リストに挙げられた新刊翻訳作品のなかで、そのタイトルが真っ先に目をひいた。「折りたたみ北京」、なんなのだこれは。

 発端は、松崎の公式Twitterだ。フォロワー数が100人を超えたので「100人目フォロワーのリクエストにこたえて松崎有理がなにかやる」という企画を考えた。さいわい100人目は現役翻訳者のかたで、「新刊翻訳小説の書評を」というすばらしいリクエストを出してくださった。では選書をお手伝いしてください、と逆リクエストしたところ、送られてきたのがくだんの新刊リストである。
 タイトルをあらためてながめる。サブタイトルにはアンソロジーとある。読者としての松崎はアンソロジーがだいすきだ。編者が自信を持って推す作品がガラスケースの宝石のごとく並ぶ、まことに贅沢な読書体験ができると思っている(なお書き手としては、アンソロジーはほかの収録作家と比べられるようで居心地が悪い)。リスト中のアンソロジーは本書だけだ。よし、この作品でいこう。きめてから少々不安をおぼえた。だってサブタイトルに「現代中国」とあるじゃないか。
 松崎は中国にちっともくわしくない。知識レベルは、漢文と世界史を習った高校時代が頂点で、以後は下がりっぱなし。予備知識ゼロ状態ではたして理解できるのか、不安を抱えながらKindleの試し読みをダウンロードした。だがその不安は試し読みの半分もいかないうちに消失した。さらにいま、読了して思う。無知なおかげでより楽しめてお得だったかも、と。理由は後述する。

 本書を編んだのは中国系アメリカ人SF作家のケン・リュウ。『紙の動物園』はヒューゴー賞・ネビュラ賞をダブル受賞している。ミステリ読者にはなじみのない賞かもしれないが、SFの世界では「ノーベル物理学賞・化学賞ダブル受賞」くらいすごいのだと松崎は思っている。そんなマリー・キュリーみたいな作家が中国語の作品から選び出し、英訳したものを日本語訳したのが本書だ。
編者序文によれば、選定のさい優先したのは「賞を受けている作家や作品」、中国についての深い知識が必要な作品よりは「翻訳して内容が伝わりやすい」もの。だから英語圏の読者も、中国について高校で習うていどの知識しか持たない日本人エンタメ作家もあんしんして楽しめたわけである。
 収録作品数は13本、作家は7人。意外なことに7人中4人が女性だ。アメリカでも日本でも、女性のSF作家は超少数派なので驚かされた。表題作も女性作家によるものだ。

 本書を読みはじめてまず思ったのは、「漢字文化圏の出身でよかった」ということ。とくに登場人物の名前において。たとえば1本目の短編「鼠年」主要キャラクタの名前は「豌豆」「黒炮」「小夏」。字面をみているだけでかれらの容姿や性格が浮かんできてはぴたりとはまる。豆みたいにちっちゃいけど生き物ずきなやさしい男、内面にうずまく黒い焔を隠そうともしない凶暴な男、初夏の日差しのようにまぶしくけっして触れられない美少女。たんに音を写しただけの英訳版ではこんなイマジネーションはわいてくるまい。読書のさい漢字の持つイメージを利用できるところが、これまで親しんできた英米翻訳小説との大きなちがいだと知った。本書には「日本語版翻訳者によるあとがき」的な裏話はないのだけど、きっと訳者たちはオリジナルの中国語テキストも参照したはずだ。
 13本すべての内容に触れる字数的余裕はないので、編者の方針に倣ってヒューゴー賞関連の2作品のみ紹介したい。「折りたたみ北京」、まずはこれをアンソロジーの表題とした編者の慧眼に拍手。もちろんタイトルだけでなく本文の印象も強烈だ。作中で朝の6時に折りたたまれ、回転し、展開していく巨大都市北京の描写はその場に立って口をあけてみているかのような臨場感である。なぜ北京が折りたたみ都市へ改造されたのか、の理由づけもきちんとなされており、筆者の経歴をみるとその説明にたいそう納得がいく。この大仕掛けなギミックだけでもすごいのだが、さらにすごいのはストーリーテリングとキャラクタの魅力。主人公ははっきりした目的を持ってミッションに挑み、読み手をはらはらさせて一瞬たりとも注意をそらさせることなくラストまで導いてくれる。そのラストにはほっこりした希望があって読後感もさわやか。このまま映画にできるほどみごとなエンタメぶりにまた拍手する。主人公の名は「老刀」でこれがまた、ゆるハードボイルドな初老の独身男にぴったりのネーミングだ。こんなふうにキャラクタの名前をつけられたら理想的だな、と名づけが苦手な松崎は心底うらやむのだった。
「円」は司馬遷『史記』にも載った有名な史実が下敷きとなっている。だが中国史にうとい松崎はまっさら状態で本作を読んだ。おかげで、主人公の意図にラストちかくではじめて気づくこととなり、なんとまあ遠大で緻密な計画であることよとひどく感動したのだった。歴史にくわしいひとは、中国史上の有名人である主人公がなんのためにかくのごとき超時代的大発明をしたのかが冒頭でわかってしまうだろう。知らないほうが楽しめる、と上述したのはそのためである。
 本書はいかにもアンソロジーらしく、収録作品の幅が広い。本格ハードSFからスペキュレイティブ・フィクション、幻想文学までカバーする。だからどんな読者でもご自分のお気に入りを発見できるだろう。松崎が個人的にいちばん気に入ったのは「百鬼夜行街」。伝統的幽霊譚とSFのいりまじった世界観もさることながら、細部の描写がとてもていねい。主人公の少年が食べる夕餉は本格中華で、ご相伴させて、といいたくなるくらいむやみとおいしそうだ。なお少年の名は「寧」である。

 シナリオアナリストの沼田やすひろはいう、「おもしろさの本質とは非日常体験。よって旅は、永遠のエンタメなのかもしれない」(大意)。本書の読書体験は近くて遠い国、見知らぬ世界への旅であり、ページをめくるたび新鮮な驚きのある、すばらしいエンターテインメントであった。背景知識はいらない。必要なのは心の目を開くことと、静かな部屋とすわりごごちのよい椅子、そして常識レベルの漢字の素養だけだ。

松崎有理(まつざき ゆうり)
 エンタメ作家。2010年、第一回創元SF短編賞を受賞してデビュー。読者としては翻訳ものの短編集やアンソロジーがすきです。拙著『5まで数える』はそんな寄せ集め感をわざわざ狙ってつくった短編集です。ホラーカテゴリですがミステリ要素もあり、また海外が舞台のものも多いので、当サイトをごらんのみなさまにも気に入っていただけるかと。ウェブサイトやSNSでは不定期で読者さま感謝企画を実施しています。
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