以前の職場に東大出身の同期の男がいて、とにかく頭の回転の速い人間だった。とりわけ下ネタに関して。あたら優秀な頭脳をエロ話にばかり費やしてばかりなものだから、よく「おまえの頭蓋骨には大きな睾丸がひとつだけ収まってる」と呆れ顔のコメントを口にしてやったものです。となるとつまりは、その、股間には小さな脳味噌を2つぶら下げていたことになるのかなあ。

 とまあ、気品あふれるこの連載にはめずらしく少々お下劣な書き出しとなったのも、ミステリー界のドン、ドナルド・E・ウェストレイク師匠の“幻の奇書”と噂され続けてきた『さらば、シェヘラザードAdios, Scheherazade)』(1970年)が、まさかの邦訳紹介あいなったせい。
 そこには、“脳味噌のひとつは亀頭についていて人生における重大な決断はそちらの脳がすべて判断している”云々、という印象的なフレーズが登場する。きさまも東大卒か、ウェストレイクっ? とまあ、そんな連想からなのでした。失礼千万ですな。が、なにしろ、主人公はポルノ小説作家。小説の才能もないのに友人である人気作家が別名義で書き散らしているポルノ小説のゴーストライター役を務めているのだけれど、その男エドが〆切間際になっても原稿が書けず、悶々としているという設定。


 スランプに陥ってもとにかく何でもいいから書いてみろという、作家仲間のアドバイスにしたがって、頭に浮かぶものを次から次へとタイプしていくのだけど、原稿を書けない愚痴や言い訳から、妻とのなれそめ・もめごと、双子の妹たちとの微妙な関係、メタフィクションを書く作家仲間の妻とのキス体験、ベビーシッターに抱くセクシャルな妄想まで、虚実入り乱れた思考の流れが横溢。江川達也のコミック代表作『東京大学物語』じゃないけど、それはまさに脳内思考の垂れ流しなのである。
 もちろんそんな代物が渡せる原稿となるわけがない。彼の創作ルールだと、25ページを1章として1日1章ずつ10日間書ければ、10章から成るぴったり250ページの本1冊分を書き上げることができる。というわけで、ポルノ小説執筆の公式とシステムにのっとった書き出しから愚にもつかないボヤキまで含めて、とにもかくにも25ページずつ書き上げては、自己判断で不採用としていくものだから、ページが進まない。この作品は、それを上段下段にそれぞれ2種類のノンブル(ページ番号)をつけることで、作家の抱えるヤキモキ感・焦燥感を巧みに表現している。おそらく前代未聞の表現方法を用いたことになる。
 しかも、そんな25ページの屑の塊には妻とのセックスを針小棒大に想像力たくましく描いたところもあり、ベビーシッターとの不倫もありなわけで、それを偶然読んでしまった妻は子供を連れて実家へ帰ってしまう。

 そう、すでにお気づきのようにこの小説、ミステリー的要素はきわめて希薄。『やとわれた男The Mercenaries)』(1960年)でデビューするや、ポスト・ハメットとしてハードボイルド小説界の気鋭と謳われ、リチャード・スターク名義で『悪党パーカー/人狩りThe Hunter)』(1962年)に始まる悪党パーカーシリーズを大ヒットさせ、さらには『ホット・ロックThe Hot Rock)』(1970年)などの泥棒ドートマンダー・シリーズでユーモア・ミステリーの土壌も切り拓いたウェストレイク。もはやミステリー界の重鎮以外の何者でもない人物だが、無名時代には、この主人公同様、ポルノ小説を書きまくって飯のタネにしていた時代があったのだ。その時代の経験を言わば一風変わった自伝小説にしてみせたという体の作品なのである。
 そのあたりの事情や作品解説については、訳者あとがきが痒いところに手が届く感じで秀逸なので、ご参照ください。たとえば、本文1行目の意味はこれこれこうだとか、本作がウェストレイク自身の別名義複数のポルノ小説を原型としているとか、自身の原作による『悪党パーカー/人狩り』の映画化作品『殺しの分け前 ポイント・ブランク(Point Blank)』(1967年)に言及しているとか、メタフィクション(高位文学)としてさまざまな仕掛けが施されていることなど、きめ細かな説明を試みている(メタフィクションについては別項であらためて)。

 そこでも触れられているのが、長く“幻の奇書”として一部好事家のあいだでは静かに深く話題とされていた作品だということ。その昔、海外推理小説の専門誌『ミステリマガジン』に連載され、『殺しの時間 乱視読者のミステリ散歩』というタイトルで単行本にまとめられた英米文学者・若島正氏の連載があった。いまではこの本、翻訳出版関係の編集者の間では隠れバイブルとして崇められているもので、若島氏はこのウェストレイク作品を取り上げていて、「ウェストレイクの全作品中でもかなりの上位に属する傑作」と評価されていた。それが拍車をかけたのだろう。ミステリー・ファンの間では、原書入手困難ということもあってさまざまな憶測を呼び、難解なメタフィクション(高位文学)作品だという噂だけが一人歩きしていた感があった。
 ちなみに若島氏は、主人公が妻と山荘でコトをいたしているときに、大鹿がそれを窓の外から覗き込んでいる回想を、もっとも素晴らしい場面として記憶されていたという。たまたま最近の映画2作が思い浮かんだのだけれど、ハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディ監督による映画『心と体と(Testrol es lelekrol)』(2017年)は妻の想い、ギリシャ気鋭の監督ヨルゴス・ランティモス最新作『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクレッド・ディア(The Killing of a Sacred Deer)』(2017年)が主人公の想い、と同じ鹿のメタファーにも取る側の違いがあるのではないかなあ。

 こうして待ちに待った邦訳を読むと、1970年発表にしてそのとてつもなく奔放な創造性に舌をまくと同時に、ちょいと意地悪な気持ちが芽生えないでもない。ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ赤い右手The Red Right Hand)』(1945年)やジェレミー・ドロンフィールド飛蝗の農場The Locust Farm)』(1998年)のように、作家の意図とは別に偶然にも素晴らしい雰囲気の傑作に仕上がってしまったタイプ(あくまでも私感です、お許しを!)と同様で、実際ポルノ小説書きに疲れて書きなぐっていたものが、途中から「面白いから、やったれ!」というノリになって書き進めていたら、とんでもなく実験的な怪作が生まれてしまった……という気がしないでもない。とはいえそこはウェストレイク、ユーモアに満ちた語り口の巧さは凡百の作家とは一線を画すわけでありまして。

 じつは、前述の『殺しの時間』の中で、これとは別に取り上げられていたポルノ小説がある。著者は『ルシンダThe Saline Solution)』(1972年)や、インパクト大なタイトルの『悪魔の精液は冷たいThe Devil’s Sperm Is Cold)』(1976年)などで知られるマルコ・ヴァッシー。ポルノ小説シリーズと前衛小説発掘とで知られたパリのオリンピア・プレス社のアメリカ版で活躍した中心的作家だ。
 ここで取り上げられた『トコ博士の性実験Mind Blower)』(1970年)は、若島氏をして“最も実験性の強い怪作”と言わせしめたもので、ジョン・ファウルズの『魔術師The Magus)』(1965年)の設定を借用しながら、そこにさまざまなセックス要素をのせつつアンチポルノ的側面も見せる。『悪魔の精液は冷たい』にしても、ポルノ専門の出版社に勤める新人編集者をヒロインとして、ライターが書いた同タイトルの小説を作中に登場させたり、女性編集長と社長とが文学論を戦わせたりと、それこそメタフィクションの要素が色濃い。
 米文壇の大御所からの評価も高いということで、ひょっとしたらウェストレイクが何らかの影響を受けたのでは? と一瞬考えたのだけど、そう、すでにおわかりだろうけど、ヴァッシーが作品を発表し始めたのは1970年代から。となると、メタフィクションに挑んだポルノ小説というのは、ウェストレイクが先んじていたことになる。すごっ。

 さてさて、本題の音楽だけれども、これまたウェストレイクらしいというか、時代に沿っていて、しかも少し能天気で、そんなあたりのセレクトのセンスにも脱帽してしまう。
 ウェストレイク本人とも思われる主人公エドだが、母親はメロギャルズなる女性コーラス・グループのメンバーだったという。メロギャルズからはラヴァーン・ラロシェルというメンバーが独立して「マイ・サタデー・ラブ」というヒット曲とともにビッグスターになるとの記述なのだけれど、ざっと調べてみたところどこにも見当たらない。あくまでウェストレイクの創作だと思われる。が、作中での設定当時におそらくモデルとなったのではないかと思われる、ザ・コーデッツという4人組のガールグループが存在していた。
ミスター・サンドマン(Mr. Sandman)(1954年)や「ロリポップ(Lollipop)」(1958年)など、いまや懐かしい名曲をヒットさせている人気グループで、メンバーの一人ジャネット・アーテルは、ジャネット・ブレイヤーの名前で独自に活動していた。が、それもおそらく姉妹との共演。作中のラロシェルのようなビッグスターにはなれなかったと思われる。となると、そのあたりは、シュープリームスにおけるダイアナ・ロスのほうがモデルに近いような。時代はもっと後だし、花火のように散ってはいませんが。
 物語終盤の印象的な場面のひとつに、あまりの孤独に耐えられなくなったエドが、“ゆでだんご”みたいな風貌の同性愛者風の男の部屋を訪ねると、テレビでは、キッズ・ネクスト・ドアとかいう“薄っぺらで身ぎれいな若者グループ”が歌っている。こちらは実在のアーティストで、いちおう、「インキー・ディンキー・スパイダー(Inky Dinky Spider〔The Spider Song〕)」(1965年)というトップ100入りしたヒット曲もある。どういう曲かって? うん、ウェストレイクの表現どおりかな。

 そんなわけで、突っ込みどころ満載というべきか、語るべきことが多すぎな怪作だけれど、小生の心にもっとも強く刻まれたのは、じつは、作家の商売道具であるタイプライター。ゴーストライターの機会を与えてくれた友人の作家のに似たやつを選んで、エドは最初はスミスコロナを愛用している。が、妻の兄たちに追われ、警察にまで追われる羽目になった主人公は、逃亡しながらもタイプライターを見つけて〆切にも追われ続けるのだ。百貨店のタイプライター売場をめぐって試し打ちのふりをし、果てはタイピストがずらりと並ぶオフィスに潜り込んで、タイプする、タイプする、タイプする。最大のクライマックス展開だ。

 そこで脳内リンクしたのが、人気俳優にして監督も手がけるトム・ハンクスのはじめての小説集『変わったタイプUncommon Type: Some Stories)』(2017年)。旧式の各社タイプライターの熱心なコレクターでもあるハンクスが、タイプライターにまつわる(ちらりと出てくるだけのものも含めて)さまざまな人間ドラマを巧みに描いた秀麗な短篇集で、『さらば、シェヘラザード』の発表から50年近くの時をへだてても、タイプライターがしたためる人間のさまざまな煩悩は相も変わらず、というわけであります。
 暴走するタイプライターを描いたマイクル・ビショップの『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?Who Made Stevie Cry?)』(1984年)、ロマン・ポランスキー監督映画の原作となったデルフィーヌ・ド・ヴィガンの『デルフィーヌの友情D’après une histoire vraie)』(2015年)などとも併せて、次回、次々回でタイプライターについてあらためて語りたいなと考えている。

 それにしても、この短いコラムを書き上げるのに、そういえば何パターンもの文書データを作っては消し作っては消しを繰り返している。小生の場合は、タイトル込み42字×36行で約3ページ半が1回分。ノンブルはさっきから1~2あたりをずっと繰り返しているような……。

◆YouTube音源
“Inky Dinky Spider (Spider’s Song)” by The Kids Next Door

*1960年代に活躍した男女5名のコーラス・グループ、唯一のトップ100入りした1965年のヒット曲。

“ロリポップ(Lollipop)”&”ミスター・サンドマン(Mr. Sandman)” by The Chordettes

*4人組コーラス・グループ、コーデッツの2大ヒット曲。

映画『心と体と』予告編

映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』予告編

◆関連CD
『ゴールデン・コーデッツ(Golden Chordettes)』コーデッツ

*「ミスター・サンドマン」、「ロリポップ」を収録したコーデッツのベスト盤

◆関連DVD
『殺しの分け前/ポイント・ブランク(Point Blank)』

*リチャード・スターク名義のシリーズ第1作『悪党パーカー/人狩り』の映画化。リー・マーヴィン主演。

『聖なる鹿殺し キリング・ア・セイクリッド・ディア』

*『籠の中の乙女』、『ロブスター』で一躍世界的評価を受けた、ギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスの最新作。コリン・ファレル、ニコール・キッドマン主演。『ダンケルク』のバリー・コーガンの怪演が見どころ。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。














 デルフィーヌの友情 (フィクションの楽しみ)
 出版社:水声社
 作者:デルフィーヌ・ド・ヴィガン
 訳者:湯原 かの子
 発売日:2017/12/15
  価格:2,484円(税込)

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