書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『処刑台広場の女』マーティン・エドワーズ/加賀山卓朗訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 この「書評七福神」では自分が解説を書いた作品を敢えて外すことも多いけれども(必ずしも厳密なルールというわけではない)、八月は私が解説を担当した海外ミステリが何冊もあったので外すわけにはいかない。それらの中でも特に一押しなのが、マーティン・エドワーズの『処刑台広場の女』。バークリーやクリスティーやセイヤーズら英国黄金時代の作家たちの肖像をスキャンダルも交えて活写した大作評論『探偵小説の黄金時代』の著者であるのみならず、これまでに二十冊以上の小説を発表し、数々の受賞歴に輝いており、「逆にどうして今まで小説の邦訳が出ていなかったのか」と不思議に感じるくらいの大物なのだが、小説家としての圧倒的な筆力を本書で思い知らされた。先が読めない波瀾万丈の展開、時代ミステリならではの絢爛たる道具立て、そして謎めいた「名探偵」レイチェル・サヴァナクの危険すぎる魅力……などといった読みどころについては、詳しくは本書の解説に記したのでそちらに目を通していただきたいが、当初指定されていた〆切より五日も早く解説を書き上げたほど面白かった、と記しておく。

 

川出正樹

『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』ジェフリー・フォード/谷垣暁美訳

東京創元社

『言葉人形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』から四年と八ヶ月、待ちわびていた日本オリジナル短編集の第二弾『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』を読み終えて陶然としている。繊細なれど強靱な技巧の糸で紡がれた奇想天外な十四篇の幻想譚は、歪で残酷であると同時にノスタルジックで、悲哀と優しさと暖かさが漂う。

 いずれも特定のジャンルに収まりきるものではなく、SF、ホラー、ミステリ、ファンタジーが渾然一体となったまさに唯一無二の読み心地だ。世界幻想文学大賞を七回、シャーリイ・ジャクスン賞を四回受賞し、ミステリ分野でも『ガラスのなかの少女』(田中一江訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)でMWA賞最優秀ペイパーバック賞に輝いた作者の多様な世界を味わえる珠玉の作品集。今年の新刊の中でもトップクラスの面白さで、「タイムマニア」「星椋鳥(ほしむくどり)の群翔」のような殺人事件を核とした作品もあるけれども、ミステリの物差しで無理矢理評価しようとすると真価を歪めてしまう。ジャンルを意識せず、読み手の想像力を遙かに上回る別次元の世界に飛ばされ翻弄される快楽を、ぜひ味わってみて欲しい。マイ・ベスト3は、妖精登攀隊冒険行「本棚遠征隊」、泥酔奇祭怪異譚「ナイト・ウィスキー」、外骨格世界交易哀愁物語「エクソスケルトン・タウン」。十月刊行予定のアンソロジー、エレン・ダトロウ編『穏やかな死者たち シャーリイ・ジャクスン・トリビュート』(渡辺庸子・市田泉 他訳/創元推理文庫) に収録される「柵の出入り口」も今から楽しみだ。

 今月はピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(務台夏子訳/創元推理文庫)もお薦め。『そしてミランダを殺す』や『ケイトが恐れるすべて』を始めとする、往年の名作ミステリをモチーフに懐かしくも新しいサスペンスを生み出してきた作者が、溢れ出るミステリ愛を前面に押し出した企みに満ちた“死の罠”を堪能あれ。

 

霜月蒼

『8つの完璧な殺人』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

 ピーター・スワンソンすごいな、と思った。ちょっと語弊のある言い方をしますが、スワンソンが当代最高のサスペンス作家で、その作品は洗練のきわみというべき完成度を誇っているのはまちがいないけれども、「最高」で「洗練」であるというのはときに、こちらに挑みかかるようなフックや熱に欠けた印象を与えることがある。造形的に完璧な、しかしつるつるして冷たいモノ、に似ると言えばいいか。スワンソンは僕にとって、出たら即座に読む作家であり続けているが、そんなふうな洗練ゆえの靴下掻痒感を感じていたのも事実だった。スワンソンはパトリシア・ハイスミスへの敬意を隠さないが、ハイスミスにある読む者をぞわぞわさせる何かがスワンソンにほしい、と言ってもいい。

 この新作はミステリ書店の店主が主人公、たくさんの名作ミステリについて言及されるというから、ブッキッシュな書斎派の実験作だろうと思って読みはじめて、いい意味で裏切られた。いや、ブッキッシュなのは確かだし、スワンソンのミステリ的教養(これは日本人にも通じるものだ)も期待どおりに活かされている。でも書斎派ではなく、いつものスワンソンのサスペンスは活きていて、それでいていつも以上に体温がある。犯罪に巻き込まれた者の心理の動きが、いつも以上に複雑なグルーヴで脈動している。個人的にはスワンソンのベストであり、しかし異色作ではまったくなく、スワンソンらしさがパワーアップして描かれていると思う。

 そして、こういうミステリだから、ああいう古典とかこういう古典をオマージュするんだろうなと思っていたら、「えっそっち!?」という驚きもあって、いや、たいへん結構なものを読ませていただきました。8月はいくつも傑作や良作が刊行されましたが、これまでずっと積み上がっていたスワンソンの秀作たちの功績へのリスペクトもこめて、本作をベストに推します。

 

酒井貞道

『人生は小説』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 母ニューヨークの自宅から、著名女性作家の三歳の娘が失踪してしまう。そんなミステリっぽい幕開けからわずか数十ページで、この物語は「もう絶対に真っ当な謎解き小説にできないだろ!」という衝撃的な展開を迎える。そしてそのまま、日本では一部推理作家がよく使うメタ的な手法を用いて、物語は遠い世界に発散気味に旅立ってしまう……かと思いきや、終盤で、テーマとプロットが一本のストーリーラインにまとまり直して帰って来るのだ。さすがにそれでもなお「普通のミステリ」とは言い難いが、伏線を丹念に配置し丁寧に拾って、意外な真実を提示する、この読み心地、この味は、間違いなくミステリの味だ。大げさではなく私は感動しました。心を広く持って読めば、ミステリ的な創作技法の活かし方にはこういうのもあるんだ、と感心できること請け合いです。

 

吉野仁

『8つの完璧な殺人』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

『8つの完璧な殺人』は、紹介しづらい作品である。ミルン『赤い館の秘密』やアイルズ『殺意』など語り手が選んだ犯罪小説8作について、作中で内容や真相について言及されているのだ。つまりみなネタをバレされている。もっともミステリ専門書店の経営者が主人公で、有名な8作が事件に絡んでくるという設定からして興味をそそられずにはおかないわけで、予想を裏切る展開には事欠かず、ぜひぜひお薦めしたい傑作である。さすがスワンソン、翻訳されたものに一切ハズレはない。このサイトをご覧の方は少なくともクリスティ『ABC』『アクロイド』そしてハイスミス『見知らぬ乗客』くらいは既読だろうが、できれば未訳のジョン・D・マクドナルド The Drowner とレヴィンの戯曲『死の罠』以外のものも読んでいるにこしたことはない。そのほか、ミステリのタイプはまったく異なるが、翻弄されっぱなしとなる展開で負けてはいないのが、マーティン・エドワーズ『処刑台広場の女』だ。1930年のロンドンを舞台に、不可解な殺人事件と謎めいた名探偵レイチェル・サヴァナクをめぐるミステリ。まるで遊園地のアトラクションに次から次へと乗り移るかのような楽しさよ。わたしはヒロインのレイチェルに対し、乱歩作品に出てきた緑川夫人を連想した。もっと言えば「ファントマ」「ルパン」「二十面相」ものなどに通じるの「怪人」の魅力を感じたのだ。続編がたのしみ。と、『8つの完璧な殺人』『処刑台広場の女』の解説は二つとも千街晶之氏だったが、こちらも巻末に書いてるのは千街さんで、ギヨーム・ミュッソ『人生は小説(ロマン)』は、小説家の幼い娘がニューヨークのアパートから忽然と消えたという話からはじまる。ミュッソならではの異色ミステリだ。しかしこれ以上は書けない。そしてアメリカ南部犯罪小説に強い関心のある私は、クリス・オフット『キリング・ヒル』も細部にいたるまで大いに堪能した。ケンタッキー州の丘で見つかった不審な死体をめぐる田舎町捜査小説。作品のタイプは異なるが、やはり新潮文庫で今年刊行されたドナルド・レイ・ポロックと同様、クリス・オフットも、いわゆる「ラフ・サウス」犯罪文学の流れに位置する書き手だろう(詳しくは略)。最後に、アムリヤ・マラディ『デンマークに死す』は、題名のとおり北欧の都市を舞台に、私立探偵が登場し、元恋人の弁護士から冤罪疑惑の調査をたのまれ、じつは事件の裏には……というもの。ストーリーは型をなぞったお約束どおりながら、読んでいて人物も出来事もいささか把握しづらい小説で、もっとも興味深かったのはコペンハーゲンという街と主人公の描き方だろうか。内容とは直接関係ないが、このキルケゴールの引用ばかりする探偵の話を書いた著者のマラディさん、生まれも育ちもインドで、のちにアメリカの大学で学び、結婚後デンマークに住み、現在はアメリカ在住の女性だと知り、大いに驚いた。

 

杉江松恋

『8つの完璧な殺人』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

 毎回他の七福神から原稿が来る前に自分の選ぶ作品を決めているのだけど、今月は『8つの完璧な殺人』『処刑台広場の女』『人生は小説』の三つ巴になるだろうな、と思っていた。結果はどうなっているか知らない。今気づいたが、おっそろしいことにこの三冊、すべて解説を書いているのは千街晶之氏なのである。すごいなあ。どういうことなのだ、これが噂に聞く書評カルテルというやつか、というのは使い古された悪い冗談として、それだけ読み手として信頼されているということだろう。

 というわけで『8つの完璧な殺人』である。これはミステリー・マニアが実際の殺人事件に巻き込まれてしまう、という出だしの物語だ。巻き込まれ型スリラーにもいろいろあるが、完璧な殺人方法が書かれているミステリーというのはこれだよ、これ、と得意になって自分が作ったブログに載せたリストが、こともあろうに連続殺人犯に使われてしまうのである。『殺人保険』に出てくる殺しって完璧だよね、と挙げたらその通りに人が殺されてしまうというのだからたまらない。リストの存在に気づいたFBIの捜査官から要請があり、主人公は犯人捜しに協力することになる。と、ここからが不穏作家ピーター・スワンソンらしくて、実は主人公も人には言えない秘密を抱えていて、そのために捜査に協力しながら影でこそこそ動き始めるのである。その行動のせいで、話はどんどん先が見えなくなっていく。

 ある程度まで読み進めていくと、作者の企図みたいなものが見えてくる。ミステリー・マニアを自認する人ならたぶん、こういうことなんじゃないかな、みたいな像がうっすら浮かんでくるはずだ。にもかかわらず、いや、だからこそおもしろいというのがこの作品の魅力で、たぶんそういうところに着地したいのだろうけど、どうやって持っていくつもりなんだろう、という興味が湧いてきてぐいぐい読まされてしまう。メタ構造まで使って読者を楽しませてくれる完璧なスリラーである。

『処刑台広場の女』『人生は小説』の二作もたいへん素晴らしいのだけど、この作品を選んだのには一つの理由がある。なんというか、非常に微笑ましい感じがするのだ。ミステリーに入れ込んで、病膏肓に入ってしまった人だからこその自意識みたいなものが透けて見え、それが鼻につかない。たとえば、いわゆる新本格作家が出てきたとき、その自己言及の具合に、ああ、そうそうミステリー・マニアってこうだよね、と思ったときの感覚にかなり近いのではないだろうか。その親近感こみで今月の一冊というわけである。お薦め。

 

 そろそろ「このミス」投票なども見えてきて、各社が自信作を繰り出してくる時期になりました。今回取り上げられたのはいずでも年間級の話題作。これからが忙しくなりますね。次回のこの欄が楽しみです。またお会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧