書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

霜月蒼

『アーマード 生還不能』マーク・グリーニー 伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV

 いやはや今月は困りました。いい意味でですけども。何をおいても読みたいという本がドカドカ刊行された月だからである。ご贔屓のシリーズだけでも、S・J・ローザンの『その罪は描けない』、ユッシ・エーズラ=オールスン『特捜部Q カールの罪状』、C・J・ボックス『熱砂の果て』が出たので嬉しい悲鳴をあげていたら、ロス・トーマスの『愚者の街』が出て、嗚呼これは大人がじっくり読むのに最高のミステリーだと唸らされたわけです。ということで、まずとりあえず上記は全部読め。

 でもね、グリーニーなんですよ。好評のグレイマン・シリーズではなく、新主人公をフィーチャーした新作で、これがグレイマンとまったく異なる人物なのである。あちらはスーパー・アサシンだが、本書の主人公ジョシュは二流。民間軍事会社での直近のミッションで片足を失う重傷を負い、ろくに治療費ももらえずにクビに。妻子もいて家庭円満ではあるが、現在の仕事では治療費の負債も払えない。そんな彼に悪評ふんぷんの民間軍事会社から、カルテルが犇めくメキシコの山中に赴く国連の交渉団を3チーム編成で警護する高報酬の仕事のオファーがあり、彼は片足を失っていることを隠し、家族を養うために仕事を受ける。しかし背後には二重三重の罠が……。

 グレイマンとジョシュの差は、(1)世界屈指の暗殺者か、ハンデを背負った未熟な戦闘員か。(2)孤独か、家庭人か。(3)個人か、チームか。(4)畏怖されているか、ナメられているか等々。ジョシュにはリーダー経験がないのに、いきなりクセ者だらけのチームの指揮官にされてしまうので、修羅場をくぐりながらリーダーシップを身につけてゆく成長小説の側面もあるし、クセ者どもの戦いぶりは『特攻大作戦』などの「七人の侍」ものアクションを思い出させもする。やや陽性のトーンふくめ、物語自体が、ストイックなグレイマン物と異なる。

 その上で、かつて北上次郎が『暗殺者グレイマン』のプロット分析で示したように、構図や様相のバラエティに富んだ戦闘がつぎつぎに襲いかかるのである。全体的には「敵地への潜入・脱出」ものであり、終盤に近づくにつれて決死度は高まって、名匠クレイグ・トーマスの域に迫る。集団冒険小説としても、アリステア・マクリーンを思い出させた。『ナヴァロンの要塞』あたりに肩を並べているのでは。

 なおチームに同行する人類学者と、自宅に残る主人公の妻という女性キャラがしっかり活躍するあたりも良く、このあたりは確実に往年の冒険小説からアップデートされた部分。この2人を筆頭に、忘れがたい痛快なキャラが多数いるあたりも、グレイマンには欠けているところを埋めていると思う。

 

千街晶之

『忘却の河』蔡駿/高野優監訳、坂田雪子・小野和香子・吉野さやか訳

竹書房文庫

 見た目は子供、頭脳は大人……といっても江戸川コナンではない。一九九五年、高校教師の申明は殺人の濡れ衣を着せられた挙げ句、何者かに背後から刺殺された。だが彼は、天才少年・司望としてこの世に生まれ変わった――前世の記憶を残したままで。彼は、自分の前世である申明の関係者たちに接近して犯人が誰かを知ろうとするが、新たな惨劇が始まってしまう……。『幽霊ホテルからの手紙』で日本に初紹介された中国の作家・蔡駿の邦訳第二作であり、同じようにスーパーナチュラルな要素のあるミステリだが、怪奇ムードたっぷりのゴシック・ロマンスだった『幽霊ホテルからの手紙』に対し、こちらは過去と現在にまたがる連続殺人の謎を追うジェットコースター・サスペンス。普通なら終盤まで生き残りそうな登場人物が次から次へと容赦なく退場させられるので呆気に取られるが、最後はちゃんとフーダニットとして着地する点に注目。ミステリとしての要素だけでなく、恋あり復讐ありの盛り沢山なエンタテインメントとしてもリーダビリティは抜群だ。(今回、この文章を書いてから本作の奥付が七月であることに気づきました。フライング、申し訳ありません)

 

川出正樹

『愚者の街』ロス・トーマス/松本剛史訳

新潮文庫

 新潮文庫の文庫内企画《海外名作発掘》HIDDEN MASTERPIECESから目が離せない。2022年5月のライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』(矢口誠訳)に始まり、一年後のドナルド・レイ・ポロック『悪魔はいつもそこに』(熊谷千寿訳)まで六作すべて外れなしという犯罪小説好きにとってなんとも嬉しく、かつ待ち遠しい企画であり、次に何が来るのか毎回楽しみにしているのだが、なんと第七弾はロス・トーマスの『愚者の街』だ! 『暗殺のジャムセッション』(真崎義博訳/ハヤカワ・ミステリ)以来十四年ぶりの訳出にわくわくしながらページを開き、一文一文じっくりと味わいたいという気持ちと、予想不能のストーリーの先が早く知りたいという気持ちがせめぎ合う中、結局、一気呵成に読了してしまった。

「街をひとつ腐らせてほしい」。期限は二ヶ月、報酬は五万ドル。都市問題専門コンサルタントと称し、「良くなる前には、もっと悪くならなければならない」と嘯く若者オーカットによるどこからどう見てもきな臭いこの申し出を、元諜報部員ルシファー・C・ダイは受ける。かくて元悪徳警官と元娼婦とともに、メキシコ湾沿いの人口二十万ほどの小都市スワンカートンに乗り込んだダイたち四人は、街に蠢く“善男善女”と悪党相手に一世一代の大博奕を仕掛けるが……。

 1970年の現在パートと平行してダイの半生記――過酷な生い立ちからいかにしてエージェントになり放逐されたかに至るまで――が語られていく。複雑に入り組んだ人間関係を解きほぐすことで事件の全体像が浮かび上がってくるロス・トーマス作品の特質は本作でも健在で、過去が現在に追いつき、嘘と金と血で組み上げられた“再生計画”がクライマックスを迎えるまでの、登場人物が織りなす人間くさいドラマのなんと面白いことか。ほぼすべての既訳作が入手困難状態なのは、なんとも残念。『大博奕』と『五百万ドルの迷宮』『獲物』の《アーティー・ウー&クインシー・デュラント》 シリーズだけでもどこかで復刊してくれないかなあ。

 

酒井貞道

『愚者の街』ロス・トーマス/松本剛史訳

新潮文庫

 ロス・トーマスの作品が訳されるのは久しぶりである。本作の発表年は1970年、主人公は1933年生まれということで結構なビンテージ作品だが、中身はヴィヴィッドなので2023年の読者にも遠慮なくオススメできる。

 アメリカの諜報組織で失敗を犯し解雇された主人公ダイは、アメリカ南部の腐敗した街を支配するための策略に誘われる。そして彼は敵対勢力に対する三重スパイとして陰謀に身を投じることになる。なおこの街が本格的に舞台になるのは下巻になってからだ。そこに至るまでの物語の歩みはゆっくりしている――わけではない。ダイの波乱万丈の人生が間欠的に語られるからだ。彼は日中戦争下の上海にて日本軍の空爆で父を亡くす。さまよっていたところ拾われて娼館で育てられ、戦争が激化してきた頃に、上海から追われた新聞記者に連れられてアメリカに帰国。成長し朝鮮戦争に従軍したダイは、上官軍人から諜報組織に誘われる。かなりの波乱万丈ぶりだ。またこれと並行して、諜報組織での活動も間欠的に語られる。クビにされる要因になった失敗の経緯も描写される。また、ダイ個人を見舞った悲劇も上巻の情緒的クライマックスに設定され、人生におけるダイの経験を読者は概ね俯瞰できる状態になる。そして下巻で満を持して、「愚者の街」での物語が本格的にスタートするのだ。

 クライムノベル、ノワール、エスピオナージ、(ちょっと弱いが)戦争小説にビルトゥングス・ロマンなど、総合小説としての顔を持つ本作は、初期作品でありながら集大成的な存在感を放つ。後年彼がハードボイルドの旗手と評されることを予感させるように、一人称小説の割には、主人公の感情が直接的に描写されることは少ない。また描写されるとしても、感情を把握するにはちょっとした「解釈」な表現が多用される。そして次々と起きる出来事は、端的ながらも乾いていない、非常套的な文章表現で綴られていくのだ。ロス・トーマスのファンとして嬉しい限りで、未読の人にもこれは刺さるに違いない。しかも今回は、日中戦争以降の歴史を背景としつつ、対立するグループが街を取り合い、これに主人公が介入するという物語構図を持つ。面白くならないはずがないのである。

 

吉野仁

『異能機関』スティーヴン・キング/白石朗訳

文藝春秋

 まさか、あの人物があんな活躍するとは思わなかった。今月、キング『異能機関』をイチオシにする最大の理由は、初期名作群要素続出にくわえ、さまざまなジャンルの娯楽性を取りこみ、驚きと痛快な要素だけでぐいぐい読ませる大作であるにとどまらず、強烈な印象を残すキャラクターがクライマックスで派手に暴れまわったせいだ。本筋の物語は、十二歳にして一流大学MITの入学内定を得ている天才少年ルークが、何者かに誘拐され、怪しい〈研究所〉に連れて行かれるという幕開けである。超能力をもつ子どもたちと、彼らを支配する女所長とその部下たちといった、いかにもキング印のサスペンスから、西部劇のような活劇まで、とことん堪能した。そしてキングにまったく引けを取らず、マーク・グリーン『アーマード 生還不能』もまた圧倒的な面白さだった。新たなヒーロー、ジョシュ・ダフィーが活躍するシリーズの一作。長年の冒険活劇ファンならば絶対に読んで損はない。某有名冒険小説のメキシコ版とも思える展開を見せるのだ。主人公は、ある任務で左脚を失い、いまはショッピングモールのしがない警備員をしている妻子持ちの男ジョシュ。生活のために彼が引き受けたのは、メキシコ西シエラマドレ山脈での任務だった。そこは麻薬カルテルが勢力争いを繰りひろげる無法地帯で、和平交渉のために送り込まれた代表団を武装警護するのが仕事内容だった。しかし、待ち受けていたのはまさに「生還不能」な状況だ。ハンディキャップのある男が生き残りをかけて闘うだけでなく、こちらも意外な助っ人の参加があり、予想外のラストを愉しんだ。都会から離れた自然を舞台にした派手な活劇といえば、、C・J・ボックスの〈猟区管理官ジョー・ピケット〉シリーズ最新邦訳『熱砂の果て』もまた、ワイオミング州の砂漠地帯を舞台にした冒険アクションものだ。主人公ジョーの盟友ネイトがテロ計画を探る任務でそこを訪れ、やがて行方不明のネイトを追ってジョーも砂漠地帯へ向かい、クライマックスではこれも一種の西部劇のような闘いが繰りひろげられる。一方、ドン・ウィンズロウ『陽炎の市』は、三部作の第二弾のせいか派手なアクションではなく、夢の街ハリウッドを舞台にしたロマンスを中心にした異色作だ。しかし、恋物語であっても話の先を読まずにおれなくさせるのは、さすが巨匠のなせるわざ。第三弾が待ち遠しい。異色といえばローラ・デイヴ『彼が残した最後の言葉』は、結婚してまだ一年なのに夫が失踪し、その行方を継娘とともに追うという話で、なんというか「家族のあいだの理解と信頼とはなにか」をつきつけられるような物語として、奇妙な読みごたえが感じられた。そのほか、アラン・パークス『血塗られた一月』は、一九七三年のグラスゴーを舞台にした荒々しい警察小説で、当時流行の音楽にやたら言及される面などあわせて、エイドリアン・マッキンティの刑事〈ショーン・ダフィ〉と近い作風だと思った。最後になったが、ロス・トーマス『愚者の街』を忘れてはいけない。架空の街スワンカートンを舞台に、腐敗した街に群がる悪党連中の争いを描いたものだが、そうしたメインの部分よりも、主人公ルシファー・C・ダイの半生を描いた過去パートがめちゃくちゃ気に入った。とくに上海の娼館での少年時代をたどる場面の凄さよ。この世の表も裏も知り、昼間の堅気仕事からやくざな夜の闇世界まで、場数を踏み、修羅場を知る作者だからこそ、ここまで現実味たっぷりに物語れたのではないかと思うほど、いや実際のところは知らないが、そう信じたくなるような筆づかいで、さすがライターズ・ライターと呼ばれるロス・トーマスの面目躍如である。

 

杉江松恋

『陽炎の市』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳

 突如としてイタリアン・マフィアとアイリッシュ・マフィアの抗争が勃発、後者が破れ、幹部の中では唯一の生き残りであるダニー・ライアンは、わずかな仲間を連れて放浪の旅に出る。

 ドン・ウィンズロウ『陽炎の市』は、『犬の力』連作に続く新たな三部作の第二作目で、第一作『業火の市』は要するに上に書いたような話なのだった。『犬の力』の印象が強いのでどうしてもそういう血みどろどろどろの展開を思い浮かべるだろうが、実はかなり毛色が違う。というのもウィンズロウは古典神話の物語構造をこの三部作で取り入れており、『業火の市』では一人の美女を巡る恋のさや当てから生きるか死ぬかの闘いが始まる。つまりはヘレネの奪い合いから始まったトロイヤ戦争を模しているわけで、その続きである本作はオデュッセウスの放浪なのである。

 なんだまた貴種流離譚かよ、とか言わないで読んでいただきたいのだが、前半では逃亡中のダニーを巡り、いかにその身柄を押さえるかという駆け引きがイタリア・アイルランド諸勢の間で行われる。ここの群像劇の描き方がおもしろく、中にはへまをやって勝手に人望を失って没落していく奴なんかも出てくる。すべてが主人公と宿敵の対立構造に向けて集約していった『犬の力』とはそこが違って、物語運びに余裕があるのだ。あの緊張感も悪くないが、鼻面を掴んで引き回されるようなオフビートの楽しみこそウィンズロウ、と思っている人はむしろこの三部作のほうが楽しめるのではないか。これから読む人の楽しみを奪いたくないので曖昧に書くけど、この小説は途中からなんとハリウッド・ゴシップの話になるのである。えええ、ギャングの抗争劇じゃないの。いや、それもちゃんと構造の中にぴったり納まるのだ。なにしろ貴種流離譚だからあっちふらふらこっちふらふらしても最終的にはなんとかなるのだ。なんというか、小説としてとても豊穣です。二作目までくるとなんとなく構造が見えてくる気がするが、第三作が楽しみで仕方ない。残念なのは、本三部作を最後に小説執筆から引退することをウィンスロウは宣言したらしく、これを読んじゃうともう新作は読めなくなってしまうのだ。そう思うと早く次を読みたいような読みたくないような。

 

 なんと今回は全員が上下巻か三部作構成の小説という大長篇ばかりの月になりました。長いこと続けていますが、こんなことは初めて。さて、次回はどうなりますことか。暑くなってきましたがみなさま体調にはお気を付けて。また来月お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧