書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『渇きの地』クリス・ハマー/山中朝晶訳

ハヤカワ・ミステリ

 ジョセフ・ノックスは、『トゥルー・クライム・ストーリー』で、次に何を仕出かすか全くわからない推理作家に格が上がった。よってそちらでも良かったのだが、小説的豊穣をたっぷり味わわせてくれた『渇きの地』をチョイスしたい。

 教会で銃を乱射して住民を射殺し、警官に撃ち殺された牧師は、一体なぜそんなことをしたのか? オーストラリアの田舎町で起きたこの大事件を記者が追う。少なくとも開始時点ではそういう話だ。まず語り口が素晴らしい。中東でテロに巻き込まれ心に傷を負った主人公マーティンは、町に、ジャーナリストとしての再起を期待されて派遣されて来ている。彼は取材した住民たちの人生模様を、自分の内面に引き比べる。地の文では彼の肉声、彼の物思いが横溢する。これが一々読ませるのである。心の襞にフィットしてくる小説文って、たまにあるじゃないですか。『渇きの地』こそまさにソレ。

 じゃあ、ミステリ的な仕掛けの弱い「文学的」ミステリなのかと勘違いされそうですが、そうじゃないんですよこれが。まず、主人公が住民に事情を訊けば訊くほど、謎が深まり、小説内の出来事も枝葉のように広がっていく。牧師に持ち上がっていた児童虐待疑惑。牧師への評価のかなりの食い違い。ヒロインの位置にいる、書店主の美人シングルマザーの出生の事情。全裸で自慰に耽る老人。村に迫る山火事。猫の死体。若者が運転する車の自損事故。果ては、国家の保安情報機構の工作員の暗躍すら確認される。これ以外にも様々な要素がばら撒かれる、関係性は有無すらまるで見えてこない。ミステリとしては、部品が統一性なく雑多に並べられたようにしか見えず、どこに着地するか全くわからない。ただし、重い足取りながら確実にエスカレーションしてくるので、退屈に思うことはありません。京極夏彦『鵼の碑』をちょっと思い出す。あちらは多視点による五里霧中感の演出に活用した小説でした。『渇きの地』は単独視点ながら《取材先によって見えているものが違う》原理を活用しており、実は効果が似たようなものになっているのです。

 意外性や緊張感は(確かに存在はするけれど)演出がやや控えめ。でもその分じっくり読める。ミステリ的な趣向を丁寧に追いたい人には特にオススメです。

 

千街晶之

『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョゼフ・ノックス/池田真紀子訳

新潮文庫

 先月に続いて自分が解説を書いた作品で恐縮だが、流石にこれは外せない(ジェフリー・ディーヴァー『ハンティング・タイム』やM・W・クレイヴン『グレイラットの殺人』も滅法面白かったけれど)。マンチェスター大学の女子学生ゾーイが忽然と姿を消して六年が経った。作家のイヴリン・ミッチェルは、ゾーイの肉親やボーイフレンド、ルームメイトらに取材して真相を突き止めようとするのだが……。地の文がなく、関係者の証言やSNSの投稿や警察の報告書などから成立している本書は、互いを嘘つき呼ばわりする関係者たちの矛盾に満ちた証言が延々と続き、読めば読むほど誰を信用すればいいのかわからなくなる。だがそれだけではなく、本書の「編者」という立場で作中に登場するジョセフ・ノックス自身の立ち位置までもが怪しく見えてくるのだ。ヒラリー・ウォー『この町の誰かが』や恩田陸『ユージニア』のようなインタヴュー小説と、竹本健治『ウロボロスの偽書』や三津田信三『のぞきめ』のような作者自身が物語に介入するメタフィクションとの合体から生まれた、不穏極まりない大迷宮。これは今年度を代表する必読のミステリだ。

 

川出正樹

『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョゼフ・ノックス/池田真紀子訳

新潮文庫

 毎年のことだけれども9月は本当に悩ましい。各版元がこぞって自信作を出してくるこの時期に月次ベスト1を選ぶのはなんと心苦しく困難なことか。

 曲者揃いの演劇界を舞台に、劇評家殺しの容疑で逮捕されたホロヴィッツがホーソーンに助けを求めるシリーズ屈指の黄金期本格ミステリ・テイストに満ちたアンソニー・ホロヴィッツ『ナイフをひねれば』(山田蘭訳/創元推理文庫)。読者の予想を先回りするスリリングな展開と事件の全体像を明らかにする手際でジェフリー・ディーヴァーに肉薄し、謎解きミステリとしての練度では彼を凌ぐM・W・クレイヴンが満を持して放ち、再度CWA賞に輝いた『グレイラットの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。どちらも他の月だったら文句なしの一押しなのだけれども、今月はこの二作を凌駕する、先鋭的で企みに満ちたずっしりと腹に響く犯罪小説に出会ってしまった。ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』だ。

 核となる事件自体に特段目新しさはない。まえがきの冒頭に、「二〇一一年十二月十七日土曜の未明、マンチェスター大学に通う十九歳のゾーイ・ノーランは、その三カ月前から暮らし始めた学生寮で開かれたパーティを抜け出した。そしてそのまま消息を絶った」と記されているように、ヒラリー・ウォーの『失踪当時の服装は』を始め、これまでに繰り返し使われてきたシチュエーションだ。

 この定番ネタを、構成に工夫を凝らしカードを絶妙に切ることで、読者を一瞬たりとも飽きさせず700ページ近い大部を一気に読ませる力量に舌を巻く。関係者に対するインタビューを連ねて事件発生前後の状況を再構成し、章末ごとに“著者”と“アドバイザー”のメールでのやり取りを挿入して、作品の執筆状況に合わせて一体何が起きたのかを徐々に明らかにしていく。あたかも実際に起きた事件の真相を探るドキュメンタリーを装った迫真のモキュメンタリーであり、全編を覆う情念と屈託と悪意と信念が読む者の心を侵食する。さらに、“アドバイザー”=“ジョセフ・ノックス”とすることで、より現実と虚構のあわいを曖昧にして、作者すら信用できない状況を作り出してしまった実に油断のならない作品なのだ。巻頭の〈第二版刊行に寄せて〉から巻末の〈第二版のためのあとがき〉まで気の抜けない、今年度を代表する犯罪小説の白眉である。Must Buy!

 

霜月蒼

『トゥルー・クライム・ストーリー』ジョゼフ・ノックス/池田真紀子訳

新潮文庫

 じっくりと静かに不吉なものが迫ってくるような。そんな小説である。6年前に大学の寮で起きた女子学生失踪事件についての証言を著者ノックスが編集したノンフィクションという体裁で、本文のほとんどは、問題の女性と近しい友人たちのセリフから成り立っている。そういう意味で、昨年の収穫『ポピーのためにできること』に通ずるところがあるし、また、謎解きミステリとして――フーダニットとホワットダニット――よくできている点も同作に通じる。さすがは『笑う死体』『スリープウォーカー』という傑作謎解きノワールを書いたノックスである。

 だがしかし、そこには明らかに不可解なノイズが混ぜ込まれて、不吉な残響をもたらしている。マンチェスターのビルの荒廃の景色は、これまでのノックス作品(とくに『笑う死体』)で作品世界に魅惑的な不穏の影を落としてきたが、本書における学生寮たる「タワー」はどうだ。まるで直方体の幽霊屋敷のようである。巻末の解説で千街晶之氏は本書の不吉な気配を実話怪談になぞらえているが、まさに慧眼というべきだろう。本書にはそういう怖さがある。もっとも近い作品を挙げるなら小野不由美の『残穢』かもしれない。集積され、編集された証言に挿入されるノックスと編纂者のメールのやりとり。そこに書かれているできごとが怖い。そこに施されたスミ塗りも怖いし、突然はさみこまれる写真が怖い。

 ミステリとしての謎は解かれている。しかし本筋ではないところには解かれない謎があり、それが禍々しく怖いのだ。きちんと構成されたミステリがまずあり、それを見事に解決したあとで、これらすべてを不吉な謎が包んでいることがわかる――という二重構造。つまりはヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』やジョン・ディクスン・カーの『火刑法廷』のような仕掛けである。ただし本書は、そういう古典たちのような劇的な転調を採用せず、ただ静かに降り積もる曖昧な影を放置して、読者の脳に憑依させるという手法をとった。だから怖いのだ。傑作である。

 

吉野仁

『渇きの地』クリス・ハマー/山中朝晶訳

ハヤカワ・ミステリ

人気作家による新作や話題作が続々と刊行されるなか、ポケミス創刊70周年記念作品第一弾、クリス・ハマー『渇きの地』にやられてしまった。題名どおり乾燥しきったオーストラリア内陸の町を舞台に、牧師が教会で銃を乱射し五人を殺害した事件をその一年後に新聞記者が取材に町へやってくるという話で、なぜ牧師がそんなことをしたのかを探るミステリなのだが、事件の真相を知りたくなる、その求心力と、乾いた町に住むクセの強い人々に聞き込みをしていく際に生まれる、半端ない緊張感がつねに保たれていて、すごい。次第に意外な事実が判明したり、山火事が町を襲う場面に圧倒されたりと話の起伏は幾山もあるが、謎への求心力とドラマの緊張感は最後の最後まで強く高いままなのだ。2019年CWA最優秀新人賞を受賞したのも納得である。そのほかアンソニー・ホロヴィッツ『ナイフをひねれば』は、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズの第四作。ホロヴィッツが書いた戯曲が上演され、それを酷評した劇評家が殺され、その容疑者がなんと……という展開で今回も楽屋落ちの部分を含め一気に面白く読ませる。こうして作者自身が登場し、現実と虚構がまぜこぜになったつくりというのは流行しているのだろうか。というのも、ジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』もまた、作者自身が登場するだけにとどまらない関わりを見せるからだ。大学の学生寮から女子学生が姿を消した事件をめぐり、ある書き手が関係者へのインタビューをまとめ、犯罪ノンフィクションとして執筆し、その取材原稿をもとにジョセフ・ノックスが編集した体裁で本にまとめた、というのが『トゥルー・クライム・ストーリー』。もうだれもが信用できない。それは、懸賞金ハンターのコルター・ショウ・シリーズ第四弾、ジェフリー・ディーヴァー『ハンティング・タイム』も同様だ。物語の本筋は、元警官のDV夫から逃げる妻と娘を主人公ショウが探し出して守るという展開で、すでにキング『ローズ・マダー』や佐々木譲『ユニット』などで見られる設定ながら、そこに加わる別筋のサスペンスとドンデン返しの連続はディーヴァーならではのもの。意外な展開に唸ると言えば、M・W・クレイヴンの〈ワシントン・ポー〉シリーズ第四作『グレイラットの殺人』もその極みに達していて、貸金庫襲撃や売春宿殺人など冒頭から示される数々の犯罪同士のつながりがどこにあるのかさっぱり分からず、それでいて思わせぶりな書き方によりページをめくらされていると、やがてどんどん規模の大きな事件につながり、最後の最後であっと驚かされるという文句なしのミステリだ。いや今月もまた時間が足りず、まだ読み切れてないものがたくさんあり、そんななか、ジュノー・ブラック『狐には向かない職業』の擬人化した動物たちによる犯人探しの軽妙な物語を愉しんだ。

 

杉江松恋

『渇きの地』クリス・ハマー/山中朝晶訳

ハヤカワ・ミステリ

 今月は話題作が目白押しであったが、一冊を選ぶとすれば、『トゥルー・クライム・ストーリー』か『渇きの地』の犯罪小説どちらか、といういことになるのではないかと思う。前者は疑似ノンフィクション形式でひとつの事件を描いていく形式で、ジョセフ・ノックスという作家はとにかく「どう書くか」という技巧に凝る人だから、とことんそれが楽しめる。ノックスの最高傑作で、今年を代表する犯罪小説の一つであることは間違いない。だけどこっちにしておく。自分で解説を書いた作品なのだけど、そこはご勘弁願いたい。

 オーストラリアの地方共同体で、牧師が突然ライフル銃を持ち出してきて住民を次々に射殺するという事件が起きる。それから一年後、事件の影響から町の人々は立ち直っているのか、というヒューマン・インタレスティングの記事を書くために主人公が新聞社から派遣されてくる。調べていくうちに、一年前の事件には報道されていない部分が多々あることがわかり、主人公は取材にどんどんのめりこんでいく、というのが序盤のあらすじだ。

 序盤、と限定したのは話が途中で変化していくからで、これはどんでん返しみたいな技巧とはちょっと違う。叙述は主人公のマーティン・スカーズデン視点で行われる。三人称だが一人称に限りなく近いので、彼が知り得ない事実は物語の表面に現れることがない。逆に言えば、彼が事件について知れば知るほど、その様相は変化していくわけである。ここが『渇いた地』の美点で、何が起きるのか、事態がどのような帰結を迎えるのかが本当に見えない。誰が正直な人間で誰が嘘つきかもマーティンが持っている情報では判断がつかないので、先に進んで検証するしかないわけである。この、情報を主人公と共有しながら読み進める行為が実に楽しい。マーティンに連れていかれる先も意外極まりなく、等身大の視点であることを守りながら書かれたミステリーがいかにおもしろいものかということをこれでもかと思い知らせてくれるのである。外見から犯罪小説っぽいということで敬遠した謎解き小説好きの方は、ぜひお読みいただくべきである。その上で、あなたが好きなミステリーの感覚って、もしかしたらこれじゃないですか、とお聞きしてみたい。

「このミス」投票は締め切られましたが、まだまだ他ランキングの投票期間は続きます。この先も思わぬ大作がひょっこり出てくる可能性があり、少しも油断ができません。来月もこの欄をお楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧