—— 21世紀の87分署! ああ懐かしのアイソラの春

 

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:コロナと豪雨とオリンピックと、なんだかハチャメチャだった夏休みが終わろうとしています。良い子のみんなは宿題を終わらせたかな?  殺人は自由研究には向かないらしいので気をつけて。

 それにつけても、森さんの「女性は話が長い」から始まって、「カノッサの屈辱」をトレンド入りさせた河村さん、「あれは反対の意味だった」の張本さんと、近ごろの昭和の男はよく燃えますなあ。あの方たちの共通点は、それぞれの分野を極めた成功者であり、かつサービス精神が過剰なところ。目の前の人を楽しませようと思って余計なことを言ったりやったりしちゃう。少しも悪気が無いらしいところが恐ろしい。だから僕はいつも心配になっちゃいます、われらが田口俊樹先生は大丈夫だろうかって。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に読みながら翻訳ミステリーを学び直す「必読!ミステリー塾」。第89回のお題はエド・マクベイン著『でぶのオリーの原稿』、2002年の作品です。警察小説の金字塔87分署シリーズの第52作目。こんなお話です。

次の市長選出馬が噂される有力市議会議員が銃殺された。スタッフが見守る集会のリハーサル中、しかも舞台袖という近距離からの狙撃にも関わらず目撃者は皆無で犯人の逃走経路も不明。事件現場に一番に駆けつけた88分署のオリー・ウィークス刑事は、世間が注目するであろうこの重大事件の担当者の座を獲得し浮かれたのも束の間、オリーのアタッシェケースが何者かに盗まれた。そのなかには極秘資料や重要証拠ではなく、彼が書き上げたばかりの処女小説が入っていた……。

 作者はご存知、エド・マクベイン。1926年生まれのアメリカ人作家です。太平洋戦争末期に海軍に入隊し、そこで読書と創作に目覚めたのだとか。除隊後は本格的に創作を学び、1953年にエヴァン・ハンター名義で『暴力教室』を発表。翌年には映画化もされ、このヒットにより一躍注目作家となりました。
 そして1956年、エド・マクベイン名義で発表したのが87分署シリーズ第一作『警官嫌い』です。以後、2005年に亡くなるまで約50年にわたり実に56作を書き続けました。他には、ホープ弁護士シリーズなど。エヴァン・ハンター、カート・キャノンなどの名義でも多くの作品を世に送り出した大作家です。

 そんなわけで、警察小説の王道でありパイオニアの87分署がついに登場です。翻訳ミステリーの名作を年代順に読んできた「必読!ミステリー塾」ももう終盤の89回。すでに21世紀の作品に移って久しいわけですが、ここで87分署が来るのか! という驚きはありました。だって、ここまでマルティン・ベックやヴァランダー警部など、名作警察ミステリーを何冊か取り上げてきましたが、それら全ての原点は87分署シリーズに違いありませんものね。

 前述の通り、『警官嫌い』が出たのが1956年。おそらくはミステリーの世界で最も有名な架空都市「アイソラ」を舞台に87分署の刑事たちが事件を追う姿を描いた群像劇。二級刑事スティーヴ・キャレラが主人公ではあるけど、彼一人と事件にスポットを当て過ぎないところが、このシリーズが画期的だったと言えるところではないでしょうか。事件と真剣に向き合う刑事たちも私生活もやっぱり大事。仕事以外にいろんな問題や悩みも抱えていたりする。なんなら物語的にはそっちの方の比重が大きかったりすることも珍しくない。

 僕らは子どもの頃に「太陽にほえろ!」に夢中になった世代ですが、あとで87分署を読んで、あらゆる刑事ドラマがいかに87分署の影響下にあったのかがよく分かりました。
 畠山さんは87分署に何か思い入れはある?

 

畠山:「太陽にほえろ!」なら小一時間話せます。なにせ初めて好きになった“大人の男の人”がジーパン刑事。彼が殉職した時はボロ泣きで眠れなかったっけ。ところが平成の世になったある日、街の真ん中で「テキサス!」とか「ジプシー!」などと大声で呼ばれたらどんだけ恥ずかしいかに突然気づきまして、あれが私の七曲署卒業の瞬間でした。

 87分署シリーズが数々の刑事ドラマの土台になっていると知ったのはずいぶん後になってからで、どれどれと初期作品をいくつか読みましたが、いつしかそれきりになって幾星霜。21世紀になってからも新刊として書店に並んでるのを見つては、「まだ続いているのか!」と感心していたものでした。
 今回『でぶのオリーの原稿』を読むに先立ち、第一作の『警官嫌い』をおさらいしました。ええ、案の定です。ほとんど忘れてましたよ。かろうじて主人公スティーヴ・キャレラの名前と、彼の恋人が聾唖者だったということくらいですね、覚えていたのは。
 ちなみに『警官嫌い』は堪らないほど暑い夏の物語でして、五輪のマラソン中継を横目に読んでいたら倒れそうになりました。お読みになるなら涼しい時期をお勧めします。
 そんな流れで『でぶのオリーの原稿』を手に取り、まず登場人物表をみて笑っちゃいました。52作目だというのにスティーヴ・キャレラがまだ二級刑事!上司のピーター・バーンズも警部のまま!出世してない!(笑) 

 さてその『でぶのオリーの原稿』。87分署シリーズではありますが、主人公のオリー・ウィークスは88分署の刑事です。タイトル通りのでb…いや、巨漢。嘘みたいなスピードで他人の分までモリモリと食べる姿にこっちは胸やけ必至です。そしてクセ強すぎ。屁理屈をつけて人種差別発言はするわ、自惚れは強いわ、意地汚いことを平然とやるわで、どこの分署でも嫌われていただろうことは想像に難くない。パッと見て好きになれる主人公では全くないのですが、よく読んでも好きになれるかどうか……(笑)

 冒頭で起こる議員殺害事件。過去にオリーに命を助けてもらったことのある(しかも二度も!?)キャレラは、しぶしぶこの事件の捜査を手伝うことになります。実はオリーは盗まれた自分の小説の行方を追う方が大事で、肝心の事件はかなり他力本願なのですね。アタッシェケースを盗んだヤク中のエミリオがこの原稿を読んでちょっとした勘違いをしてしまったことから、虚構と現実が不思議な相関関係になっていきます。この小説、はっきり言って読むのも苦痛なシロモノなんですが、最後の方になってくるとなぜかそれなりの味があるように思えてきて不思議です。確かにオリーじゃなきゃ書けないかもしれない。褒めてるのか貶してるのかわからないけど。
 登場すると軽い嫌悪とともに、盤上が掻き回される期待が沸き上がる、嫌でも無視できない存在オリー・ウィークス。絶対SNSとかやっちゃダメなタイプですね。炎上必至だから。

 ああ、炎上といえば加藤さんが心配する“燃える昭和男”の件。
 大丈夫!田口先生は大丈夫だよ!
 無邪気に大失敗しちゃうオジサンは、まわりの人が遠慮してダメ出しできないのも原因だと思うの。『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』を読んでごらんなさいな。あれほど素直にまわりの声を聞き入れる大御所って、ケツァール並みに珍しいよ。

 

加藤:そういえば、その『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』によると、87分署はあくまで「八七分署」で、「八十七分署」ではないんですってね。だから、日本語的にも「はちじゅうなな(しち)ぶんしょ」ではなくて、「はちなな(しち)ぶんしょ」が正しいのかな。

 さて、警察小説・刑事ドラマの原点とも言うべき87分署シリーズは49年で56作。まさに大河警察小説と呼びたい貫録です。実は僕も恥ずかしながら、そんな大河のまあまあ上流で脱落したクチでした。記憶と本棚を探ってみたところ、読んでいたのは第14作『クレアが死んでいる』までだったよう。何故そこでストップしたのか覚えてないけど、当時すでに品切れまたは絶版の壁に阻まれたのかも知れません。同じ時期(20年前くらい)に読んでいたマルティン・ベックも、手に入れるのに随分苦労した記憶があります。

 そんなわけで僕が87分署を読んだのはチョー久しぶり。そして、読み始めてビックリですよ。畠山さんも書いているとおり、昔と何も変わっていないではありませんか。第一作『警官嫌い』(1956年)から『でぶのオリーの原稿』(2002年)までの間に、こちらの世界では46年の年月が流れているのに、あちらの世界では5年ほどしか経過していないのです。でも、1961年では決してない。インターネットもアマゾンも存在する世界。

 そんな『でぶのオリーの原稿』の特徴は、何といっても主人公がお隣り88分署の嫌われ者オリヴァー刑事であること。そして、もうひとつは、本作がとても珍しいカタチの「作中作ミステリー」であることではないでしょうか。
 作中作ミステリーと言えば、最近ではアンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』は凄かった。文庫の上下巻だからこそ味わえた驚きも忘れられません。そして、その続編『ヨルガオ殺人事件』がもうすぐ発売らしいですね。
 また、今年の春にはアレックス・パヴェージ『第八の探偵』も話題になり、名古屋読書会でも盛り上がったっけ。こちらにはナント殺人ミステリーのあらゆるバリエーションを網羅する7つの作中作が登場します。
 そんな作中作ミステリーのキモは、物語のなかで実際に進行している現実(虚構のなかの現実)と、作中作(虚構のなかの虚構)がどんなカタチで絡んでいくかというところだと思うのですが、本作はその意味でなかなか驚かされます。いやぁ、楽しませてもらいました。

 

畠山:作中作といえば、今月の七福神で吉野仁さんが勧めてらしたエリー・グリフィスの『見知らぬ人』もそうですね。ただいま夢中で読み耽っておりまして、一体どこに連れていかれるのか皆目見当がつかない状態を楽しんでおります。
 そういえば、『海外ミステリー マストリード100』の100番目はデイヴィッド・ゴードンの『二流小説家』。これもゴリゴリに作中作がぶっこまれている作品ですね。そうか、必読!ミステリー塾のゴールはこの作品か。今から楽しみです。

 その作中作にめいっぱい翻弄されるエミリオ。なんでオリーのこの小説にダマされるかな、頭悪いなとは思うけど(私なら書いた人の精神状態を心配するだろう)、売春してクスリ代を稼ぎ、ただただどっぷりと麻薬に浸かっているのですからさもありなん。友人のアンも同じ生き方をしていて、遠からず人生が破滅するだろうことが容易に想像されます。
 愚かで、でもなんとなく可愛げがあって憎めない彼らが、虚構と現実のドッキング現場に吸い寄せられていくのをハラハラしながら見守りました。ラストの二人の姿はたまらなかったなぁ。読み終えて時間が経った今でも、最初に思い出すのはエミリオとアンです。

 一人一人の人物に光があたる群像劇であるこのシリーズ。今回も刑事さんたちの私生活は面白かったです。キャレラの妻テディは、聾唖であることをハンデではなくアドバンテージとして生き方の幅を広げようと考え、キャレラもそれを応援します。同僚の刑事バート・クリングと市警の外科部長代理シャーリン・クックのカップルは、人種の壁と立場や年収の男女間逆格差があるものの、それを賢く軽やかに克服していく。シャーリンが二人の枕に刺しゅうした言葉はとっても素敵だったなぁ。89頁をご覧あれ。我が家の家訓にしたいくらい。
 どのエピソードも事件解決には微塵も関係ないけれど、刑事たちの人間的な面を見せてもらうことで読者は彼らが好きになり、応援し、事件解決を心から願うのです。

 最もキラキラしていたのは新米警官パトリシア・ゴメスですね。 “あの”オリーに素直に応対できる奇特な人です。適当に利用されても気づかないのは鈍感なのかイノセンスなのか。真面目な働きぶりで、彼女の閃きが事件解決に大きく貢献することになります。驚くことにオリーの下心を憎からず思っているようで、いろんな意味でで期待のルーキーと言えるかもしれません。これからオリーとパトリシアはどうなるのか!?めっちゃ気になる。

 今回『でぶのオリーの原稿』を読んで、過去作を遡りたくなりました。図らずも(?)オリーがキャレラを救った事件はどういうものだったか、一作目で新米警官だったバート・クリングが頼もしい刑事に成長するまでの紆余曲折、キャレラの結婚生活などなど知りたいことがたくさんあります。作中で少し触れられたので、名作『キングの身代金』も再読したいし。でもほとんど入手困難なんですよねぇ、残念すぎる。一気に電子書籍化してくれないかしら?早川書房さーん、聞こえてますかーー!? なんなら新訳でもいいんですよーー! 大歓迎でーーす!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

「太陽にほえろ!」の源流は遡れば87分署シリーズかもしれませんが、どちらかといえば藤原審爾〈新宿警察〉だということを先年発売されたdvdボックスで確認しました、というのは措いておいて。

 警察小説の代表作として87分署シリーズを入れないわけにはいかない、というのは当然のことですが、なんと『マストリード』の企画当時からほぼすべての本が品切れ状態で、唯一『でぶのオリーの原稿』のみが入手可能だったのでした。『マストリード』の百冊の中には第一候補がなくて苦渋の選択をしたものがいくつかありますが、これもその一つです。でも、シリーズの後半を彩った名キャラクター、オリー・ウィークス主演回なのでかえって現在の読者には興味深く手に取っていただけるかもしれません。

 87分署シリーズにおけるマクベインの功績は大別すれば二つ。一つはドキュメンタリーの味わいを警察小説に持ち込んだことでした。第1作の『警官嫌い』から取調べ室における被疑者と刑事の長いやりとりが描かれています。証拠を扱う警察の公式(と思われる書類)を文中に挿入するなど、初期作品において作者は、これが極めて現実に近い出来事なのだということを読者に意識させるようにしています。これらの手法をマクベインが取った背景には、「ドラグネット」に始まる刑事ドラマの流行があったことは見逃せないでしょう。ラジオ・テレビの両方でドラマ化された「ドラグネット」は「紳士淑女のみなさん、これからご覧になる物語はすべて真実のものです。名前だけはさしさわりないように変えてありますが」というナレーションで始まります。87 分署シリーズの巻頭に付される文言「この小説に現われる都会は架空のものである。登場人物と場所もすべて虚構である。ただし警察活動は実際の捜査方法に基づいている」はこれを意識したものでしょう。1951年12月16日に始まったこのドラマはミステリー小説にも大きな影響を与えました。ヒラリイ・ウォーもエッセイの中で、自作の方向転換を考えなければならなくなったと綴っているほどです。映像で警察捜査を観てしまった読者に対しては、それと同等のリアリティを持つものをぶつけないと意味がない。それが87分署シリーズでマクベインが出した結論でした。

 もう一つの功績は、主人公が交代しながらも87分署という舞台は同じという群像小説としてこのシリーズを始めたことでした。第1作で主役を務めたスティーヴ・キャレラは、新婚旅行に出ていたため第2作の『通り魔』では不在です。刑事になりたい制服巡査のバート・クリングが替わって探偵役を務めます。本来キャレラは数作で殉死する予定でしたが(このへんは『太陽にほえろ!』と似ています)、マクベインは思いとどまって彼を殺しませんでした。こうして主役交代劇こそ成りませんでしたが、キャレラに匹敵する存在感を持つコットン・ホースを登場させたり、渋い脇役のマイヤー・マイヤーにいいところを取らせたり、と中心人物を替えてシリーズは続いていきます。私が好きなのは悪徳警官すれすれのアンディ・パーカーです。マクベインが来日した際のサイン会でそのことをご本人にお伝えしたところ、「アンディ・パーカー?」と目を剥いて驚いていたのを覚えています。そのパーカーが準主役を務める諸作や、いつもは完全な脇役のハル・ウィリスが視点人物になる悪女小説『毒薬』など、キャレラ以外の人物に焦点を当てた1980年代の作品が個人的には非常に好みです。1980年代はキャラクター小説化の流れがすさまじい勢いで進展した時期で、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー・シリーズなど主人公の人生観が物語と同等の比重をもって語られる作品が人気を博しました。現代ミステリーの源流はこのへんにあると私は考えますが、リアリティ重視できたマクベインが、キャラクター小説の流れにうまく切り替えたのはさすがの職人の勘であったと言うべきでしょう。

 さて、次回はエレン・ヴィエッツ『死ぬまでお買い物』ですね。こちらも期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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