ウイリアム・アイリッシュの『暗闇へのワルツWaltz into Darkness)』(1947年)やカトリーヌ・アルレー『わらの女Le femme de paille)』(1956年)を思春期にむさぼるように読んで、少年から大人へと変わった。それだけに、根っからのファム・ファタル(運命の女)好きだという自覚はある。最近では、ジェイムズ・ハドリー・チェイスの『悪女イヴEve)』(1945年)が、『エヴァ』のタイトル、イザベル・ユペール主演で再映画化されたと知り、映画館へと駈け込んだクチだもの。そんな輩にとってはあまりに刺激的に歌のフレーズを、このたび、ひさびさに思い出してしまうこととなった。
 
ファタル、ファタル、ファム・ファタル、そんな女になれたらいいのに……”

 記憶の底に眠っていたこのフレーズには、フランスの女性作家デルフィーヌ・ド・ヴィガンの『デルフィーヌの友情D’après une histoire vraie)』(2015年)という小説のなかで再会した。告白すると、小説を読むより先にこれを原作とするロマン・ポランスキー監督による最新映画『告白小説、その結末』(2017年)を観て、こりゃ原作読まねば! という流れになったのでしたが。どうやら、やはりポランスキー監督の『フランティック(Frantic)』(1988年)でハリソン・フォードを煙に巻く謎の美女を演じたエマニュエル・セニエ(現ポランスキー夫人)が、小説を読んで夫に猛烈プッシュして主演までしたとか。あの頃の妖艶な印象はまるで消えて、今回は苦悩する作家役にはまり役でした。

 デルフィーヌの友情 (フィクションの楽しみ)
 出版社:水声社
 作者:デルフィーヌ・ド・ヴィガン
 訳者:湯原 かの子
 発売日:2017/12/15
  価格:2,484円(税込)

 小説には、フランスのヴァイオリン奏者にしてシンガー&ソングライターでもあるカトリーヌ・ララのシャンソンだと書かれていて、ヒロインが思春期の頃に繰り返し聴いた、とある。やはりその頃まだ思春期を引きずっていた自分にも、この歌の記憶があるのも当然のこと。そしておそらく、「ファタル(Fatale)」という歌で間違いないと思われる。
“おそらく”というのも、この音源がなかなかに入手困難で、ポップスおたくの自分もCDどころかレコードすらゲットし損なっている超レア盤。YouTubeでも見つからず、インターネット検索でも歌詞すら探し出せないという厄介な代物となっていて、確認ができなかったからだ。サビの部分で切なげに“ファタル、ファタル”とシャウトする美しくも哀しいバラードだったという記憶から、かなり確信してはいるのだけれども。“おそらく”が確かなら、まさに作者の思春期頃と思われる1983年に、アルバム『ダイアモンドのロッカー(La Rockeuse De Diamants)』に収録され、シングル「Famélique」とのカップリング曲として発表されたナンバーということになる。
 カトリーヌは、アメリカで言うなら、故・ルー・リードの妻ローリー・アンダーソンのような存在。ケルト音楽系のヴァイオリンを弾き、エレクロニカで世界的に知られるディープ・フォレストのエリック・ムーケとコラボレーションしたアルバムを発表したり、ロック調のナンバーから哀切のバラードまで自作をヴァイオリンで弾き語るシンガーでもある。
 このフレーズの登場場面は、ベストセラー作家であるヒロインが謎の女性Lと出会い、女性も欲望の対象となりうるかと思いを馳せながら、自分以外のものになりたいという願望に言及するシーン。ある意味、物語全体のテーマにも抵触しているので、主題歌となってもいい曲なのである。
 
 物語は、実母の自殺の記憶を赤裸々に描いた自伝的小説によってベストセラー作家となった“わたし”デルフィーヌの述懐のかたちで綴られていく。
 ブックフェアでのサイン会で疲弊しながらもパーティーに顔を出したデルフィーヌの前に、ファンだという謎めいた女性Lが忽然と現れる。L自身も著名人のゴーストライターとして執筆をつづける作家だ。美しく知的で、自分にない魅力を身につけていることでデルフィーヌの心を惹きつけるLは、作品をすべて読んで研究し尽くしているほど、彼女に異様な関心を抱いていた。ベストセラー以降、タイプライターに向かっても書き出すことができなくなっていた彼女に対して、Lはさまざまな助言を与えるようになり、二人の関係は深まっていく。
 一方、デルフィーヌのもとには、近しい親族だとしか思えないほど事情に精通した謎の人物から、自伝的小説を発表したことを非難する、脅迫めいた手紙が送られてくるようになる。悩みを相談するようになった彼女は、いつしかLの存在を不可欠なものと感じるようになり、Lもまた徐々に自身の謎めいた過去を打ち明けるようになっていくが、恋人フランソワや彼女の子どもたちのことを根掘り葉掘り聴きたがるわりには、彼らと会うことは巧妙に避けるL。自伝的作品を発表したことが想像以上の反響を生み脅迫状まで届くようになってしまった反動から、より虚構を意識したフィクションを書きたいとデルフィーヌが告げると、自伝的な面をさらに掘り下げてあの作品のその後を書いていくべきだと反論。論争のあげく急に姿を消しては何事もなかったかのように目の前に現れ、突然怒りを露わにしたりするLの言動はますます謎めいていったが、部屋を引き払ってデルフィーヌの家に転がり込み、まったく書けなくなってしまっていた彼女の代りにメールのやりとりや細かな執筆仕事を代行してくれるようになる。彼女を執筆に専念させるためだ。だが、その行為がエスカレート。友人たちとのやりとりを断絶させるまでになってしまい、デルフィーヌへの支配力を強めていくL。
子どもの頃に自宅が火事になって両親が死んだこと、夫が猟銃で自殺したこと、それ以来失語症になり長く入院したこと。ぽつりぽつりと話すL自身の半生に関心を抱くようになったデルフィーヌは、彼女を小説の題材にしようと思いつき、こっそりと取材メモを書きとめるようになる。Lへの疑念は深まりながらも取材への執着から離れられず、Lと旅行にでかけることになったデルフィーヌを、想像すらしていなかった悲劇が待ち受けていた――。
 
 キリキリと絞り込んでいくような緊張感で綴られていく濃厚な作品だ。
 すでにお気づきかと思うけれど、ヒロインと作者とは同じ名前だ。主人公が自身の投影であることをド・ヴィガンは隠しもしない。自身もストーリーと同様に、実際にベストセラーとなりフナック賞をはじめ数々の賞を受賞したノンフィクション的作品『リュシル 闇のかなたにRien ne s’oppose à la nuit)』(2011年)で、母親の自殺やそこに秘められた近親相姦などをテーマにしている。『デルフィーヌの友情』は、自身の体験をベースに創作に向かう孤独と苦悩を幻想的なスパイスを効かせて綴った、多分に自伝的な小説なのである。
 それ以前に、映画化もされた(2010年ザブー・ブライトマン監督/日本未公開)ヤング・アダルト小説『ノーと私No et moi)』(2007年)では、母からの愛を得られない13歳の女子高生とホームレスの少女との絆を描き、そこでも孤立する女性の苦しみを伝えようとしていて、自殺に至った母親の影響が漂っているようにも思える。
 また、作中でLがデルフィーヌに同行を懇願する映画『17人の少女(17 filles)』(2011年/日本未公開)の監督もまた、デルフィーヌ&ミュリエル・クーラン。自分の名前にこれだけ拘泥するというのは、一人の作家の自我の葛藤ということと無関係ではないようだ。
 一方でこの小説には、“エクリチュール(書くこと)”に関しての論争が随所にちりばめられていて、現実と虚構のどちらであるべきか小説内で文学のあり方を論じるというメタフィクション的な色合いもきわめて強いように感じられる。

 音楽に話を戻すと、自分以外の存在に憧れる想いを歌ったカトリーヌ・ララの「ファタル」という、まさに裏テーマだとも思える歌が、多分にフランス的であったのとは対照的に、1970年代末にイギリスで流行した2トーン・ビートの楽曲に言及するところがある。物語が後半に差しかかるあたりで、自身がゴーストライターを務めた作品の最後にとある仕掛けを残しているとLが打ち明けた直後、デルフィーヌがジャマイカ発祥のスカに合わせて踊るシーンだ。このスカのビートにパンクを融合させたのが、スペシャルズ、セレクターといったイギリスのバンド。彼らが所属したレーベルが2トーン・レーベルだったことから、2トーン・ビートというジャンルが出来上がったのだ。「ミッシング・ワーズ(Missing Words)」と「トゥー・マッチ・プレッシャー(Too Much Pressure)」(1979年)は、ともにセレクターが1980年に発表したデビュー・アルバムに収録されている2トーン・ビートのナンバーだ。
 その場面近くに関係しているのだけど、訳者もあとがきで触れているように、最後の最後にまである仕掛けを施してこの小説は完結している。このデルフィーヌ・ド・ヴィガンという作家は、したたかなほどの企みと騙りにみちた作品をものしてみせた。
 じつは、3部から成るこの小説のそれぞれの冒頭には、スティーヴン・キングの『ミザリーMisery)』(1987年)と『ダーク・ハーフThe Dark Half)』(1989年)からの引用がエピグラフとして使われている。このことからも、スティーヴン・キングがこれらの作品や『シャイニングThe Shining)』(1977年)、中篇「秘密の窓、秘密の庭Secret Window, Secret Garden)」(『Four Past Midnight』〔1990年〕収録)などで描いたのと通底する題材であることはうかがえるだろう。
 
 このところ気になった小説が、どれもスティーヴン・キングの影響下にあるという強引な論説を展開したいわけではないけれど、どうも目について仕方がないのも事実。何かにとり憑かれたタイプライターがヒロインである作家の実人生を勝手に書きだしてしまうマイクル・ビショップの『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?Who Made Stevie Crye?)』(1984年)もそうだし、キングお得意のノスタルジーと独特のモダンホラー的空気感とミステリー的仕掛けとでミステリー好きの読者の間で話題となったC・J・チューダーの『白墨人形The Chalk Man)』(2018年)なんかもそう。もちろん、キングの血を継ぐ息子ジョー・ヒルによる新作『ファイアマンThe Fireman)』(2016年)は、もはや実子であることを開き直るほどにキング的だし。新本格ミステリー的要素たっぷりと話題のジョン・ヴァードン数字を一つ思い浮かべろThink of a Number)』(2012年)にいたっては、『シャイニング』の例の有名な“Redrum”が登場するときた。
 


 そこでさらにもう一冊、キングがらみでもある“作家もの”の作品を紹介したい。
 期せずして邦訳紹介された、高質にして多作、米文壇の巨匠とされる女性作家ジョイス・キャロル・オーツの『ジャック・オブ・スペードJack of Spades)』(2015年)もまた、『デルフィーヌの友情』と同じく小説家を主人公として書くということに焦点をあてた“作家もの”の怪作である。しかも、この作品にはスティーヴン・キングが実名で頻出する。そもそもオーツとキングは親しい間柄だということもあるけれど、作品のテーマともなった実際の盗作疑惑事件で、同様に無実の罪を着せられるという被害を受けた同士ということもあるのだろう。
“紳士のためのスティーヴン・キング”と呼ばれる人気ミステリー作家アンドリュー・J・ラッシュは、家族にも内緒でジャック・オブ・スペードという別名義をつかって陰惨で暴力的なパルプ小説を書き続けていて、別名義での創作のほうが本業の息抜きとなっていた。
 ある日、身に覚えのない盗作疑惑で訴えられかけたラッシュは、版元である出版社から顧問弁護士を代理人としてあてがわれ出廷を免れるのだが、原告のことが気になって仕方がなくなり、こっそり法廷に足を運んでしまう。奇矯な言動に走る原告の老女ヘイダーはどうやら常習らしく係争はあっけなく片づいたものの、なぜか心に引っかかりを感じたまま。それがきっかけとなり思わぬ行動へと駆り立てられてしまい、次々と忌まわしい事態が待ち受けていた――。
 キングの『ダーク・ハーフ』における純文学作家サド・ボーモントと犯罪小説作家ジョージ・スタークをなぞらえたかのような設定ということで、キング・ファン、オーツ・ファンはニヤリとさせられることだろう。ついでながら、このジョージ・スタークは名前からもわかるように、ウェストレイクの別名義リチャード・スタークを頭に置いた命名だという。
 ちなみに、オーツがロザモンド・スミスという別名義でミステリー作品を発表していることはコアなファンにはよく知られているけど、最初の作品を持ち込まれた出版社サイモン&シュスターは著名な覆面作家の正体を知らずに契約を結んだという。
 そのときに持ち込んだスミス名義第1作『Lives of the Twins』(1987年)は、『スイミング・プール(Swimming Pool)』(2003年)で知られる仏映画界の気鋭フランソワ・オゾン監督によって先ごろ映画化され、『2重螺旋の恋人』(2018年)のタイトルで公開された。自選短篇集『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢The Corn Maiden and Other Nightmares)』(2011年)収録の「化石の兄弟(Fossil Figures)」、「タマゴテングダケ(Death-Cup)」などにも見られる、オーツの作品テーマのひとつである“双子もの”の秀作サイコ・スリラーなので必見。謎めいた2人の臨床精神医に振り回される若いヒロインを描いた幻想的なサイコ・サスペンスだけれど、じつはこのヒロインこそがファム・ファタルなのではないかとも考えてしまうのは、やはり、思春期に刻みつけられた哀しき性なのでしょうか。

◆YouTube音源
●”ファタール(Fatale)” by Catherine Lara
https://www.ultratop.be/fr/song/5c18b/Catherine-Lara-Fatale


*フランスの個性的なヴァイオリニスト&シンガー、カトリーヌ・ララ。その1983年に発表したアルバム『ダイアモンドのロッカー』からの第1段として、「Famélique」との両面シングルとして発表されたナンバー。作中で言及されるサビの部分のみの音源でお許しを。

●”魔法の夜(Nuit Magique)” by Catherine Lara

*アルバム『Au Milieu De Nulle Part』(1985年)からのシングルカット曲で、大ヒットを記録。フランス音楽大賞の最優秀女性シンガー賞に選ばれた、ララの代表曲となるバラード・ナンバー。
 
●”ギャングスター(The Gangster)” by Specials

*スカ・ビートとパンクを融合させた、いわゆる2トーン・ビートのバンド、スペシャルズの1979年のデビュー・シングルにして大ヒット曲。

●”ミッシング・ワーズ(Missing Words)” by The Selecter

*スペシャルズと並ぶ2トーン・ビートのバンド、セレクターの1980年のデビュー・アルバム『トゥー・マッチ・プレッシャー(Too Much Pressure)』から。

■映画『告白小説、その結末』予告編

■『2重螺旋の恋人』予告編(8/4公開)■

◆関連CD
●『ダイアモンドのロッカー(La Rockeuse De Diamants)』カトリーヌ・ララ

*「ファタル(Fatale)が収録された1983年発表のアルバム。CDはすでに稀少盤となっているようだ。

●『アラル(Aral)』カトリーヌ・ララ

*エレクトニカ(電子音楽)でグラミー賞にも輝いているフレンチ・ユニット、ディープ・フォレストの中心メンバーであるエリック・ムーケとカトリーヌとのコラボレーション・アルバム。ムーケのサンプリング技法を駆使したサウンドにヴァイオリン・プレイをふんだんにフィーチャーした2000年発表作品。

●『スペシャルズ(Specials)』スペシャルズ

*1970年代末にスカ・ビートを流行させたパンク・バンド、スペシャルズの1979年デビュー盤。全英チャート1位に輝いた「ゴースト・タウン(Ghost Town)」収録。

●『トゥー・マッチ・プレッシャー(Too Much Pressure)』セレクター

*2トーン・ビートのバンドとしてスペシャルズと双璧を成していたセレクター、1980年デビュー盤。
 
◆関連DVD
●『告白小説、その結末(Based on a True Story)』
*ロマン・ポランスキー監督による2017年最新作。

●『エヴァ(Eva)』

*ブノワ・ジャコー監督、イザベル・ユペール主演による、『悪女イヴ』の2018年再映画化。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。
 デルフィーヌの友情 (フィクションの楽しみ)
 出版社:水声社
 作者:デルフィーヌ・ド・ヴィガン
 訳者:湯原 かの子
 発売日:2017/12/15
  価格:2,484円(税込)




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