ジム・トンプスンの作品には意外なほど音楽が流れていない、というように記憶している。もちろん、邦訳紹介されたものしか読んでいないので、全30作の長篇作品のうちの半分ほどということで、断言してしまうにはいささか心もとないのだけれど。
 それでも、意外に、と書いたのは、ひとつには1950年代に創作意欲がスパークし傑作を量産していたトンプスンだけに、場末の酒場やグッド・オールド・デイズのムードを纏った猥雑な音楽に充ちた作品が多いというような先入観があったから。
  加えて、彼の代表作でありパルプ・ノワールの金字塔とも目されている『おれの中の殺し屋The Killer Inside Me)』(1952年)の2度目の映画化作品『キラー インサイド ミー』(2010年)の印象によるのかもしれない。先頃、『マンチェスター バイ ザ シーManchester by the Sea)』(2016年)でダメ中年の主人公を演じてアカデミー主演男優賞を射止めたケイシー・アフレックが主人公ルー・フォード保安官助手に扮したもので、トンプスン作品の映画化としては最近作になるのではないだろうか。リトル・ウィリー・ジョンによるブルース「フィーヴァー(Fever)」(1956年)やら、ウェスタン・スウィングの代表格ボブ・ウィルス&ヒズ・テキサス・プレイボーイズの「ジョリー・ブロンド・ライクス・ザ・ブギー(Jolie Blonde Likes the Boogie)」(1950年)やら、舞台となる1950年代のブルースやポピュラーのスタンダード・ナンバーが、それこそ意外なほどに軽快に映像を彩っていたからである。
 同様にノワールのスタイルにこだわりつつも、ほぼ全篇エルマー・バーンスタインのオリジナル・スコアで彩られた、『グリフターズ 詐欺師たちThe Grifters)』(1963年)の映像化作品(1990年)とは趣も異なり、あたかも原作に流れていたかのような選曲に思えたのだ。 
 この『おれの中の殺し屋』(どうもミッキー・スピレインの『俺のなかの殺し屋Killer Mine)』〔1965年〕とごっちゃになるので、自分の頭の中では初訳時の『内なる殺人者』のままのタイトルだったりします)、フォード役のマーロン・ブランドに加え、マリリン・モンローとエリザベス・テイラーという超豪華なキャスティングで、1950年代半ばに映画化が企画されていたのに、お蔵入り。1976年にようやくステイシー・キーチ主演で初映画化となった。さらに1980年代にはトム・クルーズ主演、ブルック・シールズとデミ・ムーアとの共演のリメイクという企画も持ち上がったらしいが、これまた没に。とまあ、いわくつきの映画原作でもあります。映画に関して言うならば、トンプスンとは関係が深すぎるので、それを掘り下げて論じていると大変なことになってしまう。サラリと言及して、すぐに本題に戻るとします。
 


 はてさて、そんな音楽の印象が薄いトンプスン作品だけど、『天国の南South of Heaven)』(1967年)、『ドクター・マーフィーThe Alcoholics)』(1953年)と、このところ未訳作品を精力的に刊行している文遊社からの最新邦訳作『殺意The Kill-Off)』(1957年)は別であります。『アフター・ダークAfter Dark, My Sweet)』(1955年)と『荒涼の町Wild Town)』(1957年)とにはさまれて発表された量産体制の頃の作品ではあるけれど、他の作品とはちょいと毛色が異なる。
 ここでは、物語のしょっぱなから音楽が作中に響き渡っている。トンプスンの作品としてはめずらしい1冊。たとえば、クライド・マッコイのミュート・トランペットでおなじみの「シュガー・ブルース(Sugar Blues)」(1922年)、カーペンターズのカヴァーでおなじみ、フォークダンスにもよく使われる「グーフス(Goofus)」(1930年)、ベニー・グッドマン・オーケストラの「グディ・グディ(Goody Goody)」(1936年)などなど――。
 これら音楽だけではない。作品の内容もまたかなり異色である。パルプ・ノワール愛好評論家のみなさんがこぞって寄稿していた『ジム・トンプスン最強読本』(2005年)でも、小鷹信光氏、小山正氏らが解説していたこの作品、12人の登場人物それぞれの視点から語られる12章で描かれているという凝りに凝った構成のもの。専門的には“多元焦点化”という手法らしい。芥川龍之介『藪の中』か、はたまた宮部みゆき『理由』かといったところなのだけれど、トンプスンお得意の“信用のおけない語り手たち”の手法がまさに効果を倍増させる意欲作と言っていいだろう。
 
 物語の舞台は、海辺の田舎町マンドゥウォク。ゴシップ好きで他人の噂話をあることないこと電話で広めている寝たきりの中年女ルアン。どうやら彼女に殺意を抱く何者かの魔手が忍び寄っているらしく、弁護士であるコスメイヤーを呼びつけては年齢差のある年下の夫ラルフに殺されるのではなどと訴え続けている。たしかにラルフには年若いジャズ・シンガーのダニーという恋人がいて、ルアンを亡き者にしたいという動機としては十分。
 ダニーに辛くあたるジャズ楽団のリーダーでピアニストのラグズには、かつての楽団のボーカリストで別居中の妻ジェイニーがいるのだけど、新人歌手のダニーに複雑な想いを抱いている。経営する店でラグズの楽団に演奏させている実業家のピートにはマイラというドラッグ漬けの娘がいて、そのヤク中の元凶をつくった若者ボビーと娘との関係を危ぶんでいる。ボビーは医師ジムの息子だが、実母であることを隠しジムの屋敷で家政婦として働いている黒人女性ハティに異常に執着。ハティは息子の異常性を恐れいつか殺されてしまうと思い込んでいる……
 とまあ、これらの登場人物たちがそれぞれの頭の中にある想いをてんでに語っていき、最後の12人目となる人物の章で、当然ながら殺人事件の犯人が明かされることになるわけ。これがまた想像を絶するオチ。各キャラクターの個性が強すぎて、なかにはほぼほぼサイコパスという人物も数名含まれているから、やはり凄い。ミステリー作品としては、ちょいと卑怯なラストだったりしていまひとつという向きも多いだろうだけど、チャレンジングな手法や高い文学性とで、とても重要な位置づけの作品だと思われる。
 


 このところ文遊社が本邦初紹介している他の2作もまた興味深い。『天国の南』はパイプラインでの仕事に未来を託す若者を主人公としたプロレタリア文学の趣。『ドクター・マーフィー』にいたっては、トンプスンが自身の経験をもとに綴ったと思われ、経営不振で廃業寸前のアルコール依存症患者厚生施設を舞台とした、言わば私小説的な作品で、もはや主流小説と言っていい。ただし、トンプスンの脳内で熟成され独特のフィルターを介して書かれているこれらが、いやはや滅法おもしろいのである。
 
 話を『殺意』の音楽に戻させていただくと、ノワール作品特有のセンチメンタリズムに、楽曲が正しく献与していることも新鮮に感じられる。いまや遠く離れた妻ジェイニーと組んで演奏をしていた頃を忘れられないラグズが、エラ・フィッツジェラルドが好んだ「マイ・メランコリー・ベイビー(My Melancholy Baby)」(1912年)や、デューク・エリントン作曲の「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニーモア(Don’t Get Around Much Anymore)」(1940年)を耳にして、自分たちの十八番だったと述懐する描写。やはりラグズがダニーに、この歌なら君にでも歌えるからまずは本物の歌を聴かせると言って、ホーギー・カーマイケルが自作を歌った米国でもっとも有名なバラード「スターダスト(Stardust)」(1927年)を電話先でジェイニーに歌わせるシーンもまた印象的だ。
 また、登場人物にハンク・ウィリアムス、ジョー・ヘンダーソンといったアーティストと同じ名前もあったりして、果たして偶然なのかトンプスンの遊び心で故意に選んでいるのか、そんなあたりを想像するのも楽しい作品である。
 観る機会はなかったのだけど、『殺意』も女性監督のマギー・グリーンウォルドによって1979年に映画化されているようだ。残念なことにトンプスンが挑んだ多元焦点化を活かした描写ではなく、原作の12章を一貫した時系列にまとめあげた構成だという。
 

 じつはこの『殺意』以外にも、それ以上に具体的な楽曲名が頻出するトンプスン作品がある。邦訳作品としては最晩年のものとなるTVドラマのノヴェライズ(?)作品『鬼警部アイアンサイドIronside)』(1967年)が、それ。
 アーサー・“ブラインド”・ブレイクの「ディディ・ワー・ディディ(Diddy Wah Diddy)」(1929年)、グレン・ミラー・オーケストラの「イット・マスト・ビー・ジェリー(ビコーズ・ジャム・ドント・シェイク・ライク・ザット)(It Must Be Jelly [Because Jam Don’t Shake Like That])」(1944年)、ジャンゴ・ラインハルトの演奏で知られる「ライムハウス・ブルース(Limehouse Blues)」、「ダーダネラ(Dardanella)」(1919年)、アル・ジョルスンの「トゥート・トゥート・トッツィー(Toot, Toot, Tootsie)」(1927年)、ラグタイム音楽の「トウェルフス・ストリート・ラグ(Twelfth Street Rag)」(1914年)、ガーシュイン・ナンバーの「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody In Blue)」(1924年)、ウォルター・ドナルドスン作曲「アット・サンダウン(At Sundown)」(1927年)――。
 ここに列挙した倍はあろうかという具体的な楽曲が作中に登場してくる。軍歌も含めて懐かしいポピュラー音楽がほとんど。登場人物のうち、とある重要な役割の人間がアジトとしている酒場でのシーンで遭遇することができる。
 この作品、たんなるノヴェライズと舐めてかかると痛い目に遭うほどに、トンプスン臭の強烈な小説で、しかもミステリー作品としての構成もかなりしっかりとしている。ファンならずともぜひともご一読を。
 
 さて、またもや編集者時代の話題で恐縮でありますが、“パルプ・ノワール”というジャンルについて少し触れておこう。某海外ミステリー専門誌の編集人を務めていた頃に、ジム・トンプスン再評価ブームというのがあった。たしか《ブラック・リザード》という米国のペイパーバック復刊のシリーズがあって、埋もれていた良質のノワール作品を再発見した叢書だったと記憶している。デヴィッド・リンチ監督により映画化されて話題にもなった『ワイルド・アット・ハートWild At Heart)』(1990年)の作者バリー・ギフォードが、創設し編集も務めた。ジム・トンプスンをはじめ、『拾った女Pick Up)』(1954年)や『炎に消えた名画The Burnt Orange Heresy)』(1971年)で知られるチャールズ・ウィルフォード、『狼は天使の匂いBlack Friday)』(1954年)、『ピアニストを撃てDown There)』(1956年)のデイヴィッド・グーディス、『殺人の代償Web of Murder)』(1958年)のハリイ・ホイッティントンらの作品がラインナップされていた。
 それらの作品に(当時で言う)現代のジェイムズ・エルロイらを加えた作品群を、フランスで流行したフィルム・ノワールの持つ“ノワール”とはまた違った位置づけにしたくてつくった造語が“パルプ・ノワール”だった。パルプ・フィクションの持つ猥雑かつ犯罪性の香るイメージとノワールの持つ暗黒性と感傷を掛け合わせたもの。当時、可能なかぎり調べてみたのだけれど、欧米でも“Pulp Noir”という表現を使っている評論は皆無に等しかったと記憶している。
 ジム・トンプスンは、その日本製の造語のイメージをジャストで纏っている作家だったわけだけれど、今回、出逢うことができた未訳作品3作で、自分の中での印象はまた変わった気がしている。“安物雑貨店ダイムストアのドストエフスキー”だとか“孤高のノワール作家”だとか、ある種の枠組みに何とかとらえてトンプスンを位置付けたいとさまざまな試みがなされてきたけれども、思っていた以上にこの作家の懐は奥深かったように思える。歪んだ信仰心、自己充足、自尊心、劣等感、嗜虐性、被虐性、アルコール依存……おそらくこれからもずっと、それらをきちんと説明できはしないままだろう。たんにこれは“文学”だとして愉しめればいいように思える。
 
 少なくとも自分は、はじめてフラナリー・オコナーの短篇「善良な田舎者(Good Country People)」を読んだときと同様の衝撃と貴重な読後感を、いつもトンプスン作品に感じている。強烈な個性の文体とともにトンプスンの脳内に流れていた音楽が、もっと聴けるかもしれないからには、未訳作品のさらなる邦訳紹介を待望する。
 
◆YouTube音源
“シュガー・ブルース(Sugar Blues)” by Leona Williams & Her Dixie Band

*クラレンス・ウィリアムズの1920年作。音源は初レコーディングとなるレオナ・ウィリアムズの楽団のオリジナル録音(1922年)。
 
“グーフス(Goofus)” by Carpenters

*ウェイン・キング&ウィリアム・ハロルド作曲、ガス・カーン作詞。レス・ポールやフィル・ハリスに取り上げられ、1976年にはカーペンターズがシングル曲としてリリースした。
 
“ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニーモア(Don’t Get Around Much
Anymore)” by Cliff Richard


*デューク・エリントン作曲によるジャズ・スタンダード・ナンバー。1940年に「Never No Lament」というタイトルでインストゥルメンタルとして発表されたが、1942年にボブ・ラッセルが歌詞をつけ、人気曲に。音源は往年のポップスター、クリフ・リチャードが2010年にスタンダード・カヴァーに挑戦したバージョン。
 
“マイ・メランコリー・ベイビー(My Melancholy Baby)” by Ella Fitzgerald

*アーニー・バーネット作。この歌を最初に披露したのは、大人気だったTVドラマ『アイ・ラブ・ルーシー(I Love Lucy)』(1951~1957年)に出演していたウィリアム・フローレイ。音源は、テディ・ウィルソン楽団の演奏をバックにエラ・フィッツジェラルドが歌うカヴァー版。
 
“スターダスト(Stardust)” by Hoagy Carmichael

*言わずと知れた、米国でもっとも有名なスタンダード・バラード。シャボン玉ホリデーのテーマ曲でおなじみ、って、古すぎますね。音源は、作曲者のホーギー・カーマイケル本人によるピアノ弾き語り。楽曲のみで最初発表されたものにミッチェル・パリッシュが後から歌詞をつけた。
 
◆関連DVD
『キラー インサイド ミー(Killer Inside Me)』
*『マンチェスター バイ ザ シー』でアカデミー主演男優賞を受賞したケイシー・アフレックが、主人公の保安官助手を演じた、陰惨ながらもポップな味付けの映画化作品。
 
『アフター・ダーク、マイスイート(After Dark, My Sweet)』
*ジェームズ・フォーリー監督による1992年の映画化作品。ジェイソン・パトリック、レイチェル・ウォード主演。
 
『グリフターズ 詐欺師たち(The Grifters)』
*ジョン・キューザック、アンジェリカ・ヒューストン、アネット・ベニング出演、スティーブン・フリアーズ監督によるスタイリッシュな映像化。
 
『さらば愛しき女よ(Farewell My Lovely)』
*ロバート・ミッチャムが私立探偵フィリップ・マーロウに扮し、シャーロット・ランプリングがファム・ファタルとして鮮烈な印象を残した、ハードボイルド映画の名作。大富豪役としてジム・トンプスンがチラリと顔をのぞかせる。
 

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

















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