エルヴィス・プレスリーにフランク・シナトラ、ディーン・マーティンやらビング・クロスビーやら。ショービズ界の大御所たちのスタンダード・ナンバーを鼻歌にして歌いながら、一心不乱で作業に没頭する男の姿――。
 そんなシーンが印象的なミステリーがある。ただし、この男が没頭しているのは、自らの手で拉致してきたうら若き少女の背中に蝶の翅のタトゥーを彫りこむ“作業”。不安に怯えながら針の激痛に耐えしのぶ被害者女性の耳に、美しい旋律の鼻歌が、どれだけ恐ろしく響くことか。
 と、そう、またもや監禁の話題であります。
 ひと口に監禁といっても十人十色、いや、多種多様なタイプがあるわけだけど、フロリダ州出身の女性作家ドット・ハチソンの描く『蝶のいた庭The Butterfly Garden)』(2016年)は、超弩級の監禁イヤミスといっていいかもしれない。いやはや、それだけ破格のイマジネーションで構築された作品世界なのである。


 物語は、FBI特別捜査官ヴィクターが一人の若い女性への事情聴取を担当する場面から幕をあける。彼女は、〈庭師〉と呼ばれる拉致誘拐犯によって〈ガーデン〉に監禁されレイプされ続けた数十名の被害者のひとり。さらには、そこから命からがら脱出してきた10名ほどのうちのひとりで、警察に保護された女性全員が、彼女と話すまでは聴取に応じないと言っている。捜査当局は、〈庭師〉によってマヤと名付けられた彼女が不可解な事件の真相を隠しているとにらんでいたのだが、ぽつぽつとマヤが明かしていく事実は、常人には想像しえないものだった。
 〈ガーデン〉というのは、滝や小川や小さな崖まで造りつけられている人工の楽園で、〈庭師〉とその長男エイヴリーによって拉致されてきてタトゥーを施された、16歳から21歳までの数十名の女性が常時その中に軟禁状態となっている。生殺与奪の権をにぎっている〈庭師〉には彼女たちは逆らえず、選ばれた時には彼次第で、穏やかながらもセックスを強要される日々を送っている。新たに名前をつけられて。つまり、全員が彼にコレクションされた蝶たちだったのだ。
 21歳を迎えると、その美しさを失わぬまま永遠の存在とするために生命を絶たれ、〈ガーデン〉内部の廊下のガラスの空間に樹脂を流し込んで遺体を陳列されることになる。病気を患ったり妊娠したり反抗した場合にも殺されて、同様に陳列される。つねに一定量の決まった年代の蝶たちがいるように、数が調整されていたのだ。
 拉致されてきた新入りは、泣いたり叫んだり虚ろになったりと、それぞれ違った反応を示すことになるけれど、やがては未来などないことを知り絶望し、〈ガーデン〉での生活を受け入れていった。
 ある日、〈庭師〉の次男坊デズモンドがこの楽園の存在を知って忍び込んでくる。まだ大学で心理学を学んでいるにすぎない若者のデズモンドは、たんに無知なのか純粋なのか、この不可解な状況を目のあたりにしても何ら疑念を抱かないままだったが、率直な物言いのマヤと親しくなっていくうち、〈ガーデン〉の本当の意味を知ることになり……。

 蝶の採取と拉致監禁。となると真っ先に頭に浮かぶのは、もちろんジョン・ファウルズの代表作『コレクターThe Collector)』(1963年)。監禁文学においての嚆矢といっていいだろう。蝶の採集を趣味とする孤独な男が恋焦がれていた女性に想いを打ち明けられずにいたが、大金を手にしたことから田舎の一軒家を手に入れ、彼女を拉致監禁してしまう。“歪んだ愛情”という、ひとつの大きな動機からの監禁行為。さすがに一人に向けられたものだけれど、ラストはさらなる非業の可能性を示唆していた。
『蝶のいた庭』の異常性は、それをさらにさらに発展させ、はるかに凌ぐものへと深化させられている。作者のハチソンは、あからさまな性描写を避けつつも、犯人の、一見ジェントルでありながらも過度に身勝手な傲慢を詳らかに綴っていくのだ。同時に、〈庭師〉の“王国”にかき集められた少女たちそれぞれの性格を丁寧に描写し、その避けようがなく受け入れざるを得ない悲劇を、より鮮明に浮き彫りにする。
 
『蝶のいた庭』では、具体的な曲名などはほぼ記されないけれども、音楽がきわめて重要な役割を担っている。そう、牢獄のなかの唯一の癒しの道具としてである。
 不穏な平穏とでもいったらいいのか〈ガーデン〉の日々の均衡を破ることになる次男坊デズモンドは、プロの音楽家を目指していたほどのバイオリンの名手。心優しいがゆえに父と兄の罪を密告できずにいる彼は、せめてもの償いなのか〈ガーデン〉にiPodとスピーカーを持ち込んで蝶たちに音楽での癒しを提供する。
 たとえば、テレザと名づけられた17歳の少女はプロのピアニストになりたがるほどピアノ演奏が好きだけど、おとなしく心が弱かった。彼女の精神が崩壊しそうだと気づいたデズモンドは、ある日、ピアノの前で涙を流しながらフリーズしているテレザに何とか現実世界に目を向けてもらおうと、優しく辛抱強くピアノを弾いて聴かせ続ける。狂気の世界に逃げ込みかけていた彼女を、結果、音楽が正気へと引き戻すことになるのだった。
 そんな折、もはや恒例となったiPod&スピーカーでのBGMを聴かせながら、デズモンドは滝の近くでマヤをダンスに誘う。曲はたまたま〈ガーデン〉に拉致監禁される以前に数名で同居していた友人のひとりソフィアが好きだった、メキシコ人作曲家・パブロ・ベルトラン・ルイス作曲の「スウェイ(Sway)」(原題は ¿Quién será? )だった。ソフィアには二人の娘がいて、元ドラッグ中毒患者だった彼女は娘たちと離ればはれに暮らしていたが、二人との面会が許されたときには必ずその曲をかけて一緒に踊っていたのだった。はじめは疑っていたデズモンドに対して徐々に心を開いていくマヤ。まもなく〈ガーデン〉に運命の日が近づいていたのだったが。おそらくここでの「スウェイ」の演奏は英語版(ノーマン・ギンベル作詞)で、ディーン・マーティンが歌ったものか、最近のものならマイケル・ブーブレのものかと。少々ノスタルジックで切なくてそれでいてスロウすぎない、まるでヒロイン、マヤのように捉えどころのない魅力を持った楽曲だ。
 
 作者のドット・ハチソンは、さまざまな職業を経て、ヤングアダルト向け小説で作家デビュー。それから第2作目にして、この異常な設定の快作を手がけたことになる。
 人口の楽園ながら、巧みな描写力で美しい情景をさりげなく創り上げるところなどは、新人ばなれした筆力の持ち主のようだ。とりわけ人物造型が素晴らしい。幼少時から愛情が欠乏した環境に育ってきたヒロインのマヤのハードボイルドさと、残忍でありながら蝶たちに深い愛情を抱いている加害者〈庭師〉の複雑なキャラクターには、読んでる側の価値観を錯覚させるほどの説得力がある。
 作中、もっとも美しく、もっとも残酷なのが、蝶たちの永久保存のために〈庭師〉が採用していたガラス箱のなかの樹脂漬けという儀式。それだけに印象的なのだけれど、奇しくも先頃邦訳紹介された作品で、北欧最高のミステリー文学賞である「ガラスの鍵」章を受賞したデンマーク作家エーネ・リールの『樹脂Harpiks)』(2015年)もまた、共通する題材を扱った作品だった。まさに愛する者を苦しみから解放するために殺し、いつまでも失わずにいたいがために樹脂漬けにしようとする、〈庭師〉にも似た、歪んだ愛情が描かれている。これまた、価値観を歪められた小さな世界を精緻に描き切った秀作なので、機会があればぜひ読んでいただきたい。
 そういえば、『コレクター』のなかで被害者女性となるヒロインのミランダは、たしかバルトークの「弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽」を好んでいたような。はたして『蝶のいた庭』で被害者となる蝶たちが聴かされたもののうちに、この曲もあったりしたのだろうか?
 
◆YouTube音源
“スウェイ(Sway)” by Dean Martin

*メキシコのソングライター、パブロ・ベルトラン・ルイス作曲によるボレロ・マンボ「¿Quién será?」の英語版。1954年にノーマン・ギンベルの作
詞でディーン・マーティンが歌い、全世界的にヒット。動画は、周防正行監督映画『Shall We ダンス?』(1996年)の米国版リメイク、リチャード・ギ
ア主演、ピーター・チェルソム監督『シャル・ウイ・ダンス(Shall We Dance?)』(2004年)のシーンから。

“スウェイ(Sway)” by Michael Bublé


*マイケル・ブーブレによる2003年のカヴァー。
 
◆関連CD
“The Very Best of Dean Martin” by Dean Martin

*「スウェイ」を収録した全21曲のベスト盤。
 
“Michael Bublé” by Michael Bublé
*「スウェイ」を収録したマイケル・ブーブレの大ヒット・アルバム。

◆関連DVD
『コレクター(The Collector)』

*テレンス・トランプ主演、ウィリアム・ワイラー監督、1965年の作品。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。





 

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