“残された家族にとっては妙なもんだろうな、そいつの歌声を耳にする気分というのは”

 このたった一言に思わずハッとさせられてしまった。小説の登場人物が、飛行機の墜落事故で急逝したシンガーのことを語るシーンだ。
 件のアーティストは、1970年代の米国人シンガー&ソングライター、ジム・クロウチ。今回の主役なのだけれど、彼についてはのちほどゆっくりと語らせていただくとして、まずは小説のほうです。
 スティーヴ・ニックマイヤーのデビュー作『ストレートStraight)』(1976年)。翌年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀処女長篇賞の候補作にノミネートされた犯罪小説で、日本では『殺し屋はサルトルがお好き』として一度邦訳紹介されていたものの再刊ということになる(ちなみに同年の受賞作はジェイムズ・パタースンナッシュビルの殺し屋The Thomas Berryman Number)』)。


 舞台はオクラホマ州の田舎町ソラーノ。原題でもあるストレートというのは、主要登場人物である殺し屋の名前だ。
 元警官のリチャード・ストレートは、サルトルやキルケゴールに耽溺し、チャイコフスキーの音楽をこよなく愛する、少々変わり者のクールな殺し屋。彼が今回受けた依頼は、政府の助成金が出る開発計画で立ち退きに反発し始めた商店主を、自殺と見せかけて殺すというもの。しかも、巨漢のコーディーという別の殺し屋が彼の補佐役として随行することが条件となっていた。じつはこれには裏があって、首尾よく殺しが成功した時点でストレートをコーディーに抹殺させるというのが、依頼人の計画だったのだ。
 仕事自体は簡単に片付いたのだけど、被害者の愛人トレイシーと接近遭遇してしまい間一髪で逃げおおせる。が、しかし、彼女に岡惚れし尾行していた被害者の共同経営者ロープもまた犯行現場を見張っていて、犯行後に殺し屋二人が逃走するのを目撃していたのだった。というわけで、ロープの口止めのために脅迫という仕事を追加する羽目になってしまう。
 一方、元FBIの中年私立探偵クランマーは、愛人の事故死に疑問を抱くトレイシーから調査を依頼されていた。ビリヤードの腕前がプロ級で女性にもてまくる“半分相棒”の若者マネーリとともにソラーノに出向き、保険調査員になりすまして商店主の事故死?事件の真相を探っていた。
 ストレートにとっては今回の仕事はケチのつきどおしで、脅したばかりのロープの部屋に自動車のキーを取りに戻ったコーディーがロープを殺してしまった。事件を調査しているクランマーにロープが電話で情報を流しているのを聴いたからだった。この巨漢の相棒はどうにも信用できず、今回の仕事は自分の手に負えなくなってきていた。というのも、殺しはそれだけでは終わらなかったのだ……。
 かくして、複雑に入り組んだ田舎町の人間関係を背景に、思わぬ方向へと転がりに転がっていくのだけれど、この小説、殺し屋ものの犯罪小説とも私立探偵小説とも言えない、不可思議な魅力を持ったクライム・ノヴェルなのである。
 というのも、タイトルにされていることからも分かるように、本作のみの登場となる殺し屋ストレートは、私立探偵クランマーと並ぶ主人公と言ってもいいほど、重きを置いて描かれている。著者のスティーヴ・ニックマイヤーは本書の後にもクランマーを主人公としたシリーズものとして『Crammer』(1978年)を発表するなり、それを最後に小説を書いていないようだし。
 ネタバレにならないように書かねばならないのが口惜しいんだけど、ストレートがプロの殺し屋になったのには、じつは深い理由がある。それが物語のクライマックス部分に大きく関わってくる。読み手は、じわりと静かに心を打たれてしまうはずだ。そのための伏線が周到で、デビュー作とは思えないほどなのである。さらにそのクライマックス後にも、きちんと解決すべき点を踏まえて謎を残してある。ま、読んでいただくしかないでしょうね。

 さて、そこでようやく冒頭の言葉である。
 これは、ストレートとコーディーが仕事に向かう車の中でかわす会話の一部。大好きなチャイコフスキーの「悲愴(Pathétique)」を口笛で吹き続けるストレートに苛立ったコーディーが、ラジオのスイッチを入れる。と、ジム・クロウチの大ヒット曲「ルロイ・ブラウンは悪い奴(Bad, Bad Leroy Brown)」が聴こえてきて、おまえはいま死んだ人間の歌を聴いているんだぞ、とストレートが言う。
 ジム・クロウチはイタリア系のアメリカ人で、1943年ペンシルヴェニア州生まれ。1966年に自主制作でアルバム『ファセッツFacets)』を発表し、妻となったイングリッドとのデュオ・アルバム『ジム&イングリッド・クロウチJim & Ingrid Croce)』(1969年)を制作するが、鳴かず飛ばず。それが、1972年にメジャー・レーベルとの契約にこぎつけて発表したのが、『ユー・ドント・メス・アラウンド・ウィズ・ジムYou Don’t Mess Around With Jim)』だった。このアルバムからタイトル曲「ジムに手を出すな」が大ヒット。続いて「オペレイター(Operator〔That’s Not The Way It Feels〕)」、生まれくる我が子のために書いた「タイム・イン・ア・ボトル(Time in a Bottle)」と立て続けにヒットを記録し、ラジオではヘビー・ローテーションで彼の曲が流されるようになる。
 そして翌年に発表した2枚目のアルバム『ライフ・アンド・タイムズLife and Times)』からの先行シングルとなった前述の「ルロイ・ブラウンは悪い奴」が、全米1位の売り上げを記録。そんな人気絶頂のさなか、1973年9月20日、ライヴ・ツアー移動中のチャーター機が墜落し、わずか30歳の若さでジムは急逝してしまう。
 死後まもなく遺作として発表された3枚目のアルバム『アイ・ガット・ア・ネームI Got a Name)』は話題を呼び、タイトル曲は映画『ラスト・アメリカン・ヒーローThe Last American Hero)』(1978年)に主題歌として使われた。
 ジムの事故死が1973年で、本書の発表が1976年。
“その歌手が乗っていた飛行機が、少し前に墜落したんだ”、“残された家族にとっては妙なもんだろうな、そいつの歌声を耳にする気分というのは”というのがストレートの言葉。そして、コーディーはただ、これはいい歌だと答えて肩をすくめる。
 たったそれだけのシーンなのだけど、ここには奥深いメッセージが秘められている気がする。アーティストにとって、その作品は自らが命を失っても後世に残されるものだ。そしてそれは、言い換えると、人間の存在した“記憶”とも言えるように思える。もちろん、そうなるとアーティストの作品のように限定的なものではなく、より普遍的でより大衆的な信義としてとらえることになるのだけれど。
 そう、いまは亡き歌手の歌声に聴き惚れるという行為は、ストレートにとって、すでに死んだ人間の記憶にすがっているように思えたのではないか。いや、だけど皮肉なことに、彼自身もまたその“記憶”を耳にすることで、失った人間の存在への慈しみを否応もなく甦らせることになる。と、そんなふうに思うのは、あまりに深読みがすぎるだろうか。
 ちなみに、小生の大好きだった黒人美女R&Bシンガーのアリーヤもまた、人気絶頂にあった2001年、3枚目のアルバム『アリーヤAaliyah)』発表直後にやはりセスナ機の墜落事故で急逝。22歳だった。

 ニックマイヤーはかなりの音楽好きのようで、作中のところどころで音楽への言及個所がみられる。
 カウボーイミュージックの取柄はゆっくり踊ることができて歌詞を気にしなくていいことだとマレーリに嘯かせたり、ボブ・ディランのカセットテープをカー・ステレオでかけたり、アート・ガーファンクルそっくりの髪型の新聞記者が出てきたり。楽曲だけにしても、レッドベリーの名で知られたブルース歌手ヒューディー・レドベターの「デカルブ・ブルース(De Kalb Blues)」、盲目の人気シンガー&ギタリストであるホセ・フェリシアーノによる「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」カヴァー、ジャズ・クラリネット奏者アーティー・ショーの「クラリネット・コンチェルト(Clarinet Concerto)」、俳優としても人気の高いカントリー歌手クリス・クリストファースンの「サンデー・モーニング・カミング・ダウン(Sunday Mornin’ Comin’ Down)」などなど。「イージー・リヴィング(Easy Living)」や「ムード・インディゴ(Mood Indigo)」といったスタンダード・ナンバーもちらりと。ほかにも、オズモンズ・ブラザーズ、デューク・エリントン、ジェリー・ロール・モートン、コンウェイ・トウィッティ、ショパンと、とりとめのないほどジャンルをまたがって登場させているので、音楽好きはとにかくニヤリとさせられるだろう。

 余談をばもうひとつ。ジム・クロウチの愛息A・J・クロウチは現在、ピアノを弾きながら歌うシンガー&ソングライターとして活躍中。フォークやカントリー・ミュージックに美しいメロディ・センスを加味させた父親のDNAを引き継いだのか、さらにそこにブルースやジャズの要素までミックスさせ、洗練されたポップ・ミュージックに昇華させて、すでに7枚ものアルバムを発表している。そう、父親が亡くなった年齢よりもはるかに歳上となって。

◆YouTube音源
“ジムに手を出すな(You Don’t Mess Around With Jim)” by Jim Croce

*ソロ名義でのヒット作となったナンバー。盟友だったギタリスト、モウリー・ミューライゼンとのライヴ映像で。

“タイム・イン・ア・ボトル(Time in a Bottle)” by Jim Croce

*ジム・クロウチが生まれくる我が子に向けて書いた歌。1stアルバムからのシングル・ヒット曲だが、死後あらためて大ヒットを記録。

“ルロイ・ブラウンは悪い奴(Bad, Bad Leroy Brown)” by Jim Croce

*ジム・クロウチの最大ヒット曲となった「ルロイ・ブラウンは悪い奴」。

“アイ・ガット・ア・ネーム(I Got a Name)” by Jim Croce

*遺作として死後に発表された3rdアルバムからのタイトル曲。自作ではないながらも映画『ラスト・アメリカン・ヒーロー』の主題歌として大ヒットした。当時のライヴ映像より。

◆関連CD
“You Don’t Mess Around With Jim” by Jim Croce

*ジム・クロウチ、ソロ名義の1stアルバム。1972年に発表。

“Life and Times” by Jim Croce

*2ndアルバム。1973年発表。

“I Got a Name” by Jim Croce

*死後に発表された3rdアルバム。

“Just Like Medicine” by A.J. Croce

*ジム・クロウチの愛息A・J・クロウチ、7枚目となる最新アルバム。プロデュースはダン・ペン。ジムの未発表曲をヴィンス・ギルとデュエットした「The Name of the Game」を収録。

◆関連DVD
『ラスト・アメリカン・ヒーロー』

佐竹 裕(さたけ ゆう)
  1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
  好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。



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