書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『生存者』アレックス・シュルマン/坂本あおい訳

早川書房

 ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』(服部京子訳/創元推理文庫)は、『自由研究には向かない殺人』に始まる三部作の掉尾を飾る堂々たる作品だ。前作『優等生は探偵に向かない』から四ヶ月、善悪が判然としないグレイゾーンの深淵に陥ってしまった主人公ピップは、普通の人生を取り戻すべくもがき苦しむ中で、第一作の事件に遡らざるをえなくなり、さらに凄惨な真実を掘り起こしてしまう。加速度を付けて緊迫感を増していく物語は中盤の大転換を機に一段ステージを挙げ、覚悟したピップはすべての事件にけりを付けるべく冷徹に計画を練り勝負に打って出る。

 本サイトで、『自由研究には向かない殺人』を、「主人公ピップの芯の強さと明るさが心地よい、苦さと爽快さが一体となった傑作。ラストで彼女が発した一言に込められた決意と自信に胸がすく」と評してから早二年。よもや、こういう結末を迎えようとは思いもしなかった。思えば随分と遠くに来たものだが、YA作品といえども現実の苛烈さから目を背けない姿勢を評価したい。

 通常ならばこれで決まりなのだけれど、今月はどうしても紹介したい作品に出会ってしまったので、こちらを推す。アレックス・シュルマン『生存者』だ。最初に断っておくけれども厳密に言うと本作をミステリに含めるのは無理がある。その理由は、予断を与えてしまうので明かせない。それでも敢えて取り上げるのは、ミステリとしての興趣が十二分にあり、カードの切り方に捻りが利いていて最後まで興味を引きつけて止まないからだ。要は、ミステリ・ファンの琴線に触れると確信しているためだ。

 舞台はスウェーデン、登場人物は三人の兄弟と両親。毎年夏になると湖畔のコテージでヴァカンスを過ごしてきた一家だが、ある年を最後に二度と訪れることはなかった。兄弟の少年時代に一体何が起きたのか、という核となる謎を設定し、現在と過去を往還する中で徐々に事情を明かし、ある家族を見舞った悲劇とその後二十年間の一家の歩みを素描していく。

 やがてクライマックスに至って、要となる事実をいきなり読者に告げる。このわずか一文で、それまで物語の背後に絶えずつきまとっていた違和感が消え去り、続く終章を深い感慨とともに読み終え、複雑な思いとともにページを閉じ、再度、一章を読み直してしまった。というのも逆行する現在パートと順行する過去パートを一章ごとに切り替えて、最後に二つの時間軸が交わったときに真実を明かすという凝った構成を取っているためだ。すべてが終わった静かなラスト・シーンに始まり二時間毎に決着の日の始まりへと遡っていく「現在」と、三兄弟の真ん中であるベンヤミンの語りで進行する少年時代からの二十年間の「過去」。わずか250ページ弱で語られる静かなれど激しく、瑞々しくも鬱屈とした、死と愛に覆われた喪失と清算の物語をぜひ手に取って貰いたい

千街晶之

『卒業生には向かない真実』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 シリーズ第一作『自由研究には向かない殺人』は、十七歳の高校生ピップが卒業のための自由研究として、五年前の冤罪事件を犯人扱いされた人物の弟ラヴィとともに解明してゆくという内容であり、探偵役であるピップとラヴィのキャラクター造型も相俟って、爽やかな印象のミステリとなっていた。ところが、第二作『優等生は探偵に向かない』からピップの活動に不穏な影が差すようになり、三部作完結編の『卒業生には向かない真実』では、とんでもない事態が彼女に降りかかってくるのだ。これほど、結末が気になるのにその結末に辿りつくのが怖いと思わされたミステリも珍しい。三部作をこのように締めくくった著者の判断は賛否分かれるところだろうが、こう終わらせざるを得なかった著者のシビアな世界観が胸を抉ってくるのは確かであり、今年度屈指の衝撃作と言える。なお、これまでのエピソードがすべてつながってくるので、前二作を必ず読み返しておくことをお薦めする。

 

酒井貞道

『卒業生には向かない真実』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 これは問題作だ。シリーズ第一作『自由研究には向かない殺人』は、SNSをはじめとした現代のライフ・スタイルをフル活用した素晴らしいYA小説であり、第二作『優等生は探偵に向かない』ではそこによりダークで苦い味わいが加わった。若者が頑張ることの鼻持ちならなさも少し匂っていたのもまた良かった。しかし最終作の本作に至り、物語は完全に転調する。二部構成の第一部からして主人公ピップの様子はおかしく、前作の事件のショックが抜けきっていない。そして彼女自身を見舞う嫌がらせが、第一部の終盤で大変な事態に発展する。続く第二部は、完全にジャンルが変わってしまう。まさかピップが、ラヴィが、その仲間たちが、こんな会話を繰り広げるとは、こんな物語は読みたくなかった。でも読んでしまう。貪るように。

 個人的には、本書に示されたピップの倫理観及び人格には、明確に否を突きつけたい。精神状態が絶不調なのに、犯罪を調査するのを我が事だと信じているピップは、妄執に蝕まれたと断じて構わないように思う。最終1ページのポップさも、私にとってはひたすらグロテスクだった。刑事司法制度に対する怒りがこの物語を生んだと仄めかすホーリー・ジャクソンにも、一人の人間として疑義を表明したい。でも、そういう病理もまた、疑いなく真理である。その点で、本書は真実の物語でもあるのだ。

 

霜月蒼

『卒業生には向かない真実』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』で活躍してきた少女探偵ピップは、危機のただなかにある状態で、本書に登場する。その危機は、身も蓋もなく、夢もない類の危機であり、こんな「大人の事情」みたいな不愉快な出来事が、YAの、「少女探偵」の物語に持ち込まれるなんて思ってもみなかった。YAは児童文学のひとつであり、それゆえに現実世界で子供たちが大人たちによって保護されるのと同じように、その作品世界/物語/主人公たちは、理不尽で不快な現実から守られている。つまり著者は、その「YA」という防衛線を、本書ではぎとってしまったのだ。

 うっかりすると本書は、YAや青春ミステリに対する悪意ある攻撃のようになりかねなかった。しかしそうならなかったのは著者の誠実さゆえだ。ジャクソンはピップの苦闘を、痛ましい決断を、過去2作に劣らぬ稠密な筆致で、おそろしく誠実に描いてゆく。その根本のところにあるのは――子供の未熟さに端を発するものであるにせよ――大人たちへの不信と怒りだ。第一部終盤、彼女がある決断をする直前に置かれた血を吐くような怒りと絶望の叫びは、まだ僕の心のなかに残響としてある。

 だからこれは、まぎれもない成長小説である。だから邦題にある「卒業」は正鵠を射ている。物語のリアリズムの変動それ自体が、庇護されるものから庇護されないものへの成長を暗示し、おかげでピップのみならず、これまでシリーズを読んできた読者でさえも、彼女が浴びたショックから逃れることができない。そういう意味で、本書のもたらす衝撃は、一種メタフィクション的な性質すらあるかもしれない。

 

吉野仁

『ミセス・マーチの果てしない猜疑心』ヴァージニア・フェイト/青木千鶴訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

これぞ極上のサイコミステリ。とはいえ、狂った連続猟奇殺人鬼が登場するようなタイプの作品ではない。だれもが抱く不安な感覚をたっぷりと読ませてくれる最高におそろしい一作だ。もう完璧にやられてしまった。物語は、著名な小説家ジョージ・マーチが新作を上梓したことからはじまる。妻であるミセス・マーチは、行きつけの店の女主人から、その新作に登場する醜い娼婦はミセス・マーチをモデルにしているのではないかと話しかけられた。思いもよらないその言葉がきっかけで、彼女の心にぴきぴきと亀裂がはいる。みんなが自分をどう思っているのかを気にしだし、やがてその疑いはとめどない妄想へとひろがっていく。しまいには、いま世間を騒がせている女性殺人事件の犯人は夫にちがいないと断定する。三人称による展開なので、単なる「信用できない語り手」とは異なり、ヒロインの妄想と実際に起きている現実認識との差異を描いた筆致が絶妙だ。家庭内を中心に展開するため、いっけん地味な話ながら、心理の歪みが増幅する過程を巧みに描いており、読んでいると、どんどんじわじわぞわぞわしてくる。それだけでなく「ミセス・マーチ」をめぐり、さまざまな作者の企みが仕掛けられており、ハイスミスやレンデルとはまた異なる狂いっぷりがたまらない。女性作家による心理スリラーの好きな方はぜひぜひ手にとってほしい。そのほか今月は、なぜか韓国産エンタメ(ジャンル)小説が多く紹介された。キム・オンス『野獣の血』は、90年代の港町を舞台にした韓国やくざ抗争小説だ。会話が関西弁で書かれているのも効果的で、ほとんど日本のやくざ映画のイメージをそのまま重ねて読むことができる。チョン・ミョンソプ『記憶書店』は十五年前に家族を殺された大学教授が、犯人をおびきだすために古書店〈記憶書店〉を開き、そこに現れた怪しい客から犯人をつきとめるという設定がユニークな物語。イム・ソンスン『暗殺コンサル』は、会社の依頼を受け、暗殺のシナリオを書くことで、自らは手をくださずに高給を受けとる男の語りで展開していく。主人公の半生が語られ、そこに韓国をはじめ近現代史が関係しているなど、社会構造などの問題をテーマにしている異色作だ。一方、〈中国のスティーヴン・キング〉と呼ばれる人気作家も独特のミステリを書いている。蔡駿『忘却の河』は、輪廻転生、すなわち生まれ変わりをテーマにしたものだ。ある名門高校の教師が何者かに殺されたものの未解決におわった。それから年月がたち、関係者の前に現れた天才少年は、その殺された教師の生まれ変わりとしか思えない言葉を口にする。同じ作者の前邦訳書『幽霊ホテルからの手紙』でも思ったが、キングよりもジュヴナイル・ファンタジー感が強いため、リアリズムにこだわるとナンだが、独特のストーリーテリングで幻惑させられる。同じ竹書房文庫では、ディミトリス・ポサンジス編『ギリシャ・ミステリ傑作選 無益な殺人未遂への想像上の反響』というのも出ており、ギリシャが舞台の短編が愉める。お気に入りは、ブルース・スプリンティーンが登場する「《ボス》の警護」だ。ジョッシュ・ワイス『ハリウッドの悪魔』は、いわゆる歴史改編もので赤狩りで有名なマッカーシーが大統領となった世界の物語。なんとジョン・ヒューストン監督が殺されるばかりか、ハンフリー・ボガートが登場するなど、反ユダヤ主義、反共主義をめぐる狂った話だ。ブレンダン・スロウカム『バイオリン狂騒曲』は、黒人のバイオリン奏者が名器ストラディヴァリウスを盗まれるという事件を軸に、黒人クラシック音楽家がたどる厳しい現実や試練が描かれている異色作で、ミステリというよりテーマはそちらにある。ジャネル・ブラウン『インフルエンサーの原罪』は、女詐欺師が主人公をつとめ、資産家女性のもとに近づいていく話で、帯に「パトリシア・ハイスミスのまなざしを受け継いだ」というのは、ちょっと女リプリーのようなところが随所に見受けられるからだろう。最後になってしまったが話題作なので薦めるまでもないだろうけど、ホリー・ジャクソン『卒業生には向かない真実』は、『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』につづく、高校生ピップを主人公にした三部作最終作ながら、前作までの要素を含むため、ぜひとも一作目から順に読むべき作品で、すでに読んだ方はそのあまりの衝撃に驚かれたことだろう。

 

杉江松恋

『ガラスの橋』ロバート・アーサー/小林晋訳

〈中国のスティーヴン・キング〉こと蔡駿『忘却の河』が実におもしろくて迷ったのだけど、とんでもないものが刊行されていたので推しておきたい。いくつかの短編ばかりが有名で個人の作品集が出ていないため知名度は今ひとつ、という作家が私がとても好きなのだが、その一人ロバート・アーサーの自選傑作集が翻訳されていた。『ガラスの橋』である。アーサーは兼業作家で〈トワイライト・ゾーン〉や〈ヒッチコック劇場〉などの番組とも深い関わりがある。日本では「五十一番目の密室」の作者としてよく知られ、早川書房が〈世界ミステリ全集〉の短篇集を「37の短篇」で出したときも採られた。後に同書がハヤカワ・ミステリとして復刊された際もクレイトン・ロースン「天外消失」と「51番目の密室」が二分冊の題名に採用された。つまり欠くべからざるマスター・ピースというわけだ。『ハヤカワ・ミステリマガジン』が700号を迎えた際の記念アンソロジー『ミステリマガジン700〈海外篇〉』にもアーサーの「マニング氏の金の木」を入れた。他の作家に知名度では劣っていたが、ミステリマガジンらしい短篇ということでどうしても入れたかったのだ。アーサーの短篇が一つ入っていると、アンソロジーとしての多彩さが違う気がする。いい短篇作家なのだ。

 その「マニング氏の金の木」も含む十篇を収めた作品集だ。アーサーはジュヴナイル長篇の作者でもあった。訳者あとがきによれば本書もそういう意図で編纂されたものらしいが、内容は大人向けの短篇ばかりなので意識する必要はまったくない。表題作は、ある雪の山荘に入っていったまま女性が消えてしまったという事件を扱ったもので、題名は「私がガラスの橋を渡って死体を運んだのでない限り」死体を隠すのは不可能だ、という登場人物の台詞から採られている。不可能犯罪ものの名作で、こういうものや「マニング氏の金の木」のようないかにも切れのいい短篇がいっぱい入っているのだから、これを読まずにどうするという気分にさせられる。短篇好きな方にはこれが一押しである。

 

 六人中三人がホリー・ジャクソンの三部作を選ぶという結果になりました。今年の話題作であることは間違いなし、これは読むべきでしょうね。その他は主流文学との接点にある作品、サイコ・スリラー、伝統的なミステリー短篇集となかなか賑やかになりました。さて、次月はどんな作品が選ばれますことか。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧