書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

千街晶之

『アリス連続殺人』ギジェルモ・マルティネス/和泉圭亮訳

扶桑社ミステリー

『オックスフォード連続殺人』が邦訳されてから実に十七年。留学生としてアルゼンチンからイギリスにやってきた青年「私」と、数理論理学者のアーサー・セルダム教授が怪事件の謎に挑むあの本格ミステリの続篇が邦訳された。原書の発表年代はずいぶん離れているものの、内容は前作の翌年が舞台。今回は、筆跡に関するプログラムの開発に取り組んでいた「私」が、ルイス・キャロルの失われた日記に関係する書類の筆跡鑑定をセルダムから依頼されたことで、またしても残忍な連続殺人事件に巻き込まれてゆく。歴史上の謎、見立て殺人、怪しげな事件関係者たち、横溢するペダントリー、意外な真犯人……と、いかにも古風な本格ミステリの香気をまとっているけれども、そこで扱われているテーマは今最もホットなもの――すなわち、歴史に偉大な功績を残した人物の言動を現代の倫理道徳によってどこまで裁き得るかというキャンセル・カルチャーの問題だ。古典的な枠組で現代的テーマを語ることで、読者の心に苦い余韻を残してみせる意欲作である。

 

川出正樹

『夜間旅行者』ユン・ゴウン/カン・バンファ訳

ハヤカワ・ミステリ

 ユン・ゴウン『夜間旅行者』が恐ろしい。これほど怖い話を読むのも久しぶりだ。戦争や災害の爪痕が残る地を訪れる所謂ダークツアー専門の旅行会社ジャングル。トラベルプログラマーとして新たな商品を企画開発している女性ヨナは、ある日突然パワハラの対象となり業務を取り上げられて、不採算ツアーの査定を命じられる。〈砂漠のシンクホール〉ツアーを選んだ彼女は、身元を伏せてベトナム沖の島ムイへの旅に参加する。悪夢のごとき現状から逃れ巻き返しを図るための旅行が、さらなる悪夢への入り口となるとは夢にも思わずに。

 中途半端で煤けたツアーに参加する羽目になったヨナを気の毒に思いつつページを繰っていると、三分の一ほど進んだところでとんぶもないハプニングが彼女の身に降りかかる。そこからが真の悪夢の始まりだ。彼女が巻き込まれる事態そのものが十分に恐ろしく、忌まわしいものなのだけれども、なによりもゾッとさせられるのは、ひとたび動き始めたシステムは目的を達成するまで決して停止することがないという、細分化され複雑に構築された現代社会の非人間性を容赦なく描いている点だ。デイヴィッド・イーリイ『観光旅行』(一ノ瀬直二訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)にフィリップ・K・ディックを足して、「ウルトラQ」のトラウマエピソード「あけてくれ!」を掛け合わせたような唯一無二の読み心地のダーク・サスペンス。死者を悼み悲しみを共有するという本来の趣旨を外れて過熱化するダークツーリズムに警鐘を鳴らすCWA賞トランスレーション・ダガー賞受賞作を味わってみて欲しい。その際には、裏表紙に書かれた作品紹介も訳者あとがきも、読後まで読むのを控えることをお薦めする。衝撃度がまるで違ってくるので、是非。

 

霜月蒼

『夜間旅行者』ユン・ゴウン/カン・バンファ訳

ハヤカワ・ミステリ

 世界の根本のところで何かが決定的に狂っているのを確信しつつも、それが何だかわからない――そういう不安のたちこめる小説が好きで、本書はそういう小説の収穫である。

 災害や戦争など、暗い記憶を残す地を訪れるダーク・ツーリズム。そのツアー企画を韓国の旅行代理店で担当するヨナが、自社のツアー客として訪れたヴェトナムの島で奇怪なできごとに見舞われる。主人公がトイレに行った、というただそれだけで物語は脱線し、以降、世界は本来あるべき線から着実にじりじりと遠ざかってゆき、悪夢の色が濃さを増してゆく。目には見えない柵でできた牢獄にいるかのような奇妙な焦燥は、カフカの『城』とか、レオン・ブロワの「ロンジュモーの囚人たち」とか、あの系譜に連なる。 英国推理作家協会翻訳部門受賞作であり、また明確に犯罪を描いてもいるが、その犯罪もまた、そのスケールゆえにリアリズムからやはり脱線してゆく。ある種の奇妙なフランス・ミステリを愛好する人にもおすすめできそうだ。

 淡々と醒めたタッチを基本としつつ、ときおりセンチメンタルな抒情をのぞかせる散文詩めいた語りもいい。個人的には、島のホテルのバンガローに設置された、電気仕掛けの光る眼のイメージが忘れられない。いつか夢に見そうな気がしている。

 

酒井貞道

『誘拐犯』シャルロッテ・リンク/浅井晶子訳

創元推理文庫

 数年間にまたがって、ハイティーンの少女が連続で失踪する。事件構図は複雑であり、真相は丁寧な捜査で一歩一歩解明されていく。或いは、玉ねぎやタケノコの皮を一枚一枚剥ぐように、核心に近付いていく。一歩/一皮毎に、思いもよらない事実が明らかになる。その意味で本書は「どんでん返し」が連続し、読者の興味を惹きつけ続ける。だがサプライズを中心に据えた作品にはなかなか見えない。それは、真犯人を含む主要登場人物のほぼ全員が、苦悩や絶望にずっと沈んでいるからだ。娘が失踪した母親は、元より思うに任せない家庭生活に悩む。失踪した娘たちも家庭の閉塞に苦しむ。視点人物を務めない関係者も、何らかの悩みを抱えて、我慢できずに誰かに不満をぶつけてしまう。そしてその全てが身につまされるものだ。幸運にもこのような状況に身を置かずに済んでいる読者も、一歩間違えれば彼らと同様の事態に陥っていたことは直感的にわかってくれるだろう。これはそういう書き方が為された小説である。圧巻は実質的な主役ケイト・リンヴィルである。亡き両親との思い出が詰まった実家を、賃借人が汚して逃げ出すという悲劇。それに一人対処しなければならない孤独。容姿から来る強いコンプレックス。追い詰められて始めたマッチング・アプリで会う男たちのどうしようもなさ。頭は回るが劣等感が強い非モテ中年の閉塞が、ここにはあまりにも生々しく刻まれている。この自信のなさと非モテが、彼女の警官としての能力を高く評価している人すら、広く共有されているっぽいのが、切ない。だが、本書は登場人物にストレスを与えて間を保たせる低次元な小説ではない。それでもなお、彼らは人生それ自体を続ける。前向きとまでは言わない。克己や向上に万歳するような展開も辿らない。だが救いは、どんな少しでも確かにもたらされるのだ。或いは、閉塞してもなお生きる程、彼らは強いのである。じっくり読んで、随所のどんでん返しに驚きつつ、登場人物それぞれの人生を味わうような読み方が良いと思います。

 

吉野仁

『夜間旅行者』ユン・ゴウン/カン・バンファ訳

ハヤカワ・ミステリ

『夜間旅行者』は、CWA賞のなかの最優秀翻訳小説賞を受賞した韓国ミステリだ。ヒロインは、いわゆるダークツアーを専門とする旅行会社の社員で、あるツアーを査定するためにベトナム沖の島へ滞在するも、数々のトラブルに巻き込まれていく。不条理サスペンスとでもいうべき作風であり、なにか現実のすぐ隣りにある不気味な世界に迷い込んで逃れられない状況に困惑するばかりか、すべては最初から運命づけられていたかのような恐怖を感じさせられる物語なのだ。これは強く印象に残った。そのほか、シャルロッテ・リンク『誘拐犯』は、前作『裏切り』の続編となるケイト・リンヴィル・シリーズの第二作。ドイツ人作家によるイギリスのヨークシャーを舞台にした警察小説で今回は子供の誘拐がテーマ。自分が解説を担当した作品をトップにあげることは基本的に慎んでいるのだが(もちろん例外あり)、人物の描写がうまいだけでなく、あいかわらず読み手の予想を次々と裏切っていく展開の連続であり、ヒロイン・ケイトのプライベートをめぐるサブストーリーも含め、人ごとではない気持ちで読み進んでいった。シリーズ未読の方は、ぜひ『裏切り』から手にとってほしい。そして、こちらもシリーズの二作目、アラン・パークス『闇夜に惑う二月』は、1973年2月のグラスゴーを舞台にした〈刑事ハリー・マッコイ〉第二弾で、建設中のオフィスタワー屋上で若手サッカー選手が殺された事件をめぐってハリーらの捜査が進んでいく。登場するサイコパスのいかれっぷりに圧倒されていたら、とんでもないのはその男だけでなかったのが驚き。ノルウェーの作家ガード・スヴェンによる『地獄が口を開けている』もまた『最後の巡礼者』につづく〈刑事トミー・バーグマン〉第二弾だ。北欧ミステリでは、英米ではもはや廃れた感じのする猟奇連続殺人を題材にしたものがいまだ多く書かれていて、これも、かつて起こった少女連続殺人の犯人はすでに捕まり収監されているなか同じ手口の新たな事件が起こるという手垢つきまくり展開ながら、迫力でぐいぐいと読ませる。ジャック・ボーモントのデビュー作『狼の報復』、主人公のド・パイヤンは、フランス対外治安総局局員だ。パキスタン軍統合情報局が適役というのもめずらしいが、、尾行に注意を払う場面がしつこく描かれるなど、あくまで諜報活動を中心にした本格的なスパイ小説である。こちらはデビュー作ではないがシリーズ第一作ステフ・ブロードリブ『殺人は太陽の下で』は、副題が「フロリダ・シニア探偵クラブ」とあるように、いわばオスマン『木曜殺人クラブ』のフロリダ版。なのだが、集まった面々が元刑事であり、しかもそれぞれにワケありの過去を持っているなど、単なる二番煎じではなく、むしろこちらのほうが出来が良いのではないかとおもうほど愉しんで読んだ。ラーフル・ライナ『ガラム・マサラ!』は、インドの首都デリーを舞台にした現代物で、替え玉受験を企む主人公がやがて誘拐事件に巻き込まれるという異色なサスペンス。饒舌な語りによって、現代のインドのさまざまな社会事情が暴き出される本作は、痛快な面白さだ。最後に、このところ新訳つづきのジョルジュ・シムノンを忘れてはならない。『メグレとマジェスティック・ホテルの地階』は、かつて雑誌掲載された作品の新訳である。 パリの高級ホテルの地階で殺された女性の事件をめぐって、メグレが真犯人を探す物語なのだが、犯人探しの驚き以上に、胸に迫るラストが待ち受けていて、これは多くの人に読んでほしい一冊。

 

杉江松恋

『ガラム・マサラ!』ラーフル・ライナ/武藤陽生訳

文藝春秋

 先月は「このミス」年度の最後だったので滑り込みで刊行された本が多かった。その煽りもあって今月は若干少なめの点数だったのだが、月末にとんでもない犯罪小説が出ていたのですよ。作者はインドのデリー出身で、現在はイギリスと両国を往復して仕事をしているという。本書が28歳時のデビュー作で、邦題は最初につけられるはずだった原題から採られた。現行の題名は「金持ちを誘拐する方法」。『ガラム・マサラ!』の方がいいじゃん。

〈僕〉ことラメッシュ・クマールは教育コンサルタントを自称する青年実業家だ。その実態は裏口入学のような不法手段まで辞さない、富裕層相手の受験商売である。その彼がルディ・サクセナというバカ息子を一流大学に入れるという仕事を請け負ったことから話は始まる。ラメッシュが選んだのは替玉受験である。インドにも統一テストのようなものがあるらしく、それを高得点で通過できればほぼ一流大学にも合格するという。ルディに成り代わってそれを受験したラメッシュだったが、ちょっとやり過ぎた。なんと全国一位の成績を取ってしまったのである。ルディは一躍時の人になってしまい、テレビのクイズ番組にも引っ張り出される始末で、いつ襤褸を出すかとラメッシュはハラハラする。

 ここから謎の集団にラメッシュが拉致られて指を詰められるという冒頭の衝撃場面につながるのだが、どう展開するか、ちょっと想像してもらいたい。現在進行中の事態と並行して描かれるのはラメッシュの少年時代で、シスター・クレイという修道女に助けられて未来のない貧困生活から彼が抜けだして行く過程は成長物語としても素晴らしい。その展開からどうして指詰めになるんだよ、ラメッシュ、と思いながら読んでもらいたい。

 で、ここまで書ける前半部分で、後半は話にブースターがかまされてカール・ハイアセン的な物語になっていくのだ。絶望のどん底でちょっとだけ曙光が見え、そこから話がぐるぐると回り出す話運びは実に痺れる。人生のどうしようもなさ、人間には努力しても報われないことがあるという真実を乾いた笑いで描いているところもいい。帯に推薦文を描いたのだけど、カート・ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』とか『スローターハウス5』とかあのへんの作品を思い出したな。けっこう辛い展開とかもあるんだけど、そういうものさ、と割り切って乗り越えていく感じが、非常に好みであった。

 

韓国産のダークな作品が人気を集めましたが、その他にも興味深いものが揃いました。暖冬とはいえ、これから寒くなってくるでしょう。お風邪などひかれませんように。また来月お会いしましょう。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧