先日、なんと55周年を迎えたという銀座の老舗バーでユニークなイベントが催された。数多のCM曲やドラマの主題歌、もしくは往年の人気TVドラマ「寺内貫太郎一家」(向田邦子原作)の頑固親父役でおなじみの作曲家・小林亜星さんが、手回しの蓄音機で昔懐かしのジャズのSP盤をかけるというもの。カートリッジ部分にも使用するのは竹針だけに1枚かけると交換。さもないとレコード盤が削れていっちゃうからだとのこと。いやあ、そんな儀式めいたところもいいもんです。
さすがにそこまで徹底しちゃいないだろうけど、このところのアナログ盤ブームたるや凄まじい。レコードを知らなかった若者世代にまで広がっていて、たいていの話題作は国内外を問わずデジタルとアナログとの両方でアルバムが発売される。日本では唯一と言われるアナログ盤プレス工場のある会社・東洋化成に見学に出かけたこともあるのだけれど、広報担当の方によると引きも切らずにオーダーが入ってくる状況だとのこと。こんなことならCD盤に切り替えてアナログを大量に処分なんかしなきゃよかった……って、あとの祭りか。
ここで我ら世代にゃ常識だろう講釈をば。一般に流通しているLPと呼ばれるアナログ・レコード盤(Vinyl)は直径12インチで、回転数が1分間に33と1/3回転だ(3分間に100回転ということ)。シングル・ヒット用に両面1曲ずつ収録されるEPと呼ばれる通称ドーナツ盤は直径7インチで、回転数は1分間に45回転。もともとは発売元の規格違いによる差異だったようですが。ちなみにSPの回転数は1分間に78回転。アナログ音楽世代としては、これら33、45、78という数字にはやけに敏感に反応してしまう。
とまあ、まるで強引とも思える導入ではあるけれど、米国の女性作家シャノン・カークのデビュー作『メソッド15/33(Method 15/33)』(2015年)を書店で見かけたとき、まず最初に目を引いたのが、この“33”という数字だったことは否めない。ただしこの数字、監禁ものサスペンスであるこの小説のヒロインにとっては回転数ではなく、脱出&復讐のための道具にふられた番号にすぎないのだけれど。
『メソッド15/33』は、誘拐監禁ものという暗鬱なテーマながら、圧倒的に痛快なエンタテインメント小説である。ヒロインは16歳の女子高生。わけあって名前はあえてふせておく。しかも彼女は親愛なるボーイフレンドの子どもを身籠っている妊婦でもある。ある朝、通学途中に銃を突きつけられ「抵抗すると腹の中の子どもを殺す」と脅されて、栗色のバンに引きずり込まれてしまう。このあたりが事件自体の重要なポイントとなる。つまりは、誘拐犯は妊娠していることまで知っていて拉致したのである。
とはいえ、一見すると普通の女子高生なわけだけど、ひとつ特異なことというと、(じつは犯人も知らないことに)彼女は超人的な記憶力と自身の感情のオンオフ・スイッチを有する一種の天才少女だった。囚われの身になった瞬間から、脱出と復讐、彼女はそれだけを目的に自身の感情をコントロールし、そのために利用できるあらゆる周辺情報を取り込んでいく。緩んだ床板、赤いニットの帽子、ビニール、バケツの金属製取っ手……それらすべてに道具番号をわりふって頭の中に整理していくのだ。
一方、多発する少年少女の誘拐事件を専門に追いかけるFBI特別捜査官ロジャー・リウの視点からも、誘拐事件の様相が描かれていく。ヴェトナム人の父とニューヨーカーの母との混血である彼も、異常なまでの記憶力をもつ特殊な人間だ。かつて少年時代に最愛の弟が誘拐され、リウはその特殊な能力を使って独力で弟を救出するという体験をしていた。この事件が原因となって心に傷を負ってしまった弟のことを憂い、誘拐事件全般に執拗なまでの復讐心を燃やすようになった。彼とパートナーを組む強面女性捜査官(なぜか仮にローラと呼ばれている)。彼女もまた常人とは桁違いの嗅覚を身に付けているので、いわば超人コンビが捜査にあたっているわけだ。そう思うと安易なヒーロー物のような印象を与えるかもしれない。けど、作者はそうした特殊な感覚相互作用に関してもきちんとした文献にあたっていて説得力ある描写を心がけているようだ。
小説の結構としては、17年後に成人したヒロインが事件発生時を振り返って語っているというもの。もちろんヒロインが叡智を振り絞って冷静に“脱出/復讐計画”を実行に移してめでたしめでたしという、いたってシンプルな構図が物語の中心にはあるのだけれど、要所要所に興味深いエピソードを織り込むことで読者をまったく飽きさせない。思いがけなく読者を裏切ってくれる展開も用意されている。いやはやしたたかな新人作家の登場である。
さてさて、本題。じつは作者カークには3人の兄弟がいてそれぞれアーティスティックな道(彫刻家、セラピスト、ミュージシャン)に進んだという。冒頭の謝辞に記されているように、末弟マイクルというのは、サンズ・オヴ・カラルなるヒップ・ホップ・グループの中心人物で、プロデュースとラップを担当しているM・C・カポーンというアーティストらしい。彼のプロデュースしたナンバー「ヘイト・ワッツ・ニュー・ゲット・スクリュード・バイ・チェンジ(Hate Whats New Get Screwed By Change)」はyouTubeで聴くこともできるのだけれど、まさにこの歌詞のなかから、ヒロインが脱出/復讐のために自らを鼓舞する言葉が選ばれたという。作者本人が言うように、彼の音楽観が作品全体に大きな影響を与えているのだ。文体が持つ心地よいリズムのビートもまた、そんな影響があるのかもしれない。
作中もっとも音楽的な場面は、まさにヒロインが誘拐犯を罠にかけてしとめる準備を進めるところだ。実際には獲物を仕留める重要な道具のひとつとなるラジオから、狂おしいまでのオペラのフレーズが部屋に響きわたるところ。オーケストラが指揮に合わせて、賛美歌のロック・ヴァージョンを炸裂させる瞬間のために身構えている。この表現の臨場感たるや、凡百のスピーディーなロックよりも説得力ある表現なのだ。
それと対極をなすように、より具体的に歌詞を記して使われる楽曲が4つ。エストニア出身の女性シンガー&ソングライター、ケルリの「ウォーキング・オン・エア(Walking On Air)」は、計画決行の章のエピグラフとして歌詞の一部が引用される。疑問を捨てる強さがあれば自分の世界に火をつけられる、と。同じくその4章あとでは、女性シンガー、カレン・ぺリスを擁するイノセンス・ミッションの「ゴー(Go)」の引用が(「不可能なことなんてないんだから先へ進んで行こう……」)。
物語の後半では、サンタナと元ハウス・オブ・ペインのエヴァーラストが共演して大ヒットした「プット・ユア・ライツ・オン(Put Your Lights On)」。お腹の子の父親であるレニーの存在を語るのに、「わたしの頭に手をおく天使がいる……」と。
そして事件がすべて片付いた17年後、元捜査官リウとともに彼の選んだナンバー、ニューハンプシャー出身のシンガー&ソングライターであるレイ・ラモンターニュの「トラブル(Trouble)」をヒロインは聴く。生まれたときから山ほどのトラブルや悩みを抱えてきたけれど、彼女がいつもぼくを救ってくれた……。
また、子どもの頃にヒロインが猫を飼いたがって、母親が好きなジャクソン・ブラウンという名前をつけて何とか飼うことを認めさせようとしたり、生まれてくる子供にディランという名をつけたいと考えたりと、音楽好きのマインドをくすぐる小ネタもさりげなく挿入されていて、音楽というものを道具として巧みに使いこなしていることがわかる。
ここで話を戻すけれど、実際に作中で“15”と“33”(33日目に決行という意味でもあるけど)が表すのは道具にふられた番号で、それぞれ“黒い鉛筆削り”と“水”である。その2つの数字を象徴的に“脱出/復讐計画”の名称にあてているわけだけど、その実際の利用法については先を読んでもらうしかない。ともあれ、水もレコードもともに振動やら何やらをを伝えるものとして、あながち無関係というわけでもないだろう。なあんて。
理不尽にも監禁された囚われの身にありながら、狡知に長けた主人公が策略を弄して脱出するスリリングな小説というと、ミステリー・ファンの話題をさらったピエール・ルメートルの『その女アレックス(Alex)』(2011年)の前半部、鼠に襲われる恐怖と直面させられる場面をすぐさま思い起こした方が多いと思う。さらには、これまた一気に人気作家の座を手に入れたジョン・ハートの『終わりなき道(Redemption Road)』(2016年)。こちらは、少女誘拐監禁犯を射殺した女性刑事の物語だった。監禁場所という密室でいったい何が行われていたか。思いもよらない真実を抉り出すサスペンスの秀作だった。
そもそも監禁を扱ったミステリー作品は数多い。「ヒッチコックマガジン」の1959年創刊時に編集長を務めた小林信彦の初期純文学作品にも、そのものずばりの『監禁』というのがあったけれど、とにかく真っ先に思いつく小説といえば、人気作家が熱狂的なファンに監禁されるスティーヴン・キングの名作『ミザリー(Misery)』(1987年)だろう。そのキングが絶賛するジャック・ケッチャムの『隣の家の少女(The Girl Next Door)』(1989年)、ジェフリイ・ディーヴァーの『監禁(Speaking In Tongues)』(2000年)に『静寂の叫び(A Maiden’s Grave)』(1995年)、ジュリア・フォーダムのヒット曲のタイトルに使われた、イアン・マキューアンの初期長篇『異邦人たちの慰め(The Comfort Of Strangers)』(1981年)などもそうだった。大部さだけでなくその驚異的な面白さで話題を席捲したチャールズ・パリサーの物語小説『五輪の薔薇(The Quincunx)』(1989年)でも、主人公の少年を取り巻く数々の謎と事件の中で、監禁場所からの逃亡という手に汗握る場面があったと記憶している。
とまあ枚挙にいとまがないのだけれど、最近だと、フランスの新鋭サンドリーヌ・コレットの『さささやかな手記(Des nœuds d’acier)』(2013年)が印象深い。この作品についてはあらためて別の機会に取り上げさせていただくけれど、さらには『ミザリー』へのオマージュとも言えるS・A・ボディーンの『監禁(The Detour)』(2015年)なども邦訳紹介されたばかりだ。弱冠17歳のベストセラー作家が被害者となる誘拐監禁もののストレートなサスペンス作品である。
作者のシャノン・カークはペンシルヴァニア州イーストン生まれ。文豪ウィリアム・フォークナーの冠がかぶせられ未発表の作品を対象にした〈ウィリアム・ウィズダム・ライティング・コンペティション〉において、2012年に未完の長篇『The Extraordinary Journey of Vivienne Marshall』、翌年に本作のもととなったらしい中篇『15/33』、さらに翌年の2014年に未完の普通小説『The Impossibility of Interplanetary Love』と、3年連続で最終候補に選ばれている。マサチューセッツ州で弁護士を営み、ロースクールで教鞭もふるっている。少々エキセントリックな両親に、芸術への興味だけでなく、ボブ・ディランとサンタナがいかに天才であるか教え込まれた幼少期をだったという。むべなるかな、ですね。
◆YouTube音源
●“Hate Whats New Get Screwed By Change” by MC Capone
*シャノン・カークの実弟マイクルが所属するサンズ・オヴ・カラルの「ヘイト・ワッツ・ニュー・ゲット・スクリュード・バイ・チェンジ」。
●Kerli – Walking On Air
*エストニア人のシンガー&ソングライター、ケルリの「ウォーキング・オン・ウォーター」。
●“Put Your Lights On” by Santana featuring Everlast
*サンタナとエヴァーラストの共演による「プット・ユア・ライツ・オン」。大ヒットしたアルバム『スーパーナチュナル(Supernatural)』(1999年)に収録された。
●“Trouble” by Ray LaMontagne
*2004年のデビュー・アルバム『トラブル』の表題曲をアコースティック・ライヴで。
◆関連CD
『No-Plan-B』by Sons Of Kalal
*M・C・カポーンが所属するサンズ・オヴ・カラルのデビュー・アルバム(2008年)。
『Love Is Dead』by Kerli
*「ウォーキング・オン・エア(Walking On Air)」を収録したケルリのデビュー・アルバム(2008年)。
『Glow』by The Innocence Mission
*「ゴー(Go)」を収録した米国のインディー・ロックバンド、イノセンス・ミッション1995年発表の3rdアルバム。カレン・ぺリスの繊細なヴォーカルが優しい。
『Trouble』by Ray Lamontagne
*ニューハンプシャー生まれのフォーク歌手、レイ・ラモンターニュのデビュー・アルバム(2004年)。
◆関連DVD
『悪魔のセックス・ブッチャー(Three On A Meathook)』
*誘拐犯の兄弟と対話したヒロインが、かつてボーイフレンドのレニーと観たこのサイコパス映画を思い出す。映画の中で被害者が刺殺されるシーンでチャイコフスキーの音楽が重なるというのだ。ウィリアム・ガードラー監督による1972年の作品。
佐竹 裕(さたけ ゆう) |
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1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。 |