——コーデリア・グレイのひたむきさと恰好良さに痺れまくる

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!


加藤:
間もなく8月も終わり。良い子のみんなはもう宿題は済ませたかな?(お約束)
 それにしても、この8月はおかしな天候でしたねえ。東京では21日連続で雨だったとか。
 丁半でもそこまで同じ目が続いたら「ちょっと待ちな! ツボの中身を改めさせてもらうぜ」って客が出てきて一騒動あろうかって展開です。
 プロ野球では、6月に巨人が13連敗、7月にはヤクルトも14連敗なんてこともあったので、小池都知事は一度お祓いでもしてもらった方がいいのかも知れませんね。

 そんなわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、P・D・ジェイムズの生んだ女探偵コーデリア・グレイの初仕事、『女には向かない職業』。1972年の作品です。

   コーデリア・グレイ、22歳。秘書として雇われた探偵事務所の共同経営者となった矢先、所長のバーニイが癌を苦に自殺。一人残されたコーデリアは、誰からも「探偵は女には向かない」と言われながらも、故人の遺志を継ぎ、探偵の仕事を続けることを決意する。
 そんな彼女に舞い込んだのは、突然大学を辞め、自ら命を断った息子の自殺の理由を調べてほしいという父親からの依頼だった。ケンブリッジに赴いたコーデリアは、やがて幾つもの不可解な事実を突き止め、自身も事件の渦中に巻き込まれてゆく……。

 作者のP・D・ジェイムズは1920年生まれのイギリス人作家。2014年に逝去。CWA賞ダイヤモンドダガー賞やMWA賞グランドマスター賞などを受賞したビッグネームです。

 ダルグリッシュ警視を主人公とするシリーズで3度のCWA賞シルバーダガー賞に輝いたP・D・ジェイムズでしたが、日本で彼女の名を一躍有名にしたのは、同シリーズのスピンオフともいうべき、女探偵コーデリア・グレイを主人公とした本作『女には向かない職業』でした。

 決して幸せとは言えない複雑な環境で育った22歳のコーデリア・グレイが、傷つきながらプロとしてひたむきに仕事と向き合う姿を描いた本作は、世界中の読者から好評で迎えられたものの、その10年後に続編『皮膚の下の頭蓋骨』が書かれたのみで、シリーズ化はされませんでした。

 そんな有名作ですが、僕は今回が初読。
 いわゆる3Fもの(作者、探偵、読者層がすべて女性)で、自分にはあまり楽しめないタイプの話だと決めつけておりました。

 それが何ということでしょう。目からウロコがオチまくり、読み終わったころには体重が2キロくらい落ちたんじゃないかと思うくらい。
 この連載がなかったら読むことはなかったであろうと思うと、勧進元にはひたすら感謝。2学期の始業式では全校生徒の前で褒めてあげたいと思うくらいです。
 とはいえ、サム・スペードの女性版というような話では決してなく、そこは主人公が若い女性であることの必要性、そうであるためのオリジナリティーが今読んでもとても新鮮に感じられるのが素晴らしい。

 そして、この話を読んで胸を打たれるのは、コーデリアのひたむきさです。一人の未熟な人間が初めての仕事を通して、たくましく成長してゆく姿。
 彼女の変に几帳面だったり、驚くくらい大胆だったりという一貫性を欠いた造形もとてもリアルに感じました。

 男の僕が読んで感激したんだから、女性が読めばもっといろいろ伝わるんじゃないかな。畠山さんはどう読んだ?
 そうそう、畠山さんにもたまに感心するけど、コーデリアの鈍感力も凄いよね。手首を切ったパートナーの血で汚れたカーペットを変えないとか、首を吊った若者の部屋のベッドで寝起きするとか。

 

畠山:鈍感? そう? コーデリア(と私)のために弁護すると、あれは鈍感力ではなく共感力だと思うの。たとえ生前を知らなくても、この世からいなくなった人にまっすぐに向き合おうとする優しくて真面目な印象を受けました。むしろ聞き込みに行ったマークの元同級生たちと舟遊び(?)しているうちにボーっとして半分寝ちゃったりしてるのは、大物だと思ったけどね。そこ、ビンビンとアンテナ張って観察するとこでしょうよ(笑)

 さてこの「女には向かない職業」。今や男もしくは女で“なければならない”職種を見つけるのが難しい世の中になってきました。とはいえ未だに職場には「年配」の「男性」が責任者として存在すると思いこまれている節ってあったりしません?
 怒りなくしては語れない昔の思い出ですが、職場にかかってくる電話で開口一番「だれか男の人いる?」って言われることは珍しくありませんでしてね、ええ。なんだそりゃ? って話ですよ。アタシは留守番の小学生か!? てか、とにかく男と話せるならなんでもいいというオマエの用事はなんなんだ!?——おっと失礼、ついコーフンしてしまいました。
 コーフンついでに桃井かおりが刑事役を演じた映画《女がいちばん似合う職業》を超久しぶりに視聴。いや〜今観てもホントにとことんカッコイイわ、桃井かおりサイコー。彼女が同僚刑事(橋爪功)に「勘と経験は男だけのものなのかよ!」と噛みつくシーンなんか最高ですゼ。
 ま、少なからず女性にはこういう屈辱の歴史があると思います。だから当時は「男の職業」と認知されていた探偵というフィールドで精一杯頑張るコーデリア・グレイを応援せずにはいられません。

 職務経験の浅いコーデリアは折に触れて亡きバーニイに教わった「捜査薀蓄」を思い出しながら、というかそれだけを頼りに現場に立ちます。(おお、なんか「貴族探偵」の高徳愛香みたいだゾ)それはそもそもバーニイが警察官時代に上司であるアダム・ダルグリッシュ警視から教わったもの。コーデリアは不器用で少しセンチメンタルなところのあったバーニイへの思慕の念と、彼を放り出したダルグリッシュ警視への怒りをエネルギーに変えて踏ん張っているようなところがあって、そういうところも初々しく、好ましく映ります。
 ダルグリッシュファン(ドラマで演じたマーティン・ショウが素敵)としては少々気をもみますけれどね。
 頑張れ負けるなコーデリア。探偵は女には向かないなんて言わせるな。キミの後ろには辛酸をなめてきた先輩女子たちがついてるゾ!

 

加藤:あの脳天気を絵に描いてスキャンしてネットに拡散させたような畠山さんが珍しく熱くなっている……現代に生きる女性の抱える闇はまだまだ深いようです。(そして、これ以上その話題には近寄るな、きっと地雷を踏むゾ、と僕の全細胞が叫んでる)

 さて、本作の白眉は、実は真相が判明してからの最後100ページだと思うのです。思ったものとは違う形でケリがついた最初の仕事のあと、これからの自分の生き方、探偵としての身の処し方、人としてどうあるべきか、自分がどうしても譲れないもの、などいろんなものと向き合い、コーデリアが静かに覚悟を決めてゆくところ。ここは読まされた。
 特に最後は震えたなあ。

 そんなわけで、本作は訳者が小泉喜美子さんであることも含めて、ゴリゴリのアメリカン・ハードボイルド好きにもお勧めしたい。僕のように舐めてかかると寝首をかかれるぞ。

 しかーし、ハッキリ言って、本作は決して読みやすいとは言えないと思う。ミステリー作家でもある小泉さんの、なんだかコナレテない訳文が気になる読者もきっと多いに違いありません。さらに「この訳はどうなんだ」と三河弁ネイティブの僕でさえ思うところも少なくない。
 それでも僕は、本作における小泉喜美子さんの翻訳は、翻訳ミステリーにおける幸せな邂逅の一つだと思うのです。
 読みやすさや正確さは翻訳にとってもちろん大切なことだけど、本作からは、名状し難い何か、小泉さんの「熱い思い」みたいなものが伝わってくる気がする。
 未読の方には是非それも味わっていただきたいです。

 作品と翻訳者の幸せな邂逅といえば、読んだばかりの『フロスト始末』も面白かった〜。
『クリスマスのフロスト』が出てから20年とちょっと。これが最後かと思うと感慨深いものがありました。
 それにしても、どうしようもなく下品でだらしないおっさんが主人公のミステリーを、当時ペッティングとパッティングの違いも知らなかったに違いない芹澤恵さんに訳させようと思った東京創元社の担当者は、よほど頭がおかしいか、とんでもない慧眼の持ち主かのどちらかだったんじゃないかと。もう、最高だよ。

 あ、そうそう名古屋読書会登山部主催星空読書会も残り若干名を募集中です。課題本はジャック・ロンドン『野性の呼び声』ですが、『夜のフロスト』も読んでくるとイイコトあるかも!

 

畠山:ほう加藤クン、あのラストで震えたとは、キミにもまだ少しは見どころがあるぢゃないか。
 確かに本作は事件解決後にその真髄があるといっても過言ではないと思います。バーニイの突然の死という環境の激変、息つく間もなく舞い込んだ依頼はとてつもなく難度が高い。がむしゃらに走り続けたコーデリアがようやく一つのゴールに辿り着き、気持ちをリセットすべき時を迎えるその瞬間は、万感のひと言。しかも泣かせるシチュエーションなんですよ。ある人物(敢えて伏せておきますね)がいいとこみんな持ってっちゃって小憎らしいのなんのって。

 それに事件の解決の仕方もよかったと思います。一つの家族が背負った十字架の重みを知ってしまったコーデリアはどう決着をつけるのか、ぜひ皆さんにも見届けていただきたい。弱冠22歳とはいえ、子供のころから複雑で濃密で奇妙ともいえる人生を送ってきたコーデリアならではのあの解決方法は、見事だと思います。
 好奇心が旺盛で、人の気持ちを汲み取れる聡明な女性。いざという時は無謀なほどのク○度胸を発揮する猫っぽい顔の若き女探偵。もし私がハイティーンの時にこの本を読んだら、絶対に憧れたなぁ。
 コーデリア・グレイものがシリーズとまではいかなかったのが残念でなりません。彼女がさらに成長、円熟していくところを見てみたかった。

 加藤さんの「決して読みやすいとは言えない」というのは否定はしません。それが訳文なのか原文なのかは私には全然わからないのですが、心理や情景の描写が細かいこともあって少々まだるっこしく感じるところもあるかと思います。
 どうか事件の展開を追うことを焦らず、じっくりと味わっていただきたい。私はP・D・ジェイムズと小泉喜美子という才能溢れる、そして気骨のある二人の女性がコーデリア・グレイに託した思いを文体や行間から感じたような気がするのです。この気持ちをみなさんと分かち合えたらどれほど嬉しいか。
 そして続編の『皮膚の下の頭蓋骨』もぜひ。孤島で起きる殺人事件、忌まわしい伝説、充実のサブキャラ。面白くないはずのない設定でしょう? ウニ・イクラ・カニの三色丼的ハズレのなさです!

 翻訳者の小泉喜美子さんは作家としても有名なのは言わずもがな。ならば読書会やっちゃおうじゃありませんか。
 てなわけで、札幌読書会では12/9に小泉喜美子『弁護側の証人』/連城三紀彦『戻り川心中』の二本立て読書会を行います。この二作に関連性はないのですが、年末だから細かいこと言わないでまとめてやっちゃおうゼ!的な安直、じゃなくて大雑把、じゃなくて太っ腹な企画です。
 星空読書会のあとは、ぜひ冬の札幌へどうぞ。お待ちしております。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 1970年代後半から1980年代にかけて、イギリス現代ミステリーの紹介にはどこかおずおずとした雰囲気がつきまとっていたことを記憶しています。いわゆる〈本格〉の系譜が途絶えて警察小説が主流になっている、といった偏った情報があったためかもしれません。もちろんそれは誤りで、警察小説は初めからイギリス・ミステリーの主流でした。警察官キャラクターを主人公に据えるのは基本のようなもので、その上で従来通りの犯人当てなど謎解きを重視するもの、J・J・マリックのギデオン警部シリーズのような時間の流れを現実世界のそれと合わせて臨場感を読者に味わわせる捜査小説、ジョイス・ポーターの産んだ最低の探偵・ドーヴァー警部シリーズのような悪趣味すれすれのユーモア・ミステリーと、多岐にわたる作品が書かれていたのです。

 今のイギリス・ミステリーだってきちんとした謎解き小説はあるし、何より探偵のキャラクターが魅力的だぞ。そんな風に日本のミステリーファンの認識が1980年代になって少しずつ改まってきました(その最大の功績者はコリン・デクスターだと思いますが、残念ながら全作品が入手不可だったため『マストリード』では紹介できていません)。私自身の場合でいえば、キャラクターの魅力が突破口となり、気になる探偵を捜しながら読み歩いている間に、それまでわからなかったイギリス・ミステリーの雰囲気の良さに気づいた形です。物語の舞台をじっくりと描き、そこに登場する人々の群像を浮かび上がらせ、その上で事件によってどんな変化が生まれたかを綴っていく。スリルを追うのではなく、時間の推移と共に募っていくサスペンスを重視する作風がおもしろいことに気づき、大袈裟に言えば自分のミステリー観を変えるほどの驚きがありました。

 2000年代以降は、森英俊さんをはじめとする研究家の尽力もあって翻訳の空白期間に書かれた秀作が多く発掘されています。それらの作品に当たるのもいいのですが、これぞイギリス現代ミステリーという一冊を読むならば、まずP・D・ジェイムズを手に取ってみてもいいのではないでしょうか。『女には向かない職業』を読み『皮膚の下の頭蓋骨』を経由して自分に「ジェイムズ気質」があるとわかった方は、作者の看板でもあるアダム・ダルグリッシュ警視シリーズにも挑戦していただきたいと思います。本当は『死の味』以降の長大路線作品をお薦めしたいところですが、まずは長篇第三作の『不自然な死体』あたりから、いかがでしょう。

さて、次回はジャック・ヒギンズ『死にゆく者への祈り』ですね。これも期待しております。

 

加藤 篁(かとう たかむら)
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato
畠山志津佳(はたけやま しづか)
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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