—— 警察小説とは時代と社会を映す鏡なのだ

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

 

加藤:もうあんまり言いたくないけど、この8月の暑かったこと。脳味噌が溶けるかと思いましたよ。7月が涼しかっただけに特に辛く感じたなあ。携帯電話のなかった生活がもう想像できないように、エアコンのない時代はどうやって生きていたのか思い出せません。つくづく思うけど、ここ50年くらいで人間は便利に慣れ過ぎて、生き物として確実に弱くなってるよね。字を書くとか、計算するとか、何かを覚えるということも必要なくなりつつあるコンニチ、50年後の人類はどうなっているのだろうと思わすにいられません。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」の第77回目。今回のお題はヘニング・マンケル『目くらましの道』。1995年の作品です。

1994年の初夏、スウェーデン南部スコーネ地方で連続殺人事件が発生する。被害者は元法務大臣をはじめとする後ろ暗い噂の絶えない著名人たち。そして、その手口は斧で殺害し、頭皮を剥ぎ取るという残忍かつ猟奇的なものだった。捜査の指揮をとるイースタ警察署のヴァランダー警部は、繋がりそうで繋がらない被害者たちと、絞り込めない犯人像に焦燥を深めてゆく。現代社会の闇を描く伝統的スウェーデン警察小説の新しい金字塔。

 著者のヘニング・マンケルは1948年生まれのスウェーデン人作家。20歳の頃から創作を始め、ノルウェーやモザンピークを生活の拠点にした時期もあった国際派だそうです。
 1991年に発表したクルト・ヴァランダーを主人公とする警察小説『殺人者の顔』が「ガラスの鍵賞」などを受賞。以後シリーズ化し、世界35ヶ国の言語に翻訳され2,000万部以上を売上げました。とくに西欧での人気は高く、テレビドラマ化されて、こちらもヒット。2015年に死去しました。

 そして、今回の課題本『目くらましの道』はシリーズ第5作で、CWA(英国推理作家協会)賞最優秀長編賞の受賞作品。
 いまや一大ジャンルともいえる「北欧ミステリー」ですが、その走りはやはりマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによるマルティン・ベック・シリーズですよね。これが1960年代から70年代にかけて。そして今の北欧ミステリーブームの隆盛を決定的にしたスティーグ・ラーソン『ミレニアム』が2005年。ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー警部シリーズはまさにその中間期に位置する正統派警察小説。福祉国家スウェーデンの抱える問題に正面から向き合う「内省小説」でもあるところはマルティン・ベックの正統な後継者と呼べるのではないでしょうか。

 ちなみに本作が出された1995年といえば阪神淡路大震災の年。そして、この年はマイクロソフトが「Windows 95」を発表した年でもありました。パソコンが本格的に一般に普及した記念すべき年。そしてアップルも「漢字トーク7.5」をリリースし、出版、グラフィック業界は急激なデジタル化の波に呑まれてエラい騒ぎだったのを思い出します。朝方、データ完成間近でMacが固まった時の絶望感は、まさに現代の賽の河原といったところでした。
 そして本作ではついに携帯電話が捜査に登場します。このミステリー塾も7年目でついにICT時代の夜明けぜよ。

 それにしても、本作の冒頭。初夏の菜の花畑で少女が焼身自殺するシーンは、これまで読んだミステリーのなかでもなかなかの衝撃度でした。畠山さんはどう感じた?

 

畠山:気温 40℃超え! ヘタレな北方民族は、ニュースを見るだけで倒れそうになりました。どうぞ皆さまご自愛ください。
 危険な暑さの時には、猟奇殺人事件の小説を読んで涼む。これぞ正しいミステリーファン的夏の過ごし方。というわけで、『目くらましの道』は涼をとるのにもってこいです。

 加藤さんの言う通り、ツカミはOK。しかも畳みかけるように次の事件や、新たな事実、意外な繋がりが発見されて、中だるみするヒマがありません。
 ヴァランダーシリーズは1作目の『殺人者の顔』から5作目にあたる本作まで読みましたが、冒頭でガツンとやられるパターンが多いですね。『リガの犬たち』では、二人の男性の遺体が救命ボートでどんぶらこと流されてきましたが、あれも忘れがたい。

 クルト・ヴァランダーという中年警官の眼を通してスウェーデンの社会的背景を描くこのシリーズ。今回は猟奇的な殺人犯を追いながら、今やスウェーデンの片田舎でさえ安穏とはできないのだという現実を突きつけられます。実はかなり早い段階で犯人が明らかになりますが、犯行の動機がわからないんです。でも、常識的に考えられる線を追えば追うほど迷宮に入り込んでしまう「めくらましの道」があって、ヴァランダーたちはなかなか真相がつかめません。次の凶行へと向かう犯人の姿は読んでいてあまりに辛く、お願いヴァランダー、一刻も早くその人を止めて、と心の中で祈りつづけていました。

 ところで主人公のクルト・ヴァランダー。かつて彼は、家庭が壊れ、実父ともうまくいかず、仕事のストレスもあって、浴びるほど酒を飲んでは大失敗をおかすという残念なループにはまっていました。確かに気の毒ですけど、一作目の『殺人者の顔』では、嫁のいない寂しさMAXでつい(つい?)女性に対して論外な無礼を働きまして、正直そのシーンでは「こいつキモい!」と思ってしまいました。それ以来、ヴァランダーを見る目がちょっとシビアなんですよ、私。寂しいおっさんはめんどくさくてイカン。
『目くらましの道』では、結婚を意識し始めたバイバと旅行計画を立てていたのですが、長引く捜査でキャンセルの可能性が高まってきます。彼女にお断りの連絡をせねばと思いつつも、踏ん切りがつかず、何度も電話を途中で切ってしまうヴァランダー。ごめん、ちょっとイラっときた。中坊じゃないんだから! とっとと! 電話せぇや! と。うーん、彼はダメ男科めんどくさい属グズグズ種ってとこかな。
 加藤さんは、彼のなんともぐじゃぐじゃした性格をどう思う?

 

加藤:ちょっと何言ってるのか分かんない。
 あんなに仕事の出来るヴァランダーをダメ男って。グズグズしてるって言うけど、もしかしたら奇跡が起きて明日すべての問題が解決するかも、って思わずにいられない気持ちはとてもよく分かる。楽しい予定のキャンセルをギリギリまで伸ばして何が悪い?(この本の一番の共感ポイント)
 というか、悲劇の文豪パステルナークさえダメ男認定されてしまう近頃の風潮はどうなのよ。読書会でも、ダメ男が出てくる話だとやたら盛りあがるじゃん。ん?  もしかして君ら、実はダメ男が大好きなんじゃないの?  そうか、女子はダメ男が好きなのか。だから僕は生まれてこのかたモテたことがないのか。人生の謎が一つ解けたぞ。ああ、僕もダメ男に生まれてくればよかった。

 というわけで『目くらましの道』なのであります。
 主人公であり、現場のリーダーでもあるヴァランダーですが、彼が何かを見たり誰かの話を聞いたときに、何かが引っかかる瞬間が中盤までに何度も登場するんですね。でも、それが何か分からない。アイデアをつかめそうで掴めないもどかしさ。それが登場するたび僕は「あ、またヘンゼルがパン屑を投げた」と思ったのですが、それが回収されていったり、全然関係ないことだったりが分かる終盤の流れが気持ちいいんですよね。警察小説の最大の魅力でもある、終盤の怒涛の畳み方はもう快感そのものです。

 警察小説の魅力といえば「事件を解決することが全てではない」というところも挙げておきたいですね。捜査をする警察官たちはその犯罪を生んだ社会の歪みや法の矛盾といった問題と無関係でいられないというか。社会不安や経済格差が弱い人間を犯罪に走らせ、さらに弱い存在が犠牲になる。その現実に日々対峙する彼らの無力感や絶望感が胸に突き刺さります。
 そして今回改めて、スウェーデン人って真面目だよなって思いました。自分たちの現状や歴史とちゃんと向き合っているというか。日本がそうでないとは言わないけれど、過去の成功体験のせいで僕たちはイマイチ謙虚になり切れていない気がしてしまいます。
 犯罪と社会の因果に翻弄される警察官たちの活躍と苦悩を描いた「正統派警察小説」を堪能しつつ、いろいろ考えた8月でした。

 

畠山:そうそう、ヴァランダーは職場では頼れる上司なんですよ。マメに情報共有と段取りをして、部下の言葉にもちゃんと耳を傾ける。ウザくてめんどくさい性格でも、仕事に支障はないという好例ですな。グズグズしているわりに直感の閃きはキレッキレだし、細かな事実を積みあげながらも、時として警察の手法から逸脱して突き進んでしまうところは嫌いじゃないです。何気ない日常の風景が織り込まれるのも人間臭さを感じさせますね。洗濯室でオバチャンに注意されるシーンはいかにも冴えない中年男ぶりで、ケネス・ブラナー(ドラマでのヴァランダー役)で想像してツボにはまりました。他の作品でも本筋には関係ないところで、転ぶ、ぶつける、なんか汚す、突然の便意で大ピーンチ! と、笑っていいのかどうかよくわからない微妙なユーモアは、ちょっとクセになるかも。不器用な人なのね、ヴァランダー。

 イースタ警察の面々も面白いのです。しょっちゅう風邪かインフルエンザで誰かが休んでるし、現場に急行!という事態でも家族の用事が優先だったりする。部下のマーティンソンが、子供のベビーシッターが見つからないからと上司のヴァランダーに平然と仕事を振るのには驚きました。日本も見習うといいのに。あ、でもヴァランダーが家族や恋人への業務連絡(?)を部下に頼むっていうのはいかがなものか。よい子は真似しないように。
 もうひとつビックリしたのが、ヴァランダーが被害者の家の冷蔵庫をあさって食事をしちゃうこと。他の刑事たちも無人になった事件通報者の家でコーヒーを失敬して飲んでいて、なんだそのフリーダムぶりは、と慄きました。これってリアル? 創作? スウェーデン警察の公式見解を待ちたい。いずれにしてもお国柄って面白いですね。

『目くらましの道』はシリーズ未読でも全く問題ありません。文庫解説で(解説は我らが勧進元の杉江さんですゾ)警察官たちのリストを作って下さっていますので、それを頼りにここから遡って初期作品を読むのもアリですね。ヴァランダーの変遷をたっぷりご堪能下さい。
 そ し て! ヴァランダー・シリーズ最終巻『苦悩する男』の発売が目前であります。マンケル氏が亡くなってすでに5年、これで本当にヴァランダーともお別れです。ああ、フロスト警部の最終巻を読んだ時の切なさを思い出してしまう。心して読まねばなりますまい。

さてさて、来る9月6日(日)にはオンライン・トーク・イベント第二弾「ヒメオワ読書会」が生配信されます! ロマンスで、サスペンスで、一気読み必至で、なんだか藪の中っぽい『秘めた情事が終わるとき』。どんな読書会になるか楽しみですね。YouTubeやTwitter(ハッシュタグは #ヒメオワ読書会)でのコメントもお待ちしています。ぜひご視聴くださいませ!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーが作った北欧警察小説の基本形が、これほどまで強固に後代の作家に受け継がれることになるとは、〈マルティン・ベック〉シリーズの新作が刊行されていた当時は誰も予想していなかったのではないでしょうか。その北欧警察小説の系譜をしっかりと受け継ぎ、さらに発展させたのがヘニング・マンケルでした。コスモポリタンを自称するマンケルは、一年のうちかなりの時間を他国、特に支援活動を行っているアフリカで過ごしていたことでも知られています。スカンジナビア半島は孤立しているのではなく、国境を接していない諸国ともさまざまな形でつながっている。その当たり前ともいえる事実に改めて着目し、国際社会の中でのスウェーデンを描くサーガとして彼はクルト・ヴァランダー・シリーズを構築したのでした。シューヴァル&ヴァールーがそうであったように、以降の北欧ミステリーもマンケルによって大きく変貌していきます。その優秀な後継者は、刑務所政策への関心を軸としてシリーズ作品を書いた、アンデシュ・ルースルンドとベリエ・ヘルストレムのコンビでしょう。彼らの作品を読むと、大規模な犯罪行為というものが地政学を抜きにしては考えられないことを改めて思い知らされます。先日読んだ野崎六助『北米探偵小説論21』では北欧探偵小説という括りに目を捉われず、EU圏全体で同時代性と編年遷移を見ていくべきことを指摘していましたが、これには一部同意したいと思います。現実の反映としての犯罪を題材とする小説は、そのために国際性という共通項を、国境や言語を超えて持つことになるでしょう。マンケルの作品は、ドイツやイギリスなどの非北欧圏でも早くから読まれていました。他の言語で書く中にマンケルからの影響を公言している作家がどの程度いるかは把握していませんが、そうした作品が邦訳される可能性は高いと思います。

 上記の通り、マンケルは国際的に開かれた舞台を用いた警察小説を書いた人ですが、作品数を重ねるに従ってその技法は深化していきました。一口で言うならばプロットの太い作家です。彼は凝った語り口を使いません。捜査をする警察官と、殺人を繰り返す犯人の視点を交互に置くぐらいがせいぜいで、複線のプロットが合流するところに罠をしかけるとか、そうした叙述の騙りに頼る作家ではないのです。中心にあるのは、犯罪を構成しているものの全貌を露わにすること。犯人の動機やその生い立ち、犯罪を構成している条件や環境などを捜査によって少しずつ明らかにしていき、手札が揃ったところですべてを読者につきつける。どちらかといえば実直な語りであるのに、読み進めていくと大きな驚きがあるのです。語りというよりは、明らかにされる真相の奥深さに読者は圧倒されるのでしょう。こうした太いプロット、語りの力さにおいて、マンケルは飛びぬけた存在でした。アイスランドのアーナルデュル・インドリダソンなどがそれに肉迫していますが、まずはマンケルの豪胆ともいえる語り口を体験していただきたいと思います。『目くらましの道』、本当に強い小説です。

さて、次回はドン・ウィンズロウ『ボビーZの気怠く優雅な人生』ですね。これまた期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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