1930年代の精神病院が舞台の推理小説と聞いて、最初はいったいどんなおどろおどろしい話なんだろうと思っていたのである。何せ、精神医学史をちょっとかじった者からすると、20世紀前半といえば精神医療の暗黒時代である。今の精神科医がふだん使ってるような抗精神病薬が登場するのが1950年代。電気ショック療法(かつて懲罰的に使われたことがあるので評判悪いけど、実はかなり効果があって今も現役の治療法なんですよ)が登場するのが1938年。

 本書が書かれた1936年に使われていた精神科治療といったら、マラリア療法(わざとマラリアに感染させて高熱を出す。下手をすると死ぬ)とかインシュリン・ショック療法(インシュリンを注射して低血糖発作を起こさせる。これまた下手をすると死ぬ)とか、聞くだに恐ろしげな治療法ばかり。しかも、この小説がかつて〈別冊宝石〉に訳されたときのタイトルが『癲狂院殺人事件』。これはもう、陰惨で狂気に満ちた探偵小説としか思えない。

 ところが実際読んでみると、これがからっとして明るい、なんともチャーミングな本格推理小説なのだ。

 主人公は妻を亡くして以来酒におぼれ、アルコール依存症の治療のために療養所に入院した演劇プロデューサーのピーター・ダルース。入院して3週間が過ぎ、治療も終盤に差し掛かったころ(行われた治療は「水治療、体操、紫外線治療」だという)、彼は療養所長であるレンツ博士に呼び出され、療養所内で起きている怪事件の調査を依頼されるのである。退院に向けたリハビリにもなるし、患者同士の方が話しやすいだろうから、と博士は言うのだけど、一介の患者にそんな大事なことを依頼するというのは医者としてどうなんだと思わずにはいられない。まあ、そこには目をつぶらないと話は始まらないのだけれど。

 登場する患者たちは、高名な指揮者や投資家の老人、花形フットボール選手などなど。療養所内には映画館やスカッシュコートがあり、毎夜のようにダンスパーティが行われているなど、かなり優雅な雰囲気である。拘束衣もあるにはあるが、ふだんは使われずに施錠された物置に保管されている。おまけに、探偵役のピーターは、療養所内で恋人まで見つけてしまう! 楽しそうじゃないですか、精神病院。

 太平洋を挟んだ日本で、夢野久作が『ドグラ・マグラ』を発表したのは1935年。『迷走パズル』のわずか1年前である。『ドグラ・マグラ』と『迷走パズル』では、小説の長さも重量感も対極といっていいほど違っているが、舞台となっているのはほぼ同時代の精神病院なのだ。

 『ドグラ・マグラ』では「狂人の開放治療」が描かれていたけれど、裏を返せばそれは閉鎖的な治療が当時は常識だったということ。それに対して、『迷走パズル』の療養所は、拍子抜けするほど開放的である。

 狂気の世界そのものに切り込もうとした夢野に対し、クェンティンはほとんど体の病気と同じように、さらりと心の病を描いている。その違いはまるで、その後日本で発達する哲学的で難解な精神病理学と、アメリカ流のプラグマティズムから生まれたマニュアル的診断基準の違いのようでもある。

 念のために書いておくと、もちろんアメリカの精神病院がみんなこの小説みたいだったわけではない。当時のアメリカでも、州立精神病院には数多くの患者がひどい環境で収容されていた。小説に出てくるような私立療養所に入院できたのはごく一部の富裕層だけで、病状も比較的軽めの患者だけだったろう。

 それでも、心の病に対する偏見が現代よりずっと強かった戦前という時代に、精神疾患を蔑視も神聖視もしない、明るくて風通しのいい精神科療養所を描いた推理小説が書かれていたということは、なんだかとても素敵なことのように思えるのである。

風野 春樹(かざの はるき)

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 精神科医兼SFレビュアー。鳩サブレーを愛する男。「本の雑誌」で「サイコドクターの日曜日」、「こころの科学」で「精神科から世界を眺めて」連載中。瀬名秀明『希望』(ハヤカワ文庫JA)の解説書きました。

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