書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 年末ベストテンの季節が近づいてきました。刊行点数もじわじわと増え始め、みなさん嬉しい悲鳴を上げているのではないかと思います。さて、九月はどのような秀作がありましたでしょうか。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『冷たい川が呼ぶ』マイクル・コリータ/青木悦子訳 創元推理文庫

 ある壜詰めの水を口にしたことから幻影が見えるようになった男が、過去の秘密に分け入ってゆくホラー・ミステリ巨編。自分の精神がおかしくなったのではないかと懊悩する主人公、大富豪の封印された過去、邪悪なものに魂を乗っ取られてゆく小悪党、気象を観察することに魅せられた老婦人——複雑に絡まりあった謎と恐怖は、暴風雨の中で劇的なクライマックスへと収斂してゆく。スティーヴン・キングやピーター・ストラウブを思わせるアメリカならではの正統派モダンホラーを久々に堪能した。

吉野仁

『無罪』スコット・トゥロー/二宮磬訳

文藝春秋

 何十年ぶりかで『推定無罪』を再読した後、この続編を読んだ。そのせいか、ある登場人物の凄みをあらためて感じさせられた。そのほか、ダイアン・ジェーンズ『月に歪む夜』(創元推理文庫)は、男女四人の若者たちの間で起きた青春の悲劇を回想する物語なのだが、帯にあるとおりバーバラ・ヴァイン(レンデル)風のサスペンスで、その語り口が見事。個人的には「今年の三冊」にあげたいほどのお気に入りだ。

北上次郎

『無罪』スコット・トゥロー/二宮磬訳

文藝春秋

『推定無罪』のときに四十歳だったラスティ・サビッチが六十歳になって帰って来た! 死んだ愛人を思って泣く四十歳のラスティが印象深かったが、この男、六十になってもまだふらふらしているから、ダメ男は生涯ダメ男のままということだろう。四十歳でふらふらしているやつは六十になってもふらふらしている、というのが今月の教訓だ! もちろん小説の中身も素晴らしい。

川出正樹

『マッドアップル』クリスティーナ・メルドラム/大友香奈子訳

創元推理文庫

 庇護者であり支配者でもある母の死によって、母娘二人っきりの”楽園”から出ることになったアスラウグ。初めて外の世界に触れた十五才の少女が、新たな環境の下で父親の正体を探る一人称の物語の合間に、四年後の彼女が殺人の罪で裁かれている三人称の裁判劇が挿入される。自然と科学、宗教と神話を連関させ、過去と現在を往還することで徐々に真実を彫刻する手腕に思わず唸った。今まで味わったことのないダークで歪んでいるけれども、清冽で真摯な愛憎劇。恐るべき新人が出てきたものだ。

霜月蒼

『償いの報酬』ローレンス・ブロック/田口俊樹訳

二見文庫

 その語り口を味わうだけで満足させる小説が稀にある。本書がそれだ。暴力性と苛烈さを増した『墓場への切符』以降も現代ミステリの究極に達したコンセプチュアルな傑作ばかりだが、『暗闇にひと突き』の頃に回帰した本書は時代を超えて素晴らしい。「A Drop of the Hard Stuff——あのキツいもののひとしずく」という題名からも嗅げる追憶の香り。尖ってはいない。エクストリームでもない。だが大人が静かに味わうに足る熟成した傑作。こういう小説を読むというエクスペリエンスこそが、私がミステリを読むひとつの理由だ。

酒井貞道

『ファイアーウォール』ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳

創元推理文庫

 海外ミステリ読みにとって、マンケルはディーヴァーと並ぶ安全牌であり、その意味でこの選択は面白味に欠けるだろう。しかし実際にとても面白いのだから仕方がない。国際化と情報化、そしてテロの時代の幕開けを予感させる、現代につながるテーマがてんこ盛りの、高水準の刑事&警察小説である。欲を言えば、今回はちょっとヴァランダー自身に照準が当たり過ぎたかな。

杉江松恋

『ファイアーウォール』ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳

創元推理文庫

 開巻早々過去の事件への言及が行われ、グランドフィナーレが近いとの思いを新たにさせられる。いささか淋しい。そのためか、今回はヴァランダー自身の葛藤に焦点が当たる場面も多く、初期に回帰したかの錯覚を催させる。だが内容は確実に進化している。現代ミステリーの到達点の素晴らしさを堪能できる、どこをとっても非の打ち所のない小説だ。マンケルはまだまだ底を見せていない作家である。できればヴァランダーシリーズ以外の作品も訳出してもらいたいものだ。

 どの作品をとっても重量級のものばかり。これは睡眠不足が心配ですね。この調子でいくと十月はどんなことになってしまうのか。怖いような嬉しいような。また来月お会いしましょう。(杉)

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