書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
千街晶之
『マーリ・アルメイダの七つの月』シェハン・カルナティラカ/山北めぐみ訳
河出書房新社
一九九○年、スリランカ人の戦場カメラマンでゲイのマーリ・アルメイダは、気がつくと冥界の受付にいた。何者かに殺害されたらしいが、その時の記憶はない。生前、彼は内戦の行方を左右する写真を撮影していた。冥界で彼の指導役を務めるラーニー博士によると、霊として現世にとどまれる猶予期間は七つの月が沈むまで――すなわち七日間。そのあいだに、彼は自分が信頼している人々を誘導し、写真を発見させて内戦を終わらせなければならない……。奇しくも、今月刊行された白川尚史の『このミステリーがすごい!』大賞受賞作『ファラオの密室』とも設定が共通する、死者がタイムリミットつきで自らの死の謎を探る内容の小説だ。全く予備知識がなかった一九八○~九○年代のスリランカ内戦を背景にしており、さまざまな政治勢力が三つ巴、四つ巴状態でぶつかり合うので最初はちょっと困惑したものの(先に「訳者あとがき」にまとめられたスリランカ史に目を通しておいたほうがいいかも知れない)、ハイテンションな語り口のおかげで一気に読ませる。ブッカー賞受賞作なので、ミステリだと思って手に取った読者は少ないかも知れないが、スリランカ人・外国人・死者・悪霊などが入り乱れ、なおかつ恋愛あり友情ありアクションありの狂騒的な展開の中に、フーダニットとしての趣向も仕込まれている点に注目だ。
川出正樹
『ナッシング・マン』キャサリン・ライアン・ハワード/髙山祥子訳
新潮文庫
『56日間』から一年弱、待ち望んでいたキャサリン・ライアン・ハワードの新作『ナッシング・マン』を推す。巨大クルーズ船という洋上の閉鎖空間を舞台に船ものミステリに新機軸を打ち出したサスペンス溢れるデビュー作『遭難信号』(法村里絵訳/創元推理文庫)、コロナ禍でロックダウン状態にあるダブリンの集合住宅で発見された腐乱死体を巡る謎を核に孤独な魂を抱えた男女の思惑が絡み合う物語を超絶技巧を駆使して精妙に紡ぎあげたサスペンス『56日間』(髙山祥子訳/新潮文庫)ときて、三作目の紹介となる『ナッシング・マン』は、作中作である犯罪実録本「ナッシング・マン」を媒介として、連続殺人犯ナッシング・マンと彼に家族を惨殺され唯一生き残った女性との対決を描いた緊迫感溢れるサスペンス小説だ。
彼女のミステリは常に構成に工夫が凝らされている。複数の視点からなる異なる時間軸の物語を絶妙に組み合わせることで強烈な謎を生み出し、一体何が起きているのかという強烈な牽引力で読者に次々とページをめくらせるのだが、今回、読者以上にページを繰る手が止まらない人物を設定している点がミソだ。
惨劇を逃れた十二歳の少女イヴが、十八年後に自身の悲劇を含む五件の凶悪犯罪の関係者に取材したノンフィクション「ナッシング・マン」を偶然目にしてしまった警備員ジム。連続殺人犯ナッシング・マンである彼は、犯行が暴露されるのではという焦燥感に駆られて読み進めていくうちに、なんとしてもイヴに会いたいという思いに駆られていく。
過去を再構築して犯人暴露を目指す作中作と、作者イヴと犯人ジムの現在進行形の人生。二つの時間軸の物語の結末が気になって、前二作に勝るとも劣らぬスピードで読み切ってしまった。
奥付上は令和六年一月一日発行なので厳密に言うとフライングだけれども、昨年末には店頭に並んでいたのでご容赦の程を。
吉野仁
『生贄の門』マネル・ロウレイロ/宮﨑真紀訳
新潮文庫
非の打ちどころのない小説である。帯に〈スパニッシュ・ホラー〉とあり、たしかに超自然的な要素や不気味な描写がふんだんに出てくるものの、まずは田舎の村へやってきたヒロインが奇怪な惨殺事件を調査する過程が犯罪捜査スリラーとして非常に面白い。さらに生贄の門にまつわる謎や出来事がうまく絡み合い、クライマックスへとなだれこむ。オカルト風味満載でありながら、現実感をもったまま納得の結末へとむかう感覚があり、その手応えが心地よく、しかも登場人物がわずかなうえ、文章も平明で読みやすい。これなら翻訳物やホラーが苦手だという読者でさえ難なく最後まで楽しめるのではないだろうか。そのほか、イーライ・クレイナー『傷を抱えて闇を走れ』は、アメフトの天才選手といわれながら家族の問題に苦しむ少年を主人公に、彼を育てるコーチらが絡み、差別、貧困、家庭内暴力といったテーマをもつアメリカ南部犯罪ものだ。自分や大事なものを守ろうとするそれぞれの行動は危うい綱渡りを見ているようで、きびしくつらい気持ちになった。あいかわらず絶好調なのが、マーク・グリーニーによるグレイマン・シリーズ最新作『暗殺者の屈辱』。今回はロシアによるウクライナ侵攻を題材にしており、なんといっても国際列車内の活劇が圧巻である。スティーヴン・コンリー『救出』もまた同類の本格的なアクションもので、落下傘降下場面などの細部描写が半端ないものだった。人質救出を専門とする主人公デッカーの活躍を描きつつ、女性私立探偵が協力するというところが作品に変化と幅をもたらしている。キャット・ローゼンフィールド『誰も悲しまない殺人』は、アメリカの田舎町で暮らす二組の夫婦の間で起こった事件をめぐるサスペンスながら、殺されたリジーという女の謎めいた語りからはじまるあたりが現代風といえよう。カリン・スローター『暗闇のサラ』はひさびさの〈ウィル・トレント〉シリーズ最新作で、若い女性の医学生がERに運ばれたのち死亡した事件から幕をあけるのだが、ヒロインである検死官サラ・リントンの過去に起きた忌まわしい出来事につながっているため、なにか生々しさやら人間関係の憎悪やらがより増した結末へと向かう迫力たっぷりの展開だった。
霜月蒼
『暗闇のサラ』カリン・スローター/鈴木美朋訳
ハーパーBOOKS
12月はグリーニーとスローターという北上次郎氏の推しの新刊が両方出た月で、氏の不在を否応なく思わされた月だった。なお本稿は氏の命日の10日前に執筆している。そこでスローターを12月のベストに推すのは草葉の陰の北上次郎に忖度しているからでは無論なく、本作がスローターのウィル&サラ・シリーズの2ndシーズン開幕編であり、主人公のひとりサラの個人的な事件を痛みとともに掘り下げる重要作であるからだ。具体的にいえば、サラは現在の事件を解明するために、彼女の初登場作『開かれた瞳孔』の段階ですでに起きていた事件の真相を追うことになる。
ミステリとは「真相」というゴールに向かって、謎を解きほぐすプロセスを主人公が歩んでゆく物語だが、例によってスローター作品におけるこの道行きは、ガラスでできたイバラの道のごとく苦痛に満ちている。そしてその先にある真相も、本書においては痛みをともなうものだと最初から暗示されている。それでもなぜ読むのか。スローターはなぜ書くのか。ミステリとはエンタテイメントの1ジャンルではなかったのか。そんなことを問うてしまうくらい、スローターの描く物語を読むのはしんどいことだが、それでもそこには大いなる意味があると思わせるものが確かにあると僕は思う。そのひとつの表れが、サラがニューヨークに赴き、同種の加害を受けた友人に話を聞きに行く一連の場面だろう。たぶんそこらへんのミステリでは数ページで済ませてしまうサラの逡巡を、スローターは執拗に描く。たぶんここに見えるのがスローターという書き手の真摯さだ。
ほか、コーマック・マッカーシーの初期作品『アウター・ダーク 外の闇』にも圧倒された。原初の犯罪小説というべき『チャイルド・オブ・ゴッド』の前の作品にあたり、そこにつながるブルータリティの気配を濃厚にたたえた作品だが、さすがにミステリとは呼べまいということでスローターをとった。
酒井貞道
『生贄の門』マネル・ロウレイロ/宮﨑真紀訳
新潮文庫
主人公の女性捜査官ラケルには、シングルマザーとして育てている幼いその息子がいる。しかし息子は、手遅れの末期がんになっている。ラケルは、怪しさ爆発の民間療法をSNSで見つけて、その療法士を頼りにすると決めて、マドリード勤務を辞し、ガリシア地方に転属させてもらった。ところがいざ移住しにやって来ると、その療法士が消えており、彼女は途方に暮れつつ下宿をとって、転属先での勤務を開始するのだった。そんな中、古代の謎の遺跡で殺人事件が発生し、ラケルは現地の同僚(気のいい大男)と共に捜査を開始する。
本書はホラー・ミステリとして喧伝されつつも、以上のように、ストーリー自体はミステリ(刑事小説)の枠内で進行する。ということで大手を振ってミステリとして推します。特徴は全篇を一貫する切迫感だ。上記の通り主人公は、標準医療には見放された息子(素直ないい子! 病魔のため発育が悪いのも胸に迫る)を助けたいと常に心に思いながら、仕事には手を抜かない。大切な家族が明日をも知れなくても、それでもなお人生を続けるしかないことが丁寧に描写され、逆説的に切迫感が出ているのである。そして捜査の過程で、殺人事件の不気味な側面がじわじわと明かされてくる。本当に現実的な解決が付くのか、それとも超常現象が関与したのか。この点は実際に読んでいただくとして、強調しておきたいのは、ちゃんとヒントや伏線は張られているし、ミステリっぽいサプライズも用意されているという事実である。書けるギリギリのところを書くと、本書は異様な要素を「背景」に込めるタイプのホラーである。「背景」が何を意味するかは秘しますが、「背景」以外の部分は完全に推理小説です。ミステリ好きが読まないのは勿体ない。真相もなかなか味わい深く、各キャラクターの描き分けも鮮やか。オススメです。
杉江松恋
『大仏ホテルの幽霊』カン・ファギル/小山内園子訳
白水社
105ページまで読み進めたところで、げげっ、なんじゃこりゃ、という記述に出くわして、以降目をページに釘付けにされてしまった。帯や裏表紙の内容紹介にも触れられていることなのだけど、私と同じような驚きを味わいたい人は以下に書くこと以外はなるべく予備知識を持たずに読み始めたほうがいいと思う。ミステリーとして本書を読む人は少数派のはずなので、ネットに掲載された書評やSNSの感想などにも明かされているだろう。気を付けて。
作家小説なのだが、中に入れ子構造でゴシックホラーとしか言いようのない物語が挿入されている。語り手の〈私〉は作家で、自身の体験を元に「ニコラ幼稚園」という短篇を書こうとしている。だが、ライターズ・ブロックにぶつかってしまい、完全に手が止まってしまう。おまえは無力で何もできないという心の声まで聞こえてくる始末である。その話を友人のジンにすると、彼は〈私〉が書こうとしている幼稚園は大仏ホテルにそっくりだと言うのである。「一九五五年に、大仏ホテルで、ある女の人が死んだそうなんだ」という気になる情報から始まる話は複雑で、しかもジンの語りぶりはとりとめがないので、〈私〉は中に出てくるチ・ヨンヒョンという女性を視点人物にして内容を再構成しようとする。それが本書の大部分を占める第二部で、朝鮮戦争終結後の1955年、傾いた中華楼というレストランの3階にコ・ヨンギュという女性が居座って住んでいて、いくら出ていけと言われても聞かない、しまいには楼主が根負けをして、そこでホテルを始めさせる、というところから話は始まる。ヨンギュは美貌なので男たちが言い寄ってくるがまったく寄せ付けない、彼女に危害を加えようとする者は決まって怪談から落ちて首の骨を折る、というのが気になるではないか。このホテルに西欧人らしき宿泊客が現れて、という先は書かないことにする。
ゴシック・ホラーなので、古い館自体が主人公と言ってもよく、幽霊らしき存在も姿を見せる。おお、そういう話なのかと思って読んでいると、第二部の終わりでは意外な事実が告げられ、それまでの話はなんだったのか、と読者に頭を抱えさせる。つまりミステリー的な構造も備わっていて、抜群におもしろいのである。この第二部が挿入されていることの意味が最初はよくわからないのだが、フーガ的に前段の語りを引っくり返していく第三部を読むと次第に見えてくるものがある。それが作家の自己意識についての話である第一部と呼応することによって明確な像となり、小説として完結するという構成なのだ。おお、なんておもしろいんだ。恩田陸作品などが大好きな人には絶対のお薦め。さらにここまで名前を出さなかったが、ゴシック・ホラーのファンなら絶対に好きなはずのあの作家とあの作家にもオマージュが捧げられている。ミステリー・ファンこそ読むべき作品なのである。今月はもうこれしかないだろう。
2023年最後の月はバラエティ豊かな顔ぶれとなりました。主流文学との接点を持つ作品が多いのが特徴かもしれません。2024年初の更新いかがだったでしょう。また来月、お楽しみに。(杉)
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