書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『奇妙な絵』ジェイソン・レクーラック/中谷友紀子訳

早川書房

 今月の「え、そっち?!」賞は『奇妙な絵』です。五歳児が妙に不気味な絵を、やがては上手過ぎる絵を描くようになり、ベビーシッターの主人公が、霊に操られているのではないかと疑う。この序盤のストーリーから、ああいう結末が出て来るとは思いもよりませんでした。ミスリードに見事に引っ掛かったわけです。しかも、絵を実際に作品内に出してきて、それが謎にもなるし解明にも繋がるという趣向が見事に決まっております。超自然の解がもたらされるかはここでは伏せますが、ミステリの構造を有しているのは保証します。コラン・ニエル『悪なき殺人』も「え、そっち?」度はなかなかのものでした。こちらはミスリードというよりも、登場人物が事件で果たす役割を分散させて、出して来る順番を工夫して、読者の惑乱を見事にコントロールしています。事件関係者のうち五人に視点を割り振って、一人ずつ順番に語り手を務めさせる。よくある「交互に語らせる」形式ではなく、あくまで「順番」なのがミソ。一人が知る範囲が異なることを活かしきっていて感心しました。おまけに、視点人物各人の切実な人生事情も味わい深いんです。

 

千街晶之

『死刑執行のノート』ダニヤ・クカフカ/鈴木美朋訳

集英社文庫

 死刑執行を十二時間後に控えた死刑囚、アンセル・パッカー。罪状は連続殺人。本書は、そんな彼の姿を二人称で描いた章から始まる。不思議な魅力で女性を惹きつける彼は、死が間近に迫っているにもかかわらず、その窮地から逃れる目算があるらしいのだが……。それと並行して、アンセルの出生から現在までの人生が語られ、その中では、彼の母親、同じ里親のもとで育てられた女性、元恋人とその双子の妹といった人々と彼との関わりが紹介される。死刑執行の瞬間に向けて物語が進んでゆくカウントダウン・サスペンスであり、シリアルキラーの一代記でもあるが、恐らく読者の心に残るのは、人生にはどんなに多くの選択肢があっても、結局その中の一つを選び取ったからには引き返すことなど不可能であるという残酷かつ哀しい法則だろう。アンセルのみならず他の登場人物も、時には正解ではない道を選びつつ、それでもその現実を生きてゆくしかないのである。これは、連続殺人を扱っているからといって私たちにとって縁遠い世界の物語などでは決してない。私たちの誰もが、正しい道か誤った道かもわからずに未来を選び取りつつ日々を生きているのだから。

 

霜月蒼

『黒い錠剤 スウェーデン国家警察ファイル』パスカル・エングマン/清水由貴子・下倉亮一

ハヤカワ・ミステリ

 帯などに『ミレニアム』系というような惹句があるのだが、それは物語の性質ゆえではなく、現代型のミソジニーに真正面から取り組んでいるということだろう。基本的な骨格は質実剛健の警察捜査小説。刑事ヴァネッサ・フランクが追う女性刺殺事件の謎を軸として、さまざまな人物の物語がモザイクのように配置され、徐々にひとつにつながってゆく。「特捜部Q」風とも言えるが、ときには時系列もシャッフルして謎とサスペンスを螺旋加速していく感じは、むしろ森村誠一『人間の証明』風。熱っぽい憤懣が物語の内燃機関になっている感じも、あの頃の日本の社会派推理小説に通じる感がある。

 だが最終的に姿をあらわす犯罪はきわめて現代的であり、義憤と絶望の交錯するやりきれないものだ。そしてこの病理はスウェーデンにも日本にもアメリカにも通じる共時的/同時多発的なものだ。なのになぜかこの病理=憎悪を扱ったミステリは不可解なほど少なくて、その一点をとっても本作には現代ミステリとしての価値がある。本作はシリーズ第二作だというが、先行する第一作を読んでみたくなるし、今後もシリーズを追ってゆきたい気持ちにさせられた。

 今年の11月は例年に比べ豊作で、文芸系の読者には『死刑執行のノート』『ハーレムム・シャッフル』、ノワール好きには『悪魔はいつもそこに』や『ナイトメア・アリー』に連なるサザン暗黒ゴシック『ゴスペルシンガー』をすすめたい。

 

川出正樹

『悪なき殺人』コラン・ニエル/田中裕子訳

新潮文庫

 コラン・ニエル『悪なき殺人』を推す。舞台はフランス南部。カルスト台地が広がる山間の村で、猛吹雪の夜に地元出身の富豪の妻が姿を消した。

 誰もが顔見知りの小さなコミュニティでの失踪事件とくれれば、共同体の陰が照射され、住民達の抱えている秘密が明かされ、人間関係が変容していく様を描くというのが定番の展開だけれども、そうならないところが面白い。確かに物語の中心には失踪の謎――一体何が起きたのか、彼女はどんな人間だったのか、生きているのか死んでいるのか――があり、五人の人物を順繰りに語り手として、事件の全体像を彫刻していく。ただし、定石に従った展開は二人目までで、三人目で転調、さらに四人目でおよそ想定外の人物が語り始めるに至って、それまで見てきたと思っていた物語が実はまるっきり別の顔をもっていたことが分かり愕然とさせられるのだ。そして五人目で、なんとも言えない想いを残して幕を閉じる。

 できれば、これ以上の前情報なしで読んで欲しい。取り分け誰が語り手を務めるのかは知らない方がよいです。驚きが段違いなので。フレドリック・ブラウン『彼の名は死』(高見沢潤子訳/創元推理文庫)や吉野仁氏も解説で触れているピエール・シニアック『ウサギ料理は殺しの味』(藤田宜永訳/創元推理文庫)にも通じる、”自分が知っていることだけしか語れない語り手”を順繰りに起用することで容易に全体像を明かさず、読者の興味を掻き立てたまま意外な結末まで一気に読ませるフレンチ・ミステリの秀作です。

 

吉野仁

『解剖学者と殺人鬼』アレイナ・アーカート/青木創訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 シリアルキラー、監禁された者たち、警察捜査にかかわる法医病理学者。こうした設定のサイコサスペンスはこれまで食傷気味といえるほど数多く読んできたものだが、それでもなお、この『解剖学者と殺人鬼』の物語世界に引きこまれ、ページをめくらずにはおられず、興奮しながら読んでいった。おそらく語り口とヒロインの個性がきわめて自分の好みだったのかもしれない。あえて物足りない点をさがせば文庫でわずか三百ページという分量の短さか。だが、それも一気に読めて満足できるという美点に思えてしまうほどの満足感があった。読みやすく面白く、それらが凝縮していたということをあわせて、今月のベストにあげたい。これを読むまでは、『死刑執行のノート』か『黒い錠剤』か『この密やかな森の奥で』あたりが候補だった。エドガー賞最優秀長篇賞受賞作、ダニヤ・クカプカ『死刑執行のノート』は、連続殺人犯として獄中にいる死刑囚パッカーの死刑執行までの12時間を追った展開とその殺人犯とかかわり、彼にとらわれた三人の女性たちによる回想がつづられた作品である。凶悪な犯罪者を描きながら、本人をはじめ周囲の者たちの人間心理が生々しく描写れており、全体に淡々と書かれながらそれぞれの人生の濃密な断面を垣間見ているかのような小説で圧倒された。パスカル・エングマン『黒い錠剤』は副題に「スウェーデン国家警察ファイル」とあるとおり、北欧警察もの。物語は入り組んでいるのに、短い章立てでテンポよくサスペンスを盛り上げているため、いわゆるリーダビリティの優れたミステリでとても満足した。ただし違和感を覚えたところがあり、それは本作がシリーズ第二作だから、ということを訳者あとがきで知る。帯に「マンケル、ラーソンに続くのはパスカル・エングマンだ」とあるが、シリーズ続編でいずれそうした年間ベスト級、ミステリ史に輝く巨匠レベルの作品が読めるのであればたのしみだ。キミ・カミンガム・グラント『この密やかな森の奥で』は、山奥に一人娘と暮らす元軍人の日常を淡々と描いた物語。詩的で美しい文章の味わいが深く、後半になってサスペンスが盛り上がりを見せる、その静と動の対比も巧みで、最後まで息をこらして読んだ。そのほかサラ・ヤーウッド・ラヴェット『カラス殺人事件』は、帯に「生き物トリビア満載の超絶ミステリ」とあるものの、たしかにコウモリ専門の生態学者が主人公で事件に巻き込まれ、ラストの法廷場面でその専門性により真相が暴かれる話ながら、全体に予想していたものではなかったのはカラスではなくキツネにつままれた感じがした。グレゴリー・M・アクーニャ『クレディブル・ダガー 信義の短剣』は、第二次大戦下のユーゴスラヴィアを主な舞台とした戦争冒険スパイもので、ナチス占領下におけるユーゴの複雑な状況がからんだなかでの展開が目新しい。コラン・ニエル『悪なき殺人』は、愛なしに生きていけないフランス人の悲喜劇が、まるで「風が吹けば桶屋がもうかる」のごとき皮肉な運命の連鎖で語られ、予想もしない結末へと運ばれる仏ミステリならではの良作。ハーラン・コーベン『THE MATCH』は、『森から来た少年』の続編で、主人公の天才調査員ワイルド自身の出生の秘密がいよいよ明らかになるとともに、リアリティ番組の人気者にからんだ奇妙な事件に巻き込まれていくという盛りだくさんな内容で飽きさせないどころか、さすが巨匠コーベンにはずれなしと思う面白さ。ハリー・クルーズ『ゴスペルシンガー』は宗教色の強いアメリカ南部を背景に、地元出身スターと犯罪者、聖と俗、美と醜、清と淫など正反対同士が激しくぶつかりあうことで生まれる祝祭のごとき悲劇をサスペンスフルに描いた古典名作。そして『地下鉄道』で注目を集めたコルソン・ホワイトヘッドの『ハーレム・シャッフル』は、中古家具屋で盗品を売る黒人男性が主人公ながら、犯罪小説(エンタメ小説)というよりも、戦後ニューヨークのブラック・カルチャーにまつわる出来事、場所や風俗などが臨場感たっぷりに描かれているため、そうした部分で大いに満足した。

 

杉江松恋

『奇妙な絵』ジェイソン・レクーラック/中谷友紀子訳

早川書房

 ハリー・クルーズ『ゴスペルシンガー』と迷ったのだが、存命作家であるということでこちらを優先した。あらすじ紹介をしにくい小説だ。不幸な経緯から薬物依存症になり、リハビリから社会復帰したマロリー・クインという女性がベビーシッターとして雇われる。その家族が、母親は妙に神経質であれも駄目これも駄目と縛ろうとするし、父親のほうは彼女を拒絶したり逆に妙に距離を詰めたりとこれまた一定していなくて怪しい。肝腎のこども、テディは天真爛漫で可愛らしいのだが、マロリーは気になり過ぎることを発見してしまう。物語はこのテディにまつわるもので、読んでいる側としてはプロットの選択肢が無数にあるように見えるのが魅力だ。つまり、あれのパターンもあるし、そっちの可能性もあるし、と考えながら読むことができるわけである。タイトルにあるので書いてしまうが、「奇妙な絵」にマロリーは悩まされる。それが何かということは書かない。小説の中に絵が挿入される、ということだけは明かしてもいいだろう。

 先の読めないプロットであるということ以外に、手がかりの出し方に工夫もあり、そこにも関心させられた。ネタばらしにならないように曖昧な書き方をすると、作者の狙いと手法が一致しているのである。単にどんでん返しで驚かすだけではなく、謎に関する推理の楽しみもあるのが好ましい。手法に凝った作品が最近になっていくつか翻訳されたが、書き手がおもしろいことを狙ってくるのはいいとして、読み手側にいたずらに負荷を与えるのは考えものだと思っていた。楽しく読めないじゃん、それ。本作の美点はそこで、まったくストレスなく読むことができる。よくわかっていらっしゃる。

 

結構分かれた結果になりました。年の瀬になって読む本の選択肢が多いというのはなかなかいいことではないでしょうか。年末年始のご参考にどうぞ。本年はこれが最後の更新です。また来年お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧