「必読!ミステリー塾」。ここ半年くらいは体力勝負(?)の冒険小説系が続いていましたが、今月は打って変わって本格推理小説の金字塔、ハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』です。安楽椅子探偵ものの決定版といっても過言ではないかも。

「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」

郡検事の“わたし”が何気なく思いついたこの一文に友人のニッキイ・ウェルト教授はひとつひとつ丁寧に推論を組み立てていった。

話し手の置かれている状況、時間、場所…そしてその推論はやがて意外な真実を導き出す。

(表題作「九マイルは遠すぎる」他7篇)

 ハリイ・ケメルマンは1908年ボストン生まれ。ボストン大学を卒業後、教職に就く傍らで執筆をし、1947年にEQMM(エラリー・クイーン・ミステリマガジン)の短編コンテストに「九マイルは遠すぎる」を応募して見事に入選しました。本書の序文によると「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない〜」という言葉が頭に浮かんでから推論を重ねること14年にしてできあがった小説だそうです。

 本書に収録されているのはすべてニッキイ・ウェルト教授のシリーズ。長編ではユダヤ教のラビ、デイヴィッド・スモールを主人公とした『金曜日ラビは寝坊した』(アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞新人賞を受賞)で始まるシリーズがあり、推理小説としてのみならずユダヤ人社会を描いた小説としても高い評価を得ています。ただし現在は入手困難であることが残念。

 思えば十代の頃から『九マイルは遠すぎる』も『金曜日ラビは寝坊した』もタイトルは知っていたのですが、持ち前の妄想力でもって全然違う内容を想像していました。

 まず9マイルがどれくらいの距離なのかわかってないところから方向性を誤り、そりゃ遠いんだろう、「遠すぎる」といってるくらいなんだから果てしなく遠いんだろうと解釈し、これはきっと見果てぬ何かをもとめてひた走るロードノベルに違いない、と。

 そして「ラビ」がユダヤ教の聖職者であることを知らなかったがために、またまた方向性を誤り、元気でおっちょこちょいな少年ラビが金曜日に寝坊して慌てて学校に行く途中に事件に遭遇するお話しなのであろう、ハリイ・ケメルマンという人は大なり小なり「旅」を通じて人の成長を描く作家さんなんだなぁ、と。(恥ずかしながらこの話、盛ってません……)

 だから初めて『九マイルは遠すぎる』を読んだ時はとにかくビックリしました。誰も旅してない! てか、ど真ん中の安楽椅子探偵じゃん! ニッキイ・ウェルトの推論にとても説得力があって、そうですねそうですねと頷いているうちに、当然の帰結として真相が提示され、あまりのに鮮やかさにポカーンとなる。

 思い込んでた内容とまるで違ったけど、それゆえに面白さも倍増。今回久しぶりに再読しましたが、結末がわかっていてもやっぱり面白い。というか、再読してようやく飲み込んだエピソードもちらほら(笑)

 あ、ちなみに9マイルは14.4km(1マイル=1600m)ですって。仮に日本が舞台で、「14 kmもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」と聞いたら、皆さんはどんな推論を立てるでしょう? 私は「自衛隊の演習」(笑)

加藤:いかにも昭和なテイストを自認する我々ですが、気付けば昭和よりも平成の方をずっと長く生きているのですね。

 思えば、昭和から平成に変わったのは、ちょうどバブル景気が始まったころ。

 バブルといえば、直接見たことはないけれど、畠山さんは金髪にしてた時期があったんだってね。

 今度会ったときには是非当時のスタイルを再現しつつ、弁当箱片手に「しもしも〜西崎〜?」とかやって欲しいな。4月のコベンションでよろしく。

 さて、『九マイルは遠すぎる』。この一度聞いたら忘れられないキャッチーなタイトルはもちろん知っておりましたが、読んだのは今回が初めてです。

 なるほど、こーゆーのを「安楽椅子探偵もの」っていうんですね。

 レックス・スタウト『料理長が多すぎる』のときにチラッと話に出たけれど、そのとき僕は、「探偵が何らかの理由で(寝たきりだったり太っていたりで)現場に行けなかったり、関係者から直接話を聞けなかったりする代わりに、ズバ抜けた頭脳と天才的なヒラメキで事件を解決するタイプの話」という風に、かなりザックリ理解したのですが、もうちょっと範囲が広いみたいですね。

 本作の探偵役は、捜査関係者でも職業探偵でもない、全くの部外者である英文学が専門のニッキイ・ウェルト教授。

 彼が初めて登場する表題作では、「9マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ」という、英語でたった11語の文章から、どれだけのことが推論できるかという思考ゲームが話の発端となっています。

 たとえば「約10マイルではなく9マイルと言っているので、これは正確な距離と考えられる」「9マイルでうんざりしている様子から語り手はスポーツマンや野外活動家ではない」から始まり、そこからさらに驚くほど多くの情報を芋づる式に引き出す様は、ちょっとした驚きと快感が入り混じった不思議な感覚。

 最後には、この付近での話だと仮定したうえで、出発地点や時間帯までも推理してしまうのだからビックリです。

 天才的なヒラメキというより、純粋な論理的思考能力で探偵が事件を解決してゆくのを楽しむのが、安楽椅子探偵ものの醍醐味ということなのかな。

 僕みたいな感性で生きている芸術家タイプ(<論理的でないことを最高に美化して表現してみた)には苦手な話かと思ったけど、最後まで楽しく読めたので、きっと貴方も楽しめるはず。

 元パツキンの畠山さんも楽しめたみたいだし、よかったよかった。

畠山:加藤さん、貴方、職場で女性が髪を切ったりしたら「か、髪、ど、ど、どうしたのかな? し、失恋したとか? え? え?」と話しかけて「い〜え〜そんなことありませんよ、ただなんとなく〜」とにこやかに返されてない? それって大抵「ケッ、うぜーよ、おやぢ!」と思ってるから気をつけた方がいいよ。友人として助言しておく。

 世の男性諸氏、こういう時は「髪切ったの? 似合うよ!」とさらっと一言でキメるか、キメる自信がないなら黙ってるのが吉♪

 でもこれがニッキイ・ウェルトだったら話は変わります。「髪をブロンドに染め直した女」からスタートして、彼女はどんな人なのか、年の頃は、職業は、既婚か未婚か……と次々に推論を立て、最初には考えもしなかったような結論を導き出します(あ、これが“日常の謎”ってやつか!?)。

 アクロバティックなトリックはナシ。「ちゃんと考えたら普通こうじゃない?」を積み重ねてたどりつくので、とても腑に落ちるのです。物理的な条件を組み合わせていくところももちろんですが、細かな人間観察から行動心理を考えていく過程に人間味を感じました。

 しかも「長期休暇に現実逃避したくて染めてみたものの、帰省して親に鼻白まれ、田舎のスーパーで浮きまくり、休暇最終日の夜にしょぼい気分でビ○ンヘアカラーで黒く染め直した」なんていう地味な結論じゃないことは、皆さんも見当がつくでしょう。

 実を言うと初読の時は、ニッキイ・ウェルトの印象が薄くて名前をすぐに忘れてしまっていました。いかにも学者っぽい気難しさはチラチラと見え隠れしますが、マニアックでもエキセントリックでもなく、完全無欠でもない。チェスで負けて不機嫌そうにしていたり、語り手である「わたし」(いわゆるワトソン役)とも対等な友人として付きあいをする、言ってみればとどこにでもいるような雰囲気の人です。再読すると他の人に対して尊大な態度をとらない彼の慎ましさみたいなものが心地よく感じられました。

 『金曜日ラビは寝坊した』のラビ・スモールもやはり謙虚な姿勢の人なので、品の良い上質なミステリーをお好みの方に激推しします。

 やっぱりね、人間、「品」って大切ですよ。(>誰に言ってる?)

加藤:そういえば以前、名古屋読書会で「安楽椅子ってどんな椅子?」という話になったことがあったんだけど、僕を含む多くの人が、ゆらゆら揺れるロッキングチェアをイメージしていたことが分かりました。

 実際、「安楽椅子」で画像検索すると☞こんな感じです。

 でも、元々は「アームチェア・ディテクティブ」なのだから「肘掛け椅子」が正解なんですね。☞こんな感じ。

 ところで、英語で「アームチェア・ナントカ」というと、大抵ネガティブな意味になるらしいですね。

  • armchair critic(安楽椅子批評家)
  • Armchair revolutionary(安楽椅子革命家)
  • Armchair general(安楽椅子将軍)

 どれも「たいした知識や経験がないくせに、もっともらしく語るイタい人」というようなイメージのようです。

テレビでスポーツ中継を見ながら、あーでもないこーでもないと言っている我々は、さしずめ「安楽椅子監督」とか「安楽椅子審判」ってとこでしょうか。

 しかし、その中にあって「Armchair Detective=安楽椅子探偵」には悪いイメージがないのは(フィクションとはいえ)凄いことかも。これは世の著名な安楽椅子探偵たちの長年にわたる活躍のお蔭に違いありません。

 そんなわけで安楽椅子探偵ものの傑作『九マイルは遠すぎる』堪能いたしました。

 こういう論理推理ゲームを読書会の余興などでやってみると、面白いかもしれませんね。

 ところで、「安楽椅子探偵」に対抗して「スケベ椅子探偵」って新しいジャンルを思いつい(強制終了)

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 ハリイ・ケメルマンの登場はアメリカ・ミステリー界に大きな驚きを与えたものと思います。「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に掲載された一連のニッキイ・ウェルト教授ものの短篇はもちろん傑作揃いで里程標的価値も持つものです。ですが作家としての真価は、『金曜日ラビは寝坊した』から始まるラビ・スモール・シリーズによって発揮されたと私は考えます。アメリカにはユダヤ教(ユダヤ教の教えを守って生きている人たち)という集団がいるという事実と、その内部には他にないルールが適用されるのだということを第一作『金曜日ラビは寝坊した』は改めて読者につきつけました。これ以前にもマイノリティである個人を主人公にした作品は多数存在します。しかし、ラビ・スモールに率いられた共同体そのものを描くことを主題にした小説は、少なくともミステリーの分野ではありませんでした。その源流にはエラリー・クイーン『ガラスの村』や一連のライツヴィルものなどがあるでしょうし、この後には小共同体内で起きた犯罪を描くタイプのミステリー、いわゆるコージーものなども影響を受けているはずです。ラビ・スモール・シリーズが翻訳としては完結しなかったこと、今ではほぼ品切状態で手に入らないことが残念でなりません。

 さて、次回はマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』ですね。楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

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